Mar. 2023No.98

情報学が導く世界挑戦と進化の10年

NII Today 第98号

Interview

「超エキサイティング」な時代の「止まらない挑戦」

国立情報学研究所(NII)を2013年から率いてきた喜連川優所長が2023年3月末で退任する。情報の分野に新しい波が次々と押し寄せる中、「管理職のド素人がやんちゃに駆け抜けた」と語る10年間を振り返ってもらった。

喜連川 優

KITSUREGAWA, Masaru

国立情報学研究所 所長

大塚 隆一 氏

聞き手

読売新聞東京本社編集委員室
1979 年 東京大学理学部地球物理学科卒業。1981 年 読売新聞社入社。科学部、国際部、ジュネーブ、ワシントン、ニューヨーク支局で国際関係、科学技術、環境、IT などを担当。2009 年から編集委員室へ。

「超エキサイティング」な10年

――この10年間はデジタルの分野で様々な進展がありました。どんな時代だったのでしょうか。

 私が所長になる前年の2012年は象徴的な年でした。米国のオバマ政権がビッグデータ研究開発構想を発表した。そして、人工知能(AI)の画像認識が従来に比べてべらぼうな性能を出し、ドキッとさせられた。この年からデータとAIの融合が加速度的に進んでいった。そんな10年間でしたね。
 私は所長として、この超エキサイティングな時代を最初から体感する時間ウィンドウに入った、という感じです。

――NIIは様々な事業を行っていますが、どんな成果を上げられたのでしょうか。

 私はビッグデータの波が来る前の2000年代半ばから、東大の教授として「情報爆発」※1「情報大航海」※2などのプロジェクトの取りまとめをしました。また、30人限定の研究支援制度「FIRST」※3に選ばれ、最高速データベースエンジンの開発に取り組みました。その際、NIIの坂内正夫前所長や安達淳先生のお世話になったことから、NIIの存在はよく知っていましたが、事業に関する知識はゼロでした。
 所長になる直前には、NIIの国際アドバイザリーボードで「所長になったら何をする?」と聞かれ「ビッグデータ・アズ・ア・サービス(Big Data as a Service)を提供したい」と夢物語のようなことを話しました。
 しかし、2013年に着任してみると、それどころではなかった。基本的には、大学間をつなぐ学術情報ネットワークのSINET4があるだけ、とも言える状況でした。
 成果が出始めたのは最近になってからです。特に2017年に開発を始めた研究データ基盤(Research Data Cloud: RDC)は世界でもお手本がなく、ゼロから構築しました。5年前から開発しており、現在も開発途上ですが、国際的にみて一切遅れていません。

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SINET高度化で地域格差を解決

――それぞれの成果を振り返っての思いをお聞かせください。

この10年間を顧みてほしい、ということでしたので、年表を作ってみました。改めて振り返ると、毎年いろいろなことをコツコツやってきたなあ、と思います。
 まず2013年から16年にかけ、SINET4をSINET5にしました。
 SINET4は1秒間に送れるデータ量が東京・大阪間でたった40ギガしかなかった。その他の地域だと数ギガに落ちてしまう。米国も欧州も中国もみんな100Gbpsなのに、なぜ日本はこんなに遅いのかと思いました。
 そこでSINET5では全国を100Gbpsの回線でつなぎました。高速化を実現できた肝は、漆谷重雄先生が中心になって進めた「ダークファイバ」の活用です。SINET5への転換は根源的に大きなシフトでした。迂回回線として活用するという発想で、大都市圏以外も強力なネットワークでつながり、地域間の格差の問題も解決できた。どこに居ても100Gbpsに接続できる!というカッ飛んだ環境が作れました。
 その後もSINETは高度化を進め、2019年にはモバイルSINETやロシア回線、22年にはSINET6の本格運用を始めました。東京・大阪間は400Gbpsになりました。2022年3月には半導体不足の中、ネットワークチームが頑張ってくれました。

――2015年にはクラウド基盤研究開発センターを設立していますね。

アマゾンなどクラウドのベンダーはたくさんあるのですが、大学側は何を、どのように買えばいいのかよく分からない。そこで合田憲人先生にお願いして「クラウドの利用の仕方を何でも教えます」というワンストップの相談窓口をつくった。それがこのセンターです。合田先生が丁寧にベンダーと会話を進めてくれたおかげで、各クラウドの強みや弱みなども比較できる情報を提供できるようになっています。

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――翌2016年にはセキュリティ支援のセンターができました。

 大学の先生に話を聞くと、みんなセキュリティの問題に悩んでいました。
 ただ大学の中のセキュリティはNIIの持ち物ではないので、いじることはできません。私たちができるのは、大学に出入りするデータ通信の挙動を監視すること。「おかしな点があったら連絡しますので、回線を切るなり、システムを再起動するなりして下さい」と通知する形にしました。
これは非常に喜んでいただけた。センター長に招いた高倉弘喜先生の努力や京都大学の岡部寿男先生の応援により、民間のサービスとほとんど変わらない品質になっています。

産学連携、医療ビッグデータに挑む

――そして2017年、オープンサイエンス基盤研究センターを作り、いよいよ研究データ基盤(現在の NII RDC)の構築に着手するわけですね。

 2016年まではSINET5への移行のため、文部科学省を説得するので手一杯でした。17年にようやく、次は研究データ基盤(NII RDC)をやらせてください、と言えるようになりました。
 NII RDCにはデータの管理、公開、検索という3つの基盤があります。「データの流通の基盤としてのSINET」と「共有や活用の基盤としてのRDC」の2つを合わせてデータプラットフォームと呼んでいます。
 まだヨチヨチ歩きの段階ですが、データプラットフォームは山地一禎先生の頑張りのおかげで、60機関が実験的に利用できるレベルにまで持ってこられました。
 また、学会や民間企業との連携も積極的に進め、医療ビッグデータのセンターやフィンテック、社会問題解決のためのセンターなどを設立することができました。NII20周年にあたる2020年には、コロナ禍の中で遠隔授業のシンポジウムを始めました。
 振り返れば休む間もなく、新しいことに挑んできた10年でした。しかし、これほど多くのことができたのは、とりわけ事業部の教員がNIIの使命に共鳴してくれ、親身になって頑張ってくれたことがすべてでした。

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――特に重要な成果は何でしょうか。

 NIIの事業の中から選ぶとすれば、❶SINET❷セキュリティ❸研究データ基盤❹実社会への応用・貢献ーーの4つでしょうか。❶のSINETは以前からあったサービスを急ピッチで成長させたもの。一方、❷のセキュリティと❸の研究データ基盤のサービスは新規の事業です。
 ❹の実社会への応用は学会や民間企業との連携の成果と言えます。例えば、CTやX線など数億枚もの医療画像データベースを学会と一緒に作りました。日本医療研究開発機構(AMED)の末松誠・初代理事長の創案と支援により、医療学会群と画像IT屋のマッチングというアイデアを実現した日本初のやんちゃな試みでした。
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――4つの成果をデータにまつわる動詞で分類し、図にまとめてみました。例えば、❶の学術情報ネットワークSINETはデータを「送る」、❷のセキュリティ強化の支援はデータを「守る」でしょうか。

 そうですね。分かりやすいまとめだと思います。
 ❸の研究データ基盤は図で示されたように、データを「管理する」「共有する」「活用する」などの機能がすべて入っています。ネットワークは「送る」だけなのでシンプルですが、データ基盤はやることがいっぱいあるので、ひとつの動詞では表現しづらいですね。❹の実社会への応用・貢献は、データを「活用する」と捉えていただければ理解しやすいと思います。

「追いかけるな、オンリーワンを目指せ」の真意

――NIIの事業の成果をうかがってきましたが、もう一つの柱の研究についてはどうでしょうか。

 研究については、基本的に何も言わないことが一番大切なことだと思っていましたが、新しく取り入れたこともあります。国際レファレンスです。
 例えば、准教授を教授にするかどうか検討するとき、海外で業績を上げている研究者の意見を取り上げるルールを作りました。自分自身も海外からの依頼で評価書をたくさん書いていました。NII はグローバルに勝負しなければいけないのは当然です。

――基礎的、本質的な研究を重視されたとも聞いています。

 追いかけることはやめよう、誰もやっている気配がないようなところを狙うべきだ、といつも考えてきました。例えば、中国はAIなどの分野で力をつけ、論文数も急増しています。追いかけようとしても、資金力は向こうの方が大きい。

――よくおっしゃられている「ナンバーワンよりオンリーワン」ですね。

 はい。難しくても、効率が悪くても、失敗をしても、先頭を走るんだという経験はとても大切だと考えています。若いうちにそれをやらないと一生できないと思うのです。だから、基礎的な研究を実直にコツコツやってきる先生を招きました。

「すべては、国家の繁栄のために」

――組織のトップとして心がけたことはあるでしょうか。

 NIIのために働く必要はない、国家の繁栄に資するかどうかをすべての判断基準にすべし、という点です。このことは所長に就いてから最初の数年間、年頭の挨拶などで何度も言い続けてきました。
 私はNIIに来るまで組織の管理職の経験はゼロというド素人でした。いまだに未熟ですが、坂内前所長から、物事を決める際のクライテリアを持つことが大切と教えられ、自分なりに考えた次第です。

――所長の功績として、予算や資金を多く取ってきたことを挙げる人も多いです。秘訣は何だったのでしょうか。

 大阪生まれの関西商人だからでしょうか(笑)。たしかにNIIの予算はこの10年で大きく増えました。それは私の力というより、アカデミアにとって必要なサービスを展開していて、たまたまデジタルの波に乗っただけかと思います。
 ただ、予算を獲得することについては、いつも考えざるをえません。SINETにしても研究データ基盤にしても、NIIの事業は予算がなければ何もできませんから。
 また、LINEの寄付講座をはじめ、民間企業からも多額の資金をいただいています。米国の大学の学長を見てもわかるように、組織のトップが寄付を獲得することは大切な仕事です。所長として当たり前のことをしただけかと思います。

「やんちゃ精神」

――喜連川所長には、印象に残る言葉がたくさんあります。その一部を「喜連川語辞典」としてまとめてみましたが、まずうかがいたいのは「やんちゃ」についてです。

 過去にとらわれず、誰もやったことがないことを、失敗を恐れず、勇気を持って、まずは行動に移すことです。NIIでの様々な新しい試みは「やんちゃ精神」の表れと言えるかもしれません。
 先ほど紹介しましたが、コロナ禍が広がった直後の2020年3月に始めた遠隔授業のシンポジウムも一例です。
 全国の大学は、ほぼ全ての講義を極めて短期間のうちに対面から遠隔にすることを迫られていました。不具合は起きて当然です。こういう場合は先に失敗することが成功への近道、みんなで失敗を共有しようと考えたのです。「Fail fast」、つまり「失敗はすればよい。反省を絶対に忘れてはいけない」という発想です。
 7つの大きな大学の基盤センターの先生方に相談して企画したのですが、驚くほどの参加者になりました。当初は毎週開催という自転車操業でしたが、参加者のアンケートで膨大な数の「ありがとう」をいただきました。こんなに感謝されたのは人生で初めてでした。このアンケートは私の宝物です。
 しかし、7大学の先生とあまりに頑張りすぎて、担当者から「過労死する!」と怒られ、申し訳ないことをしたと反省しました。やんちゃしすぎの失敗です。 niitoday98_1_1.png

――幻に終わった「やんちゃ」の提案もあったとか。

 たまたまですが、皇居に出向く機会があり、北の方を見ると、NIIの壁面が大きく見えた。ここをプロジェクションマッピングに使い、「情報オリンピックで金メダルを受賞した高校生の名前を大きく映したい」ととっさに感じました。区にも相談に行ってもらったのですが、運転手が気が散って事故が起こるかもしれないとかいろいろあり、没となりました。
 もうひとつ、NIIのビルは研究室のスペースが狭い。これからはロボットの時代なのに、場所を必要とする研究ができない。そこで近くを走る高速道路の空中権を買えば、容積率が増やせ、ビルを40階にできるのでは、と真剣に検討しました。しかし、これも幻に終わりました。

悲観的になる必要はない

――「喜連川語辞典」では「温もり」も印象深い言葉です。

 私はまず弱い立場の方、お困りの方を助けることを考えます。ITも温もりのある社会を作るために生かしていきたいですね。先のコロナの遠隔シンポも、体力のある7大学が率先して失敗をして、その経験や教訓を、ゆとりの少ない小規模の大学にお伝えしようという気持ちからの活動でした。

――デジタルの分野では日本の立ち後れが目立ちます。

 最先端のIT立国を宣言し、様々な工程表まで作ったのに、コロナでボロボロな状態が露呈しました。一体何がだめだったのか。しっかり反省する必要があります。
 ITは地味で、「難しい」分野でもあります。デジタルのシステムを作るのは、橋やトンネルを造るよりも金がかかると思わないといけない、だから、むやみにサービスソフトは作ってはいけない、と私は年中言っています。ソフトを作るべきでないとNIIの所長が言うのは逆に聞こえるかもしれません。
 ただ、悲観的になる必要はありません。必ず成功することはできるはずだ、と私は常に思っています。例えば、スーパーコンピュータの富岳も、学術情報ネットワークのSINETも、NIIの研究データ基盤も世界一です。この3点セットからスタートして、日本を元気にしたいですね。

がむしゃらに、人生を大切に

――若い人へのメッセージをお聞かせ下さい。

 私が大学生であったころとは大違いで、コンピュータは安くなり、誰でも買えます。やろうと思えば、なんぼでも、どんどん自分でやれる時代です。やんちゃに、がむしゃらに、頑張ってほしいですね。海外の友だちを多くつくることも大切です。

――研究者に対してはどうでしょうか。

 人生を大切にしてほしいです。研究して論文をたくさん書くのは重要ですが、仕事がすべてというのはやっぱりおかしい。ご自身の健康を、伴侶を、両親を、家庭を最優先にしてほしい。私は無茶をして5年ほど前に大きな手術をしてから、とりわけそういう思いを強くしています。

――最後に一言。

 ド素人をみんなが支えてくれた。支えられてここまで来られた。私は短気なところもあり、イライラして怒ったりすることが稀にあります。忙しいと説明が短くなり、いまだに秘書から「何を言っているのかわからない」とよく言われます。そんな私を上司にもった方々は非常にご苦労だったととても頭が下がります。本当にありがとうございます、という気持ちです。

聞き手からのひとこと

 次の目標を聞いたら「誰が考えてもおかしい問題がいっぱいある。やりたいことはくさるほどあります」という答えが返ってきた。
 まず挙げたのは「たくましい、骨太な子を育てる教育」だ。喜連川さんの持論だった「データ駆動型教育」は国の方針にもなった。今後も次世代の子どもたちのために貢献していきたいという。
 ほかにも「災害の犠牲者を減らすためのデータ活用」「経営のサイエンス化」「法学のアルゴリズム化」と夢は尽きないらしい。
 時代の先を読み、「やんちゃ」と「温もり」の精神で挑戦を続けてきた喜連川さん。次のステージでのご活躍も期待したい。

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