Jun. 2017No.76

情報オリンピック若きプログラマーの発掘・育成のために

Interview

国際情報オリンピック 日本大会への期待

数理情報科学の次世代を担う若手育成のために

世界の高校生たちが数理情報科学の問題解決能力を競う「国際情報オリンピック」が2018 年9 月、茨城県つくば市で開かれる。初の日本開催となる大会に、国内からは4 人の選手が参加する予定だ。情報オリンピックの意義と日本における課題について、情報オリンピック日本委員会理事長の筧捷彦・早稲田大学名誉教授に聞いた。

筧 捷彦

Katsuhiko Kakehi

情報オリンピック日本委員会 理事長
1970年東京大学工学系大学院修了。工学修士。
東京大学工学部助手、立教大学理学部助 教授、早稲田大学理工学部教授などを経て、 現在、早稲田大学名誉教授。
ACM-ICPC 日本ICPC Boad 議長、パソコン甲子園プログラミング部門審査委員長、NPO 情報オリンピック 日本委員会理事長、公益財団法人情報科学国 際交流財団理事長を兼職。

滝田恭子

Kyoko Takita

読売新聞東京本社 科学部長
1989 年上智大学外国語学部卒業、読売新聞社入社。2000 年カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院修了。メディア局を経て2002 年より科学部で科学技術政策、IT、宇宙開発、環境、災害などを担当。2014 年に科学担当の論説委員、2015 年より現職。

日本の情報力向上に寄与

滝田 国際情報オリンピックとは、どんな大会ですか。

 世界の約80 カ国・地域からそれぞれ選ばれた4 人ずつの代表が、与えられた課題を解決するアルゴリズムを考え、プログラムを書く能力を競います。ブルガリアのブラゴベスト・センドフ氏の提案で、1989 年に始まりました。知的活動の重要な柱になりつつある情報科学の分野で、天才の原石を見つけ、手をかけて磨こうという発想でした。センドフ氏は数学者ですが、駐日大使を務めたこともあります。国際大会は毎年行われ、今年の夏はイランのテヘランで開かれます。

滝田 日本代表は国内大会で選ばれるのですね。

 日本ではまずオンラインで予選を実施します。参加者は1000 人ほどで、小学校6 年生もいますよ。本選に進んだ80人ほどの候補者から約20 人を選び、春休みに合宿をします。国際大会と同じレベルの問題で競技を行い、その解説と関連の勉強をしてもらうことを数回繰り返して4 人の選手を選抜します。国際大会が終わると、翌年に向けて合宿形式の勉強会も開いています。こうした勉強では、国際大会経験者がチューターを務め、大学院生にとっても難しいくらいレベルの高い教科書を使います。日本は1994 年から96 年まで3 回参加した後、2006 年に参加を再開したので、国際大会の経験者の多くはまだ大学院生や学部生です。

滝田 数学オリンピックなどに比べると、あまり知られていません。

 数学オリンピックとどこが違うのかと聞かれることもあります。数学では一般的に証明できるかどうかが問われるのに対し、情報学はデータの個数を制限するなどの一定の制約の中で、最も効率のよいアルゴリズムを考えることが求められます。実際にコンピュータの上でプログラムを走らせて、正しい答えが出るかをテストするわけです。コンピュータの性能上、不可能だったり、時間がかかってしまったりしてはだめです。科学オリンピックにはほかに、物理、化学、生物学、地学、地理もありますが、これらはみな昔から学校で教えられてきた教科です。それに対して、情報科が高校で必修になったのは2003年。大学入試に関係がないから学校でも力が入らず、専任教員がいない所も多い。情報科の授業ではコンピュータの使い方から情報セキュリティや著作権まで広く扱っており、アルゴリズムに触れる機会も少なくて、情報オリンピックの内容とはまったく違います。

滝田 「情報」という言葉も、概念がわかりにくいように思います。

 アメリカでは、コンピュータサイエンスと言います。でも、ヨーロッパではサイエンスというのは自然の摂理を考えるものだから、人間が考えたコンピュータをサイエンスの対象にするのはおかしいという発想が根強い。だから、インフォマティクスと呼びます。ヨーロッパ発祥の情報オリンピックも英語では"International Olympiad in Informatics"で、インフォマティクスを使います。

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滝田 2020 年度から小学校で実施される学習指導要領では、プログラミング教育が必修化されます。

 子どもたちが、電車の乗り換え案内のように一番速い方法や安い方法の検索にアルゴリズムが働くということを知るのは、とても大事です。情報オリンピック日本委員会では、アルゴリズムの基本的な考え方に触れてもらうという目的で、主に小中学生を対象にした「ビーバーチャレンジ」というコンテストも行っています。

滝田 学校教育で裾野が広がることは、情報オリンピックにとって追い風ですね。

 アルゴリズムを究めてオリンピックに出る人はごく少数ですが、そういう人を応援する社会になるのではないかと期待しています。社会全体を変えるようなすごいアルゴリズムを考えるのはメダリスト級の超天才ですが、仕事のためのプログラムを書く力はリテラシーとして多くの人が持つべきだと思います。産業界は今、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)の専門家に仕事を発注したら、何か素晴らしいことが起きると思っていますが、そんなことはありえない。自分たちの仕事を合理化するプログラムを自分たち自身で考えられなければ、いくらお金を積んでもよい結果は得られません。プログラムが書けるくらいの力のある人たちが機械工学や農林業などさまざまな分野で活躍し、社会的な対話が生まれてくることが大切だと思います。

滝田 先生ご自身は長くプログラミングの研究・教育に携わってこられました。

 私は工学部計数工学科の出身ですが、当時、師事した教授は、情報学は非常に大事だけれど、学部では数学でも、機械、電気でもよいので、何かバックグラウンドとなる勉強をしっかりした上で、大学院でコンピュータをマスターすべし、という考えでした。それも一理あるのです。どの学科であろうと、プログラムをうまく使って、機械や電気という対象分野を研究することが必要ですからね。ロボットも機械とプログラムの両方を知らなければ動かせません。私自身はプログラミング中心の研究をしてきて、それはとてもおもしろかったけれど、もっと外部と連携すればよかったという思いもあります。工学部の各学科で情報科学・情報工学出身の先生が教えたり、逆に情報科学・情報工学の学科に機械や電気出身の先生が入ったりすることが必要だと思います。

滝田 来年の日本大会では、世界から優秀な若者が集まりますね。

 1 週間の大会中は競技だけでなく、エクスカーションの時間もあります。つくば市での開催なので、高エネルギー加速器研究機構や宇宙航空研究開発機構などで、アルゴリズムはさまざまな分野で重要だということを話してもらえるといいなと思っています。何よりもこの大会を通して親しくなった若い人たちが、20 年後に世界の各界のトップとして交流してほしいですね。

(写真=佐藤祐介)

インタビュアーからのひとこと

 科学オリンピックの多くは、冷戦下の東欧諸国で始まった。早い段階でエリートを選抜し、国を担う人材に育て上げるという発想は、旧共産圏のスポーツ選手育成に通じる。
 情報オリンピックのメダル獲得数ランキングで近年、上位を占めるのは米国、中国、ロシアだ。東欧諸国も力を発揮している。
 今の日本に必要なのは、教育制度の異なる海外勢と競って、メダルを獲得することだけではない。情報オリンピックの存在感を高め、挑戦する生徒の裾野を広げることが大切だ。そのためには、高校の情報科のカリキュラムを充実させ、専任の教員が生徒の興味を引き出すような授業ができるようにするべきだろう。
 一方、才能ある子どもたちにとって、オリンピックはその能力を切磋琢磨する素晴らしいステージだが、人生のワンステップに過ぎない。この経験をもとに、参加者が将来、学術の世界や産業界で情報科学・情報工学の新しい地平を切り開いていけるか。普遍的な価値の創造が、情報オリンピックに求められていると思う。

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