Interview
工場をスマートにする無線通信
「省電力軽量エッジAI技術」と、2カ国4機関の協働
「人の多様性が視点の多角性につながり、多角性がイノベーションにつながる」では、組織と国の多様性は何を生み出すのだろうか? 2023年12月、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が推進する「戦略的国際共同研究プログラム(SICORP)」に採択され、日本とフランスによる国際共同研究プロジェクトが開始された。この研究が、近未来の社会に何をもたらすのか、研究代表を務める国立情報学研究所(NII)金子めぐみ教授と日本側の共同研究機関である日本電信電話株式会社(NTT)河村憲一主幹研究員に聞く。

金子 めぐみKANEKO, Megumi
国立情報学研究所
アーキテクチャ科学研究系 教授
SICORP 研究代表者

河村 憲一KAWAMURA, Kenichi
日本電信電話株式会社
アクセスサービスシステム研究所
無線アクセスプロジェクトグループ
リーダ/ 主幹研究員
(敬称略)
SICORP 概要
SICORPは、JSTの国際共同研究推進の取り組みで、今回採択された研究課題「無線通信とセンシングを連携させたスマート工場向け省電力軽量エッジAI技術(LIGHTSWIFT)」のプロジェクトは日本とフランスの二国間で行い、各国アカデミアと産業界からなるチーム構成となります。日本側はNII金子教授が研究代表を務め、企業としてNTTが参画、フランス側はフランス国立科学研究センター(CNRS)、IRISA/レンヌ大学とWavely社が参加します。
IoTデバイスを軽量エッジAIでスマート化し、無線通信の信頼性を高める
――本プロジェクトは、どのような社会課題を解決するのでしょうか?
金子 このプロジェクトで目指しているのはスマート工場のための無線通信やセンシング技術です。
スマート工場は、主にAIやIoTの技術を活用して、工場内でのモニタリングや制御、また故障検出、そういったタスクの自動化・高速化を可能にし、工場内での非常に難しいリモート接続やアクセス、人間にとって危険な場所や危機的な状態をリアルタイムで把握・確認し、それに対する最適な行動が即座に取れる環境とすることを目標にしています。それによって大きく期待されることは、生産性の向上、低コスト化、また省電力化、作業員の事故防止のための安全性向上です。ただし、それらを可能にするためには、非常に高性能な無線ネットワークの技術が必要不可欠です。様々なIIoT(Industrial Internet of Things)のデバイス、ロボット、音響はじめとしたセンサー、こういった数々のセンシングデバイスが、工場内に分散され、それらのデバイス全てが無線でデータを送受信しますので、それをサポートする高度な無線技術が必要です。しかし、工場は壁など障害物で囲まれた室内であるということと、また、工場内では大きな機械や装置などが移動することによっても、無線環境が常時複雑に変動するため、無線通信にとっては、かなり厳しい場所です。
さらに、無線の周波数も枯渇してきているため、5G以降ではミリ波帯といった、高い周波数を使いますが、障害物にとても弱いので、無線が途切れ、送りたい情報が届かないエラーが起こるリスクが高まります。IoTデバイスが増加し、機器が同時に無線で通信すると、干渉が起き、パケット衝突や損失のリスクも増加します。このような状況が、特に工場内の環境では無線通信を難しくしているといった点で、解決すべき課題であり、今回の一つの大きなチャレンジとなっています。
河村 工場の中で多数のIoTデバイスが安全に動き回る「スマート工場」を実現するためには、通信を無線化する必要があります。つまり、現在の有線並みの高信頼性を無線で実現しなくてはなりません。超高信頼を実現するためには、工場の中の細かい環境の変化に追随して制御を行い、品質を維持する必要があります。高い周波数の活用は重要ですが、障害物の影響を受けやすい高周波を使いこなすためには、より細かく通信品質を制御する必要があります。
そのために、基地局や端末デバイスそれぞれに、少ない電力でも動作するAI、つまり「省電力軽量エッジAI」を搭載し、AIが個々のデバイスの周囲の通信環境を判断しながら、無線通信のパラメータを調整します。また、接続する基地局を適切に選択し、複数の基地局が同時に使用可能な場合には利用する回線や送信方法を状況に応じて選び、送信の「最適解」を継続的に選び続けることで、全体として無線通信の高信頼を実現することを目指します。小型端末はバッテリー容量が限られているため、デバイス自身の消費電力と性能の最適化を図りつつ、状況に応じて何を優先させるかというバランスも重要です。

金子 無線通信の品質と電力消費の「バランス」は、私たち研究者が考え、設計します。例えば、IoTデバイスについて言えば、急激に無線環境が変動した場合、その情報処理のためにかなりパワーが必要となりますが、安定した状態が続いている場合、通常のモニタリングにとどめて電力消費も、処理機能も抑えます。そのようなバランスのアルゴリズムやプロトコルを設計しリスクアバース(リスク回避型)の強化学習を行なったAIを活用します。
例えばエアコンや冷蔵庫などの電子機器の自動的制御といった従来的なIoTネットワークでは、センシング(感知)したデータを転送するだけで、インテリジェントな処理は、ネットワーク側のエッジノードやより中心部にある中央集中的クラウド装置が行っています。一方、本プロジェクトでは、ネットワークの末端(エッジ)となるIoTデバイス自身に小さな頭脳「軽量エッジAI」をもたせ、限られた処理性能やバッテリーの電力を有効活用し、周囲の無線環境や音響で状況を把握し、感知したデータを自ら処理して「行動」し、必要な場合のみ中央集中的制御を行います。個々のデバイスが少しインテリジェントになることでシステム全体がより高い性能を達成できるのです。
――リスク回避型強化学習を取り入れた背景など
金子 多数のIoTデバイスが、同じ無線資源を共有する複雑な無線環境下で最適なアクセス制御を行うことは、これまでの技術では不十分でした。近年、国内外の無線通信分野では強化学習のアプローチを活用した研究が活発に行われています。そもそもAIや機械学習の分野は、私が研究する無線通信とは異分野ですが、リスクアバース(リスク回避型)強化学習というツールに大変興味を持ち、マルチエージェント(複数の端末)を取り入れて設計し、NTTと共同開発したのが「リスクアバース強化学習を活用したマルチ無線制御技術」です。
強化学習では、エージェント(AIを実施する端末)が周りの環境の状態を観測し、環境からエージェントに渡される「報酬」と呼ばれる信号の累積(累積報酬)の最大化を目標に行動選択を学習します。本研究ではリスクアバース「累積報酬」や実施法に注目しています。「無線が途切れ、送りたい情報が届かないエラー」をリスクとし、無線特有の通信の誤りを避けるような観測状態、行動や報酬の設定になっています。さらに、個々のIoTデバイスがリスク回避の行動を取るだけでなく、最小限のコストで多数のエージェントが協調することによって、よりリスク回避的で優れた無線通信のアクションを選択するという部分が、我々のコアな技術アイディアです。

――工場での通信とデバイスの今後は?
河村 IoTデバイスでは、さまざまな無線通信規格が使われます。例えば、Wi-Fiは手軽に使えるという長所がある一方で、干渉が多く、通信品質が安定しない場合があります。セルラー通信は干渉が少ないものの、工場内に十分な電波が届くように基地局が整備されるとは限らず、電波が届かない可能性もあります。また、周波数帯が一般ユーザとも共有されているため、通信性能が常に保証されるとは言えません。ローカル5Gは、自分たちで基地局を設置でき、通信品質も良好ですが、Wi-Fiに比べると「コストが高い」というデメリットがあります。このように、現在のさまざまな電波や通信方式を使った多様な通信が共存する状況は、今後も続くと考えられます。
金子 6Gでさらに重要になるのがエネルギー利用効率です。これは通信性能とそれに必要な消費電力、コストのバランスを表す指標であり、本研究における重要なターゲットの一つとなっています。特にIoTデバイスではバッテリーが限られているため、いかに小さな出力で工場内の高度な無線通信やセンシングにおいて高い品質を保証するかという点が、エネルギー効率に密接に関係しています。
各々の強みを共同研究に持ち寄り、さらなる高みへ
――今回のSICORPの研究プロジェクトでは、どのような協働になるのでしょうか?
金子 日本側アカデミアとしてはNII、基幹アルゴリズムの考案、評価を推し進め、企業としてはNTTにご参画いただき、省電力軽量エッジAI技術の創出の議論、適用アーキテクチャの検討、実験評価等を行います。また、フランス側ではアカデミアとして、IRISA/レンヌ大学が省電力AI圧縮技術開発、エッジAIソフトウェア・ハードウェア設計を担い、音響機器の企業であるWavely社が音響センサーのIIoT、環境変動抽出、異常検知のためのAI技術開発を進めます。
――それぞれに個性と持ち味のある4機関が、プロジェクトとして新しい何かを生み出すということですね。
河村 まさにSICORPのポリシー「イコールパートナーシップに基づく国際共同研究」を実現し、一つの国では出来ない国際共通課題を解決し、日本の科学技術力を強めることに貢献できるのではないかと考えています。
金子 私は無線システムの研究、それも干渉制御・性能解析・プロトコル設計という通信品質に大きく影響する部分の研究ですが、特に数理モデルによる研究を行ってきたので、どちらかといえば基礎研究です。NTTとは2018年から共同研究を続けていて、さまざまなユースケースを想定し、応用に向けた研究開発が可能になりました。その結果トップ国際システムにおける機械学習を用いた環境推定技術」、2021 年から2024年にかけて「マルチ無線アクセス環境における、高信頼用通信のための利用無線リソース最適制御技術」の2つのテーマで共同研究を続けてきましたが、それを踏まえての今回の国際プロジェクトです。私たちも研究を通じて、ますます無線通信を発展させていきたいです。
金子 今はまだ、単純なIoTデバイスでも作動可能な省電力エッジAIを搭載した無線通信やセンシングシステムは、世の中に展開されていませんが、数年後には、工場の中に限らず、実現している社会を見ることができると期待しています。私も、SICORPでのNTTおよびフランスの2機関との協力で、その発展を目指していきます。
取材:みわ よしこ/構成:岸本 治恵/写真:倉嶋 一樹