May. 2015No.68

東京オリンピック・パラリンピック特集 Vol.1情報学が貢献できること

Interview

多様性で育むイノベーション、鍵はパラリンピックにあり

2020年に東京で開催されるオリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京2020大会)は、人々がスポーツを楽しみ社会が豊かになるために、ICTがどのような貢献ができるか思案する、絶好のチャンスだ。NIIの喜連川優所長は、中でもパラリンピックを通じて障碍者・高齢者社会の課題解決を図ることが、イノベーションのきっかけになると言う。NIIの研究開発にとっても重要な“多様性”のとらえ方を聞いた。

喜連川 優

KITSUREGAWA Masaru

国立情報学研究所 所長

山本佳世子

聞き手YAMAMOTO Kayoko

お茶の水女子大学理学部卒、東京工業大学修士課程修了。1990年日刊工業新聞社入社。科学技術、ビジネス、大学・産学連携、科学技術行政などを担当。2011年東京農工大学博士課程修了、テーマは産学官連携コミュニケーション。同年産学連携学会業績賞受賞。東京工業大学など3大学で非常勤講師。文部科学省科学技術・学術審議会臨時委員。著書に『研究費が増やせるメディア活用術』『理系のための就活ガイド』(丸善出版)。

山本 東京2020大会に対するNIIトップとしての関心をお聞きします。

喜連川 オリンピックはもちろん国民の最大の関心事でしょうが、私はパラリンピックに焦点を合わせたいと考えます。障碍者や高齢者にとって活動しやすい社会を日本で築いていくうえで、大きなきっかけになります。観戦などで日本を訪れる外国人に、「日本は高齢者にとって、障碍者にとって、とても住みやすい国だ」と感じていただけたら、そのことを世界に発信してもらえるのではないでしょうか。いずれ、どの国家もgraying(高齢化)の道のりを辿ることになります。世界で最も高齢化率の高い日本が率先して先駆的な取り組みをすることは人類にとって大きな挑戦と言えるでしょう。非健常者への支援がタッチスクリーン開発のトリガーとなったように、潜在的なイノベーションの源泉があると感じています。

山本 NIIにおける障碍者支援の研究開発例を挙げていただけますか。

喜連川 音声合成による「ボイスバンク技術」があります。喉の筋肉が弱くなり徐々に話せなくなる筋萎縮性側索硬化症(ALS)などの患者の声を"保存"し、声を失った時に合成音声により、本人の声を再現するというものです。

 また、手話のコミュニケーション支援技術もあります。究極的には、テレビ撮影の際、話者の側にそのシステムを置くと、自動的に手話の画像が出てくる使い勝手を目指しています。

 開発の手法を考えると、NIIで閉じた取り組みにこだわる必要はありません。障碍者や高齢者、幼い子ども連れらが活用できるバリアフリーマップと道案内システムなら、大勢の市民が力を合わせて完成させる「クラウドソーシング」が適しています。トップダウンでつくるのでは膨大なコストがかかりすぎますし、互いに助け合う社会保障と重なる点でも時代に合っています。

山本 2020年の大都市東京という時空間を考えると、東京2020大会全体ではどのような新技術の実装が期待できるでしょうか。

喜連川 容易に想像できるのは、来訪者や観戦者を含めて大半の人がスマートフォンを使うという状況です。今回は点在する既存施設を活用するため、会場間の移動や各種目のプログラム、競技結果の通知、イベントの誘導などで多用されるでしょう。ロンドンオリンピック終了直後に東京・銀座で開催された日本人メダリストのパレードでは、20分のイベントに50万人もの人が詰めかけた。混雑緩和や安全性確保の観点からは、ICTを駆使した人流解析が極めて重要な役割を果たすことになるでしょう。ユニークなところでは、NIIでも取り組んでいるゴミ問題対応技術が役立ちそうです。大変な量のゴミが想定されますが、競技により観戦者数が異なり、ゴミの出方も違い、事前設定のルートでの収集では間に合いません。そのため、センサーを付けて、各ゴミ箱に「もう一杯だよ」と"しゃべらせる"技術で収集の効率化を図る。近年、注目されているIoT(モノのインターネット)の一つです。このように、多様な対象物をネットに接続して制御する工夫が、随所で行われるでしょう。

 技術の負の側面も忘れてはなりません。ロンドンオリンピックでは膨大なサイバー攻撃がありました。国内でシステムを強化しても、海外からの記者らが持ち込むパソコンが抜け穴になるなど、完全にセキュアなシステムをつくることは困難です。物理的な空間でのテロも大きな課題であり、都市部では完璧な閉鎖空間を実現しにくいのが悩ましいところです。

山本 スポーツと情報学の共通性として、"コミュニケーションのツール"として、かかわる人々の気持ちが重要になってくる点がありそうですね。

喜連川 パラリンピックは会場の雰囲気からして、オリンピックと全然、違うようです。例えば車椅子のバスケットボールでは、急ブレーキや激しい回転により車椅子のタイヤが焦げて、独特の臭いがします。選手の情熱が観る人の感覚に直接、訴えてくるのです。「何か手伝えることはないか」と誰もが感じるでしょう。

 障碍者がプレーヤーとなるパラリンピックでは既成概念にとらわれることなく、「新たな魅力的なゲームをつくろう」という発想にもなります。実際に、競技種目数はオリンピックが約300に対し、パラリンピックは約500に上るという。より多様な障碍者がともに楽しめるゲームや社会環境を構築する----。我々、研究者こそ、このような思考を大切にしたいですね。

山本 企業は今、「従来にない視点を引き出そう」と女性や障碍者、外国人を活用すべく努力しています。

喜連川 人と違う発想を持つイノベーション創出を考える時、多様性は極めて重要です。障碍者など少数派のニーズを考えることが大きなきっかけになる。そもそも日本では相撲が人気のスポーツですが、英国ではクリケットが今もポピュラーです。一つの基準では判断できません。多様さが生み出すロングテールは、研究者にとって挑戦的であり極めて興味深いものです。テクノロジーは人の本来のパワーと競合し、例えば先進的な義足技術により、「走るスピードは健常者より障碍者の方が速い」ということが既に起こっています。不思議な気もしますが、それほどのアクティビティーを障碍者が持ち得るというのは刺激的なこと。イノベーションはまさに、課題を乗り越えようという思いの中から生まれてくるものなのです。

インタビュアーからのひとこと

スポーツと科学技術を考える中で、喜連川所長は障碍者や高齢者にとっての豊かな社会という〈ターゲット〉を、まず思い描く。ICTはそれに向けての〈ツール〉という"ニーズ指向"が明確だ。取材中、「まだ具体的な案が固まっていないが」と言いつつ、さまざまな夢を語ってくれた。NIIには未来を描き出す総合力を期待したい。

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