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東大総長メタバース講演の舞台裏〜
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第45回サイバーシンポジウム 2022年1月14日(金)
東京大学 連携研究機構 バーチャルリアリティ教育研究センター
雨宮 智浩 准教授
青山 一真 特任講師
伊藤 研一郎 特任研究員
栗田 祐輔 学術専門職員
相澤 清晴 教授/センター長
https://vr.u-tokyo.ac.jp/
はじめに
令和4年1月14日に開催した第45回教育機関DXシンポジウムでは、新春企画として、メタバース空間で藤井 輝夫 東京大学総長による講演を実施しました。今回のシンポジウムでは、NIIがホストとして配信するWebEx Events、YouTube Live、LINE LIVEによる動画配信に加え、われわれ東京大学バーチャルリアリティ教育研究センター(VRセンター)が技術協力する形で、cluster(講演会場)およびHubs Cloud(参加者視聴会場)を用いたバーチャル空間での配信を並行して実施しました。本報告では今回のとり取り組みを準備から当日、そしてアンケート結果を踏まえて振り返り、ソーシャルVR・メタバース空間におけるシンポジウム開催の課題と展望をまとめます。
準備期間
東大総長メタバース講演は計画から実施まで約3週間という厳しいスケジュールの中の準備となりました。COVID-19感染拡大以前より不特定多数の参加者が会話ベースのコミュニケーションを行う国際会議や展覧会をオンラインで開催するにあたってソーシャルVRプラットフォーム、つまりここで言う「メタバース」が注目されています。その一つであるMozilla Hubsは国際会議IEEE VR 2020ではデモやポスター発表の会場として利用されました。Hubsは単なるブラウザで動くWeb3Dではなく、その中で各参加者がアバタとなって自由に動き回り、テキストチャットやボイスチャットなどで他のユーザと交流したり、オブジェクトを作ったり操作したりすることが可能となります。他にもclusterのように口頭発表や基調講演のような会場を得意とするソーシャルVRプラットフォームもあります。
今回の総長講演でどのVRプラットフォームで実施するかの選択は大きな課題でした。講演はスライドや動画を使った口頭発表が計画されていたため、デモやポスター発表のような交流はありません。われわれ東大VRセンターでもCOVID-19感染拡大以降、様々なソーシャルVRプラットフォームを使った講演や大学の講義などを精力的に実施しており、それぞれ一長一短があることを確認してきました。たとえば、アプリのインストールの要否、アバタの質や自由度、VR空間の自由度、コンテンツの権利の帰属、同時参加可能人数などはメタバース間でそれぞれ異なり、個性にもなっています。そのため、現時点ではこれという決定打がありません。センターのメンバー間で議論が交わされた結果、特定のアプリをインストールする必要がなく、ブラウザでアクセス可能であることを優先し、 Hubsで実施することに決まりました。一方でMozilla Hubsでは同じ部屋(インスタンス)で参加者が30名を超えるあたりから、動作が不安定になったことから、Hubs Cloudを東大VRセンターでホストし、サーバを強化することでより多くの参加者に対応できるような設計としました。また、独自ドメインにて運用しています。
参加者のアンケートからは「VRの活用について実際に体験しながら講演を聞くことができよかった」「スライドの見え方や音声など改善点は多々あったが、多様な方法での視聴ができとても面白かった」といった意見があり、今後のVR技術の発展が期待されます。
また、会場は視聴会場と講演会場に分けました。同一の会場であれば、参加者は講演者と同一空間にいる一体感が感じられ、講演者にとっても参加者のアバタとその反応を見ながら講演できます。一方で、講演の妨げとなる行為(意図しないものも含む)の発生に対する対策も必要となります。また、視聴会場と講演会場を分けると、Hubs以外のVRプラットフォームを選択することもできます。そうすれば、アバタの質や自由度が限定されるといったHubsのデメリットをカバーできると考えました。さらに、藤井総長が「対話」を通じて共に創造する機会を重要視していることから、口頭発表に続いてメタバース内に総長大賞を受賞した東京大学大学院医学系研究科博士課程の大野昴紀さんと、同研究科修了生の角野香織さんを招き、総長とコロナ禍における保健所支援活動に関するディスカッションを行う計画となったことも視聴会場と講演会場を分ける後押しとなりました。Hubs空間でのマイクミュートの制御はルームオーナーかPromoteされたルームモデレータによって部屋内のユーザを一括でミュートすることはできますが、ユーザが再度意図的にマイクをONにすることができるため、完全にミュートをコントロールすることはできません。さらに悪意のあるユーザを追い出すことはできますが、再度入室することもできてしまいます。これを防ぐためには名簿を作り、メールアドレスを登録させることで入室制御をすることで対応できますが、URLをクリックするだけですぐに利用できるというメリットを失ってしまいます。そのため、対話が行われる講演会場と視聴者の会場を分ける必要があると判断しました。もちろん、シンポジウム参加者は教育関係者が中心で、悪意のあるユーザがいるとは想定していませんでしたが、URLさえわかれば誰でも入れてしまうため、このような決断を下しました。これはコロナ禍でZoomが大学の授業に使用されるようになった直後のZoombombingの教訓でもあります。講演会場と視聴会場が別れてしまったことで視聴者の中には不満を抱いた方もいらっしゃったようですが、このようなシンポジウム運営の安全面を重視したことが背景にありました。
視聴会場のVR会場は、東京大学駒場キャンパスのカフェをモデルにした会場を作成し、その庭に野外コンサート会場のようなステージと大型スクリーンを追加したシーンをHubsのSpokeで作成しました。総長講演が深海の会場で行われるのに合わせて一部海辺のようなデザインにしました。また、動画視聴用の別の会場を準備し、カフェのシーンにリンクを貼って移動できるようにすることで負荷の軽減を図りました。初めてVR会場に入室された参加者に向けて、入口付近に操作方法やスクリーンの場所を案内する看板を設置しました。ソーシャルVRプラットフォームを比較したときにHubsの持つ機能の一つとして画面共有が挙げられます。現在のビデオ会議では当たり前の機能ですが、現時点では多くのソーシャルVRプラットフォームでは対応していません。Hubsでの空間音響は距離の減衰に応じた音量パラメータが設定できるため、講演会場の声はシーン内の全視聴者に届くように設定しました。当初は懇親会のように隣のアバタとの会話を行えるように(近い距離にのみに音声が届くように)linearモデルを採用することを検討していましたが、共有コンテンツにかなり近づかないと音声が聞こえなくなるといった問題が生じたため、inverseモデルを採用しました。
また、講演会場はHubsではなくclusterで行いました。cluster内のワールド(clusterのバーチャル空間)では深海の中にスクリーンとレーザーポインタを設置し、プレゼンテーションができる環境を用意しました。藤井総長は以前高校生向けのオープンハウスのイベントでHMDを装着して講演したご経験があり、数回の練習で慣れたご様子でした。また、HMDを装着して一人称視点で講演を行う場合、自分の様子が確認できないため、VR空間内にスクリーンの反対側の上面に大きな鏡を設置し、鏡を介して自分の動きが確認できるようにしました。さらにバーチャル空間内で使用するアバターは、東京大学VRセンターにあるアバタスタジオにおいて全身を撮影し、フォトリアルアバターを作成しました。
シンポジウム当日のHubs Cloudの設定を決定するため、サーバ負荷テストとして、シンポジウム開催1週間前に100名近い学生(東大工学部電気電子系の学生)の協力の下、本番と同じカフェのシーンにおいて接続テストを実施し、実用に耐えうることを確認しました。一方で、Hubs Cloud と、WebExやclusterといった異なるプラットフォーム間の音声共有に苦戦し、最終的にはある別のプラットフォームの出力音声は別のPCとオーディオケーブルで接続し、音声出力用のアバターを介して出力するといったハードウェア的な対処を行うことになりました。
当日
シンポジウムの当日は講演会場であるclusterの会場の登壇者はみな東京大学工学部1号館に集まりました。講演者はそれぞれVRゴーグル(Meta (Oculus) Quest2)を装着し、画面共有用のスタッフがデスクトップPCから参加しました。リアル空間では同室での参加ということでハウリングが懸念されましたが、当日も問題は生じませんでした。今回はVR機器の利用の補助や緊急対策を兼ねて同室で実施となりましたが、そもそもVRは離れた場所からでも参加できるものですので、感染対策・遠隔の利点からも将来的には分散したところからの参加が望ましいといえます。
ある程度の問題が生じることは想定していましたが、当日はトラブルの連続でした。当日の朝から大学のネットワーク障害が発生しましたため、事前に用意したモバイルWiFiルータで接続するといった対応に迫られました。また、サーバ運用担当がシンポジウム前日夜にサーバを増強したため、その作業が当日の朝までかかり、シンポジウムの開始40分前まで繋がらないといった状況となりました。Hubsの練習シーンも同サーバにあったため、シンポジウム参加者とNIIの皆様にはご迷惑をおかけいたしました。また、サーバ増強が間に合わない場合や復旧できない場合も想定し、急遽Mozilla Hubs内に別のシーンを用意するといった作業に追われました。薄氷を踏む思いでしたが、運良く開始直前に復旧し、増強の効果もあってサーバが落ちることなくシンポジウムを進めることができました。また、当日は視聴者から「音声が途切れる」や「画面が重い」といった報告があったため、入場制限を段階的に実施しました。Hubsではアバターとして参加する方法のほかに、視聴(Spectate)というモードがあります。同じ部屋の中にアバターがたくさん登場し、動き回ることでクライアント側のPCに負荷がかかります。そのため、画面が重くなったり、音声が途切れたりするため、そういった報告が上がるたびにアバターでの参加上限を減らし、一番制限したときで50名まで下げました。
フィードバックについて
参加者のアンケートからは「VRの活用について実際に体験しながら講演を聞くことができよかった」「スライドの見え方や音声など改善点は多々あったが、多様な方法での視聴ができとても面白かった」といった意見がありました。こうした取り組みに対する挑戦そのものに評価いただいたものと感じています。一方、音声が途切れるといった事象がたびたび報告されました。一方で東大がホストするサーバのCPUの負荷は20%程度で、クライアント側の処理負荷が大きいことが主な原因と考えられます。ただし、一部の処理が特定のCPUに集中した可能性は残るため、今後検証が必要と考えています。また、視聴会場でパワーポイントが見にくい、スライドの文字が小さく読めないといった点も指摘されました。この点については事前に把握していた課題でしたが、発表資料に反映できませんでした。事前にスライドを得て別のスクリーンにスライドのみを表示するなどの対策が必要と考えています。また、スクリーンに映し出された講演会場のカメラワークがなかったことについても指摘がありました。VR空間では自由に動き回れるのに対して、今回のように講演会場と視聴会場を分ける場合、参加者の代わりにカメラマンが積極的に動いたり、カメラ視点を切り替えたりといった工夫が有効と考えられます。
おわりに
本稿では令和4年1月14日に開催した第45回教育機関DXシンポジウムでの東大総長のメタバース講演の舞台裏とその課題について振り返りながらまとめました。VR空間を活用した講演や対話発表、イベントなどは今後さらに増加すると期待されます。すでにメタバース空間と称するものはHubsの派生系を除いても200以上乱立しています。こうした黎明期ゆえにあらゆる点で及第点が得られるプラットフォームは現時点ではないようです。今回の講演ではオープンソースのHubs Cloudの利便性を活かしつつ、欠点を他のソーシャルVRプラットフォームで補うような構成で講演を計画し、遠隔講義に関するシンポジウムを実施しました。シンポジウム当日は1室に同時接続約160名以上となり、入室制限やアバタ非表示による処理負荷の低減を実施しました。処理負荷の低減には同室にこだわらずに部屋を分けることが最良の解決策と考えており、今回のように講演会場の中継という形式をとれば実現は容易となります。しかし、講演者が観客の一部しか、あるいは全く見えないことや、部屋が異なれば観客同士が会えないことなどもあり、どの点を重視するかで設計が異なると言えます。
われわれVRセンターはこうした機会を通じて単に経験値を積むだけでなく、挑戦的な構成でVR講演やメタバース講演の可能性を検討していきたいと考えています。イベント参加者の中には自分たちはシンポジウムに来た「お客様」であり、「実験参加者」ではないと感じられた方もいらっしゃると思います。われわれは実験的な挑戦を通じて、教育のDXを前進させていきたいと考えています。ぜひとも教育を止めないためにも辛抱してお付き合いいただければと思います。 (文・東京大学)
↑深海を表現した講演会場(cluster)
↑藤井総長と学生がメタバース空間で対話を行った
↑今回のVR講演舞台裏を鍾会する相澤VRセンター長
↑VRゴーグルを装着して講演に臨む藤井総長
↑東大駒場のカフェコモレビをモデルとした視聴会場(Hubs Cloud)