Sep. 2016No.73

CPS実社会×ITがもたらす未来

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九州大学 人間行動のセンシング電力削減

カメラ、ICカード、スマートフォンで可視化する

九州大学では、コンピュータービジョンを専門とする谷口倫一郎教授の研究室に在籍する二十数人の学生らを対象に、人間の行動をモニタリングするプロジェクトを実施している。各種センサーで把握した人間の行動様式に基づいて個人の電力消費量を算出し、そのデータから電力を節約する効率的な方法を探る。人間行動センシングの可能性について、谷口教授に聞いた。

谷口 倫一郎

TANIGUCHI Rin-ichiro

[九州大学大学院システム情報科学研究院 教授/国立情報学研究所 客員教授]
1980年、九州大学大学院工学研究科情報工学専攻修士課程修了。1986年工学博士。同大学院 総合理工学研究科助教授を経て、1996年にシステム情報科学研究科(現研究院)教授。2011年から同大学院システム情報科学研究院長、システム情報科学府長(2013年度まで)、2014年から九州大学情報基盤研究開発センター長。画像・映像の自動認識・理解のモデル化と、そのコンピューターシステムによる実現(コンピュータービジョン)を手掛ける。

人間単位での省エネ化

 「省エネや電気代の節約に、情報技術がどこまで役に立つかを突き詰めたい」。プロジェクトを始めた理由について、谷口教授はこう語る。

 消費エネルギー削減の取り組みには、都市全体、あるいは、ビル単位のエネルギー利用の効率化などさまざまなアプローチがある。谷口教授が目指すのは、最小単位である「人間一人ずつの省エネ」だ。

 「1日の人間の細かな行動様式の差が、電力の消費量にどのような影響を及ぼすかを『見える化』することで、人間単位でエネルギーを削減する知恵が出てくると考えました」

 今回のプロジェクトでモニタリングの対象となる二十数人の研究室内での行動を観測するため、谷口教授は三つの異なる技術を組み合わせた。室内カメラの映像解析、ICカードを使った入退室管理、そしてスマートフォンのWi-Fi機能を使った位置推定である。

 まず、魚眼カメラを研究室の天井に設置し、画像認識技術で在室者の動きを追跡できるようにした。この画像分析の結果に、ICカードによる入退室管理の情報を組み合わせることで、特定の人物について「部屋に入る」「席に座る」「パソコンを使う」「会議用スペースに入る」といった行動を継続して把握できるようになる。カメラがカバーしない領域では、スマホのWi-Fiアクセスポイントの情報で位置を推定している。

 「実際に社会へ実装する際にはプライバシーへの配慮が必要となりますが、今回は大学内ならではの研究として、どこまで個人の行動把握を突き詰め、消費電力を計測し、削減できるかを知ることを目指しました」と谷口教授は言う

 人間の行動に伴う消費電力量を推定するため、研究室には電流値を計測できるスマートコンセントを設置した。これでパソコンや冷蔵庫、エアコンや個人用照明の消費電力を測定している。パソコンは個々のユーザーの消費電力にカウントされ、冷蔵庫は使用する人で等分、エアコンは在室時間に応じて案分する形となる。

 谷口教授らのチームが人間の行動を安定的に計測できるようになったのは、ここ1年ほどのことという。「特に、複数台のカメラの情報を統合し、人の位置を把握するのは想像以上に難しかった」と谷口教授。カメラによる人間の認識では、部屋を背景とした上で、その背景と異なる領域に「人間がいる」と判定する。しかし、背景は照明のオンオフなどで変動するほか、朝日が窓から入れば大きく変わってしまう。こうした部屋ごとの特性を反映させるのに手間がかかったという。さらに、複数のカメラに同時に映った人物を同定し、切れ目なく追跡することも難易度が高かった。

 「チームには、センシング技術、ネットワーク、可視化、機械学習などの専門家がそろっていました。このチームワークでプロジェクトを進めることができました」

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行動を変えてピーク電力を減らす

 個人ごとの電力の使い方がわかると、全体の消費電力量や電気代を減らす方策も見えてくる。特に、消費電力量は総量をコントロールしにくい一方、ピーク電力は「電力の使用時間をずらす」などで比較的コントロールが効く。ピーク電力を減らせば、社会全体でみれば電力設備の総量を減らすことができ、組織体レベルで考えると契約プランの変更で電気代を抑えることができる。

 ピーク電力の削減に向け、谷口教授は二つステップを踏んだ。

 第一段階では、個人に「研究室の中で消費電力量が三番目に多い」といった情報を伝える。単に総消費電力量を伝えるよりもわかりやすく、生活パターンの変化が期待できるとみるからだ。

 第二段階では、実際に生活パターンを変えてもらう。まずは「30分早く研究室に来て、30分早く帰る」といった活動のシフトを提案して、ピーク電力量の削減につなげる。

 ただし、個人の実情にそぐわない無理な提案では実効性は上がらない。このため「1時間半のシフトは難しいが、30分のシフトなら許容範囲だろう」といった、提案する行動をどうデザインするかが重要になるという。

 今回のプロジェクトでは、電気代を減らすことは一つの大きな目標だが、それを目指すことで学業や研究などの活動が減っては本末転倒だ。

 「『家でただ寝ている』のが最も省エネになるのですが、それでは意味がありません。大学でのアクティビティーを保ちながら、いかに消費電力を減らせるか。今年度中にはある程度の成果が出る見込みで、どのような結果が出るか楽しみです」

 谷口教授は今後、人間の行動様式や消費電力パターンをよりきめ細かく把握することで、より精緻な提案を行えるようにするという。

行動センシングを農業にも応用

 谷口教授はプロジェクト終了後も、人間行動のセンシングの研究を継続するという。

 現在は、人間行動のセンシング技術を農業ITに応用する実験を並行して行っている。ビーコン情報で人間の位置を特定し、スマートフォンの加速度センサーから特徴的な動作を識別して「トマトの実をはさみで収穫する」「トマトの葉っぱを引き抜く」といった動作をセンシングする。こうしたデータの蓄積を通じ、質の高い作物を作るノウハウを抽出する。

 これまでの農業ITの試みでは、実行した農作業をいちいちパソコンやタブレットで入力する必要があった。行動を自動的に取得できれば、農業ITを導入するハードルは大きく下がる。

 人間行動のセンシングは、省エネや農業に加えて、医療、介護など、さまざまな業態に応用できる可能性がある。谷口教授は今後も、人間行動センシングがもたらす可能性を追究する考えだ。

(取材・文=浅川直輝/写真=佐藤祐介)

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