2020特別号

コロナ禍後の社会変化を見据えた新しい情報学キーパーソンとの対話

NII Today 特別号

Interview

With/Afterコロナ時代に求められる科学技術

ファンディング・エージェンシーの役割を問い直す

収束の兆しが見えない新型コロナウイルス感染症の脅威は、科学技術の重要性を再認識させるとともに、そのあり方を根底から問い直すきっかけになった。今回のような緊急時に素早く対応するには、研究費を適所に分配する科学助成機関、すなわちファンディング・エージェンシーの役割がきわめて重要になる。そこで今回は、科学技術振興機構(JST)の濵口道成理事長を迎えて、コロナ禍におけるJSTの取り組みを伺うとともに、未来に向けて科学技術研究を推進していくために何をすべきか、ファンディング・エージェンシーの役割について、NIIの喜連川優所長と議論していただいた。

濵口 道成

Michinari Hamaguchi

科学技術振興機構(JST)理事長
1980年名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。名古屋大学医学部附属癌研究施設助手を経て、1985年から1988年まで米国ロックフェラー大学分子腫瘍学講座研究員。1993年名古屋大学医学部附属病態制御研究施設教授、1997年同アイソトープ総合センター分館長。2003年同大学院医学系研究科附属神経疾患・腫瘍分子医学研究センター教授。
2005年国立大学法人名古屋大学大学院医学系研究科長・医学部長、2009年同総長。2015年10月より国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)理事長。

喜連川 優

Masaru Kitsuregawa

国立情報学研究所 所長

滝 順一

聞き手Jun-ichi Taki

日本経済新聞社編集局編集委員
早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社に入り地方支局や企業取材を経て、1980年代半ばから科学技術や環境分野を担当してきた。著書に「エコうまに乗れ!」(小学館)、共著に「感染症列島」(日本経済新聞社)など。

緊急時に求められるのは、素早い行動と領域を超えた連携

─新型コロナウイルスのパンデミックは依然として収束の兆しが見えません。そのなかで、喜連川所長が濵口理事長との対談を望まれたのはなぜですか。

喜連川 研究者のマインドを動かす要因として、研究予算を握るファンディング・エージェンシー(研究資金助成機関)の役割がたいへん重要だと思っています。COVID-19がもたらした大きな危機に対応するうえで、科学技術振興機構(JST)がファンディング戦略についてどのような視点をもって取り組んでこられたのか、うかがいたいと考えています。

濱口 私はこれまでにも、ファンディングの戦略を変えたいと考えてきましたが、これがなかなか難しいのが実情です。日本の政策的な枠組みは基本的に「5カ年計画」で「単年度予算」です。現状は、計画途中で変更するのが難しいのです。年度の途中で、急きょコロナ対策をやりたいと言っても、役所の了解をとりにくい状況にあります。
 そこで今回、理事長裁量で「国際緊急共同研究・調査支援プログラム(J-RAPID)」を活用して、コロナ対策プログラムを急いで立ち上げました。この制度は東日本大震災を契機に設けられ、自然災害など不測の事態が生じた時に緊急にデータ取得や問題解決につながる研究活動を支援するものです。理事長裁量経費を使って募集をしたところ、30ほどの応募があり、11課題を選びました。
 下水からウイルスの遺伝子を検出して市中の感染状況を推測する技術や、紙をベースにした安価な抗体検査器具など、期待の持てる成果がいくつか出ています。
 次に考えたのは、非常時には領域を超えた対応が必要だということです。日本のファンディングのもう一つの問題点は、ほとんどが「オロジー(学)」ベースである点です。イムノロジーとかオンコロジーとか、学問領域別に資金を出す仕組みになっています。科学研究費補助金(科研費)が典型ですが、基礎的な研究はそれでいい。しかし現実に起きる問題に対処するには、いろいろな分野の最先端の技術を組み合わせていかないと解決できません。
 JSTは常々、医療分野は助成対象にしないようにと言われています。医療分野を担うのは日本医療研究開発機構(AMED)の役割だからです。ところが、「8割おじさん」で有名になった西浦博先生(京都大学教授)の理論疫学は、統計学がベースになっていることから、JSTが戦略的創造研究推進事業(CREST)でずっとサポートしてきました。そして、エボラ出血熱やジカ熱を対象に研究をされてきた知見を、新型コロナで見事に活かされたのです。
 日本で人工知能(AI)やデータサイエンスが十分に展開できていないのは、日本の「オロジー社会」が背景にあるのではないかと思っています。

AIやデータサイエンスの進展は、データ共有がカギ

喜連川 私の知る限り、もう一つの問題は、研究者や研究機関がデータを共有しないことにあります。つまり、データシェアリングがほとんど進まないのです。それは研究機関に限らず、行政などでも同様です。今回のコロナ禍におけるボトルネックは、保健所で集めたデータを素早く共有できないことにありました。当該データは個人情報の塊ですから、その扱いには十分な注意が必要になりますが、匿名加工などをして研究者が利用できるかたちにしていけば、コロナ対策にさまざまに役立てられると思います。
 イノベーションを加速するためには、さまざまな人がデータに触れて、違った角度からいろいろなインサイト(見識)を得ることが重要になります。しかしながら現状は、データを自分たちで囲い込む流儀が染み付いていることが問題です。個々の研究者や組織が悪いと言うのではなく、伝統的にそうした考えが染み付いているように思います。

濱口 「文化」と言ってもいいかもしれませんね。個人情報保護法があるためシェアできないなどというけれど、実のところはデータを自分たちで独占したい、そこから出てくる成果を自分たちのものとして外部に出したい、という思いが強いのだと感じます。
 いまの世の中は、数少ないデータをいくらいじっていてもなかなか勝負になりません。たとえば、中国では収集しているデータのサイズが桁違いです。15〜20年ほど以前のことになりますが、北京大学附属病院を見学したことがありました。第1から第10病院まであり、そのうち第7病院を訪問したのですが、そこは眼科だけを専門とする病院で、入院患者が約2000人、外来が約6000人もいるという。当時、名古屋大学附属病院は入院患者がおよそ1000人、外来患者がおよそ2000人という規模でした。
 台湾の長庚(チャングン)病院も、共同研究をしていた関係で訪問しましたが、外科、小児科というひとつの診療科だけで10階建てくらいの病棟がありました。これくらいの規模になると、単独の病院でも十分なデータを集めることができます。

─スケールの違いを克服するため、NIIはAMEDとともに、医学系学会から収集した診療画像データベースの構築を進めていますね。日本医学放射線学会や日本病理学会など、現在、6学会から悉皆的(しっかいてき)にデータを集めて、NIIの医療ビッグデータ研究センターにおいて、医療AIの開発やデータ利活用のためのプラットフォームを整備しています。成果も多数出ていると聞いています。

喜連川 「文化」の壁をこじ開けて、いまではCT(コンピューター断層撮影装置)の画像を中心に2億枚以上のデータが集まっています。また、新型コロナ肺炎のCTの画像を集め、名古屋大学が中心となり連携して新型コロナ肺炎に特徴的な「すりガラス状陰影」の診断をするAIの開発をしました。社会実装のためには薬事承認などを経る必要はありますが、導入を検討している病院があると放射線学会から聞いています。この取り組みは海外でも注目を集めているようで、英国のメディアからインタビューの要望がありました。

日本のコロナ対策の一翼を担うCT診断と治療技術

─日本の新型コロナ対策について、濵口理事長は医学者としてどうご覧になっていますか。

濱口 日本は強制力のない外出自粛要請など、欧米に比べて緩やかな対策で感染者を少なく抑え込んできました。米国の関係者とのオンライン会合の時に、「この日本のミステリアル・サクセスのベースにはCTがある」と話しました。現場の医師から、PCR検査が陰性だけれど、熱があり、CTの画像を調べるとコロナ特有のすりガラス状の影が見られたケースがいくつもあった、と聞いています。PCRよりCTの方が正確な場合があるのです。日本のCT普及率は世界一です。加えて国民皆保険で医療へのアクセスが良いことが、日本人の衛生観念の高さと相まって感染者を相対的に少なくしているのではないでしょうか。

喜連川 誰が見ても陽性と思えるのにPCRでは陰性の症例や、無症状なのに陽性の症例があって、症例データに一貫性がないのが新型コロナの困ったところです。PCR検査は偽陰性が多く、精度はけっして高くないようです。PCR検査装置を供給している企業の方と話したことがありますが、「新型コロナはきっちりとゼロ/イチで判断がつく世界ではない」と言うことでした。そのことが国民にはきちんと伝わっていません。
 また、とくに気になるのが、深刻な後遺症が報告されている点です。

濱口 そこがまだはっきり見えてきませんね。新型コロナは「血管の病」という側面があって、肺炎を起こしながら、一方で血管内に血栓ができている症例がみられます。炎症がおさまったら治るのではなく、血栓で肺が壊れてしまうと元には戻りません。
 これまでの治療経験でわかってきたのは、炎症を引き起こす生理活性物質が過剰に放出される「サイトカインストーム」が起きているということです。免疫系の暴走を抑えるためにステロイドを使い、ヘパリンで血液の凝固を防ぐという治療が日本では行われています。こうした診断や治療法が効いて亡くなる方を少なく抑えている。治療技術は確実に向上しています。

日本の研究開発を促すために必要なこと

─新型コロナに関して、日本のアカデミアからの情報発信が少ないとの指摘もありますが......。

濱口 新型コロナに関しては、日本発の研究論文数は世界で16位です。感染者が多いイタリアやフランスの方が多いのは当然としても、感染者が少ないオーストラリアにも負けている。なぜなのか。はっきり断定はできませんが、研究の現場が柔軟性を失っていると感じます。競争的資金の場合には、計画した研究しかできません。計画をきちんとこなして次の研究費を獲得しなければならない、というプレッシャーがあるのでしょう。そして、余計なことはできないという精神的なストレスが、特に若い研究者にのしかかっています。私の若い時にはいわゆる講座費があって、科研費がとれなくても研究者として生き延びることができましたが、それはいまでは困難かもしれません。
 だから、パンデミックのような社会的インパクトの大きなことが起きていても、容易には手が出せないのです。皆、けっしてやりたくないわけではないと思います。
 そうしたなか、2021年1月からコロナ対策のCREST(戦略的創造研究推進事業)がスタートします。10人の募集に対しておよそ150人の応募がありました。コロナ対策では、治療薬やワクチン開発が1丁目1番地のテーマですが、私は「プランBも必要だ」と主張してきました。つまり、IT(情報技術)や材料工学を役立てる対策に、もっと資金を投じて実用化すべきだと考えています。
 パンデミックはずるずると長引くかもしれません。しかし、自粛は何年も続けられない。コロナがあっても普通に生活できるように、科学技術で何ができるのかを考えていく必要があるでしょう。
 いま、私が身につけているマスクはダチョウの卵を使って大量生産した中和抗体が表面につけてあります。09年の新型インフルエンザ流行時にJSTの助成で開発し、今回、新型コロナの中和抗体づくりにも成功しました。現在では月産100万枚まで到達しているそうです。京都府立大学の塚本康浩教授の成果です。
 紫外線でウイルスを殺した清浄な空気を襟元から吹き出す「エアマスク」も開発中です。アスリートたちが身に付ければ、マスクなしでオリンピックの開会式の入場行進ができます。
 コロナウイルスを検知して「見える化」する技術、空気を清浄にする技術、このマスクのように人を守る技術などは、必ずしも新技術を必要とはしません。既存技術の組み合わせで実現できる。研究費を捻出しなくても、企業同士をお見合いさせれば成果が出ることもあるでしょう。課題はスピードです。

喜連川 同感です。ただ、お見合いをさせるというより、自然にお見合いができるような国が強いのだと思います。そのためには創発が生まれるようなエコシステムをつくらなければならない。属人的な対応だけでは広がりが生まれません。
 コロナ対策のCRESTですが、もっと早くやっていただけるとなおよかったですし、毎年度新しく募集していただけるといいですね。米国ではいち早くNSF(全米科学財団)が募集したところ、たちまち100件以上の研究提案が出たと聞きます。濵口理事長がご指摘されたように、日本ですぐにそうした動きが出てこなかったのは残念です。

濱口 内閣府のムーンショット型研究開発事業で、新たに若手支援を狙った「ミレニアム・チャレンジ」という公募枠ができました。7年間、場合によっては10年間、何を研究してもいい、という30年後の未来社会へ向けた取り組みです。今年度の募集は終わったところですが、とても人気があります。今年度は200人の募集でしたが、少なくとも3年間は続けて、700人規模にしていきます。期待していてください。

コロナ禍が変える教育のあり方

─NIIは、パンデミックの初期段階から大学の遠隔講義の支援をされてきました。当初は毎週、その後は隔週でオンライン・シンポジウムを開いて、先進事例や課題に関し情報交換してきました。

喜連川 コロナ前はオンライン会議のツールなど殆ど誰も使ったことすらありませんでした。そんな中で、例えば、7大学はだいたい5000くらいの講義があるのですが、短期間に遠隔講義に転換するのはとても大変で、新入生を含む学生もそれよりも実は大変なのは先生なのですが、両者に対して遠隔授業をどうやれば出来るか、どうやれば授業をスムーズに受講できるかについて経験知を「共有」するシンポジウムを2020年3月から開始しました。とくに小さい大学は、遠隔の学習管理ソフトのライセンスを買うだけでも大変です。教員もそのための訓練をしなければならないし、大きな負担を強いられています。結局のところ、私が提案したいのは、国立大学は遠隔講義をすべて提供できるようにして、聴講したい学生に公開することです。それが一番手っ取り早いのではないでしょうか。学生が求めているのは、ライセンスではなく講義の内容そのものです。講義の共有をしていくことも大事だと思います。

濱口 大学はデジタリゼーションに力を入れて省力化できるところと、直接的なコミュニケーションが必要なところはどこなのかをきちんと押さえて、そこについては対面を維持できるようにしていかなければなりませんね。リスクが高いからキャンパスへの立ち入りは禁止というのでは、学生はフラストレーションを感じてしまいます。都心の大学だったら、たとえば廃校になった小学校の教室を使って少人数、分散で講義をしてみるとか、何か工夫ができないでしょうか。

喜連川 とはいえ、マサチューセッツ工科大学(MIT)もハーバード大学もコロンビア大学も、原則は遠隔講義です。このような状況では、学生も先生もキャンパスには行きたくないというわけです。したがって、グローバルスタンダードから見れば遠隔講義はもはや当たり前なんですね。コロナ以前と同じにはできませんが、そこそこの教育水準を維持していける手段があるだけでも、マシな状況だと私は思っています。
 もっとも、「全部を遠隔に」ということではありません。新入生が遠隔で友人をつくるのはきわめて難しいし、評判がよくないのはよくわかります。一方、上級生からは、遠隔講義なら移動に時間を取られないし、講義を何度も聞き直して復習できるので続けてほしいという声を聞きます。実際に、国立高等専門学校機構の先生によると、成績が上がった生徒がたくさんいるそうです。対面が苦手で引きこもっていた生徒が、遠隔で授業に参加できるようになったという話も聞きます。そうした利点を踏まえて、アフターコロナ後も遠隔講義をうまく取り入れていくのがいいと思っています。

─遠隔講義によって教育に格差が生じるという懸念があります。

喜連川 例えばネット環境に差が生じるのは、一定程度は避けられないのが実情です。SDGsが掲げるような、「誰一人取り残さない」という考え方は、理念としては素晴らしいけれど、現実的にはきわめて難しいと思います。そのなかで、どれだけ温かい気持ちをもって助け合い、不具合を解消していくのかが問われています。小さな大学にはライセンスもありませんので、NIIはシスコにお願いして一定期間無料でご提供して頂きました。加えて、大規模なライセンスは高価なものですから、NIIが購入しそれをご利用頂くスキームも提供しております。不具合が多い学生や大学をどのように助けられるかということを議論するのはいいのでが、単に「格差が出ている。これが問題だ。どうしましょう」とおっしゃられるのではなく、具体的に一歩一歩解決の糸口を探し出したいものです。

ファンディング・エージェンシーへの期待

─教育においても、データやコンテンツの共有化がカギを握るわけですね。一方、中国への学術情報の流出に対し警戒感が高まっています。データの共有と保全についてはどうお考えですか。

喜連川 そこはDFFT(Data Free Flow with Trust、信頼性のある自由なデータ流通)が肝になります。信頼のできるところとだけデータを流通させるほかありません。それをどう実現するかというと、2022年からNIIがデータ基盤を整備し、そこでガードをかけます。つまり、認証を受けた人しかデータを見られないようにするわけです。今後は学術データをその基盤上に置くというのが、内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の方針です。

濱口 意図的に情報を操作するのも問題です。新型コロナ流行の初期段階で、中国はすでに国内で感染が広がっていたにもかかわらず、ヒト・ヒト感染がないと言っていました。そのあたりから疑いの目を向ける人が多くなりました。

喜連川  JSTのビッグデータ(ビッグデータ統合利活用のための次世代基盤技術の創出・体系化)の総括を務めさせて頂きましたが、これはCRESTとさきがけの両方があるものでした。そこで、さきがけプログラムの方に、「データさきがけ」を作って頂きました。これはJSTでは始めての取り組みです。ビッグデータの研究をしようというのは簡単なのですが、そもそも研究者が使える大量のデータなど殆どありません。まずデータを作らないといけないと考えた次第です。「自分が研究するためのデータを作るというよりも、自分で使うことは結構ですが、必ず他の研究者も使えるように整備してください」という気持ちでした。ここから腸内細菌や脳波のCRESTプログラムが生まれ、このスキームは大成功だったと思っております。
多くの研究がデータ駆動になっているいま、お金よりもデータをください、という研究者はたくさんいます。逆にいうと、データがなければ研究ができないのです。データ共有を強く推し進め、そこに資金を投じれば、波及効果はきわめて大きくなると思います。つまりファンディングエージェンシーは「研究費よりもデータ」を研究者に提供するほうが、ずっと効果的であると確信しております。

濱口 私がニューヨークで研究していたころすでに、自分が研究で見つけた遺伝子を、相手の求めに応じて、たとえ研究上のライバルであっても提供しなくてはならないルールがありました。そうしないと論文が採択されません。データの提供が採択の条件なのです。研究成果は公共財という考え方がしっかり根づいていました。

喜連川 その点こそ、これからのファンディング・エージェンシーの重要な役割として期待しています。今後は、研究計画を出す時に、データマネジメントプラン(DMP)と呼ぶ誓約書を出さなければならないという仕組みをつくってゆくことになっています。研究で得たデータをどう扱うのかを約束するわけです。それに反したら研究資金を没収するといった取り決めが必要です。データは今後ますます巨大なインパクトをもつようになるため、多くの人が利用できるようにすべきでしょう。もちろん国益上の問題があるので、先ほど言ったように、海外に全部公開するという話ではありませんが......。

─パンデミックの最中に起きた残念な事件として、著名なランセット誌を舞台にした論文撤回があります※。

濱口 近年、論文誌はサイテーション(被引用数)やインパクトファクター(文献引用影響率)に重きを置きすぎる傾向があります。科学には常に不確実性、グレーゾーンがあるものです。しかし論文誌、特に商業誌はストーリー性がある論文やクリアな結論を求めがちなのも問題です。かつては学協会が発行する論文誌のインパクトファクターも結構高かったのですが、いまは幅広い領域をカバーする商業誌の数値が高い傾向にあります。しかもインパクトファクターが高い論文誌への掲載をもとに、助成金支給や肩書の昇格が決められている実態があります。

喜連川 私は詳しい事情に通じているわけではありませんが、ランセットゲートの事件は、最終的にデータを提供しなかったことが問題で、論文を出す時にデータの所在をきちんとチェックしていれば防ぐことができたのではないかと感じます。データ基盤がしっかりしていれば、避けられたでしょう。
 もっともアカデミアの側にも問題があって、有名誌に論文を何本書いたかという実績を評価するレガシーが染み付いています。ここにも行動変容が必要であり、やはりファンディング・エージェンシーの役割が重要になると思います。

濱口 そうですね。どこで研究を評価するかが重要です。たとえば、さまざまな知見をコンバージェンス(収斂、集中)させて、領域を超えた共同研究の促進で社会課題を解決していくことも大切です。将来これを実現しなければならないから、いまこれをやるのだというバックキャストで考えるのもJSTの仕事だと思っています。一方、日本学術振興会(JSPS)は研究者個人の好奇心に基づいて、未来を予測しながらフォアキャストでファンディングする。JSTはそれでは解決できないこともやる。両方のファンディングができる、というふうに変えていかなければならないと思います。言うのは簡単で実行はなかなか難しいのですが、いろいろなやり方を試みて最適解を探していきたいですね。

喜連川 日本の研究力の低下が指摘されております。起死回生の切り札は「データの積極的共有」だと思います。多様な分野の融合もデータの共有が必須です。大きな規模の基礎研究はJSTのファンドしかありませんので、是非JSTに日本の研究を元気にして頂きたいと期待しております。何卒宜しくお願い致します。

(写真=佐藤祐介)

※ 新型コロナウイルス感染症の治療に抗マラリア薬を使用することの安全性に懸念があるという論文が2020年5月に国際的に有名な医学誌『ランセット』に掲載されたが、その根拠となる患者のデータに疑義が呈された。調査を進めようとしたが、データを扱った企業であるサージスフィア社が生データの提出を拒否したため、その内容に信憑性がないとして6月には論文が撤回された。これを受けてWHOが臨床試験を一時中止するなど、各方面に大きな影響を及ぼした。

インタビュアーからのひとこと

 濱口理事長の指摘通り、新型コロナは日本の強みと弱みをともに露わにした。ロックダウンなしに感染者を欧米に比べ少なく抑え込んできたのは日本の医療体制や社会の強みであり、医療現場から余裕を奪い診療データを世界と共有化できないのは顕著な弱みの一つだ。
 大きく世界が変化するなか、科学技術の研究開発を先導する役割の一端を担うファンディング・エージェンシーの責務には重いものがある。喜連川所長が強調するよう、資金だけではなくデータの扱いについても規範を示していかなければならない。

※当対談は2020年11月24日にJSTにて実施しました。

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