Dec. 2015No.70

クラウドソーシング/クラウドセンシング群衆の力を科学に活かす

Article

実世界データ間の隠れた構造を探る

価値創造と市民科学の醸成を目指す

気象防災、外来種対策、文化遺産アーカイブ、東日本大震災の記憶……。専門家の収集したデータや従来の観測データだけではなく、一般人から提供されるデータも活かすことで、これまでは見えなかった世界が姿を表す。画像処理や大規模データ活用技術、そして市民科学を活用して多様なテーマに挑み、新たな世界を拓こうとしている北本朝展准教授に話を聞いた。

北本朝展

KITAMOTO Asanobu

国立情報学研究所 コンテンツ科学研究系 准教授/総合研究大学院大学 複合科学研究科 准教授

意識向上や学習機会の獲得

 金融業は装置産業といわれてきた。主な装置はICT である。当初から続くのが、バックシステムと呼ばれる、約定データを受け取り財務諸表を作成するシステムで、さらに市場や顧客とのチャネル、経営・リスク管理やマーケティング支援、それらを結ぶハブなどで「装置」を構成している。1970年代までは実体経済と金融市場が寄り添っていて、大切なことは決済や現金取引を遠隔的に即時、大量に扱うことであった。言い換えると、金融で扱われる情報は、売買や融資に伴う「私秘性」を持ち、実体経済という「重力」が作用していて、「装置」はそうした私秘性や重力を切り離した「データ」を電子的に処理するものだった。

 その後、ロンドン証券取引所の改革から始まった実物資産の証券化や金融の価格、業務分野、商品設計、対外取引の自由化後、金融市場は実体経済の幾層倍もの規模になっている。証券化や自由化へのICT の貢献は、「装置」の地球規模のネットワーク化が実現して金融取引データのやりとりから空間や時間の制約を取り除いたことと、もともとは情報にまつわるリスクのヘッジを目的とした金融工学を高度化したことといわれる。データ処理の高速さと数理的な難解さが、擬似的な私秘性を生み出したともいえよう。

 そして、金額と付随する条件だけという金融商品の性格と、リアルタイムで切れ目のない処理に対する要求から、金融取引は総じて自動化やセルフサービス化が進んできた。またICT は資産運用力や新商品開発力の強化を助け、堅牢さに加えて柔軟さを持つバックシステムは金融システムが提供する中核機能が分散し各金融機関から自立するのを促した。

 すると、e ビジネスの流儀で、ほかの業界と同様、周辺的な領域にICT を利用して新しいビジネスモデルを持ち込む新規参入者が現れる。最近では、そうした新規事業者が始めた金融サービスへの、従来の利用者の期待とは異なる期待に対応する、仮想通貨や個人の資産管理などのFinTech が注目されている。

 これから先、周辺的な仮想通貨が中心的になるかもしれない。その場合、いろいろな時間と空間の制約が取り除かれ、過剰流動性を保ったままグローバルな金融取引の中心が仮想空間に移っていくのだろうか。むしろ、IoT(Internet of Things)やCPS (Cyber Physical System)を活用した新しい生産・物流の登場とともに擬似的な重力が生み出されて新しい実体経済となり、従来の投資対効果などとは異なる新たな企業経営の目標を持つというほうが、情報学のテーマも増えて面白そうだ。

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 台風を観測した気象衛星画像データベース、そして台風の動きと台風について書かれたブログ情報を合わせて示せる「デジタル台風」。ユーザ参加型台風情報サイト「台風前線」。シルクロードの文化遺産を自由に組み合わせて仮想的な展示を作成・公開したりオリジナル絵はがきとして印刷したりできる体験型デジタルアーカイブ「遷画~シルクロード」など、北本准教授が手がけてきたプロジェクトは多岐にわたる。

 共通点は「実世界データを使って価値を生み出す」点だ。実世界データとは、現実と結びついている生データのことだ。加えて、北本准教授は一般から寄せられる非構造化データも含めて、これまでにない価値ある情報を生み出し、メディアとして示そうとしている。たとえば「GeoNLP」プロジェクトでは、テキストから地名を自動的に抽出して、位置に紐付ける研究を進めている。さまざまな場所ごとに情報を振りわけることは、とくに災害時においては、人々にアクションを起こしてもらうための重要なステップとなる。北本准教授は、情報を単に見せるだけで終わるのではなく、人々の行動につながるメッセージやストーリーを伝えるメディアを目指しているのだ。

 では、一般の人からのデータは何の役に立つのか。もちろん「既存センサーの劣化版では意味がない」。たとえば降水量は既存のセンサーを使えばわかる。だが、実際に降っているのが雨なのか雪なのかは直接知ることができない。現在は地表の気温から予測して情報を補っている。しかし、「雪が降り出した」「みぞれが降っている」などの一般の人の声をSNSで拾って地図上にマップして時系列で追うことができれば、これまでにない情報が得られる。

 参加ツールも開発している。「メモリーハンティング」は以前撮影した写真と同じ位置・同じアングルで写真を撮影するためのスマートフォン用カメラアプリだ。もともとは「ディジタルシルクロード」で古写真の撮影場所を探すために開発されたツールである。同構図の写真が撮影できるアプリを使うことで定点観測が容易になる。衛星をはじめとした定点観測と既存センサーによる地上観測に加えて、より広い、あらゆる範囲から情報を得ることができる。

 ただし、市民科学は単なるデータ収集のための装置ではないと北本准教授は語る。クラウドソーシングは仕事を完遂することがミッションだが、市民科学において参加者となる市民たちはワーカーではない。協力者だ。彼らにとっても学習や教育の機会となり、周囲の事物に対して意識が向上し、世界を見る解像度が上がる。そして全体を考えることができるようになれば価値がある。

重要なのはゴールの共有
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 典型的な市民科学プロジェクトは、北海道での外来種の防除プロジェクト「セイヨウ情勢」だ。市民参加型モニタリングを重視しており、外来種のセイヨウオオマルハナバチというハチの捕獲・目撃情報を公開している。現地では講習会でハチの捕獲法や刺されたときの対策なども伝えており、捕獲結果を集めてハチの侵入状況を地図上で示す。生態学の研究者はこの情報を使ってハチの広がり方や土地利用のあり方を考えることができ、市民側は外来種問題に対する意識が高まる。

 重要なことは、市民を巻き込めるような人がいるかどうかと、プロジェクトの目的が共有されるかどうか。「共有できるゴールがないと参加してもらえない」という。「セイヨウ情勢」の場合は生態系を守ることだ。このほか、「メモリーハンティング」の同構図撮影の仕組みを応用して、雪の状況を市民参加型で観測するプロジェクトを、この冬に札幌で行うことを計画している。 ただし、目的が防災となると、目的は共有しやすいものの、参加する市民がやる気を持続するのが難しいという課題がある。季節変化として桜の開花を観察するように、短期間で大きな変化が生じる現象を観察するのは楽しいが、防災の場合、ほとんどの時間が平常時で何も起こらないため、災害に備えるための観察という目的が忘れられやすい面があるのは否めない。

 そうした中、北本准教授が市民の声を使って観測できることとして着目しているのが、感情のセンシングだ。感情は客観的ではない。だが、人を通さないと得られない。たとえば川の水位や勢いがどのくらいかといった情報は既存センサーから得られるが、それが住民にとってどのように感じられているのかは、人を通じてしか得られない情報だろう。

新しい研究のやり方を提案する

 実世界データを扱う研究ならではの難しさもある。たとえば気象学と情報学とでは研究アプローチが異なる。北本准教授らは情報学の手法で過去データを扱って、今の意思決定にどう使うかという視点で研究を行っている。だが気象学者たちは、そういう研究はあまりしない。気象現象それ自体に興味があるからだ。

 しかし、コラボレーションは必要だ。情報学の研究者だけではデータの意味を読み解くことに限界がある。「情報学に閉じた研究として考えるのはもったいないし、気象学と一緒にやるなら共通テーマを見つけないといけない」境界を越えて進むことは容易ではない。互いにまったく新しい研究アプローチを進めることになるからだ。しかし、境界を越えないと、本当に面白いことはわからないという。 そうした中で情報学にできることは、「新しい研究のやり方を提案することではないか」と北本准教授は語る。

 オープンサイエンスや市民科学は、相互理解を進めつつ、互いに新しい可能性を手探りで模索する試みでもある。

(取材・文=森山和道 写真=小山一芳)

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