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平成24年度 第7回 Q&A

第7回 2013年1月16日(水)

大学生の数学力、なう〜 数学基本調査をよくみてみると?〜
新井 紀子 (国立情報学研究所 情報社会相関研究系 教授)

講演当日に頂いたご質問への回答(全7件)

※回答が可能な質問のみ掲載しています。

高校の数学教師です。今回話されていることは、前々から現場でとても強く実感しています。これらの課題をクリアするには、やはり大学入試(数学)を変えないと絶対に無理だと思います。マークシートなどではなく、論述を増やすべきだと思います。(採点がとても大変ですが・・・。)

基本調査でもフォローアップ調査でも、正答率をもっとも左右したのが、(理系・文系によらず)どのような方式の数学入試を受けたかということでした。記述式か、マークシートのみか、数学は不受験だったか、ということです。やはり記述式を受けている層は典型的な問題にも論理的思考力を問う問題にも強い。AO入試や推薦入試、マークシート方式から記述式試験にもどすというのはひとつの処方箋だと思います。

この調査結果を実際の教育にどのように反映させていくかについて、あるいはそれに限らずこの調査に続く次の展開について、お考えをお聞かせください。

2012年春に、フォローアップ調査を実施しました。調査対象は、前年に数学基本調査を実施した同じ大学の、同じレベルのクラスです。これまで日本人は「計算問題や決まりきった公式の当てはめには強いけれども、論理的思考や応用に弱い」と言われてきました。そこで2011年の数学基本調査では、論理的な思考力、説明力、読解力を問う問題を選びました。
ところで、本当に決まりきった問題には日本人は強いのか。それを見極めるために行ったのが「フォローアップ調査」でした。この調査は「平均を求めなさい」「2次関数の頂点を求めなさい」という、いわゆる典型的な試験問題の形式にしました。調査の対象は、前何に基本調査を実施した同じ大学、同じレベルのクラスをピックアップして行いました。これによって、計算や公式の暗記による「見かけの学力」と、論理的な思考による「真の学力」の差を見ようということだったのです。
結果から言うと、「フォローアップ調査」も、結果はあまりよくなかったのです。「1組は20名で平均点は12.3点、2 組は30名で平均点は14.8点でした。1組と2組全体の平均点を計算しなさい」という問題の正答率は68.5%(補正後は60.2%)しかなかった。相当数の大学生が「(12.3+14.8)÷2=13.55」という誤った式を立ててしまったのです。日本人は典型的な計算問題や公式暗記には強いという神話は崩壊しつつあるようです。

問題作成を含めたお取組みと思いますが、結果だけでなく、その解説に非常に大きな意義を感じる話でした。結果だけを見ても、それがどういう意味を持つのか、自力ではとてもわからなかったと思います。

日本数学会では、「第一回 大学生数学基本調査 最終報告書」をウェブで公開する予定です。ご参考になさってみてください。

私は深刻な誤答=ダメとは思っていません。むしろ、それは個性であり、これから新しい考え方やモノを生み出す上では「想像力」が大切だと感じています。この「想像力」と「数学力」の関係について何か相関はあるとお考えでしょうか?

「想像力」はイノベーションを起こすために不可欠な能力だと思います。ですが、それをイノベーションにつなげたり、経済成長に結びつけたりするには論理的な表現力や思考力は欠かせません。想像力と論理力を対立した概念として捉えるべきではありませんし、個性の名で、論理的表現力や思考力を軽視することはあってはならないことだと思います。

「m、nが整数である」ことの定義(m+n)が整数になることの証明は、高校数学的には、自明で書く必要が無い、ということでしょうか?(自明な事は省略する気がします。)

いいえ。中学および高校教育で二度にわたって、証明つきで教科書で解説している内容ですので、「自明」で済ませているとは考えにくいです。

深刻な誤答をしている人は、本当に「例示は証明になりうると考えている」と言えるのでしょうか? 証明になりうるとは思ってはいないが、どう証明をしたらよいか分からないので、とにかく、何か書いておこうと書いている人はいないのでしょうか?「証明するとは、どのような行為かわからない」も同様です。

一般に、アンケート調査でも、学力調査でも、「とにかく、なんでも書いておこう」と思ったかどうかは、書かれたことからは判断することはできません。ですので、「とにかく、何か書いておこう」という層がいたという可能性は否定できません。
ですが、証明という活動は、人間のさまざまな知的活動の中で、「ともかく、何か書けば当る」ということとはもっとも遠いことではないでしょうか。もちろん、試行錯誤をする、ということは証明をする前段階として非常に大切ですし、試行錯誤をしようという心意気は教育の過程で大切にされるべきですが、それと、「何か書けば当るのでは」と思って証明を書いて提出するということは分けて考えるべきだと考えます。
もし、「何か書けば当るのでは、と思って書いた」ことが理由だとしても、やはり深刻な誤答に判定されるべきだと思います。

問3は、平行な直線を引く方法を示さなくてよいのであれば、もっと正答率が上がるのではないでしょうか?

平行な直線を引くための作図方法を示すことを、正答の条件として求めていませんので、無関係だと思われます。

shimin 2012-qa_7 page2535

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