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平成18年度 第5回 Q&A

第5回 2006年10月11日(水)

インテリジェンス
--情報を収集し知識として活用する方法とは--

北岡 元(国立情報学研究所 情報社会相関研究系)

講演当日に頂いたご質問への回答(全24件)

※回答が可能な質問のみ掲載しています。

先生は今、具体的にどういうテーマを追究・研究されているのかお差し支えないところで少しお示し下さい。

今回は市民講座なので一般的なお話をしましたが、私が今一番力を入れて研究しているのは、「我が国の情報能力をどう強化するか」という点です。「日本の情報能力は、今のままで十分だ」と考えている人は、あまりいないと思います。実際過去に色々な議論や提言がなされてきたのですが、未だに我が国の体制は、低空飛行が続いています。何故これだけ議論と提言があるのに、実態が変わらないのか?まずそこから考えてみようということで、昨年よりPHP研究所と一緒に我が国のインテリジェンス体制の実態を調査し、研究を重ねてきました。その成果の一端は、本年6月に「日本のインテリジェンス体制 変革へのロードマップ」として公表されています。
 http://research.php.co.jp/seisaku/suggestion/seisaku01_teigen33.html#interi
より、ロードマップ本文及び、公表時に私と石破茂元防衛庁長官、大森義夫元内調室長、春名幹男共同通信社特別編集委員で行ったパネルディスカッションの議事録がダウンロードできますので、興味がおありでしたらご一読ください。
 次に力を入れて研究しているのが、世界のインテリジェンス研究で最もホットなテーマと言って良い、テロ対策です。冷戦までは曲がりなりにも機能してきた、伝統的なインフォメーション収集・分析の手法、そして伝統的なインテリジェンス・サイクル・モデル。これらの何処を、どのように変えていけば最も有効にテロに対処できるか、という研究を行っています。その成果の一端は、9月8日にPHPが開催した政策懇談会「9.11テロから5年 -テロの脅威にいかに向き合うか-」で披露させていただきました。以下に関連のページがありますので、興味がおありでしたらばどうぞ。
 http://research.php.co.jp/etc/forum_016/

財)日本総研・三井物産戦略研究所の寺島実郎氏が、10年近く前から強調され、最近も別の専門家がTVで指摘していた、米国の「エシェロン」(ペタ・コンピュータにより、インターネット、IT情報をくまなく受信分析)による世界情報の独占の危険性とその対応策の必要性につき、先生のご見解をお伺いしたい。
エシェロンとは何か?どこにあり、要員数・ハードの規模・活動内容の具体的中身等、その実体についても解説いただきたい。

以下を読まれることで、エシェロンのおおよそのイメージはつかめると思います。
欧州議会「エシェロン傍受システムの存在に関する最終報告書」(以下よりダウンロード可能)
http://www.fas.org/irp/program/process/echelon.htm
講座でも触れましたが、信号や会話を傍受して得られるインフォメーションから生産されるインテリジェンス、つまりSIGINTは、しばしばターゲットの意図までも見通すことが出来ると言うことで大変強力ですが、これも講座でも触れた「小麦と籾殻」と、「地理的な制約」という二つの大きな問題を抱えています。エシェロンは前者の問題をコンピューターの活用によって乗り越え、後者の問題は、本来インテリジェンス組織が最も苦手とする国際協力の枠組みを英語圏諸国で構築することによって、乗り越えようとしているのです。よってエシェロンは、部外国にとっては極めて恐ろしい存在といえます。対応が必要になるのは当然ですが、実は国民の一人一人が意識を高めれば、十分対応できるのです。具体的には、既述の欧州議会の最終報告書が、「機密情報の送信に使う全ての通信経路を保全すること」、「安全性の高い暗号化システムを使用すること」などを勧告していますのでご一読をお勧めします。

日本の「内調」は、規模・陣容がお粗末と言われてきたが、実体はどうなっているのか?先生はどう評価されるか?課題と展望(予算制約etc.)は?

内調の規模、組織体制及び活動については、以下を読んで下さい。
「日本のインテリジェンス体制 変革へのロードマップ」(PHP総合研究所)のp.27以下。ロードマップは以下よりダウンロード出来ます。
http://research.php.co.jp/seisaku/suggestion/seisaku01_teigen33.html#interi
「日本のインテリジェンス機関」(大森義夫著、文春新書)
「軍事研究2006年9月号別冊 ワールド・インテリジェンスvol.2 日本の対外情報機関」のp.24以下。
内調の抱える最大の問題は、トップを含む重要な幹部ポストの多くを警察が独占しているということです。そのために、各情報組織が情報を積極的に提供しようとせず、結果として本来の任務である我が国のインテリジェンス・コミュニティー(一国のインテリジェンス関連省庁・機関の総体)の「連絡・調整」をほとんど果たしていません。
ではどうすれば良いのか?警察のみでなく、「適材適所」の原則で、他のインテリジェンス関連省庁も重要なポストに人を送り込めるような「開かれた内調」にすべきでしょう。そしてそれが出来ないというのであれば、合同情報会議のような別のシステムを強化することで、我が国のインテリジェンス・コミュニティーをしっかりと取り纏める体制を構築するほかありません。

3億円事件は、公安が仕組んだとのTV番組があった。「左派アジトが三多摩地区に多く、それをしらみつぶしにガサ入れする口実作りの為のフェイク劇だった」とのシナリオ。日本の損保も外資に再保険をかけていた為、東芝始め、日本で誰も損をしなかった優れたシナリオだったとの話。先生はこの説をどう判断されるか?

それはインテリジェンスの世界で言う「仮説」です。インテリジェンス業務で大切になるのは、「決して一つの仮説に固執してはならない」という点です。講座で私は、「過去には少数のベテランの分析官の直感が重視されてきたが、これからはジュニアや中堅の分析官のシステマティックな分析と、ベテラン分析官の直感を組み合わせることが重要になってきている」旨指摘しました。それは、「大量のインフォメーションを処理しなければならない」というところから来る必然的な要請でもあるのですが、同時に「ベテランの直感は、たった一つの仮説から出発する」という問題点を克服するためでもあるのです。
 さてTV番組が言っているのは、3億円事件を巡る多くの仮説の一つです。事件関連の多くのインフォメーションを一つ一つ、全ての仮説と付き合わせて、一番多くのインフォメーションと整合する仮説が残っていく・・・というのが分析のプロセスです。私は事件に関連するインフォメーションを有していないので判断できませんが、インフォメーションを有している人が、それをTV番組の仮説と付き合わせて、仮説が何処まで生き残っていけるか、ということでしょう。

MOFA 中近東課にいらしたようですが、英国を始め、多くの中東調査機関が、キプロスに所在、支所を有しているがその理由は?同じ地中海でもなぜキプロスなのか?

インフォメーションというのは、国家の利害関係がぶつかり合う国家に集まり、それに各国のケース・オフィサーやエージェントが群がる、という傾向があります。例えば私が赴任していたバングラデシュやフィンランドなどがその例です。キプロスもその典型と考えて良いと思います。

佐藤優氏が在MOFA中に果たした対ロ インテリジェンス活動は、省としてオフィシャルなものであったのか。彼の個人技や鈴木代議士の影響(横やり)あってのものであったのか?彼の活動を先生はどう評価されるか?

佐藤優氏はロシアに広範な人脈を構築し、それを縦横に駆使してインフォメーションの収集を行いました。それは評価されてしかるべきだろうと思います。外務省は、政策官庁であると共に情報官庁でもあります。同氏が、自ら得意とする旧ソ連やロシア関連のインフォメーションを収集・分析したのは、外務省員として当然の職務だと思います。特定の代議士の影響については、官僚は政治家の影響から全く自由ではあり得ません。よってこの問題は、「程度の問題」ということになります。佐藤優氏の場合には、影響の有無ではなく、影響が大きすぎたのではないか、という点が問題になっているのだろうと思います。

元外相 田中真紀子氏と対立した野口外務審議官(経済畑)は、オスロー中東和平(丹羽大使?)等を練り上げ、日本のキッシンジャーと雑誌等で書かれたと記憶しているが、インテリジェンスの観点から、田中元外相の問題は何で、野口氏等との対立の基本は何であったかコメント願いたい。

田中元外相について、インテリジェンスの観点からコメントすることはほとんどありません。強いて言えば、9.11直後の米国政府の避難先を公言した、ということがあります。私は講座でインテリジェンスについて、サイクルの平面図モデルで、「はじめに情報要求ありき」という話をしてから、立体モデルに進み、「はじめに利益の自覚ありき」という結論を導きました。講座ではそれ以上踏み込みませんでしたが、この「はじめに利益の自覚ありき」との点は、インテリジェンスが生産されるプロセスに於いて、「利益競合の相手方」が現れて、それとの間で「利益の競合関係」という状況になることがあります。詳しくは拙著「インテリジェンス入門」のp.42以下を参照していただきたいのですが、元外相の発言は、このような競合関係の存在を念頭におかずに行った発言のように思えます。

「インフォメーションは必ずある」と何故言えるのか?

この言葉は、9.11の後インテリジェンス関係者が絶望したり、落ち込んだりしている時に、一部の専門家によって言われるようになった言葉です。典型的な例は、講座でも言及したバーコウィッツの2003年の著作「The New Face of War」にある以下の記述です(訳:北岡)。

 以下の点は、誰も否定できないだろう。つまり少なくとも9.11を実行したテロリスト細胞の外にいる人でも、何人かは計画について知っていたはずなのだ。そしてもっと多くの人が間接的な形で計画について聞いていたはずなのだ。つまり米国が持っていないインフォメーションがあった。そしてそのインフォメーションが、9.11の手がかりをもっと与えてくれたはずなのだ。

 インフォメーションというのは、時々刻々と移り変わる現実を種々の形で切り取ったものですから、誰かが「知っていた」というだけではインフォメーションになりません。写真となったり、録音されたり、言葉によって語られた瞬間に、それはインフォメーションとなります。ですから、「インフォメーションは必ずある」というのは、全てのケースに当てはまる話ではありません。しかしインテリジェンス組織が警戒する大規模テロや、ある程度の規模のテロの場合には、計画そのものや、計画を予感させる何かが、誰かによって事前に観察され、語られているのです。例えば本年8月の、英国の旅客機テロ事件の事前摘発は、ワシントン・ポスト紙の報道によると、イスラム教徒のコミュニティーの住民が、仲間の怪しい動きを察知して当局に通報したところから始まったのです。講座で取り上げた、1942年のロング・アイランドの例も想い出してください。

本日の講義の範囲から外れるので恐縮ですが、本日の講義は凡そ刻々に進行する事象を分析・予想し、助言・警告するシステムに関するものと理解した。国家的、あるいは企業などの多くのプロジェクトの取組みについて、最初から期待される正の効果の実現にのみに注目して、それによって誘起されるマイナス効果(副作用)にほとんど配慮されていないと思われるものが見受けられる。*noyan(?)*(IT)関連など。本日の講義で解かれていると思うが、プロジェクト企画の段階から正負の効果全般に考えなくては、戦略として達成することが覚束ないようなことがあるように思うがいかがでしょうか?

「本日の講義は凡そ刻々に進行する事象を分析・予想し、助言・警告するシステムに関するものと理解した」ということで結構です。さてインテリジェンスとは、一言で言ってしまえば「判断・行動のために必要な知識」です(但し米国では「インテリジェンス」というと、遙かに幅広い意味を持っています。インテリジェンス・サイクルや防諜・工作活動、さらにはインテリジェンス組織を「インテリジェンス」と言うこともあるので、英語の文献を読む際には十分な注意が必要です。詳細は拙著「インテリジェンス入門」に譲りますが、私が講座で「判断・行動のために必要な知識」と定義したのは、「プロダクト」としてのインテリジェンスに限って定義したものです)。
 さてご質問に対するお答えですが、インテリジェンスの伝統的な考え方では、「初めに情報要求ありき」ですから、この問題はインテリジェンス担当の問題ではありません。インテリジェンス担当は、単に情報要求を満たすインテリジェンスを生産しさえすれば良いのですから、情報要求が、「このプロジェクトによるプラスの効果を知りたい」ということであれば、副作用に言及のないインテリジェンスのみが上がる。それで「おかしい」というのなら、それは情報を要求した「プロダクトの企画立案・執行」担当の責任なのです。
 しかし講座でも触れましたが、今の世の中は肝心の「判断・行動する人」自身が何も分からなくなりつつある世界です。こうなると、インテリジェンス担当が、明確な情報要求がなくても、マイナスの効果、つまり「このプロジェクトによってどのような副作用が起こるか」も含めて、しっかりと検証し、「プロダクトの企画立案・執行」担当に上げることが必要になっている時代だとも言えます。つまり講座でも触れましたが、ベンジャミン・ギラードの「マネジメントの情報要求を待つことなく、自発的にインテリジェンスを生産し、マネジメントに助言・警告する」というアプローチです。
 但しインテリジェンスの担当が自発的になりすぎると、「インテリジェンス担当が、指導者を情報操作する」という事態を招くこともあります。逆にインテリジェンスの担当が指導者に近づきすぎると、指導者がやりたがっているプロジェクトを慮りすぎて、講座で説明した「インテリジェンスの政治化」を招くこともあります。
 現実は複雑ですから、一刀両断の解決はありません。「『判断・行動する人』と『インテリジェンス担当』との間の微妙なバランスをどう取っていくのか」ということを不断に検証していく、ということ以外にはないと思います。

人間は考える葦と言われる。つまりインテリジェント葦(リード)とも言える。では、他の生物はインテリジェンスを持っているのでしょうか?一応、情報を集めて本能的に処理しているが。また、利益を本能的に自覚しているし。

当然「他の生物」も、インテリジェンスを持っています。無論「他の生物」の世界では、CIAやMI6のようなインテリジェンス組織はありませんから、「他の生物」は自分自身の中でインテリジェンス・サイクルを回しているのです。講座で配布したスライドのp.4「インテリジェンス・サイクルの種類」の一番左にある「一人二役」の世界です。本能に基づいていても、インフォメーションは処理されて、インテリジェンスに高められ、「生き残るための知恵」として「判断・行動」の基礎になっているのです。そして、それでも対処出来ないほどに環境が変化したときに、その「種」は滅亡し、そうでない「種」は生き残るのです。

インターネット上の2ちゃんねるのような巨大掲示板が、国家のインテリジェンス生産に使われている可能性はありますか?

可能性はあります。巨大掲示板への書き込みもインフォメーションです。それを元にインテリジェンス生産がなされることは、十分あり得ます。問題は匿名の書き込みの場合、その評価が難しくなることです。「全ての情報は、初めはインフォメーションに過ぎない」という点は、講座で申し上げたとおりです。よって「どんなに信頼できる人がもたらした情報であっても、それはインフォメーションに過ぎない」という点も申し上げたとおりです。しかしインフォメーションから実際にインテリジェンスを生産するには、関連がありそうなインフォメーションを評価しなければなりません。匿名の書き込みの場合には、その評価の手がかりがほとんどないのです。情報源が明らかな場合には、まず、その情報源のインフォメーションを集め分析することで、情報源がもたらしたインフォメーションもある程度評価出来るようになります。「こういう組織がこういうインフォメーションを流しているのなら、情報操作の可能性が高い」とか「こういう人がここまで言っているのなら、正しいかもしれない」といった感じになります。しかし情報源が匿名でも、そうでなくても、もたらされるのはインフォメーションという点では何の違いもありません。インテリジェンス生産の材料として使われる可能性は、常にあります。

本日のお話をうかがって思ったことですが、手島龍一氏がよく"インテリジェンス"という語を決め言葉として使用し、真実は知らせない知らされないものと述べている。やはり、自分でアクションを起こさないと真の姿に迫られないものでしょうが、個人のレベルの差によってインテリジェンスに違いが生じると思いますが、その精度を上げる手立ては?

複数の問題が絡み合っています。まず「真実は知らせない、知らされない」と言うのは、そうであることもあるし、そうでないこともあります。私は講座でインテリジェンス・サイクルの立体モデルを提示して「初めに利益の自覚ありき」というお話をしました。個人や企業、そして国家は、自らの利益を自覚し、それを擁護・増進するために「判断・行動する」。そして、そのために必要な知識、つまりインテリジェンスを求める、ということになります。ここで大切になるのが「利益の競合関係」という考え方です。企業Aが利益を擁護・増進したときに、それによって損失を被る「利益競合の相手方」、つまり企業Bがいることがある。こうなると、Bは自らに関するインフォメーションを必死に隠すか、偽のインフォメーションを流すことで、A のインテリジェンス生産を妨害しようとするでしょう。しかし逆に「利益の競合関係」がない場合には、Bはインフォメーションを隠す必要がありません。それどころか、自らに関するインフォメーションを積極的に公表する可能性すらあるでしょう(詳細は、拙著「インテリジェンス入門」のp.120以下を参照)。
 次に「自分でアクションを起こす」という点ですが、この「アクション」が、「インフォメーションの収集」という意味であれば、それは当然必要になります。さもなければ、講座で申し上げたとおり、永久に「インフォメーションの受け手」、つまり「ごろ寝テレビやネット・サーフィン」で終わってしまうからです。
 最後の「精度を上げる手立て」ですが、大切になるのは、講座でも申し上げた通り、まず自分で自らの利益をしっかりと自覚することです。インテリジェンスの世界は、学者やジャーナリズムの世界とは違います。「俺は真実を知りたい」というのはインテリジェンスの出発点ではありません。出発点はあくまで「俺は自分の利益を守りたい」、または「俺は不利益を被りたくない」でしかないのです。要するにインテリジェンスとは、それほどにまで「生々しい」世界なのです。通常「俺は利益を守りたい。だから真実を知る必要がある」ということになりますが、それはあくまで結果としてそうなったのです。まず利益の自覚から、「俺は何を知りたいか」を考える。そこさえしっかりしていると、無論個人の能力による差はあるけれど、利益に直結する知識、つまりインテリジェンスは生産できるものですよ。

個人と国家・企業では、インフォメーションの量・巾とインテリジェンスの質に差異がある。前者は後者の情報操作にどう対応すべきか?

講座で申し上げたとおり、ずばり「全ての情報はインフォメーションに過ぎない」という姿勢を徹底する以外にないでしょう。「政府が言ったから」、「一流の大企業が言ったから」、というのではなく、彼らが言っても「それは所詮インフォメーションなのだ」ということで、他のインフォメーションとも付き合わせながら、自分の頭でしっかりと考えてインテリジェンスに高めていって下さい。「インフォメーションの量・幅に差異がある」と言っても、今は多くのインフォメーションをネットで個人が簡単に入手できる時代です。サイクルをしっかりと自分の頭の中で回すことで、政府や大企業の「情報操作の可能性」に対処できるはずです。

「国立」情報学研究所が日本「国家」の情報活動に与えている効果と市民講座の存在意義をどうエスティメイトしますか?市民の情報民度と国家指導層のそれは、どの程度シンクロすると考えますか?

国立情報学研究所で、日本のインテリジェンス機関や、インテリジェンス・コミュニティー(インテリジェンス関連省庁・機関の総体)を研究しているのは多分私だけでしょう。微力ながら私は政府や政治家にも働きかけています。内容について、興味がおありでしたら、本年6月にPHP総研が発表した「日本のインテリジェンス体制 変革へのロードマップ」を参考にしてください。以下よりダウンロード出来ます。http://research.php.co.jp/seisaku/suggestion/seisaku01_teigen33.html#interi
 市民講座については、インテリジェンス研究家の立場で言うと、「市民講座でインテリジェンスを教える機会を与えてもらった」ということで、国立情報学研究所には感謝しています。我が国も、インテリジェンスを必要以上に下手物扱いするのはそろそろ止めるべきでしょう。実際インテリジェンス体制の強化抜きに、我が国の安全保障を語ることが出来ない時代になっています。これから益々大切になるのは、市民の一人一人がインテリジェンスに対する理解を深め、もっとオープンに議論できるようにすることです。よって今回は本当に貴重な機会を頂けたと思っています。市民の情報民度と国家指導層のそれは、大いにシンクロするでしょう。特に我が国では、国家指導層も、例外はいますが、インテリジェンスに対する認識が低いので、もっと草の根でインテリジェンスに対する認識や議論を高めることで、逆に指導層が影響を受ける、というアプローチも大切だと思います。この点に付き御興味あれば、拙著「インテリジェンスの歴史」の「あとがき」を読んでみて下さい。

インテリジェンス組織の分析官が行うインテリジェンス生産の作業は、裁判官や歴史家が行う事実認識の作業と本質的に同一と考えてよろしいのでしょうか?

裁判との例であれば、同一と考えて良いと思います。関連しそうなインフォメーションを収集し、それをロジックによってくみ上げ、「判断・行動する人」が必要とする知識、つまりインテリジェンスに仕立て上げるわけですから。歴史家の場合には、少し事情が異なります。純粋に歴史を研究する人は、「真実さえ分かれば良い」ということで、「判断・行動」を意図していない場合もあるからです。裁判の場合も、インテリジェンス組織の場合も、「判決を下す」とか「早急に国家安保政策を立案・執行する」という「判断・行動」が前提とされており、「そのために必要な知識」を目指して知識生産が行われるので、そこが共通しており、同時に歴史家とは異なる(というか、厳密に言うと「異なる場合もある」)、ということになります。

日本の歴史上の人物でインテリジェンス・サイクルを活用したのは誰ですか?

防衛庁防衛研究所の小谷賢博士が、こんな話をされたことがあります。「太平洋戦争の時、日本にインフォメーションはあった。戦略もあった。しかし双方がつながっていなかった」。その通りだと思います。我が国では良く「日本人は、情報に弱い」などと言われますが、本当にそうなのか。インフォメーション収集の面では、日露戦争時の明石元二郎やロシアを探訪した石光真清など枚挙に暇がない。また戦略でも石原莞爾のような人が歴史に登場しますが、戦略とインフォメーションが上手く繋がらない、つまりインテリジェンスを生産するサイクルが上手く回転しない、というのが日本の一番の特徴ではないかと思います。この傾向は、第二次大戦後、一層酷くなっている。そもそもまともな戦略がない。加えてインテリジェンス能力も弱体。当然のことながら、サイクルも上手く回転しない。あまり答えになっていないかもしれませんが、まずインテリジェンス・サイクルを回せるような体制を整備することが大切です。その上で、しっかりとインテリジェンス・サイクルを回すことが出来る指導者が現れることを期待しましょう。詳細については、本年6月にPHP総研が発表した「日本のインテリジェンス体制 変革へのロードマップ」を参考にしてください。以下よりダウンロード出来ます。
 http://research.php.co.jp/seisaku/suggestion/seisaku01_teigen33.html#interi

インフォメーションをインテリジェンスに加工するための基準が必要ですが、その基準作りはどの様に行いますか?(政治の世界ではその基準がはっきりしません)

基準はたった一つ、「『これから判断・行動しようとしている人』の『情報要求』に出来る限り沿ったインテリジェンスを作る」ということだけです。そう言うと簡単ですが、実際は大変で、多くの、乗り越えなければならない深刻な問題があります。
 まず重要になるのが、「情報要求を明確にする」ということです。講座でも触れましたが、現代社会では、脅威の拡散・多様化、利害関係の複雑化、選択肢の増大等に伴って、「私は何を知れば良いのか」が極めて曖昧になっています。それを、講座で触れたビジネス・インテリジェンスの「KITプロセス」その他の方法で明確化する、というのが重要かと思います。
 また講座でも触れましたが、「インテリジェンスの政治化を防ぐ」のも大切です。これをインフォメーションの分析官が肝に銘じておかないと、「特定の政策に都合の良いインフォメーションのみが使用されて、インテリジェンスが生産される」という事態になりかねません。
 「分析官の主観を極力排する」というのも大切です。ベテランの分析官は、過去に何回も予測を誤って苦汁を飲んでいますが、若手の分析官は、しばしば自分の主観や信条、好みに左右されて、好みのインフォメーションを選択的に使用してインテリジェンスを生産する、という過ちを犯してしまうのです。
 付言すると、この問題は、インテリジェンスの関係者が長い歴史で自問自答してきた問題でもあります。もし詳しいことに関心がおありでしたら拙著「インテリジェンスの歴史」を参照なさってください。

インテリジェンス能力向上のための教育は、どこで行われているか。拓大は試みのみ?政府の場合は、内閣や防衛庁は?

拓殖大学大学院は、来年もインテリジェンスの講座を継続することを考えておられるようです(私は都合により続投できなくて残念ですが、別の人が後を継いでくださることを切に期待しています)。政府では、内調や防衛庁、公安調査庁、警察庁、外務省などインテリジェンス関連省庁が、個別にスタッフのインテリジェンス能力向上の訓練を、「オン・ザ・ジョブ」も含めて施しています。ビジネス・インテリジェンスについては、私が知る限り我が国で体系的に訓練を施しているところはないようですが、米国では大学や組織が、希望者に機会を提供しています。

情報は時間により変化し拡大していきますが、自分が知りたい事をも変化していかないといけないのでしょうか?

「何が変化するか」から考えてみましょう。まず変化するのは現実です。それに従って、現実を、写真、録音やメモ等によって切り取ったインフォメーションも変化します。それを「ごろ寝テレビ」でも「ネット・サーフィン」でも良いのですが、「インフォメーションの受け手」として目的意識なく受け取っていた人間が、「このまま行くと、俺はとんでもない不利益を被るのではないか?」と自問して「何らかの判断や行動」をしようとする。そして、そのために必要な知識、つまりインテリジェンスを求めるようになる。ここでさらに現実が変化したとしましょう。するとインフォメーションも再び変化する。すると「何らかの判断や行動」の内容も変化するでしょう。そうなればそのために必要な知識、つまりインテリジェンスも変化するのです。だから「自分が知りたい事をも変化していかないといけない」というよりも、現実が変化していくのだから、それに応じて自分の利益を擁護・増進しようと思うのであれば、「自分が知りたいこと」は変化して当然、ということになるのだと思います。

米国の大統領がイラクについての誤ったインフォメーションを吹き込まれた・・・と言われているが、Intelligence Cycleに作為的な「ウソ」が混入したりすることにどう対処するのか。わが国での「ブッシュの二の舞」を踏まない対策は出来ていますか?

複数の問題が絡み合っています。まず「米国の大統領がイラクについての誤ったインフォメーションを吹き込まれた」との点ですが、これは講座で「インテリジェンスの政治化」として説明しました。インテリジェンスの担当と政策のトップが近くなりすぎると、インテリジェンス担当は、ついつい政策を慮って、それを支援するようなインテリジェンスをトップに上げてしまうのです。これは政策のトップとインテリジェンス組織の関係をどう処理するか、という問題になります。マキーチンなどが「アカウンタビリティー」という処方箋を出している辺りが最先端だと言うことは、講座で申し上げたとおりです。
 次にサイクルというインテリジェンスの生産過程で誤ったインフォメーションが入り込んできたときにどうするか、という問題もあります。これは難しい。私の経験では、熟練した分析官のみが、それを見極めることが出来る。逆に言うと、誤ったインフォメーションで、誤ったインテリジェンスを生産し、酷い火傷を負った分析官のみが、誤ったインフォメーションを見分ける能力を獲得できるのです。
 我が国での対策について。そもそもサイクル自体がまともに回転していないという状況ではありますが、政策のトップとインテリジェンス担当の間のアカウンタビリティーを一層強調すべきことは、当然でしょう。後は、あまりに絶対数が限られている熟練した分析官を、もっと養成することが大切になると思います。

「インテリジェンス」の日本語の良い訳は何ですか?

良い質問ですね。私も適当な訳を見つけようとした時期があります。その最大の理由は、「インテリジェンス」というと、どうしても「知能」のイメージの方が強くなって、誤解を招くからです。他方「情報」という訳では、講座でも触れたけれど、インテリジェンスの材料となるインフォメーションとの区別が出来なくなってしまいます。「諜報」と訳してはどうか、という説もあります。「諜報」は広辞苑によると「相手の情勢などをひそかにさぐって知らせること。また、その知らせ」ということで、インテリジェンスの一つの側面を言い当てていることは確かです。しかし公開情報の分析が益々重要になっている現状に照らして果たして適切かどうか、分かりません。かつて「有益情報」と訳していた某組織がありましたが、インテリジェンスが「判断・行動のために必要な知識」であることを考えると、この訳はあり得るかもしれません。実は講座では時間的制約があって触れなかったのですが、米国では「インテリジェンス」というと、遙かに幅広い意味を持っています。インテリジェンス・サイクルや防諜・工作活動、さらにはインテリジェンス組織を「インテリジェンス」と言うこともあるので、英語の文献を読む際には十分な注意が必要です(詳細は拙著「インテリジェンス入門」参照)。私が講座で「判断・行動のために必要な知識」と定義したのは、「プロダクト」としてのインテリジェンスに限って定義したのであって、本当は、インテリジェンスはサイクルという生産プロセス、関連する活動、さらには組織まで指す幅広い概念です。ここまで来ると、日本語訳を考えるのはかなり大変ですね。私は「インテリジェンスを我が国にもっと定着させたい」と考えているので、とりあえずインテリジェンスを「プロダクトとしてのインテリジェンス」に限定し、「材料としてのインフォメーションと、プロダクトとしてのインテリジェンス」、「インテリジェンスは判断・行動のために必要な知識」という風に説明して、日本語訳は行っていません。

*info. intel(information, intelligence)*をパソコンに記録・収集し、上手に活用する具体的な方法と技の公開を示して下さいますか?先生はパソコン上でどのように活用、分析、利用しているのですか?ソフトとかあるのですか。

かつて「超整理法」というのが流行ったことがあります。私のインフォメーション整理法は、それと重なるかもしれませんが、「極力分類はしない」ということです。アメリカ関係はここ、イギリス関係はここ・・・などどやっていると、グローバリゼーションの世の中では、一つのインフォメーションが複数の分類に関わってくるので、分類しにくく、かつ後で探すときに「あれは何処に分類したんだっけ?」ということになって却って探すのが大変になるからです。ですから私は入手したインフォメーションを、片端からクリア・ファイルに挟んで、左から右に書棚に並べるだけです。そして検索の必要があるときには、並んだファイルを右から左に順次素早くめくって目的のファイルを見つけ、見つけたらそれを一番右に持ってきます(一度検索したものは、また検索する可能性が高いからです)。パソコンについては、やはり極力分類は避けて、「06.10.13」のように日付を入れてから件名を入力し時系列で並べています。結構「あのインフォメーションは、この辺りの時期に入手したな」という勘が働くので、私はこの方法だけでインフォメーションを処理しています。ソフトは特に使っていません。ファイルの中の個別の項目、例えば「テネットCIA長官」などについては、今のコンピューターには、ハードディスク全体を検索できる機能がついていますので、それに頼っています。

インフォメーションから利益を自覚出来ず不利益を感じたときは、インテリジェンスとはならないのでしょうか?それも負(マイナス)のインテリジェンスとなるのでしょうか。

講座で配布した資料のp.11の雲形の吹き出しを見て下さい。利益の自覚というのは、「このまま行くと、自分は酷い不利益を被るのではないか」という場合も含んでいます。「不利益を防ぎたい」と「利益を得たい」。つまり「利益を擁護・増進したい」というのが「利益の自覚」です。ですから「自分は酷い不利益を被るのではないか」と感じたときにも、それは立派な利益の自覚であり、インテリジェンスの生産に繋がる可能性を秘めたもの、ということになります。

インテリジェンス生産が成立するには、自由・率直に情報・意見を交換できる組織文化が前提になると思いますが、かかる組織文化の創造・維持はどのようにしたらいいのでしょうか。

良い質問ですね。実はインテリジェンスを考える上で、最先端は文化論なのです(もし興味があれば、拙著「インテリジェンスの歴史」のp.238以下を参照してください)。具体的には、まず硬直的になりがちなインテリジェンス・サイクルをネットワーク型に変えていくことです。例えばイギリスでは、インテリジェンスを生産する際に、まず「こういうインテリジェンスが欲しい」という情報要求が、合同情報会議の下支えをする評価スタッフによってネット(無論閉鎖的なものです)上に提示されます。するとインテリジェンス関連省庁や組織が、それに関連しそうなインフォメーションをアップします。さらに皆がそれを見ながら、「外務連邦省にはそんなインフォメーションがあるのか。そういえばウチにはこんなのがある」といった具合で、追加のインフォメーションがどんどんアップされる、ということになります。また複数のインテリジェンス組織間で、インフォメーション分析官同士をネットで結び、分析結果を比較しあうというのも益々重要になって来るでしょう。
 次に重要となるのは、人事交流です。講座の最後の質疑応答でも触れましたが、分析官が、異なった組織のインテリジェンス関連ポストを巡りながら、螺旋的にキャリア・アップできるシステムを我が国も構築すべきです。結果として親元の組織のみに捕らわれない分析官が育成でき、彼らが組織文化を変えていくでしょう。
 しかしネットワークは、我が国ではなかなか実現が難しい。その最大の理由は、秘密を扱う共通のルールがないからです。「あそこの省に出すと、すぐ漏れるから」ということで、「ネットワークなど、もってのほか」というのが現状でしょう。早く国家安全保障秘密に関する全省庁共通のルール作りをすること、さらに中長期的には、厳しい罰則を含む法律を整備すること、などが重要になるでしょう。

shimin 2006-qa_5 page2606

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