Dec. 2021No.93

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Essay

暗闇の中での対話

INAMURA, Tetsunari

国立情報学研究所 情報学プリンシプル研究系 准教授
総合研究大学院大学 複合科学研究科 准教授

 「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というイベントはご存知だろうか? 視覚に障がいを持つ方々が体験する日常生活を、健常者も同様に体験することができるものである。一切の灯りがない暗闇に設置された公園の中を散歩したり、店舗で買い物をしたりする。この状況に放り込まれると、聴覚、特に触覚の感覚が研ぎ澄まされ、感覚と行為の関係性が脳内で高速に再構築されている感覚が得られる。

 また、感覚の鋭敏化とは別に、もう一つの気付きが得られる。他者の存在の重要性だ。一人では何も行動ができないため、健常者でグループを構成し、視覚障がい者をリーダーとして暗闇の中を進む。聴覚、触覚等によって感じる対象は物体・環境ではなく、他 者だ。公園に流れる小川に落ちないように先に進む者が後の者に声をかける。店舗では、何が陳列されているのか分からないので、店員役の視覚障がい者の方に質問をして手渡してもらう。もちろん壁にぶつからないように物体に対する感覚を研ぎ澄ます必要があるが、ほとんどの注意の対象は他者の存在である。このイベントの名称が「ダイアログ」から始まっている理由が、暗闇の中で初めて腑に落ちる。

 人間はこのように激変する状況に対して高度な適応能力で対処することができる訳だが、ロボットだったらどうなるのだろうか?と、研究者視点にスイッチを切り替えながら暗闇の中を歩く。カメラが破損した場合、恐らくロボットは別のセンサーを用いて世界のモデルを再構築し始めるだろう。カメラが使えていた時に学習した世界のモデルを用いて、距離センサーを元に映像を再現する事も可能であろう。暗闇の中でも器用に動き回るロボットが想像される一方で、積極的に対話し始めるロボットの姿が想像できない。対話をしなくても何とかなるからだ。

 パンデミックという暗闇の時代の中、人類は対面コミュニケーションというモダリティを失った。他者の声は聞こえるし、存在していることは理解できるが、顔写真のアイコンが存在感の具現化を阻む。普段、握手やハグを頻繁にしていた訳ではないが、肌感覚の喪失感がこみ上げる。暗闇に対抗する手段である代替の感覚モダリティが存在せず、工夫を凝らしているものの決定打が見つからない。そして、この困難に手を差し伸べるのは、皮肉にも対話を必要としないロボットかもしれない。

 近年のAIの自然言語処理能力の向上は目覚ましい。しかし依然として、身体に根ざした感覚モダリティ・体験と言語処理系を結びつけ、対話を実現するにはさまざまな課題が立ちはだかっている。その一つが「他者」の存在感・必要性ではないか。他者を必要とするような弱いロボットが、人間にとって強い味方になり、暗闇に対抗する手段になるかもしれない、と妄想しつつ、今日もwebカメラごしに暗闇の中を手探りしながら対話をする。

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