SPARC Japan NewsLetter No.10 コンテンツ特集記事トピックス活動報告
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トピック2 学会からみた研究者ID ORCIDがもたらす学会への影響と連携の可能性

林 和弘(はやし かずひろ)
日本化学会・国際学術情報流通基盤整備事業運営委員会

● はじめに

本年初頭に「著者 ID の動向」という SPARC Japan セミナー1 を運営委員の立場で開催させていただき進行を執り行なった。そのセミナーでは、ORCID2 を中心とした著者 ID の動向について紹介し、運営面について(NII 武田先生)、技術面について(NII 蔵川先生)、そして各ステークホルダーに与える影響について(物質・材料研究機構 科学情報室 谷藤室長)比較的包括的な話題提供をいただき、ディスカッションを行った。ORCID とは Open Researcher & Contributor ID の略で、世界中の研究者に ID を付与するプロジェクトであり、研究者の厳密な同定と全履歴を通じた研究実績の定量的な把握、評価を可能にするものである。今回は改めて筆者の所属する学会に軸をおいた ORCID の影響についての論考を執筆させていただく機会を得たので、学会の立場から改めて考察する。投稿査読システムや電子ジャーナルの開発の経験も踏まえて、著者 ID ないしは、研究者 ID の統合をどのように捉えてきたかについても触れ、研究者 ID の統合が学会にどのような影響が考えられるかについても述べたい。

なお、すでに行われたこの SPARC Japan セミナーの冒頭にて概要説明をさせていただいた際に、基本的な概念と背景についても紹介させていただいた。学会に軸足を置く論考ではあるが、基本的な考えの拠り所に差は無く、結果的に内容が多少重複する点があることはお許しいただきたい。

また、改めてこの論考の前提として指摘しておく必要があるのは、人の ID はすでに必要に応じていくらでも作られていたが、あくまで、それは閉じた世界でしか使われなかったことと、コンピュータリソースの飛躍的な向上とネットワーク環境の発展によって、人の ID と他の情報とを容易に繋げられるようになったことである。

最近でも東京電機大学が千住キャンパス開設を機に ICT 基盤をクラウド化する際、統合 ID 管理システムにより大規模な ID 配布を行い、来年度より全キャンパスの教職員・学生・卒業生に加えて、派遣社員やアルバイトなどのパートナー、図書館利用などの外来者、取引先業者などの外部業者など関係者情報にも、統一した ID を付番して一元管理するというニュースが入ってきた。3 これらは当然大学内の様々な情報と連携することになっていくだろう。

このようにして様々な人と他の情報がリンクされるようになった現在、特に学術情報流通においては研究者と研究費とアウトプットとの相関、すなわち「どの機関の誰が、どの研究費をもらってどの様な研究成果を出したか」に代表される、新しい価値ある情報を生み出せることが分かり、すでに情報サービスとして製品化もされている。このような情報サービスの拡張を進め、他のデータベースと国際的に連携してさらなる価値を生み出すためには、世界共通の仕様と運用の取り決めが必要となることは必至であり、これが ORCID を成立させた背景であると言ってよいだろう。

● 学会の持つ研究者 ID

さて、学会でも事実上の研究者 ID を長らく管理していた。いわゆる会員番号である。これはインターネットの浸透どころか電子化以前から、事実上は学会発足時から管理されていたと言って良い。会員名簿の管理は学会の最重要業務であり、会員管理システムは学会の基幹システムである。大げさに聞こえるが、学会の始まりから数えれば数百年、日本化学会でも約130年に渡って化学者の情報を管理した歴史を持つことになる。

一方、論文誌のデジタル化、すなわち電子ジャーナル化が進むと、主に投稿査読システムにおいて新しい研究者 ID がふられるようになった。いわゆる投稿者、審査員、編集委員の ID である。日本化学会でも、まずは、いわゆるカード型のデータベースを用いた査読の進捗管理が行われ、それぞれの役割のマスターカードに専用の番号ないしは識別子を付け、この識別でリレーショナルデータベースを構築して事務作業効率の向上を図った。1990年代後半に作られたこれらのデータベースはまだ1学会内の閉じたマシンの中の世界にあった。2000年代より汎用の web 投稿査読システムが浸透してくるに従い、統一された査読システム内で、各投稿者、編集者等のロールを管理しその統合システム内で識別子を管理するようになった。このような情報は、主に ASP サービスと呼ばれる学会とは直接関係ないインターネットインフラ上にデータが置かれ、会員システムとの連携は大手学会を除いては稀である。むしろ投稿者、審査員データをメンテナンスし、過去の投稿、出版、査読状況を把握し、編集業務を効率化することに焦点が置かれていた。

● Publisherとしての著者識別の問題、CrossRef の Author ID

一方、論文誌の電子化自体は先の投稿査読より、まず出版の電子化から進んだ。そして、どの機関の誰がどれだけの論文を出版したかが計量できるようになった。より正確に言えば、冊子の頃と比較して計量のための作業効率が格段に向上し、著者や機関と研究成果の関連性の注目度がアップした。その中で、論文は引用情報という形でその整形化が早くから進んでいたことに対して、著者や機関の管理に関しては曖昧な点が多く、様々な混乱と解決の困難さを招いた。4

ここで、出版社連合のプロジェクトとして論文誌の識別子(DOI)を与え、引用リンクを生成させることに成功した CrossRef が著者にも識別子を与えて管理することを検討しだしたことは極めて自然な流れであり、2007年2月にはオープンな呼びかけが行われている。5 筆者は当時この動きを大変注視していた。しかし、それから数年間特に大きな進展はなく、具体的な活動に移る前に ORCID でより包括的に検討されることになった。CrossRef ではなぜ研究者 ID のイニシアチブを取れなかったのか。理由としては、まず、論文の識別と論文同士のリンクは技術的要因を主とした議論が進んで運用もうまくいったが、こと人の識別と論文や研究費とのリンクまでに話が拡がってしまうと、技術的要因よりも政治的な要因によって物事が決定されていくため、進めにくかったのではないかと筆者は考えた。そして、リンクのための論文情報の管理は出版者が行い、そのメンテナンスコストを支払うのは当然とも言えるが、こと研究者の情報の管理となると、果たして、出版者だけがその情報のメンテナンスコストを賄うのは正しいのだろうかという論点もある。特に、後者の研究者情報のメンテナンスコスト負担の点においては、おなじく研究者情報を独自に管理していた SCOPUS、Web of Science を有する Elsevier、Thomson Reuters 社でも同様の、引用 DB ベンダーだけが研究者管理コストを負担すべきなのかという論点を抱え、今回の大団円に繋がったことは想像に難くない。本稿の執筆にあたり、CrossRef の Geoff Bilder 氏に私信として多少ウェットな面も含まれるこの2点を伺い、概ね同意を頂いた。その上で、各ステークホルダー間の信頼関係をどのように構築し、維持していくかが最重要課題であることを確認した。

● ORCID の運用を補う可能性のある学会のルーティン活動

図1: 学会と ORCID 図1: 学会と ORCID

さて、ORCID は名だたる出版者、大学(図書館)、データベースベンダーを含む関係者大横断の理想的な組織である。理想的ではあるが、世界的規模であるために実運用上にて中小規模の学会との連携を必要とする可能性が考えられる。

実際に日々、研究者情報のメンテナンスを分野別に恒常的に行えるのが学会のアドバンテージである。まず、研究者情報の更新は会員サービスとして通常業務内にすでに含まれているために追加コストを必要としない。続いて研究者が研究対象を変えて学会を辞めない限りにおいて、数十年に渡るプロファイル管理が、これも原則追加コストは無しに可能である。前者の情報管理自体は大学でも教員管理として可能であるが、後者の長期メンテナンスに関しては、大学教員の人事が流動的であるかぎり、大学横断の連携を前提とした仕組みが必要となる。また、ブランド力のある大手商業出版者が、投稿査読システムや出版物を管理する結果として長らく研究者の情報をメンテナンスする可能性もあるが、商業出版の事業効率は原則的に「良い原稿を執筆する著者を選択して管理したい」方向に向かうために、その分野のコミュニティ全体を管理する学会とはそもそもの管理方針が違うことになる。すなわち、ある教義(Discipline)の研究者集団の情報を数十年に渡ってコツコツ管理するのは学会が得意とすることである。日本の学会に区切った場合でも、漢字や特殊文字等の取り扱いに始まり地域密着性を生かした研究者情報の質の高さでその存在をアピールすることは可能である。

これらのアドバンテージは将来的に研究者情報とその周辺情報を包括的に整理する業務に置いて連携を行うポテンシャルを有しているといえる。例えば各国の学会が ORCID に登録する研究者情報のメンテナンスに協力して共存共栄することは、可能性としては十分にあり得ると考えている。

ただし、今の日本の学会ではあくまで会員管理システムの域から出ていないところが多く、システム自体も学会ごとの閉じた世界に留まっていることがほとんどであり、特に研究成果などとの連携を行なっている学会はまだほとんど無いと推察される。これをどのようなビジョンをもって拡張させ、連携を図れるかはそれぞれの学会次第である。欧米の大手学会ではすでに独自に業績評価との連携を図っているところもあると聞く。日本でも例えば学会が分野ごとに連携、連合してこの研究者を取り巻く新しい環境に包括的に対応させていく必要はないだろうか。

また、そもそも個々の会員、すなわち研究者自身が、世界レベルで研究者が識別されてようとしている現在と展開によっては世界レベルで業績の管理がされてしまうかもしれない将来を認識しているだろうか。学会のビジョンを策定するためにもまずは、今 ORCID とその周りで何が起きようとしているかを会員でもある研究者自身が正しく理解する必要があるだろう。

 

以上、世界中の研究者を管理することを将来的には可能にしてしまうかもしれない ORCID プロジェクトが進行することによって、見ようによっては学会の主権を脅かしそうな雰囲気も感じられるが、日本を含むそれぞれの学会が、著者と研究費と成果を結ぶことで生まれる学術情報流通の効率化に貢献できる手法はいくつかあるのではないだろうかと考えている。

● さいごに

ORCID が制定されたことによって、研究者のプロファイル管理、特にメンテナンスを担うのは誰か?という問いが各ステークホルダーに投げかけられた。それは、出版社、データベースベンダー、図書館を含む大学、学会などの既存の関係者に対してであり、加えて研究助成団体などの比較的新しい関係者にも投げかけられ、学術情報流通の中での役割の再編を促していることはほぼ間違いないだろう。学会も今のままの学会ではあり得ないと考えられる中、この研究者 ID の課題を会員サービスと併せて実運用ベースでどのように解決できるかは、新しい学会像を切り拓く上で不可欠のものと考えられる。日本の学会でも、国内外の学会との連携や業種を問わない連携を念頭に、研究者 ID の運用に関わることによって、結果的に会員のプロファイルを向上させる取り組みを考えていく必要があるだろう。

 

謝辞とお断り

本稿執筆は、学会、図書館、出版社、データベースベンダー他さまざまな関係者との公私を問わないディスカッションを経て執筆されたものです。関係各位に謝意を表します。

なお、本稿はあくまで筆者個人の論考を表現したものであることを念のため申し添えさせていただきます。

 

 


参考文献
1. 第7回 SPARC Japan セミナー2010「著者IDの動向」(趣旨説明). http://www.nii.ac.jp/sparc/event/2010/20110114.html
2. http://www.orcid.org/ (日本語:http://www.orcid.org/node/281
3. http://cloud.watch.impress.co.jp/docs/news/20111021_485034.html
4. 林 和弘. 論文誌の電子ジャーナルをめぐる最近の動き. 科学技術動向. 2009, no. 100, p. 10-18.
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt100j/0907_03_featurearticles/0907fa01/200907_fa01.html
5. http://www.crossref.org/CrossTech/2007/02/crossref_author_id_meeting.html