Mar. 2016No.71

オープンサイエンス開かれたデータの可能性

Essay

科学者がかっこいい社会

AIZAWA Akiko

国立情報学研究所 コンテンツ科学研究系 教授

 最近、「好きなSFは何ですか?」という質問を受けた。中学・高校時代に愛読したSFを思い出しながら、そういえば、SFの定義は何だろうか、と考えた。諸説あるようだが、「SF」の「S」はサイエンス(=科学)であろう。そうすると、「SF」とは科学が進歩した未来世界を描いたフィクションのことだろうか?あるいは、科学が小道具になっている小説か。このようなあいまいさは、「オープンサイエンス」の定義の難しさにも通じる。科学への期待と夢想が入り混じり、その境界はなかなか明確に定まらない。

 オープンサイエンスは広範な概念を含んでいる。その一端を要約するなら、「科学を加速させるための革新的インフラ」となるだろうか。その中には、それぞれの分野が抱える構造的な問題への解決が含まれる。科学の各分野における阻害要因は多種多様であるから、オープンサイエンスが目指すところは、学術雑誌の出版コスト削減から、データへのID付与や引用、永続的アーカイブ構築、市民科学の推進まで多岐にわたる。これらが大きな動きとなり、誰もが参加できる開かれたサイエンスが実現すれば、それが大きなイノベーションへと結びつく。

 しかし、オープンサイエンスという言葉は、まだ歩き始めたばかりである。たとえば「オープンサイエンス」で画像検索をして、「ビッグデータ」や「クラウドソーシング」などと結果を見比べると、違いがよくわかる。検索される画像は文字満載のスライドが大半で、共通のビジュアルなイメージというものは見当たらない。確かに、目下のところ、「オープンサイエンス」はニュースに頻出するキーワードではないし、日常生活に密着している感じも少ない。言ってみれば、現状では抽象的かつ特殊なギョーカイ用語である。

 SFの話に戻ろう。筆者にとってのSFの定義は、「かっこいい科学者が登場する」ことである。頭脳明晰であり、優れた情報分析力と的確な状況判断で難問に立ち向かうヒーローやヒロインは、心底かっこいい。オープンサイエンスが示すのは、科学者が活躍する世界ではないだろうか。だから、画像検索で出てくるイメージは、颯爽としたかっこいい科学者であって欲しい。

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