Dec. 2018No.82

オープンアクセスへの道これからの学術情報流通システムを考える

Interview

オープンアクセスは電子ジャーナル問題を解決できるか

研究環境の改善に向けた京都大学の取り組み

 学術誌(ジャーナル)に研究成果を発表したり閲覧したりすることは研究者にとって必要不可欠だ。海外の大手出版社が提供する電子ジャーナルの価格高騰に加え、大学の運営費交付金の削減によって、学術誌が読めなくなる恐れが現実のものになりつつある。大学などの電子アーカイブ(機関リポジトリ)に論文を集めて公開するオープン化の動きは事態を変えるのだろうか。京都大学図書館機構長の引原隆士教授に聞いた。

引原 隆士

Takashi Hikihara

1987年、京都大学大学院工学研究科 電気工学専攻博士後期課程 研究指導認定退学。京都大学工学博士。関西大学を経て、1997年京都大学大学院工学研究科電気工学専攻助教授。2001年同教授、2012年より京都大学図書館機構長・附属図書館長。
非線形力学およびその工学的応用、パワーエレクトロニクス、電気エネルギーシステムに関する研究に従事。

滝 順一

聞き手Jun-ichi Taki

日本経済新聞社編集局編集委員
1956 年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入り地方支局や企業取材を経て、1980 年 代半ばから科学技術や環境分野を担当してきた。著書に「エコうまに乗れ!」(小学館)、共著に「感染症列島」(日本経済新聞社)など。

 電子ジャーナルの価格高騰が大学の研究に及ぼす影響についてどうご覧になっていますか。

引原 為替変動や出版社の寡占による定常的値上げなどから価格上昇が恒常化しています。一方で大学の運営費交付金が年々減っており、学術誌の購読料の上昇が大学の財政を圧迫しています。「大学図書館コンソーシアム連合(JUSTICE)[1]」が海外出版社と交渉し一定の成果をあげてはいますが、価格上昇に歯止めをかけるには至っていません。

 電子ジャーナルのパッケージ契約は、冊子体で購入していた際の価格を維持する価格設定で購読が始まります。このため、電子化する前に比べて多くの雑誌が読める利点がありました。 パッケージの値段が上がったら動的に契約を変え、価格の安い雑誌を積み上げて購読するということも考えられます。実際にそうしている大学もありますが、電子化でいったんは読めていた雑誌が読めなくなる不都合が生じます。

 また国立大学の法人化で各大学の独立した対応が基本となり、それぞれの契約内容を外に漏らせないことから、国立大学が一体となっての対応が分断された形です。しかも、https化でだれがどの論文をダウンロードしたのかが秘匿化され、学内でも捕捉できなくなりつつあります。利用の透明性が失われると、出版社との交渉や学内の部局間で購読費負担をどう割り振るのかの判断が難しくなります。

 学際的な研究が増すと、従来の購読誌だけでなく新しいジャーナルも必要になるでしょう。本当に必要なジャーナルは何か。だれがお金を支払うのがよいのか。疑心暗鬼になりますね。

引原 論文掲載料(APC=article processing charge)を払えば、オープン化して誰でも読めるようにすると出版社は言います。サイテーション(引用)を高めるためにはオープンにするのがいいと言われれば、研究者は自らの研究費からAPCを払うでしょう。大学からみれば二重に支払うことになります。大学や研究者はジャーナルに対する見方や財務運用を変えねばならないのですが、大学と研究者が分割統治されているシステムが見えないので、何が公正なのかがわかりません。変化についていくことができないのです。

pic_niitoday_82-1_3.jpg

 オープンアクセス(OA)はこの問題に対する答えになるのでしょうか。

引原 OAは、すでに公表されているものの購読者以外は読めない論文をオープンにするという形で進んできました。もっと広く言えば、科学の成果の共有や普及のために学術誌が読めない人たちにもオープンにし、科学を振興しようという科学本来の意味合いがあります。一つは、査読済みで、かつ雑誌に掲載される前の著者版の論文や出版社から許諾を得た論文を大学などの機関リポジトリに登録するやり方があります。

 もう一つは、査読前の論文(プレプリント)[2]をサーバーに上げてアクセス可能にする手法です。 雑誌のブランドの付加価値やサイテーション、インパクトファクター(IF)[3]などの指標を欲しがる研究者は、機関リポジトリやプレプリント・サーバーになかなか魅力を感じにくいかもしれませんが、科学コミュニティー全体のことを考えれば、広い意味でのオープン化が望ましいのです。

 京都大学は2015年4月に、「オープンアクセスポリシー(方針)」を採択しました。「研究者と研究を守り、新たな知を生み出す源泉を主体的に確保するため」にオープンサイエンスを展開すると謳っています。この方針を若い研究者は積極的に理解してくれています。13年から学位論文の電子公開が義務化されたことが大きく、オープンが当たり前という意識が生まれているのです。そうしたことから、毎年1 万報を超える論文がリポジトリに上がってきています。

 ポリシーをつくる契機は何だったのですか。

引原 国内11大学で組織する「学術研究懇談会(RU11)」で、改めて海外の電子ジャーナルの契約実態について調べることが要請され、2014年に米国に行きました。その際、OAについて米国の図書館関係者の、「ジャーナルが高価だからオープン化するのではない。研究者コミュニティーを再構築するためのオープン化だ」との言葉が印象的でした。OAによって、これまでつながりのなかった人がつながる。若い人が先輩の研究を学内だけでなくどこからでも見られるようにすると言う。考えてみれば、私が若い頃は研究会などで先輩研究者が配布するプレプリントを読んで勉強しました。今はそうした慣習が薄れている。OA はコミュニティーを見直すきっかけになると考えました。

 京大では、出せるものはできるだけリポジトリに出すとの方針で、コンテンツはすでに15万~16万件くらいに達し、これから6年間で21万件くらいを目標にしています。リポジトリの豊かさ、多様性ではアジアの大学でトップです。世界でも有数の機関リポジトリに育ちました。

 次は、出版社が研究の源流を押さえて商売するオープンデータに進むのは間違いないので、まずオープンアクセスにして論文が見えるのを前提として、オープンデータに進むには何を準備すればよいのかを検討中です。

 研究者の評価にもリポジトリが使えるのでは......。

pic_niitoday_82-1_4.jpg引原 図書館や機関リポジトリの機能は、研究者のサポートであって評価に使うことではありません。ポリシーは、出せるものは出しましょう、出したくなければ出さなくてもいいというオプトアウトを認める姿勢です。これを「出さねばならない」とすると評価になってしまうからです。京大には文系の教員もたくさんいて、理系と同じ土俵に乗せることはできません。オープン化は、文理を問わず互いの研究を見えるようにして、境界領域の学問を広げることも大きな狙いです。

 ジャーナルは伝統的に論文の品質確保と流通を担ってきましたが、そのあり方が変わってきたのですね。

引原 雑誌をただ電子化した段階ではジャーナルの名前が依然としてくっついており、出版社が情報を握っています。たくさんのジャーナルを傘下に収めた出版社がいわば数の論理で強くなった。サイテーションやインパクトファクターが独り歩きし、優れた論文が載るのが著名誌のはずが、著名なジャーナルに載ればよい論文だと転倒した論理が通用し始めた。学術情報の質の確保と流通をどうすべきか、本来は大学が考えるべきことでしょう。

 米国を見れば、ゲイツ財団は論文に相当するものをインターネット上に公開、レビューは専門家に委託する活動を始めました。グーグルは人工知能(AI)研究のプレプリント・サーバーを押さえています。ジャーナルの評価をあてにしないで、自分たちで判断しようと考える人たちが増えている。パラダイムが変わりつつあるのです。

インタビュアーからのひとこと

 引原先生は、「学生の時に論文を読むなと言われた」と話す。読むなと言うのは「流行りの論文」のことだ。流行を追うのではなく、論文は自分のテーマについて先人がどのような思索を重ねデータを集めてきたかを知るために読む ものだという。そうしたコミュニティーの基盤が薄れてしまったことに問題がありそうだ。

 論文の次は研究データである。論文の基になるデータをだれが集めて管理し公開するのか。議論はそこにつながっていくようだ。

第82号の記事一覧