Sep. 2021No.92

個人情報からプライバシーへ改正個人情報保護法とプライバシーガバナンス

Essay

顔見知りの町と、愛称を呼ばれるスピーカー

OKADA Hitoshi

国立情報学研究所 情報社会相関研究系 准教授
総合研究大学院大学 複合科学研究科 准教授

 もう十数年も前のことだが、地域通貨を運用する人々を参与観察の手法で調査していた時期がある。地方のある町では、公的なIDカードを利用した電子地域通貨を計画していると聞き、さっそく地元の大学の先生と現地を訪れた。

 深い森に囲まれた自然豊かな町を案内してくれたのは、役場で国のプロジェクトを担当する地元育ちの方であった。電子地域通貨を利用できる予定の店舗や、実験に参加する施設を視察して回る。ふと疑問に思った。公的なIDカードは大都市圏でも交付が始まったばかりで、いまだ保有率は低い。果たして、この町の保有者数はどのぐらいか。

「そうだなあ、課長と、自分と、きよたか君と。あとは、塾の先生だな。うん、間違いない」と、思いのほか正確な回答が返ってきた。それって、誰がカードを持っているのか、役場の人はみんな知っているのかと問うと、その通りだという。「さっきの牧場の牛の名前も、みんな言えるよ。この辺りじゃあ、カードを持ってなくても困ることはないかな」と。

 どうやっても匿名化できない社会がそこにあった。人々は互いに顔見知りであって、対面で行われる経済活動の大半が実名である。苗字では重複も多いので、きちんとフルネームで覚えている。役場に戻ると、カードを持つという課長さんと、きよたか君が迎えてくれた。若き担当者は、職場の誰からも親しげに名前を呼ばれていた。

 あれから時は過ぎて。世の中には、親しげに愛称を呼ばれるスピーカーが増殖している。人々の音楽の趣味や買い物の傾向をよく知っていて、人が自発的には思いつかないようなものを勧めてくる。かつて地域コミュニティが共有していた町の記憶は、巨大なプラットフォーマーが蓄える知恵へと置き換わる。

 親しげな呼びかけを心地よいと受け止めるか、私生活へのインベーダーだと捉えるかは、人によって異なる。実のところ、自分に関する事柄をどれだけ他者に預けるかは、何のためにデータを集めるのかというコンテクストに依存することが知られている。

 人が行動を選択するときには、複数の要素を秤にかけ、意識下で重みづけをする。その過程を可視化するコンジョイント分析という手法がある。いくつかの調査を実施したところ、特定のプレイヤーを利するための行動には与しないが、公共の利益のためには協力を惜しまないグループの存在が浮かび上がってきた。

 自己に関わる情報を誰に預けるべきか。それは他者との関係性によって決まる。地域のコミュニティは顔の見える安心感を表現し、遠くのプラットフォーマーは仮面の舞台を演出する。

のどかな牧場の風景と、よく喋るスピーカーは、対照的な二つの未来を暗示する。法と技術とトラストの研究は三位一体となって、少し先の社会を描こうとしている。

(文中の登場人物は仮名です。)

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