Mar. 2022No.94

教育を止めるな!教育機関DXシンポの2年

NII Today 第94号

Interview

教育DXで社会の常識が変わる!

大学を中心に始まった教育DX。課題も浮き彫りになる中、今後取るべき針路を国立情報学研究所(NII)の学術基盤チーフディレクターに聞いた。

安浦 寛人

YASUURA, Hiroto

国立情報学研究所 学術基盤チーフディレクター、
文部科学省科学技術・学術審議会 情報委員会 主査

増谷 文生

聞き手MASUTANI, Fumio

朝日新聞編集委員
大阪市立大学を卒業後、1994年に朝日新聞社に入社し、東京、大阪、名古屋、仙台、京都などに勤務。2005年以降、断続的に約8年間、高等教育を取材。2020年4月から高等教育担当の編集委員、同10月から教育全般を担当する論説委員も兼務する。

──DXによって、大学教育のどのような分野で高機能化を進められるとお考えですか。

初めにDXとIT化とでは、かなり意味が異なるという点を確認しておきたいと思います。

まずIT化とは、これまでの教育や作業に、そのままデジタル技術を採り入れることです。新型コロナの感染拡大で、全国の大学で一斉に始まったオンライン授業が代表的な例です。

しかし、もともと教育のIT化を進めていた教員の中には、これだけオンライン化が進んだ今、DXを進められるのでは、と考えた人たちがいました。ITを利用し、教育や研究の進め方、業務のフローなどを根本的に変えようと動き始めたのです。

大学間格差を埋めるためにお金と人材のシェアが必要

──教育DXが進んだ、わかりやすい例を紹介してください。

ドラマ「白い巨塔」などで描かれた教授回診の例で説明しましょう。医学部の教授が担当医や学生を引き連れて、大学病院の病室を回る教育方法です。対面で行われていた時には、後ろにいる学生には、教授が患者たちとどんなやりとりをしているのか、把握できないことがよくありました。

しかし、コロナ禍で、教授についていくのは撮影役一人だけになり、学生はその様子をオンラインで視聴するようになりました。教授の言葉や動きをしっかり見ることができるので、対面の時よりも教育効果が上がったとの報告がありました。

一方で、この方法は限界もあります。教授の言動以外に注意を払うべきこと、例えばベッドの周囲でケアにあたる看護師の動きや、心配そうに見ている家族の様子といったものは、画面に映りません。学生たちが診療にあたるようになった時に、そうした点に目が向かなくなる恐れがあるのです。

現在の技術では、オンラインによる教育が、対面よりも格段に優れているとまでは言えません。どちらの方式の教育効果が高いのか、授業ごとに考えながら進めていく必要があります。

──大教室での講義をオンラインで行う大学が多いようです。

大教室の後ろの方に座った学生は、黒板の文字が見えづらく、教員の声もよく聞こえません。あえて後ろの方に座って、おしゃべりに興じる学生のことは置いておくとしても、大教室での講義の教育効果は概して高くなかったと思われます。

一方、オンライン授業では、学生は教員と1対1で向き合うことになります。カメラをオンにしておけば、大教室とは緊張感がかなり違うでしょう。

また、オンライン授業では、その気になれば新しい教育手法に挑戦することもできます。九州大学で情報工学を教える島田敬士教授は、ラーニングアナリティクス(LA)という手法を使って、一人一人の学生がクラウド上の電子教科書の何ページを開いているか、といったことまで把握しています。

授業中に行う小テストの結果といったデータも活用すると、学部や授業形態、学習方法といった区分けごとに、学生がつまずきやすいポイントなども見えてきます。こうしたデータを教員の間で共有し、授業の進め方を工夫したり、学生にアドバイスをしたりすれば、大きな教育効果を上げることができるでしょう。

──DXが遅れている大学もあります。

確かに大学間の格差が広がっていると感じます。地方大学や小規模大学でDXが進まない背景には、お金と人材が不足しているという問題があります。

そうした場合は、複数の大学でシェアすることをお勧めします。その地方の国立大学などが中心になり、お金を出し合ってDXに必要な基盤を作るのです。地域を越えて、例えば工業系の大学同士でシェアするという発想もあるでしょう。

データを収集すれば学習指導要領の改善にも

──小中学校や高校などで一人一台端末の配備が進んでいます。

初等中等教育は全国で同じ内容を教えています。DXが進めば、一人の先生が把握した子どもの教育データを、同じ学年の先生や別の教科を担当する先生の間で、さらには学校全体で共有することができます。

匿名化されたデータを全国的に集められれば、同じポイントで多くの子がつまずいている事実が見つかるかもしれません。そうなれば、「単元の並べ方が悪いから、学習指導要領を改訂しよう」といった話にさえ発展する可能性があると思います。

──情報が共有されると、様々なことが可視化できるのですね。

例えば新型コロナウイルスの特徴といった、今の社会で常識として知っておいた方がよい情報を、日本の何割の子どもや市民が認識しているのかを把握することもできるでしょう。

データを分析すれば、今の日本の子どもに学校で教えるべきことと、学校以外で身につけられることを仕分けることもできます。そうやって社会情勢の変化に応じて教育内容を変えることで、市民の常識を、その時代に合ったものに変えていくこともできるようになります。

──とはいえ、教育DXの効果が出にくい分野もあるのでは?

もちろん、現段階の技術では限界があります。メンタルケアの分野がそうです。初めて会った人同士がオンライン上だけで心を開くまでの環境は、まだ整っていません。

全人教育の場である大学の機能すべてをカバーすることもできません。学生たちは授業で学ぶこと以上に、友人や教員との人間的な関わりの中から多くのことを学びます。そばにいる友人の息吹を感じながら学ぶことに、大きな意味があるのです。

──目的を達成するための手段であるDXが、目的化しているケースが目立ちます。

確かに日本では、DXという言葉ばかりが先行しています。まず、どんな仕組みや社会を作りたいかを考え、その目的のために、どうDXを活用するか考えるのが望ましい順番です。

一部の大学では、VRを教育に活用する動きもあります。導入すること自体は良いのですが、既存技術の導入で満足して努力を怠ってはいけません。実際に握手をしているのと変わらない感覚を持てるレベルに技術が進歩しない限り、対面授業の代わりにはなりえないのです。

──欧米の大学ではDXが進んでいる印象があります。日本は遅れているのでしょうか。

 2年前からNIIが続ける教育機関DXシンポには、海外の大学からも多くの報告がありました。欧米の大学も多くは、日本と同様にコロナ禍を受けてオンライン授業を始めたようです。

欧米の有力大学は以前から、大規模公開オンライン講座(MOOC)には熱心でした。オンラインで教育を安価に提供していたのは、海外などの優秀な学生を確保することが目的でした。しかし、キャンパスに通う学生向けのオンライン授業の準備は、あまり進んでいなかったようです。

政府も認識しだした研究DXの重要性

一方、研究のDXについては、EUや米国が巨額の予算を投じて基盤を構築しつつあります。研究データが外に漏れないようにしっかり管理し、タイミングが来たら、だれでもアクセスできるような形で一気に公開する、そんな仕組みです。

日本政府も2022年度予算案に、初めてクリアに研究DXのための予算を盛り込んでくれました。実験結果のデータを適切に管理して保存することが、論文を書くことと同じくらい重要だということを、政府が認識してくれたのです。そのためのベースとなる仕組みを、NIIを中心に作っていく予定です。

──日本は今後この分野で、どのように振る舞っていくべきでしょうか。

 これからが勝負です。セキュリティを守りつつ、研究のデータをどのように管理し、利活用していくのか。NIIが情報システムを作るだけでなく、社会全体で考え、取り組むべき問題です。プライバシー侵害にならないか、といった点を踏まえ、どこにどう線を引くのかが重要になってきます。欧米が作ったルールに乗っていく姿勢ではいけません。日本が活用しやすい仕組みになるように、積極的にルール作りに関わっていくべきだと考えます。

聞き手からのひとこと

NIIや政府は今後、大学など学校のDXにどのように貢献していくのか。そんな具体的なお話をうかがうつもりだったが、教育DXとは、教室の中には収まらない壮大な話であることがわかった。

本格的に教育DXが進み、それが教育改革へとつながった時には、日本人の常識をその時代に合ったものに変えることさえできる。まさに、目からうろこが落ちる感じがする話だった。そうした大きな変化のスタート地点にいることを認識でき、これから教育を取材していく際に役立つ、新たな視点を得ることができた。(文・増谷 文生)

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