Sep. 2023No.100

生成AIに挑む

Essay

金融市場での悪いフェイクと良いフェイク

MIZUNO, Takayuki

国立情報学研究所 情報社会相関研究系 准教授

 金融市場は、ファンダメンタルの変動を除けば、基本的にゼロサムゲームと見なされる。この競争的な環境では、投資家は常に情報の先手を求め、他者を出し抜く戦略を模索する。衛星画像を通じての石油備蓄量の推定や、現地語で書かれた諸外国のローカル新聞の読み込み、さらには工場前での出荷の監視など、一分一秒を争って新鮮な情報を追い求める。

では、ソーシャルメディアで特ダネを発見したら、どうするだろうか?まずは真偽の確認か、それとも情報の拡散状況の確認か?マスメディアであれば真偽の確認だろうが、投資家にとって真偽はあまり関係がない。何より大事なのは、どれだけの他の投資家がその情報を見て、そして証券を売るか買うかを、先行して察知することである。

 2023年5月22日の朝、アメリカ国防総省の近くで爆発が起きたと称する画像が Twitterに投稿された。この画像は人工知能が生成したものであり、フェイクであった。ロシアの公式プロパガンダ機関であるRTが300万人のフォロワーに、そしていくつかのビジネスニュースのまとめアカウントが数百万人のフォロワーに、この情報を拡散した。これらのまとめアカウントの中には、Twitter Blue(従来の検証済みのチェックマークだが、最近はお金で買える)を得たフェイクニュース組織も含まれていた。拡散はSNSに留まらず、インドのテレビ局でも報じられた。これらの情報拡散により、一部の投資家は恐怖を感じたようで、アメリカの株価は、情報拡散直後から数分間で急落した。

 投資家は多くの場合、情報の真偽を確認する前に行動をとる。そして、その情報が事後にフェイクであることが判明した場合、市場は速やかに調整する。だが、真偽の証明が難しいインサイダー情報がフェイクとともに提示されたとすると、市場で混乱が生じるリスクがある。これに対応するためには、情報の真偽を検証するだけでなく、それがどのように拡散され、どのように解釈され、そしてどのような行動へとつながるのかについての理解が求められる。

 次に、「良いフェイク」の事例について紹介しよう。金融モデルは度々、その予測の不正確さについて批判される。しかし、人工的に生成されるデータ、すなわち「フェイク」が、この問題の解決策となる可能性がある。株価の動きは、「2年一昔」と言われるほど変化が激しい。そのため、モデルのロバスト性を高めようと長期間の株価データを使うと、過去の情報に適応したモデルになってしまう。逆に、最近の情報に適応したモデルを作るために最近のデータだけを使うと、データ不足でロバスト性が下がってしまう。

 そこで、GANを使った疑似的な株価時系列の生成がICAIF(ACM International Conference on AI in Finance)界隈で流行している。フェイクでデータを増やすという手法だ。これは、高額な金融データをフェイクに置き換えることによって、モデル開発のハードルを下げるという意味合いもある。

 株価時系列は、通常の時系列モデルで再現しにくい長期記憶やロングテールという困難な性質を持っており、これまで満足のいくフェイクを作るのが困難であった。しかし、生成AI技術の発展により、メカニズムはわからないもののなんとかなるかもしれない。ただ現状は、世に存在しないレベルの大量の学習用の株価時系列を必要としており、代替えするには、まだ道半ばである。

 良くも悪くもフェイクは金融市場を変える契機となるだろう。金融取引のルールは19世紀以前からあまり変わっておらず、今回の悪いフェイクの事例だけではなく、実は、いろいろとほころびが出てきている。投機の要素もありながらも悪いフェイクの情報操作にも強い、革新的な金融システムの誕生が望まれている。

関連リンク
記事へのご意見等はこちら
第100号の記事一覧