Sep. 2017No.77

形式手法をものづくりへERATO「蓮尾メタ数理システムデザインプロジェクト」

Interview

抽象数学で 工業製品の設計支援

ソフトウエアの「形式手法」を製造現場とすり合わせる

 「テスト工程を短縮するといった定量的な成果を、ものづくりの現場で間違いなく出せます」。NIIの蓮尾一郎准教授は断言する。  科学技術振興機構(JST)ERATOに採択され、2016年10月から始め、2022年3月まで続ける『蓮尾メタ数理システムデザインプロジェクト』において、工業製品の設計を支援する理論と手法を用意し、製造現場における“成功譚”を最低5件蓄積するという。  何をめざし、どう進めるのか、なぜできると言い切れるのか、蓮尾准教授に尋ねた。

蓮尾 一郎

Ichiro Hasuo

国立情報学研究所 アーキテクチャ科学研究系 准教授 総合研究大学院大学 複合科学研究科 准教授 JST ERATO 蓮尾メタ数理システムデザインプロジェクト 研究総括

聞き手Nobuyuki Yajima

日経BP総合研究所 上席研究員
1960年生まれ。大学で数学を学び、コンピュータのエンジニアをめざしたが、1985年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社、『日経コンピュータ』誌の記者になる。2009年から『日経コンピュータ』編集長。2016年から現職。

谷島 コンピュータソフトウエアの品質保証に役立つ数学の理論整備をしてこられた蓮尾さんが工業製品の設計支援という正反対の世界に乗り込もうと決めたのはなぜですか。

蓮尾 ソフトウエアや数学という抽象度の高い世界と、隅から隅まで具体的なものづくりの世界は相当離れているように思われるかもしれませんが、私としてはまったく違うことをしている意識はないのです。ずっと研究してきたのは「圏論」という数学の一領域で、今回のプロジェクトにも圏論が関係していますから。

 圏論は何かということですが数学理論をより抽象的に記述する言葉だと思ってください。いろいろな理論、あるいは何らかの手法の裏付けとなる理論を圏論の語彙を使って記述していくと、理論や手法の抽象度を上げられ、その結果、一般性と普遍性を把握でき、理論や手法の本質が見えてきます。「そういうことか、わかったぞ」と納得できた瞬間、本当に気持ちがいい。新しいことを知る、理解する、その喜びが私が研究を続ける動機になっています。

 もちろん、面白がっているだけではいけません。物事を俯瞰して本質をつかめる圏論を使って何かお役に立てないかと考えたとき、工業製品が視野に入りました。日本にとって製造業はとても重要ですから、経済にも貢献できるのではないかと。

 抽象度を上げていくとソフトウエアと例えば自動車は同じように見えてきます。自動車はコンピュータを多数積み、それぞれにソフトウエアが入っている複雑な仕組みですから、それ自体が大きなソフトウエアとみなせる。それならソフトウエアの世界で培われてきた設計支援や品質保証の理論や手法を、同じくソフトウエアである自動車にも使えるはずだと考えました。それを研究するのが今回のプロジェクトです。

谷島 具体的に何をするのですか。

蓮尾 高品質なソフトウエアを設計できる「形式手法」というものを拡張し、ハードウエアとソフトウエアを包含した工業製品に適用していきます。自動車もソフトウエアだと言いましたが当然違うところもある。ソフトウエアとは違って、物理的メカニズムがあり、エネルギーを使い、リアルタイム性が欠かせません。こうした要素を形式手法で取り扱う必要があります。

 プロジェクトには四つのグループがあります。圏論などを使って形式手法の本質を整理する「理論グループ」。理論に基づきつつ、工業製品に使えるように形式手法を拡張していく「実務グループ」。拡張された形式手法をものづくりの現場で使ってもらい、成果を出す「応用グループ」。応用グループは二つあり、一つは日本の製造現場が今抱えている問題に、もう一つは自動運転という将来の取り組みに、今回研究する理論と手法をそれぞれ適用していきます。

谷島 圏論など持ち出さず、形式手法をいきなり製造現場に持ち込んで実践するのと何が違うのですか。

蓮尾 先ほどお話したように一般性と普遍性を把握した上で適用していけることです。形式手法の良いところを的確に現場へ持っていける。今回のプロジェクトの特徴の一つは製造現場のエンジニアの方々と対話し、ニーズをうかがい、「それならこう使えるのではないですか」と我々から提案し、実際に使っていただくところにあります。手法の抽象度を上げておかないと、かえって個々のニーズに対応しにくい。とはいえ直接適用したからこそ、わかることもありますから、そのあたりはニーズに合わせてやっていくつもりです。

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谷島 結果を厳しく問われる製造現場で成果を出せますか。

蓮尾 できます。というのは成果を次のように考えているからです。例えば「ソフトウエアの検証テストに丸一日かかっているが半日で終わらせたい」というニーズがあったとします。我々は形式手法の本質をいろいろなレパートリーとして持っていますから、ニーズに合わせて解決策を提示できます。複雑なテストを単純にするといった点で形式手法は成果を上げてきています。その本質はものづくりの領域でも力を出せると確信しています。

谷島 「凄い理論と手法を作りました。使ってください」と胸を張るプロジェクトではないということですね。

蓮尾 既存の形式手法を「1」と呼ぶとして、工業製品向けに拡張した「形式手法2」を作り上げることがプロジェクトの目的ではないのです。ニーズに応じて形式手法2′や2″がしだいに蓄積されていくことを想定しています。しかも手法2′や2″は研究グループが研究室で作るのではなく、製造現場の知恵をお借りし、一緒に作っていくことになります。成果をこつこつ積み上げ、成功譚を五つは蓄積しよう、と言っています。

 今でも覚えている恩師の言葉に「応用をやったからこそできる理論研究もある」「そのためには現場に入って手を動かせ」というものがあります。今回のプロジェクトはあくまでも学術研究であり、理論の整備が目的ですが、理論をしっかりさせるために、現場のニーズとすり合わせようということです。私は理論研究者ですけれども現場に入って手を動かす覚悟はあります。

谷島 課題はありますか。

蓮尾 覚悟はあると言いましたが、実際に協力いただく企業を決め、現場に本格的に入るのはこれからです。理論家の我々が実務家の方と本当に対話できるのか、不安がないと言えば噓になります。ただ、準備のために製造業の方々と話をしていく中で、我々のグループに自分の専門外のことを調べる動きが確実に出てきています。

 プロジェクトの主旨に賛同いただいた研究者の方に集まってもらったのですが、数学、ソフトウエア、制御など皆さん専門はばらばらです。ところが圏論をやっていた人が制御理論の本を読んだり、制御の人と議論したり、そういう変化が起きつつあります。専門が違っても抽象度をいったん上げると、かえって対話がしやすくなるからでしょう。製造現場に入っても、そうできるとよいのですが。

谷島 お話を伺って『蓮尾メタ数理システムデザインプロジェクト』という名称の意味がようやくわかりました。抽象化を経由するからメタ、そして数理でデザイン、つまり設計を支援するということですね。名称はもう少しなんとかならなかったのでしょうか。

蓮尾 私なりにスパイスを効かせたつもりでしたが......多くの方、数学やソフトウエアにそれほど関心がない方に我々の取り組みを知っていただくためにキャッチフレーズが必要だというのはわかります。遅くとも2022年までに考えますので宿題にさせてください。

(写真=佐藤祐介)

インタビュアーからのひとこと

 「抽象的に求めたなら具体的に手に入ったのではないか」。英国の作家、チェスタトンはこう書き、物事の概念を明確にしない限り、成果など得られないと説いた。蓮尾准教授の説明を聞いている際、この言葉が頭に浮かんだ。

 蓮尾プロジェクトはまさに抽象的に求め、具体的な成果を手に入れることをめざしている。もともと抽象的な形式手法の抽象度をさらに上げつつ、製造現場の問題解決に貢献する。このやり方がプロジェクトの特徴と言える。

 形式手法は確立されたものだが、手間やコストがかかると言われ、高信頼性が求められる特殊なソフトウエアにもっぱら使われてきた。今回のプロジェクトで抽象度をいったん上げ、形式手法の本質を見出せれば、製造現場など新たな領域にも広げられそうだ。

 話を大きくすると、専門領域を超えた協業という日本の最大課題の一つにこのやり方は寄与できるかもしれない。学会が違うと話が通じない、同じ企業内でも工場が違うと協力できない、といったことが現実にある。蓮尾准教授には、さまざまな領域で本質を見極めて快感を覚えつつ、日本の協業推進に資する研究をしていただきたいと思う。

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