Sep. 2025No.105

生成AI 光と影生成AIの便益、リスク、社会相関とNIIの研究活動

Essay

クリックされない訂正情報

デジタル時代の誤情報対策と心理的ハードル

TANAKA, Yuko

名古屋工業大学 基礎類 教授

(敬称略)

 災害時などに誤情報が拡散することは、1000年以上前から繰り返し観察されてきた。その背後にある人の要因を解明することは、心理学の重要な研究テーマのひとつである。近年は、SNSを経由した誤情報の社会的影響が深刻化する中で、この研究の重要性と学際的な発展の必要性が高まってきている。

 これまでの心理学研究が示すのは、誤情報は信じられやすい一方で、一度信じられた誤情報の影響を事後的に取り除くことが難しいという点である。事後的対応(デバンク)の効果は手法によって異なる。例えば、撤回(例:『誤り』などのラベル付与)と反駁(客観的証拠を示して説明)を比較した実験では、いずれの方法も誤情報の影響をある程度緩和できるが、誤情報に触れる前の状態に戻すことは難しいことが示された。さらに、撤回の効果は訂正翌日では反駁と同程度だったものの、1週間後にはその効果が薄れた。このような訂正の効果を阻む心理現象は誤情報持続効果と呼ばれるが、その記憶や推論といった認知的機序については未解明な部分も多い。

 これらの研究はデジタル環境での誤情報対策に、新たな問いを投げかける。主要なメディアによる訂正情報は、通常、見出しがリスト化された画面で表示される。見出しに撤回ラベルを表示することはできても、まとまった反駁の説明を読むにはリンクをクリックする必要がある。つまり、効果的な訂正を届けるためには、誤情報を信じる人自身のクリックが前提となる。果たして、誤情報を信じる人は、自分の信念を反駁する記事をクリックしてくれるのだろうか?確証バイアスと呼ばれる人の認知傾向を考えると楽観的な予測は難しい。むしろ、自身が信じることへの反駁記事は避けられるのではないか?しかし、この「避ける」というのはどのように実証するのか?クリックは測定できるが、多くのリンクは通常クリックされないため、「クリックされない=回避」とは限らない。

 私たちの研究チームはこの問いを検証するために、クリック行動の測定指標(Fact-Avoidance/ExposureIndex; FAEI)を開発した。これは「自分の信念に反する訂正情報を避ける傾向」を定量化し、参加者を「ファクト回避群/接触群」に分類するもので、この指標を用いて実験をしたところ、43%の参加者がファクト回避群に分類された。ファクト回避群は、信念に合致した訂正情報(例えば、誤情報をデマだと知っている場合の訂正)についてはファクト接触群と同程度にクリックしており、訂正情報全体を避けているわけではない。信念に反する訂正情報のみを選択的に避けるという特徴を持っていた。

 この選択的回避現象は、デジタル環境において訂正を届けることの難しさを浮き彫りにする。単に客観的根拠に基づく訂正記事を物理的にアクセス可能にするだけでは不十分で、ユーザーが選択的回避という心理的ハードルを超えてクリックする必要がある。現行のデジタル環境では、ユーザーが心理的ハードルを超えられず、誤情報を信じ続ける恐れがある。

 生成AIが悪用されると、膨大な偽情報に対する個別ファクトチェックが困難になる。また、画像や音声などの偽情報は高度化しており、人による判断には限界がある。これらには技術的支援が不可欠である。同時に、そのようなリソースや労力をかけた訂正情報を人に届け、活用されるための工夫も欠かせない。今後は、誤情報対策を技術的・心理的両面から強化するための学際的な取り組みがますます求められている。

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