Dec. 2015No.70

クラウドソーシング/クラウドセンシング群衆の力を科学に活かす

Interview

クラウドソーシングが社会を変える

メリットと普及に伴う課題とは?

世界のインターネット人口は約32億人。膨大な数の人びとがつながる環境は経済、社会に変革をもたらす。雇用、働き方も例外ではない。ネットを通じて仕事を外注したい企業と、受注したい人を結びつけるクラウドソーシングは世界的な潮流だ。企業組織、イノベーションにどう影響するのか。英オックスフォード大学インターネット・インスティチュートのリサーチ・フェロー、Vili Lehdonvirta 博士に聞いた。

Vili Lehdonvirta

オックスフォード大学インターネット・インスティチュート リサーチ・フェロー/DPhil プログラム・ディレクター。博士(経済社会学)。バーチャル・エコノミー、オンライン・ワークなどを中心に、新しい情報技術のもたらす社会・経済的意義に関する研究を行っている。2010-2011年 東京大学大学院情報学環客員研究員、2006-2008年早稲田大学理工学術院 客員大学院生。

村山恵一

MURAYAMA Keiichi

1992 年日本経済新聞社入社。産業部で情報通信やエレクトロニクス、自動車、金融などを取材。シリコンバレー支局、電子報道部などを経て2012 年4 月から編集委員。15 年4 月から論説委員を兼務。現在の主な担当分野はIT、スタートアップ。

村山 日本でもサービス運営会社が株式を上場するなど、クラウドソーシングが地球規模で浸透しつつあります。

Lehdonvirta 私自身がデジタルレーバー(労働)、つまりクラウドソーシングの研究を始めたのは2010年です。一口にクラウドソーシングと言ってもさまざまです。ここでは企業のためのクラウドソーシングをとり上げましょう。比較的簡単な作業をアウトソーシングしたり、R&D(研究開発)に活用したりと多岐にわたります。数十年間の幅で眺めてみると、日本のように経済の発展した国々では、これまで安定的、永続的だった雇用のあり方が揺らいでいます。雇用期間は短くなる傾向にあり、契約型のフレキシブルな雇用が増えてきました。国際化や貿易の自由化などで、グローバル競争が激しくなっています。競争に勝ち残り、株主価値を高めるため、企業は新たな雇用形態を模索しています。

村山 クラウドソーシングが広がる背景には、技術的な要因もあるのではないですか。

Lehdonvirta インターネットのスピードや品質が向上しました。フリーランサーとしてオンラインで働き生計を立てている127人にインタビューしたことがあります。フィリピン、マレーシア、ベトナム、南アフリカ、ケニア、ナイジェリアといった途上国の働き手です。つまり、こうした国々にもインターネットやモバイルというインフラが普及し、クラウドソーシングが可能になっています。ただ、軽々と国境を越えるクラウドソーシングには問題もあります。国内で完結する雇用であれば、それぞれの政府が法律などで労働者を保護することができますが、クラウドソーシングではそうはいきません。ある国が別の国に対して自国と同じような労働契約を要求するのは容易ではなく、そもそも働き手が匿名で特定できない場合もあります。詐欺やごまかしなど、身勝手な振る舞いが横行しかねない面があります。

村山 どうすればいいのでしょうか。

Lehdonvirta 現時点で有力なソリューション(解決策)は、レピュテーション(評判)システムと呼ばれるものです。ネット競売の米イーベイ(eBay)がまず本格的に導入したしくみで、参加者がお互いを評価することで、クオリティーを保とうとの発想です。ただ、一見わかりやすいシンプルなしくみですが、難しさもあります。仮に受けたサービスに満足しなかったとしても、相手に低い評価をつけて「仕返し」されては困ると考え、本音とは異なる最高評価の星5つをつけるといったことが起きるのです。持ちつ持たれつの構図というわけです。馴れ合いの評価ではなく、本当の評価をいかに引き出すか。ここに課題があります。すでに多くのレビューがなされ、高い評価を受けている人に対抗して、ゼロから評価を積み上げていくのも容易ではありません。個人の間に格差が生まれる構造です。クラウドソーシングはしくみ全体に改善の余地があり、望ましいルールを考える必要があるのです。

村山 クラウドソーシングは企業の姿をどのように変えるでしょうか。

Lehdonvirta インターネットの普及によって、人を雇用するコストの構造が大きく変化しました。いままでの階層的な雇用システムに代わり、ネットワーク型の雇用がしやすくなり、結果的に企業は小さくなるとの指摘もあります。ただ、企業組織にはいろいろな存在意義があります。アイデンティティーを実感したり、ビジョンを共有したりすることで、モチベーションを高めることができます。組織でなければ起こせない作用があるのです。ですから、全員がフリーランサーという事態にはならないだろうと考えます。

村山 企業にとってより重要な機能であるR&Dにクラウドソーシングを使うことが当たり前の時代が来るでしょうか。

Lehdonvirta R&Dにクラウドソーシングを活用するいちばんのメリットは、オープン・イノベーションの効果です。ふつう企業の能力は社内に抱える人員の能力に縛られますが、インターネットを使えば、原理的にはすべての能力にアクセス可能となります。均質な人の集まりより、多様性のある人の集まりの方が、いろいろな考え方を得られます。ただし、注意が必要なのは、企業が外部からとり入れた技術やアイデアを吸収し、有効活用できるかどうかという点です。たとえば、生産性を10%高めるためのアイデアなら、既存の設備や手法の手直し程度で実現できるでしょうが、画期的なアイデアであればビジネスモデル全体の変更が必要になります。そもそも、オープン・イノベーションですべて変えてしまえばいいという単純な話ではありません。企業はビシネスモデルを刷新するようなイノベーションによって将来の顧客を獲得するだけでなく、現在存在している顧客にも対応しなければなりません。いまの顧客と将来の顧客。両方を見すえたバランスが重要なのです。

村山 日本でも価値観が多様化し、さまざまな働き方が受け容れられる素地ができてきました。クラウドソーシングが選択肢に加わったことを前向きにとらえていいように思いますが。

Lehdonvirta 選択肢が増え、望ましいようですが、やはり、ここにも複雑な問題があります。ビューロクラシー(官僚制)のできあがった会社というと否定的な印象がありますが、ある意味では公正な組織ともいえます。それは、そうした企業内では「能力、技術を身につければ、性別や人種にかかわらず昇進できる」といったルールをつくり、差別を減らすことができるからです。一方、クラウドソーシングのように市場の自由に委ねる場合、差別が生まれるおそれがあります。現に、配車アプリの米ウーバーテクノロジーズ(Uber Technologies)では、黒人ドライバーに対する評価が低くなりがちとの見方があります。タクシー会社ならそうした差別を社内ルールで抑制できるでしょう。市場に任せることのリスクは見逃せません。まだまだ研究が必要なのです。

(写真=秋山由樹)

インタビュアーからのひとこと

働き方に対する個人の多様なニーズにこたえることができ、企業のイノベーションの起爆剤にもなり得る。クラウドソーシングが大きな可能性を秘めているのは間違いない。しかし、Lehdonvirta 博士が繰り返し主張するように、そこには新たな問題、課題も潜む。慎重に状況を見極めながら、クラウドソーシングを使いこなしていく知恵をわれわれは求められている。

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