Mar. 2021No.91

NII Research Data Cloud 本格始動へオープンサイエンスを支える研究データ基盤

Essay

大学間ネットワークのあけぼの

Adachi Jun

国立情報学研究所
副所長

 NIIの20年史「国立情報学研究所二十年の歩み」をまとめるなかで、 SINETこそがNIIから大学への最大の貢献である、という思いを抱きました。そのなかでぜひ書き残しておきたいのが、大学間ネットワークの黎明期のことです。

 1970年代にすでに現在の学術情報基盤の萌芽といえる構想がありました。その実現のために科研費により大規模な共同研究が次々と行われました。初代「お茶の水博士」の島内武彦東京大学大型計算機センター長が代表を務め、北川敏夫先生などがリーダーシップをとった特定研究「広域大量情報の高次処理」(1973年~)をきっかけに、「学術情報システム」構想が生まれました。1976年からの特定研究「情報システムの形成過程と学術情報の組織化」では島内先生、次いで猪瀬博東大大型計算機センター長(後の初代NII所長)が代表を務め、ここで浅野正一郎先生を中心にコンピュータ間を接続する方式としてN-1プロトコルが開発されました。

 これが実際に稼働し始めたのは1979年で、当時の東大大型計算機センターの鷹野澄先生が運用開発の中心となり、筆者も大学院生として接続実験の下働きを少し手伝いました。この通信方式はARPANETのTCP/IPに対し、CCITTが標準として定めたパケット交換X.25をネットワーク下位三層として使うものでした。ところが、7大学の大型計算機センターをつなぎはしたものの、通信料金をどのようにまかなうかという頭の痛い問題が出てきたのです。1980年から始まった日本電信電話公社のDDXパケット交換サービスでは1パケットが1円もして、これを大型計算機センターと利用者が折半するという暫定料金案で始めたのですが、利用が拡大する気配はありませんでした。

 1984年に大学図書館を接続して図書の目録システムを動かし始めても、通信料金は悩ましい問題でした。翌年、文部省の学術情報課長に大変元気 の良い西尾理弘氏が着任し、大学共同利用機関の学術情報センターを創設するという話をぶち上げました。筆者らは西尾氏の勢いに押されるようにしてセンター創設の概算要求を書き始めました。その議論のなかで当時助手だった橋爪宏達先生が「NTTがサービスを開始した光ファイバーの高速デジタル回線とX.25交換機を全部買ってしまおう」というアイデアを出し、とんとん拍子で実現したのです。これが従量制料金などの心配がいらない自営網のSINETのルーツです。

 筆者が米国に滞在していた1986年に元Bell研のJohn Pierce先生にお目にかかった折、「日本ではT1ではなくX.25で専用網を作り始めた」と自慢したら「あんなややこしいやり方でスピードがでるのかな?」と言われました。どうやら256kbpsくらいがやっとだと後で知って少しがっかりしました。その後、この学術情報ネットワークはCSNETとBITNETの国際電子メールに接続したほか、JUNETへの回線の提供、ATMの導入と凋落など、さまざまな紆余曲折を経ました。しかし21世紀に入ってNIIに引き継がれ、高速性と信頼性を高いレベルで具備したSINETとして確実な地歩を築くことができました。

 改めて、この文章で使った通信用語のほとんどがすでに忘れ去られたことを思うと、万感の思いです。

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