May. 2015No.68

東京オリンピック・パラリンピック特集 Vol.1情報学が貢献できること

Article

幻肢痛リハビリシステム構想

没入型バーチャルリアリティをリハビリに活かす

欠損した四肢があたかも存在するかのように感じる症状を「幻肢」という。幻肢の感覚は人によって違い、主観的に動かせることもあれば、まったく動かないこともある。「幻肢痛」とは、幻肢が痛む症状だ。ヒューマン・ロボット・インタラクションの研究を行っているNIIの稲邑哲也准教授は、2014年夏から科学研究費補助金 新学術領域「脳内身体表現の変容機構の理解と制御」の一環として、バーチャルリアリティ(VR)を活用した幻肢痛のリハビリに関する共同研究を本格的に始めた。

稲邑哲也

INAMURA Tetsunari

国立情報学研究所 情報学プリンシプル研究系 准教授 / 総合研究大学院大学 複合科学研究科情報学専攻 准教授

ない腕が痛む「幻肢痛」の治療に、VRを活用する

 幻肢痛は欠損した四肢が痛む症状だ。ないのだから普通の治療法では治せない。

 米国の神経科学者ラマチャンドランらは、ミラーボックスを利用した手法で幻肢痛を軽減することに成功した。箱のなかに健常な腕を入れ、箱内に立てた鏡に映し、鏡像が欠損側の幻肢と重なるようにする。そして鏡像を、幻肢を動かしているかのように被験者に見せる。あたかもなくなった腕が動いているかのように見せることによって、幻肢痛が軽減することがあるという。視覚フィードバックによって脳内の身体イメージが再構築されることによる効果だと考えられており、ミラーボックスは幻肢痛だけではなく片麻痺のリハビリにも用いられている。

 しかし、モバイルセンシングで得る情報はプライバシーに関わるため、ユーザーにデータを提供してもらうためには、データの提供と引き換えにメリットを与えるような仕組みづくりが必要となります。その仕組みを組み込んだサービスを利用してもらい、データを取得し、社会の価値や個人の利益につなげていく。私は、そのような仕組みづくりを含めて、データ取得のサイクルを回していくことがモバイルセンシングだと考えています。

 現在、観光庁とモバイルセンシングを活用した外国人観光客の動態調査を行っていますが、そこでもサービスの中にモバイルセンシングの仕掛けを組み込んでいます。

 だが欠点もある。鏡を使っているので対称な動きしかできないのだ。一方、幻肢にはさまざまな症例がある。普通の腕だけではなく、肩の先からいきなり手が生えているような幻肢像を持つ人もいる。ミラーボックスでは適用できる症例に限界があるのだ。

 VRで視覚像を提示できれば、任意の動作が可能だ。被験者が主観的に感じているのと似た幻肢像を提示することもできる。

幻肢痛治療を通じて、脳内の身体表現の実態を探る
img72-5-2.jpg
img72-5-2.jpg
稲邑准教授が、東北大学の出江紳一教授らと開発した
システム。没入型のヘッドマウントディスプレイを
つけて、残っている側の腕を動かすと、欠損した側
にもCGの手が出て動く。

 稲邑准教授が、リハビリテーション医工学の専門家である東北大学医工学系研究科の出江紳一教授らとの共同研究として開発中のシステムでは、被験者は没入型のヘッドマウントディスプレイをつける。残っている側の腕を動かすと、欠損側にもCGの手が出てきて動く。CGなので、被験者やリハビリプログラムに合わせて、どんな手でも出せる。今は、患者が主観的に知覚している幻肢と同じような幻肢をCGとして提示できるシステムをつくって、基礎的なテストをしている段階だ。

 現在は、ジェスチャーを認識する簡易なデプスセンサーを使っているが、将来的には高精度に動きを計測できるモーションキャプチャーシステムを用いて、よりリアルな動きができるようにする予定だ。下半身など腕以外の幻肢にも対応できるように拡張する予定もあるという。5年後を目処に、臨床実験を経て実際にリハビリに使えるものにすることを目指している。

 このシステムの目的は、リハビリだけではない。脳内の身体表現の実態を探ることも研究目的の一つだ。

「どういう感覚情報が身体保有感や運動主体感に影響を及ぼすのか。脳内身体表現がどういうメカニズムから生まれて変化していくのかを探っています」

 運動主体感とは「身体運動を自分がつくり出している」という感覚のことだ。その感覚と身体表現は密接に関わっていると考えられており、そのための切り口の一つが、ない腕を感じたり、動かしたりする幻肢なのだ。

 そのため開発中のシステムでは、動きのタイミングなども変化させることができる。おおよそ0.3秒~0.5秒程度遅れると、違和感を感じるそうだ。だが、見た目に関しては、かなり変なものであってもタイミングさえあっていれば運動主体感があるという。将来的には、脳内で何が起こっているのかも合わせて計測してメカニズムを調べる予定だ。

ハビリからスポーツトレーニングまで、幅広い応用に期待

 VRを使ってリハビリを行うシステムはこれまでにもある。稲邑准教授らのシステムの特徴は、シミュレータにこれまで開発してきた社会的知能発生学シミュレータ「SIGVerseTM」を用いていることだ。SIGVerseはサーバ-クライアント型のシステムで、「全リハビリデータをビッグデータとして取り込む」ことができる。

 これまでのリハビリは理学療法士の経験と勘に委ねられる部分も存在した。だがそれでは名人芸の域を出ない。そこで、どういう運動をいつして、どんなスコアだったかを客観的に一元化できるシステムを実現できないかと考えた。

 「どういう映像を見せたときに、どういう運動ができたのかという関係が全部集められれば質的な違いが出てくる。ビッグデータ解析や機械学習を駆使すれば関係性が抽出できるに違いないと考えています」

 具体的にログをどう料理するかは「これからの状態」だが、「療法士の頭の中だけで閉じていた情報を一カ所に集め、システム化することで多少なりとも貢献していきたい」と稲邑准教授は言う。

 リハビリは数カ月、半年、1年と長期にわたる過程だ。一方、スポーツに関わる運動学習やスキル学習等は、より短期間の変化だ。関わっている脳の部位やメカニズムも異なっている。

 両者は時定数が異なる話だが、SIGVerseにはスポーツトレーニングへの応用可能性もあり、これまでにもロボットをスポーツトレーナーにすることを目指して、テニスの素振りを可視化して、良い動き、悪い動きを強調して大げさに教えてくれるコーチングシステムをつくったことがある。オリンピック選手のようなスペシャリストに使えるものではなかったが、ポイントは「自分の動きを客観視できるようにする」という点にある。

 今後の応用を考えると、単に四肢の位置情報だけではなく、どのようなタイミングでどの筋肉がどのように連携するかが重要で、それをどう提示するのか、特に力覚のような感覚をどう提示していくかが重要になると稲邑准教授は語る。

 また、VRを使えば視点変換は簡単だ。俯瞰映像の第三者視点や鏡に映した像を提示することで、どのように運動学習に影響するかといった学習ポテンシャルを調べることができるのではないかという。

 シミュレータを通じたインタラクションによって脳内表現がどう変化するか。それを通じて、オリンピック・パラリンピックも含めてどんな社会貢献ができるか。今後の展開に期待したい。

(取材・文=森山和道)

第68号の記事一覧