Interview
サプライチェーンリスクを予測AIで可視化
災害の多発や、紛争、パンデミックなどにより、サプライチェーンのリスクはより複雑化し、増大しつつある。そんな問題を起点として取り組むのが、東京海上ディーアール株式会社と国立情報学研究所(NII)による共同研究だ。同研究では、予測AIの技術を使い、取引先で起こったショックが対象企業にどう波及するかを定量的に把握。この成果が社会にどんな価値をもたらすのかを、研究を担う2人に聞いた。

佐藤 遼次SATO, Ryoji
東京海上ディーアール株式会社
企業財産本部データビジネス創発ユニット 主任研究員

水野 貴之MIZUNO, Takayuki
国立情報学研究所
情報社会相関研究系 准教授
(敬称略)
──共同研究を行うことになった経緯を教えてください。
水野 私がグローバルサプライチェーンの研究に従事したのが、2016年のことです。世界中で異常気象が頻繁に起きるようになり、かつ企業の取引ネットワークのグローバル化が進んだことで、グローバルチェーンのどこかで起こったショックが地域や業種を飛び越えて波及しやすくなった。それこそ2005年にアメリカで起こったハリケーン・カトリーナや2011年の東日本大震災などでも、調達物資の不足や輸送インフラの停止などの影響が、災害から遠く離れた場所の企業にも及びました。
そうした影響を見える化しようと2018年よりスタートしたのが、東京海上ディーアールとの共同研究です。私たちが携わる情報学では、インターネット上でどう情報が伝播するかを研究してきました。それをサプライチェーンに置きかえ、災害、地政学的リスク、パンデミックなどで、負の影響がどう伝播するのかを情報学の手法で追いかけましょうというのが今回の取り組みです。
佐藤 東京海上ディーアール企業財産本部では、火災・自然災害リスクの定量評価およびコンサルティングを、顧客企業に提供しています。自然災害などに関する国や自治体等のデータを、顧客企業の情報と組み合わせてリスクを評価し、その結果を防災対策や適切な保険設計などのリスクマネジメントに活用いただくというものです。
一方、顧客企業のサプライチェーンとなると、複雑で秘匿性の高い情報でもあるだけに、精緻に把握することが困難です。そもそも顧客企業の方でも、直接取引を行う「一次取引先」までしか管理できていないケースも多い。したがって、災害などによるサプライチェーンの途絶といったリスクについては、大きく仮定を置くなどして評価せざるを得ません。その部分に大きな課題を感じていました。
そんな中で水野先生は、外部から取得できるビッグデータを使い、そこからAIでインサイトを引き出す研究をされていて、その技術を当社の持つ事故や災害の知見とかけあわせることで、これまでとはまったく違う角度から顧客企業のリスク評価を行えるのではないかと考え、共同研究をご提案しました。

取引先のショックのうち約17%が対象企業に波及
──具体的に、どんな研究に取り組まれましたか?
佐藤 取り組みの一つが、災害などによる負の影響が取引関係を介して波及する「ショックの波及」を、定量的に把握することです。ショックの波及が起きること自体は、先行研究で実証されていました。ただ、従来のアプローチでは、その大きさを定量的に評価することはできません。そこで今回、新たなアプローチとして構築したのが、AIの機械学習を用いた予測モデルでした。
水野 具体的には、このような手法を採りました。
まず、約38万件の取引関係を収録したグローバルのサプライチェーンのデータセットから、サプライヤー・カスタマーの双方を含めた対象企業の一次取引先を抽出する。続いて、抽出した対象企業および一次取引先に、「売上成長率」「国」「業種」などの情報を付与した上で、対象企業の売上成長率を、それ以外の付与した情報から予測するモデルを構築する。そして、構築した予測モデルの挙動を分析し、取引先の売上成長率の低下が対象企業にどう影響をおよぼすかを調べる。なお、AI学習の手法は、「CatBoost(決定木の発展型アルゴリズム)」を採用しました。同手法で構築したAIモデルを、部分従属プロットという手法で「注目する情報(=取引先の売上成長率)だけを変化させたときに、予測対象値(=対象企業の売上成長率)がどう変化するか」を可視化した形です。
その結果、取引先の売上成長率が下がると対象企業の売上成長率も下がる傾向にあり、取引先のショックを100とすると、平均して約17%が対象企業に波及することが示されました。なお、取引先がサプライヤーかカスタマーか、あるいは製造業か非製造業かによる顕著な差はなく、ショックの波及の大きさはおおむね同水準でした。
佐藤 その後、この結果が実際のショックと大きく乖離していないか検証するために、2012年にアメリカ東海岸を襲った「ハリケーン・サンディ」のケースと比較しました。結果、AIモデルで導いた一般的なショックの波及の大きさは、実災害におけるショックの波及と比べても大きな差異はなく、妥当な結果であると評価できました。今回の予測モデルによって、売上成長率にもっとも影響するのは、その年や国、業種などに依存するマクロ経済的なトレンドであると同時に、取引先の業績といったミクロな情報も無視できないレベルで影響することが示されました。AIモデルを構築・分析することで、このようなマクロ要因と切り分けて取引先のショックの影響を定量的に把握できたことが、今回の共同研究の大きな意義だと感じています。
サプライチェーンの全容をAIで推定するシステム
──今回の研究成果を、企業や社会はどう享受できますか?
佐藤 社会実装の場の一つとなるのが、当社が手掛けるサプライチェーンコミュニケーションサービス「Chainable(チェイナブル)」です。
Chainableは、企業のサプライチェーンの可視化やリスク管理を行えるプラットフォームで、2023年5月にローンチしました。顧客企業は、自社や取引先の登録拠点の付近で災害が発生したときにアラートを受け取れ、リスクのある拠点が可視化されます。また、自社や取引先の担当者に影響確認のタスクの一括発信やチャットなどの双方向コミュニケーション、ファイル共有などができ、有事での速やかな対応と平時からの対策や関係強化が行なえます。このChainableにおける、サプライチェーンのリスク評価の部分に、共同研究の成果の実装を検討しています。
とくに現代では、前述のようにサプライチェーンが複雑化し、当事者企業も一次取引先以外の経路を把握できていないことが少なくありません。そこで非常に有用になるのが、AIを使って膨大なサプライチェーンを推定する水野先生のシステムです。

──サプライチェーンを推定するシステムとは?
水野 まずは企業が開示している取引先情報を活用し、足りない部分に関しては、取引の経路をAIで予測するという技術です。これを使うことで、サプライチェーンのどこかで寸断が起こったときに、別の経路で代替できるのか、それとも代替が利かないので別の対応が必要になるのかといったことも予測できるようになります。
サプライチェーンの解析で難しいのが、加工や組立などを通してモノの形が変化すること、そして多くの企業が複数の製品を作っていることで、ネットワークで負のショックが起こったとしても、企業や製品によっては影響が出ないケースもあります。リスクを過度に評価することは企業に不必要な対応を促すことにもなりかねないので、そこをきちんと区分けしてリスクを抽出する点に注力しました。
佐藤 たとえば有機化学製品を製造販売するテキサス州のグローバル企業、ハンツマン・コーポレーションは、およそ25カ国に50以上の製造拠点をもち、膨大なサプライチェーンを有します。同社は、2021年に米国メキシコ湾岸を襲った大寒波およびハリケーンでエチレン生産の大部分が停止したことにともない、機能製品部門で計画外のダウンタイムが発生しました。一方、先端材料部門、テキスタイル部門など他の部門での影響は限定的でした。膨大なサプライチェーンにおいて、ショックの影響範囲を適切にとらえるには、その製品を製造する際に上流と下流で何が行われるのかをたどれる水野先生の技術が重要なカギとなります。
水野 また、取引金額を推定することも非常に大切になってきます。サプライチェーンは、図で表すとただ線がつながっているだけですが、実際の線の太さ=取引金額は、各取引により大きく異なります。したがって、それも機械学習を使いながら予測していく。そのようにいろいろな観点から、有事の損失がいくらになるかの予測精度を高めることに、日々一緒に取り組んでいます。
取引を行う前に取引先のリスクを可視化
──今回の研究を通して、どんな価値を提供していきたいですか?
佐藤 この技術により、関連取引だけを抽出してショックの影響を予測できるだけでなく、災害などから遠く離れた場所での影響も予測できます。たとえば、先ほどのハンツマンのような基礎化学品メーカーの製造が止まり、それによってポリウレタンなどの中間財や樹脂製品などの最終財の供給が不足する可能性があるといったリスクを、直接には取引をしていない企業にも提示できるというのは、とても有益ではないでしょうか。
また取引を行う前の段階で、取引先のリスクを推定することも、重要なテーマであるととらえています。事前に把握することで、詳細な調査をかけるといった一歩踏み込んだアプローチも可能になります。
災害や地政学的リスクはもちろんですが、人権や環境対応、ガバナンスといった観点も、サプライチェーンのリスクをはかる上では不可欠です。そういった部分にもしっかり対応しながら、企業があるべき姿のサプライチェーンを築く助けになれればなと思います。共同研究で培った知見や技術を最大限活かすことで、多くの企業にサービスを使っていただける。それにより、多くの企業のサプライチェーンに関する知見が蓄積され、それを活用することで、より付加価値の高いリスク情報をご提供できる。ぜひ、そんなサイクルを回していきたいです。
水野 特定の目的のもとで取引先を選定すると、当然、特定の地域に固まりがちです。それによって生産効率は高まるかもしれませんが、一方で有事のリスクも高まってしまう。そのリスクを事前に可視化することで、ちょっと分散させようとか、寸断が起こったときのために自社で供給のバッファを作っておこうといった事前の対応や備えが行えます。
それと個人的には、AIでサプライチェーンの行く末を予測するといった領域に、大きな興味関心をもっています。この先、どんなリスクが、どのくらいの確度で起こるのか。それに対して、たとえばこの政策を打つことで、サプライチェーンのリスクはどう改善されるのか。そんなふうに、近未来の日本や世界の展望を見すえながら最適な政策を見つける研究を、将来的には進めていきたいです。
取材・構成:田嶋 章博/写真:杉崎 恭一