Jul. 2020No.88

ITを活用した新型コロナウイルス対策教育や研究活動を止めないために

Interview

「ハイブリッド」が新常態に、対面と遠隔の利点を生かせ

オンライン授業の経験をサイバーシンポジウムで共有

新型コロナウイルス感染症の世界的流行を予期し、2020 年2 月の段階で「オンライン学会」の実現へ検討を始めたのが、NII の喜連川優所長だ。3 月末からは、「4 月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム」を週1 回のペースで主催するなど、学会や大学の授業のオンライン化へいち早く道筋をつけた喜連川所長に、実現までの経緯と見えてきた課題、ポストコロナ時代の教育と研究について聞いた。

喜連川 優

Masaru Kitsuregawa

国立情報学研究所 所長

浅川 直輝

聞き手

日経コンピュータ編集長。
2003年東京大学大学院物理学修士修了、日経BP入社。2010年豪ボンド大学MBA修了。日経エレクトロニクス、日本経済新聞の記者を経て現職。

世界に先駆けてオンライン学会を開催

─ 国内でダイヤモンド・プリンセス号の隔離措置が話題になった2020年2月の段階で、オンライン学会やオンライン授業の検討を始めていたと聞きます。実施に至る経緯を教えてください。

喜連川 中国・武漢市がロックダウン(都市封鎖)した2020年1~2月の段階で「この感染症は世界に拡散する。日本も絶対に危ない」と確信していました。私の研究室の卒業生が武漢で大学の教員をしており、生の情報が入ってきていたのです。
 最初にオンラインで開催したのは、3月2~ 4日開催の「第12回データ工学と情報マネジメントに関するフォーラム/第18回日本データベース学会年次大会(DEIM2020)」です。2 月下旬にDEIM2020 の実行委員会から開催の是非を相談された際、日本データベース学会の会長を務めていた私は、「今、オンラインで年次大会を開催できるのは我々IT 屋しかいない。開催すべきだ」と主張しました。学会での口頭発表は、学生にとってものすごく重要な人生の思い出です。その機会を奪ってはいけないと考えました。
 そこでNIIのなかに拠点を設け、米シスコシステムズのオンライン会議システム「Webex」を使った学会運営の仕組みを急遽構築しました。座長、発表者、聴衆が別々の場所からアクセスしてセッションを開く、前代未聞の方式です。吉田尚史先生(駒澤大学)、横山昌平先生(東京都立大学)、合田和生先生(東京大学)らを中心としてチームが編成され、セッション運営の練習を繰り返し、ITリテラシーに自信のない座長には若い学生をサポート役に付けるなどの配慮もなされました。
 結果としては、大きなトラブルもなく学会を運営できました。中国のCCF という巨大なコンピュータ学会の事務局長にDEIM のことを話すと、「学会のオンライン化は中国でも聞かない。すごい!」「IT を束ねるCCF が知らないということは、中国のほかの学会でもこんなことは恐らくやっていないはずだ」とたいへん驚いていました。「やれる」ことを示すのがNII の役割で、その任務は果たせたと思います。
 学会のオンライン化は参加者にも利点がありました。赤ん坊を抱えた研究者も、自宅でその子の世話をしながら学会に参加できます。空間の制限がないので、ポスターセッションは申し込みを全て受け入れました。DEIM をオンラインで開催したことにより、サイバーシンポジウムのニューノーマルが見えてきました。

失敗を共有するためのサイバーシンポジウム

─ オンライン学会で得られた知見は、4月に新学期を迎えた大学の授業のオンライン化にも生かせたのでしょうか。

喜連川  はい、基本的には学会における「セッション」が大学の授業における「教室」に変わっただけで、ノウハウを共有できると考えました。そこで3 月から旧帝大の7 大学(北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)を中心に情報基盤センター長同士で話し合いを重ね、3月26日には国立大学を中心に大学関係者を集めて「4月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム」を開催しました。それ以降、シンポジウムは週1回の頻度で開催しています(図1)。24日に文部科学省から遠隔授業に関する通達が出た、翌々日でした。

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図1│「4月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム」参加者数とアーカイブ映像視聴回数の推移
シンポジウムはWeb 会議によりリアルタイムで開催されており、第1回から第11回までの延べ参加者数は約1万6000人に上った(左)。 また、シンポジウム終了後には講演資料の公開や映像公開を行っており、第1回から第10回までの延べアーカイブ映像視聴回数は11万回超(2020年6月26日現在)となっている(右)。

 このオンラインシンポジウムにおいて、私は参加者に「『ここに来れば教えてもらえる』といった甘えた考えは捨ててほしい」と強調しました。オンライン授業を先行して実施する大学には「フェイルファスト(Fail Fast)」の精神でどんどん失敗してもらい、そのノウハウを共有するのがシンポジウムの狙いでした。そもそも、この状況下では皆が被害者のようなものですから、オンライン授業をやって失敗したからといって、その人を加害者のように責めるのはおかしい。誰もが挑戦できる自由な空気を醸成したいと考えました。
 国立大学は86校ありますが、私立大学は全部で1000校近くあり、なかにはITに詳しい教員がほとんどいない大学もあります。まずは人も設備もIT 資源にも比較的恵まれていて、先行して取り組める国立大学が「失敗」することで、続く大学が同じ苦労をしなくてすむようにしたかったのです。
 実際、最初からスパッと、スムーズにオンライン授業ができた大学はほとんどなく、だいたいの大学は4 月に準備をして、5月の連休明けから開始しましたが、初めの頃はいろいろと混乱が見られました。ITの使い方に慣れた理学系や工学系はともかく、政治学や法学など文系分野はノウハウが定着するまでに時間がかかりました。
 例えば、オンライン授業中に一時的にクラウドに大きな負荷がかかりシステムがダウンしてしまったことが、テレビで報道された大学がありました。報道直後のサイバーシンポジウムでは、何が問題だったのか、それが事故と呼べるようなものだったのかなど、その大学の関係者が検証した結果を発表する場面も設けました。実は、これは事故というより、予算の問題で、クラウドを拡張できなかったために起こったことだったのです。このような課題があることを浮き彫りにできたことは有意義でした。また、さまざまな事例を共有することで、続く大学を勇気づけることができたとも思っています。
 なお、第1回は300名程度だったサイバーシンポジウムの参加者は、第4回あたりから2000名にのぼることもありました。当初は国立大学が中心でしたが、参加者が増えるとともに私立大学の関係者の割合が増え、5月には参加者の大半が私立大学関係になりました。また、シンポジウム終了後には、すべての講演の映像と資料を公開していて、すでに累計で11万回以上(2020年6月26日現在)視聴されています。それだけ、オンライン授業に寄せる皆さんの関心が高いということだと思います。

小中学校、高校のためにデータダイエットを

─ オンライン授業を振り返って、どのような利点、欠点が見えてきましたか。

喜連川  オンライン授業について各大学がアンケートを実施したところ、例えば東大では、教員以上に学生がオンライン授業を高く評価していることがわかりました。対面授業では、大教室の後ろに座った学生は板書やプレゼン画面が遠くて見えにくい場合があります。オンライン授業なら資料を手元で確認でき、教員にチャットで気兼ねなく質問できます。今後大学は、対面授業と遠隔授業の「ハイブリッド」を模索することになるでしょう。
 もっとも、ハイブリッドになったときに、どうやって学内にオンライン授業用のスペースを設けるのか、あるいは学生の評価をどうするのかなど、さまざまな課題があります。
 さらに課題として挙がったのが、ネットワークインフラです。ネットワークの大動脈に当たるバックボーンは問題なかったのですが、毛細血管に当たる地方のISP(インターネットサービスプロバイダー)や集合住宅のネットワーク帯域は逼迫したようです。
 そこで私たちは5月頃から「データダイエット」を呼びかけました(図2)。手法は案外簡単で「プレゼン資料の画面のみを共有しなさい」というものです。自分の顔や書画カメラなど、動く映像を配信すると一気に通信量が増えますが、カメラをオフにして資料の画面のみ配信すれば、ほとんど静止画に近い状態となり、帯域を使いません。今後オンライン化が進むであろう初等・中等教育(小・中・高)向けに帯域を空けるという意図もありました。

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図2│通信量に配慮した授業の実施・設計 五カ条
データダイエットのためにできることをわかりやすくまとめた。

中・長期的な課題は、環境の整備

─ 小学校、中学校、高校における授業のオンライン化はどのような状況でしょうか。

喜連川  残念ながら、緊急事態宣言下でも95%の学校はオンライン授業を実施していなかった、すなわち遠隔授業の実施率は5%という文科省の調査結果があります。一方で大学は大半がオンライン授業を実施できており、今後は大学が小学校、中学校、高校を助ける番だと思います。
 ただしハードルは高いと言わざるを得ません。ハードウエアについては小・中学校の児童生徒に1人1台PCを提供する「GIGAスクール構想」に今年度4000億円の補正予算がつきましたが、PC やタブレットなどの供給が追いついていません。しかもハードウエアを配るだけでは不十分で、ITを使いこなせる教員をもっと育成する必要があります。しかしながら、小・中学校の先生方はたいへん多忙で、IT について学ぶ余裕がほとんどないのです。かつて電子黒板を各学校に提供した際もまったく同じ問題に直面しましたが、今も状況は改善していません。
 学校のネットワークインフラにも課題があります。NIIは文科省と一緒に調査に参加しましたが、自治体の庁舎のネットワーク経由でインターネットに接続している場合など、帯域がとても小さいところがあると聞いています。
 この毛細血管にあたる部分を、NIIが構築・運用している学術情報ネットワーク「SINET」とつなげられないか、というのが次なる課題です。SINETのアクセスポイントは各都道府県にありますし、現在、すべての回線を100Gbpsで結んでいて、2019年には東京- 大阪間に400Gbpの伝送回線を導入しました。さらに、2022年にはすべての回線が400Gbpsとなります。これを活用しない手はありません。一方で、スポット的に施設内に構築できるローカル5Gなどの動きも出てきていますので、有線だけでなく、無線のネットワークもうまく使いながら、環境を整えていくべきだと思います。

著作権と遠隔授業

─ オンラインおよびオンデマンド授業を円滑に行うには、教材の著作権の問題も解決しておかなくてはなりませんね。

喜連川  はい。もう一つの大きな課題が、著作権法の問題です。オンライン授業にともない、教材として著作物を公衆送信したり、オンデマンド授業で教材を映し出したりする場合には、著作物に対して許諾を得る必要があるためです。ただし、2018年5月の著作権法改正により、授業目的であれば、一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)に補償金を支払えば、個別に許諾を得なくても著作物を使用することが可能となりました。しかしながら、法の施行までの3年間の猶予期間のなかでコロナ禍が発生したことにより、補償金制度の実施が間に合わず、教育現場が困っていたのです。
 そこで私は、3月23日の内閣府の知的財産戦略本部 構想委員会のなかで、「コロナ時のオンライン授業、オンデマンド授業の著作権問題を緩和すべし」と発言し、その後、3月30日には旧帝大の学長と連名で「授業目的公衆送信補償金制度の早期施行について(要請)」という文書を提出して、補償金制度の早期実施を促しました。その後、SARTRASとの協議を経て、2020年度の特例として、4月28日以降2020年度末まで、授業の過程で著作物を公衆送信する際の補償金の支払いは不要となりました。
 今後は授業においてどの程度、著作物を使っているのかをデータに基づいて明確にしたうえで、補償金の額を決め、著作物を円滑に使えるように議論を進めていくべきだと思っています。悪いことばかりではなく、ある意味、コロナ禍があったからこそ、著作権に関する議論が一気に進んだというわけです。

ポストコロナ時代の教育や研究について

─ 今後、新型コロナウイルス感染症が終息したとしても、以前の状態にそのまま戻るわけではないと思います。ポストコロナの時代では教育や研究はどのようになっていくのでしょうか。

喜連川  実は今回、継続的なIT インフラの整備が功を奏し、オンライン授業を積極的に導入した自治体がありました。市内の全小・中学校でオンライン授業を導入した熊本市の教育委員長によると、オンライン授業のポジティブな効果として、「生徒からの質問が増える」ことのほかに、「不登校の生徒も授業に参加できる」点があったそうです。「これからはオンライン授業を使いながら不登校の子供を育てていきたい」と語っておられました。オンライン授業は初等・中等教育にとっても大きな意義があることから、今後も支援を継続していきます。
 もう一つ、研究の面においても、新型コロナウイルス感染症は私たちに新たなテーマをもたらしています。現在、日本医学放射線学会とNIIの医療ビッグデータ研究センターが共同で、いわゆるコロナ肺炎のCT画像について研究を進めているところです。すでに約200症例のCT画像が集まり、その解析を進めるなかで、コロナ肺炎ならではの特徴や、PCR検査で陰性であっても、なかにはコロナ肺炎の様相を呈する方がいるといった、新たな知見が得られつつあります。
 さらには、接触確認アプリの性能を調べるために、京都大学とともに、スマートフォンをポケットに入れたり、対面ではなく、斜めの位置で接触したりした場合に、Bluetoothによる通信にどのような影響が出るのかを調べてみました。結果、姿勢や状態によって信号電力がかなり影響を受けることがわかりました。このような知見を得ることにより、今後、第2波、第3波が到来したときの対策に役立てることができると考えています。
 いずれにせよ、今後は経済活動も医療もサイエンスも、そして教育も、ありとあらゆるものが原則として「データ駆動型」になっていくでしょう。そのときには、極めて信頼性の高い学術データ基盤が不可欠です。いかにして、データを蓄えてAI(人工知能)で解析していくのか、その際にエンドポイントセキュリティをはじめ、いかにしっかりとセキュリティ対策を行っていくのか、データを一カ所に保管することなく分散化しながら処理していくのか(フェデレーテッドラーニング)、データを開示することなく暗号化したまま処理するのか(マルチパーティーコンピューティング)といった、さまざまな技術開発が求められています。
 そこに、私たち情報学の研究者も注力していくべきです。データの利活用を適切に進めていくために、今後もいっそう貢献していきたいと考えています。

(写真=藤吉隆雄)

インタビュアーからのひとこと

 「フェイルファスト(まず失敗しろ)」の精神でノウハウを早期に蓄積・共有する─コロナ禍に際しての喜連川所長の発想に感銘を受けました。「絶対に失敗しない」という考え方ではIT の導入は進みません。企業や政府、自治体がそれぞれデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進する上で、フェイルファストは最も重要な要件の一つと言えそうです。

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