Dec. 2017No.78

ネットワーク解析で世界を読み解くERATO「河原林巨大グラフプロジェクト」

Interview

数理の最先端を 「基礎科学」から「ビジネス」へ

プロジェクト参加の利点は数理に強い人材へのアクセス

NEC は、ERATO「河原林巨大グラフプロジェクト」がスタートした2012 年当初から当プロジェクトと協力関係にある。2 人の若手研究員をプロジェクトに参加させて いるNEC データサイエンス研究所 データマイニングテクノロジグループの酒井淳嗣研究部長に、官主導のプロジェクトに民間企業として関わることの意義を聞いた。

酒井淳嗣

Junji Sakai

日本電気株式会社(NEC)データサイエンス研究所 データマイニングテクノロジグループ研究部長

1994年京都大学大学院情報工学研究科修了、同年日本電気株式会社入社、携帯電話はじめ各種組込み装置向け並列ソフトウエアの方式設計、事業化推進に従事。2016年4月より現職、
データマイニング領域の研究戦略策定と部門運営を担当。

社会課題の解決にデータサイエンスを役立てたい

─NEC データサイエンス研究所は、どのような研究分野を担っているのでしょうか。

酒井 パターン認識や画像処理から、機械学習や最適化といった人工知能(AI)関連の研究まで一手に集める形で、2016年に設立した研究所です。AIでもメディアでもなく「データサイエンス」という名称を付けたことに、研究分野間の壁を取り払う意志を表しました。

 例えば、ある研究員は基礎研究の一環で新たなアルゴリズム

を開発して国際学会に挑戦し、ある研究員は顧客のデータを解析して問題を解決するなど、目標を一律に定めずうまくチームを組んで成果を挙げています。

─ERATO「河原林巨大グラフプロジェクト」への関わりを教えてください。

酒井 NECは、当プロジェクトのうち「グラフ・ネットワークにおける理論と最適化グループ」に、2012年ごろから研究協力などの形で参加してきました。NECの研究員である伊藤伸志、矢部顕大の2人が共同研究に関わり、その成果をまとめた論文は情報系のトップ国際会議論文に採択されました。2人は現在もプロジェクトの定期イベントなどに参加しています。委託研究や研究員の常駐ではなく、もっと緩い形でプロジェクトと連携しています。

img78-2-1.jpgNEC 研究員の伊藤伸志さん。矢部顕大さんとともに、ERATO「河原林巨大グラフプロジェクト」に参加している

─なぜ、参加をしようと思われたのですか。

酒井 NECの事業の主軸は、コンピュータやネットワークなどの開発から「社会の問題を解く」こと、つまり社会ソリューション事業に移りつつあります。

 現実の問題をデジタル化して数理的に捉え、アルゴリズムを通じて最適化し、制御する。その成果を、例えば生産設備や物流の無駄をなくすといった形で社会にフィードバックする。これらを実現するには、我々のようなIT企業にも数理分野の基礎力が求められます。

 また、NECは古くからデータサイエンス研究を手がけています。郵便番号の文字認識から始まり、画像のパターン認識、今も続く顔認証技術などの成果を挙げてきました。データサイエンスはここ数年来、コンピュータやネットワークに代わるITの新たな競争領域になっており、NECはこの領域で強みを発揮したい。アカデミア(学術界)との共同研究は、基礎力の底上げにとって貴重な機会になると考えました。

 当プロジェクトはアカデミアの世界から研究員が数多く参加しており、議論を通じて有用な知見が得られます。グラフを中心とする離散数学のアプローチや、予測値のぶれ幅を知るロバスト最適化などの基礎研究に立ち返り、社会やビジネスに寄与するアルゴリズムを検討できるのは、大きな魅力です。

先端研究への土地勘を養い、研究戦略に活かす

─当プロジェクトへの参加を通じ、具体的にどのような分野で成果を期待しているのでしょうか。

img78-2.jpg
NEC 研究員の矢部顕大さん

酒井 我々はここ最近、「予測最適化」の研究を進めています。実世界を見える化した上で、将来を予測し、望ましい未来を実現する最適化の計画を立てるものです。

 このうち未来予測について、NECは4年ほど前から「異種混合学習」などの予測技術を開発してきました。しかし、予測に基づく最適化の研究領域は発展途上で、まだビジネスに使えるかは見通せません。

 例えば小売店であれば「顧客はどれくらい来店するか」「どの製品がどれくらい売れるか」といった未来予測については、過去のデータに基づく機械学習などを通じ、一定の精度で算出することができる。

 これに対して、一連の予測に基づいて「どの商品をどれほど仕入れ、棚に並べれば利益を最大化できるか」を計算し、行動計画を立てる最適化の問題は、一筋縄ではいかないでしょう。一方の商品が売れれば他方が売れないなど多数のパラメータが複雑に絡み合うため、現実的な時間で解くことが難しくなるのです。

 プロジェクトへの参加を通じ、アカデミアの世界で活躍する方々と意見交換することで、数理アルゴリズムなど最先端の研究について「土地勘」が得られます。そうすれば、最適化の問題に挑む研究戦略の方向性について、より適切な判断を下すことができる。これが、企業としてプロジェクトに参加する大きな意義です。独自のアルゴリズムを開発するうえでも、大きな助けになると期待しています。

基礎と応用の橋渡しができる人材を求めて

─民間企業として、どのような人材を社内研究員として求めているのでしょうか。

酒井 企業の研究開発の現場で最も不足しているのは、最先端の数理研究の論文を読みこなし、キャッチアップした上で、現実の課題に適用できる人材です。社会やビジネスの問題を数理の問題に翻訳し、アカデミアと意見を交換しながら、問題を解く糸口を見つける。こうした応用と基礎の橋渡しを担える人材は大変貴重です。

 実は、先に言及した2人の若手研究員は、もともと修士課程で河原林巨大グラフプロジェクトに関わった後、NECに入社した人材です。「アカデミアで学んだ数理の知見を世の中の役に立てたい」との強い熱意を持ってくれている。こうした数理に詳しいトップ人材は一般的な求人活動で採用するのは難しい。プロジェクトへの参加は、数理に精通した人材にアクセスできる点でも大きな意味があります。

 あるビジネス案件で問題を解決したアルゴリズムが、全く異なる業種の問題に応用できることもあります。そこで、研究員には常々「One to Many」と呼びかけています。現実の問題を1件解いたら、広く展開できる汎用的なソリューションに発展させてほしい、という意味です。幅広い問題に応用できる数理的な手法を見いだし、NECのソリューションとして展開できれば、より多くの顧客に貢献できます。

 とはいえ、最先端のアルゴリズムをいち企業がクローズドな形で開発できるとは考えていません。アカデミアとの議論を踏まえながら、オープンに開発していく。開発したアルゴリズムを現実の問題に応用するための周辺技術については独自開発し、特許で固める、パッケージ化するなどの方策があり得ると考えています。

(取材・文=日経BP 浅川直輝 写真=佐藤祐介)

写真 ERATO 感謝祭 Season IV (2017.8.3 - 4 於 一橋講堂2F 中会議場)
提供:JST ERATO「河原林巨大グラフプロジェクト」

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