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平成23年度 第2回 Q&A
第2回 2011年8月1日(月)
量子コンピュータは本当に実現できるのか?
新しい情報社会の扉を開く量子技術
山本 喜久(国立情報学研究所 教授)
講演当日に頂いたご質問への回答(全21件)
※回答が可能な質問のみ掲載しています。
コロッサスエニグマを解くためのハード(ほぼ固定された動作)→現在のコンピュータはプログラマブルになった。イジングモデルを解くためのハード(量子コンピュータ)と考えると、プログラマブルになるとしたらどのような形で?
様々なNP問題をNP完全問題であるイジングモデルへマッピングするのは多項式時間でできることが分かっているので、この部分は現在のコンピューターで行います。その後、イジングマシーンの線形光学素子の設定を変更して、マッピングされたイジングモデルを実装し、解を求めることになります。従って、現在のコンピューターを用いたマッピングと線形光学素子による実装がプログラミングに相当することになります。
①バーチャル層というのは具体的に何をするところなのか?
②どうやって量子的状態と古典系を分けるのか?
①スピン量子ビットは外界からの擾乱により、その位相情報が比較的短時間のうちに消失してしまいます。このような外界からの擾乱はスピンエコーとかデカップリングと呼ばれる手法で取り除くことができます。しかし、正しい位相情報は決められた時刻に瞬時的にしか現われません。この瞬時的に出現する量子ビット情報をバーチャル層と呼んでいます。
②量子ビットの情報は射影測定と呼ばれる観測手段を通して古典情報に変換されます。この測定の後、量子ビットの状態と読み出した結果の間には1対1の対応がありますが、両者はあくまで量子ビット(量子系)と巨視的な電流(電圧)値(古典系)として切り分けられています。
メモがとりたいので適者生存のスライドをもう一度見せてください。
当日の配布資料の中にあります。
鉄道車両に利用できる量子コンピュータ(ノーデコヒーレンス)はできるのでしょうか?
鉄道車両に量子コンピューターが"とうさい"される日が来るのか、という質問だと思いますが、それは分かりません。
注入同期レーザーの装置で問題が解けたと判定するのはどのような方法でおこなうのでしょうか?ある時間が経過した時に収束を判断するのですか?常に正しい解に到達するのですか?
注入同期レーザーが問題を解くために必要な時間(定常状態に達する時間)はあらかじめ分かっています。途中経過の計算結果も、常に読み出せるようになっています(連続測定を行なう)ので、解への集束も確認できます。ただし、常に正しい解が得られるわけではなく、問題のサイズに応じて決まっている成功確率の逆数程度の回数計算を行ない、全ての候補の中から検算により正しい解を決定することになります。
暗号で使われている素因数分解問題は、今のところNP完全問題とは考えられていないですが、NP完全問題ではなく素因数分解問題を解く量子コンピュータを考える方が容易という考えはありますか?
現在研究開発が行なわれている量子コンピューターは、ショアのアルゴリズムを用いて因数分解を行なうことを第1の目標にしています。この他のめぼしい応用は現在発見されていません。にもかかわらず、このタイプの量子コンンピューターは開発が非常に難しく、そのことが注入同期レーザー・イジングマシーンを研究している主な動機です。
チューリングはコロッサスの設計に関わっていない。コロッサスは世界初のコンピュータとは必ずしも言えない。コロッサスはローレンツ暗号の解読に使われたもののエニグマの解読には使われなかったはず。NP完全問題のうち特殊な問題なら解けるということがよくある。
当日は詳しく歴史の解説をする時間がなかったので、エニグマ暗号の改良版ローレンツ暗号を広義のエニグマと紹介しました。チューリングがコロッサス開発チームのリーダーではなく、メンバーの一人にすぎなかったことは事実ですが、後年のチューリングマシーンの概念を確立する上で、コロッサス開発が彼にとって有益であったのも事実だと思われます。
NP完全問題のどれか一つに対しても、多項式時間で解けるアルゴリズムが見つかれば、多くの研究者が信じているP≠NPの仮説がくずれることになります。"特殊な問題"という意味があいまいですが、それは恐らくPクラスの問題だと思います。イジングモデルでも一次元、二次元のイジングはPクラスになります。二次元+磁場、あるいは三次元のイジングのみがNP完全であることが証明されています。
①この分野の研究を進めていくうえで、どんなところにどの程度予算が必要になるのでしょうか?
②一番お金がかかるところはどこですか?
①量子情報の研究分野は、量子計測(重力計、磁力計などの開発)、量子標準(光時計の開発)、量子通信(量子暗号通信や量子中継器の開発)、量子シミュレーション(アナログ量子情報処理技術の開発)、量子コンピューター(量子ビットに基づく方式、注入同期レーザーに基づく方式の開発)、理論、と多岐にわたっています。各分野をバランスよく進めていくことが、最終ゴールである量子コンピューターの開発への成功の鍵と考えます。日本全体でこの分野に投下すべき研究費は年間15億円(10億円はプロジェクト研究、5億円は個人研究)が妥当なレベルと考えます。
②この分野は研究設備に大きな研究費が必要ではありません。重要なデバイスや測定器は手作りであるべきです。研究費は人に投下すべきと考えてます。大学院生のリサーチ・アシスタントシップや若手研究者のポスト作りに当てられるべきと考えます。
欧米、中国、インドの研究はどうなっていますか?
この分野の研究の中心は米国にあります。豊富な研究資金と人材を持ち、その為これまでの多くのブレークスルーは米国で生まれました。それを追いかけているのは欧州です。英国は理論に強く、ドイツは実験に強く、フランスはバランスの取れた研究リソースを抱えています。米国はやや実用志向が強く、欧州はやや基礎科学的側面を強調する傾向があります。中国は豊富な研究資金をこの分野に投下していますが、国内に人材が不足しています。ただ、若い世代に優秀な人が多く、また欧米で活躍している研究者が帰国するようになれば、米国、欧州と対抗できる第3極を形成できる潜在能力を持っています。インドは現時点では理論研究のみが目につきます。シンガポールが早くからこの分野に投資を行なってきました。投資の割に、現在まで主だった成果が得られていないのは、やはり学問の伝統とか歴史というものが、このような研究分野では重要な役割を果たしているからだと思います。
①数年前の市民講座での量子コンピュータ(暗号化)についての研究から、今日までどのような前進があったのでしょうか?
②量子コンピュータの実現する時期はいつ?
この質問は、現在研究開発の渦中にいる者には答えられません。ずっと後世になって、あの時のあの発見がターニング・ポイントだった、ブレークスルーだったと分かるものだと思います。1つ例を上げますと、レーザーが発明されたのは1960年でしたが、その2年前この分野のエキスパートが集まったRochester会議での話題は、"レーザーは実現するか?"でしたが、出席者のほとんどが否定的な見解を持っていました。科学上のブレークスルーを予知することは非常に難しいものだと思います。
量子コンピュータの世界でも、現在のノイマン型のように「プログラミング言語」というものが必要なのでしょうか?
量子コンピューターは凡庸の計算機というよりも、特定の(難しい)問題を解く専用マシーンになるものと想像しています。システムのアーキテクチャーは複雑になるでしょうが、問題のプログラミング自体は単純なものになると考えられます。
①提案の量子計算機では、どのようにプログラミングするか?
②より具体的にはイジングモデルのJijをどのように入力(セット)するか?
③任意のJijの値について解を求められるか?
①②イジングモデル(解きたい問題)は、各スピンに作用する磁場の強さと向きを表わすパラメータli(i=1~M、Mはサイト数)、2つのスピン間の磁気結合の強さと符合を表わすパラメータJij(i, j =1~M)の2つを指定すると一義的に決まります。提案した注入同期レーザーマシーンでは、liはマスターレーザーからスレーブレーザーiへ注入される水平偏向成分の振幅と位相で、Jijはスレーブレーザー(i, j)間の相互結合する水平偏向成分の振幅と位相で与えられますので、これらのパラメータを光回路素子で実装することがプログラムに当たります。
③はい、任意のJijの組み合わせ(3次元のイジングモデル)でも解は求まります。
量子コンピュータが実現することにより、私たちの日常、一般社会に影響を及ぼすことはありますか?例えば、インターネットを利用したセキュアな通信ができなくなると言われていますがいかがでしょうか?
ショアの量子アルゴリズムが実装できる量子コンピューターが開発されると、現在のコンピューターで因数分解や離散対数を解く計算量に根拠を置いている現代暗号の安全性はくずれることになります。量子暗号と言われる新しい暗号通信は、この未来の"きょうい"を解決するために研究・開発されています。
現代のコンピュータでは並列するなどして、量子コンピュータの量子パラレリズムには追いつけないのでしょうか?
はい、追いつけません。量子パラレリズムの威力はM個の量子ビットが2M通りの異なった入力値に対して同時に計算をできるところにあります。たったM=90の量子ビットが同時に処理できる入力値は地球を構成する全原子数に等しく、これだけの数の現代コンピューターを並列に動作することは不可能だからです。
量子コンピュータが実現できれば、現在暗号で使われているRSAなど素因数分解が十分に複雑であることを担保に守られている情報が暴かれてしまうと言われています。もしそうなった際に、社会に混乱は起きないのでしょうか?
量子コンピューターをはじめ、いかなる手段を以ってしても絶対に解読できない量子暗号というものが研究開発されています。まだ、速度とコストに問題は残っていますが、技術的には実用可能なレベルに到達しています。
多項式時間とはどのような概念か?
問題のサイズMのベキ乗Mnで計算時間が増える場合、これを多項式時間といいます。これに対し、NP問題では計算時間は指数関数(2Mなど)で増加します。
①観測する対象の系と観測機器との切り分けを間違えないようにして、測定値を得るための考え方のコツがあれば教えてください。
②以前、光子ののスビンの大きさを1と教わったことがあります。先生のおっしゃる-1/2はどのような単位になりますでしょうか?
①観測する対象の量子系は通常ミクロな系(単一電子や単一光子など)であり、観測機器はこれをマクロな信号へ変換する増幅機能を持っています。同じ量子系にも、たくさんの観測量があり、そのいずれを測定するかにより観測機器の作り方は変わってきます。測定したい観測量の情報のみを増幅し、共役な関係にある観測量の情報を抑圧するようなメカニズムを探すことがポイントになります。
②光子には本当の意味でのスピン角運度量はありません。しかし、粒子の軌道角運動に対応した右回り、左回り円偏光というものがあります。右回り円偏光の偏波状態をスピン上向き、左回り円偏光の偏波状態をスピン下向きのスピン-1/2の系に対応させたのは便"ギ"的なものです。
脳は量子コンピュータである可能性はありますか?
恐らくはないと思います。対象とする系が量子的であるためには、まず素励起の持つエネルギーが背景にある熱的ゆらぎのエネルギー(kBT=24meV @ 室温)よりも十分に小さくなければなりません。脳は逆の条件下(熱的ゆらぎが信号の素励起よりも大きい極限)で動作していると思います。
量子コンピュータの実現にはかなり精密で大がかりな装置が必要になるようですが、基礎的なモデルはできても実現は困難ではないでしょうか?また、実現するとすればレーザー発振器などどの位の大きさ、規模になるのでしょうか?
量子コンピューターをどう構成するか、により装置の規模は変わると思います。提案した注入同期レーザー・イジングマシーンでは、室温動作のVCSELレーザーと光回路素子の集積化により実現できるので、極めて小型な装置になると予想されます。
量子コンピュータは従来のコンピュータに比べて、どのようなハードウェア構成になるのでしょうか?従来のものとの構成の違いを教えてください。
量子コンピューターの実現法はまだ固まっていないので、ユニバーサルなハードウェア構成法を議論できる段階にはありません。現在主流となっている考え方は、量子誤り耐性アーキテクチャーというものは必要とされる物理的リソースが極めて大きく、個人的には現実的な解とは言えないと思います。
①量子コンピュータを用いても、全てのNP完全問題を解くことはできず、一部の特殊な問題しか解けないと考えていますがいかがでしょうか?
②「素因数分解が難しいので○○○である」という類の仮定が崩れて困る人たちはどうすればよいのでしょうか?
①全てのNP問題は多項式時間でNP完全問題にマッピングできるので、1つのNP完全問題(例えば3次元イジングモデル)を多項式時間で解くことのできる量子コンピューターが開発されれば、全てのNP問題は多項式時間で解けることになるので、そのインパクトは大きいと思います。
②現代暗号のことを言っているのだと思いますが、これに関しては、どのようなコンピューターが登場しようと絶対に安全な量子暗号がすでに開発されています。
モードが増えた場合、スレーブレーザー間の距離による時間遅れは問題になりませんか?
なると思います。提案した注入同期レーザー・イジングマシーンは遅延と非線形素子を含む量子フィードバック系ですので、不安定動作、発振、カオスといったものを本質に内在させています。
①光子が通るスリットが2個以上の時、中心のスリットと外側のスリットは光子が通る距離が違ってくると思いますが問題にはならないのでしょうか?
②負の温度とは何ですか?
①光源から各スリットを通ってスクリーンの特定の点に到達するまでの位相はスリットの位置により変わってきます。それらの"分波"の複素振幅の総和の絶対値の2乗を取ったものが光子を検出する確率となります。
②2準位原子が熱平衡状態にある時、下準位の占有率は上準位の占有率よりも常に大きくなっています。占有率の差は温度が下がるほど大きくなり、絶対零度では下準位のみが占有されます。同じ2準位原子に外部からエネルギーを供給(ポンプ)すると、上準位の占有率を下準位の占有率よりも大きくすることができます。これを熱平衡系でよく使われるボルツマン分布に当てはめると、温度は"負"だと考えざるをえません。負温度とは単なる便宜上の概念です。
結局「量子コンピュータ」とはどんなコンピュータなのですか?
現代コンピューターが古典力学にその基本原理を置いているのに対し、量子コンピューターは量子力学にその基本原理を置いています。例えば、古典ゲートは0(V)か1(V)のどちらかの電圧状態を取っていますが、量子ゲートでは0(V)と1(V)の両者にまたがって同時に存在しています。
興味を持たれているサイエンスアウトリーチを簡単に説明してください。
私達の量子情報処理FIRSTプロジェクトでは、小・中・高校生、大学生、一般市民と様々な人達へ自分達の研究分野に興味を持っていただくため、大学院生、博士研究員、教員を現場に派遣し、講義を行なっています。私達の目標は、難解で役に立たないという"量子"のイメージを変え、"生命"や"宇宙"よりも、もっと面白く又実用的なものであることを知ってもらうことにあります。
光子が電子と同様にスピンを持つということは、光子はフェルミの排他則に従うフェルミ粒子になることができるのでしょうか?
光子はスピン角運動量を持ちません。右回り、左回り円偏光をスピンアップとスピンダウンに対応させて考えるのが便利なので、そうしているだけです。光子はまた軌道角運動に対応するラゲール・ガウスモードというものも持ちます。光子はボゾン粒子ではありますが、非線形媒質中では斥力相互作用を獲得し、フェルミ粒子的に振舞うことがあります。
提案の量子計算機では解は必ずdeterministic(probabilisticではなく)に求められますか?また、エラーはありますか?
これまでの研究の結果、正しい解が求められる確率は問題のサイズMの増加と共に減少します。本当の解(損失が最小のモード)とあまり損失の違わないモードで発振してしまうためです。その意味で、このマシーンはprobabilisticです。測定上のエラーは余り問題にならないと思います。
今回の新しい量子コンピュータに量子の概念は必要なのですか?従来のニューラルネット、例えばホップフィールドモデルと同じような気がしますが、違いは何ですか?
提案した注入同期レーザー・イジングマシーンでは、各ノード(スレーブレーザー)が右回りと左回り円偏光という相反する状態に同時に存在できます。これを量子力学の線形重ね合わせ状態といいます。従来のニューラル・ネットワークにはこうした概念はありませんでした。
イジングモデルの問題のほかに、NP問題を解くことはできるのですか? ※注入同期レーザーシステムを使って、ハミルトン閉路問題が解けますか?解けるならどのようにして?
ハミルトン閉路問題を含む全てのNP問題は(3次元)イジングモデルへ多項式時間でマッピングできますので、このイジングマシーンで効率よく解けます。
①理論と実践という部分で言えば、市民レベルで今回の講義は難解すぎる。機械などの実験装置のモデルを写すことでもう少しわかりやすくできないだろうか?
②「新しい情報社会」とは具体的にどんな社会なのか?
③スーパーコンピュータと量子コンピュータの違いは?
①まだ、実験装置は存在しないので機械をお見せできる段階には至っていません。現在は、まだコンセプトだけが存在するレベルにあります。
②具体的なイメージをお話しできる段階に至っていません。
③スーパーコンピューターは古典力学に基づいた計算機であり、NP問題を解くためには指数時間を必要とします。量子コンピューターは量子力学に基づいた計算機であり、NP問題を多項式時間で解くことができます。
①イジングマシーンは量子マシーンのことなのか?
②コスト面はどうなのか?また、この研究は国家予算的な研究なのか?
①量子コンピューターの一つとして、イジングマシーンを今回提案しましたが、量子コンピューターはより広い概念で他にも有力なものが見つかる可能性はあります。
②この研究には、大きな予算(国家的予算)は必要ありません。大きな科学的技術上の発見やブレークスルーが常にそうであるように、少人数のグループによる独創的な研究によってのみ突破口が切り開かれると思います。
P14とP15の間に先生は別のスライドを提示されたが、資料にはそのスライドが欠けている。それを手に入れるにはどうしたらよいか?
公開する資料には入れましたので、それを参考にしてください。
イジングマシーンを用いて、NP完全イジングモデル以外の一般の問題を解けるようにする工夫や試みというのはあるのでしょうか?
3次元イジング問題はNP完全問題であるので、全てのNP問題は多項式時間でこの問題へマッピングできます。従って、一般のNP問題も全て多項式時間で解けることになります。
エンジニアリング的に実現できそうでない量子コンピュータの研究をなぜやっていらっしゃるのでしょうか?
現在主流となっている誤り耐性量子コンピューターは実現できないと私も思います。しかし、今回提案した注入同期レーザー・マシーンは実現できるコンセプトだと考えています。
光子の大きさはどの位ですか?また、大きさは一定ですか?
光子というのは電磁場のエネルギー単位です。電磁波の大きさは、それを閉じ込めている共振器の大きさで決められます。共振器に閉じ込められていない進行波の場合にはパルス幅で決められます。例えば、1ナノ秒(10-9 sec)の進行波パルスは約30cmのパルス幅を持ちます。