SPARC Japan NewsLetter No.15 コンテンツ特集記事トピックス
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SPARC Japanに参画して 「日本数学会からの報告」

下越 弘子(しもこし ひろこ)
一般社団法人 日本数学会 ジャーナル編集担当

● 過去の話

Journal of the Mathematical Society of Japan

2005年1月、道路わきに雪が残る坂道を登って東北大学へ向かっていた。「デジタル出版とデジタル図書館に関する公開フォーラム」に参加するためである。学術出版物の主導権を商業出版社が握るようになり、その結果、学術雑誌の価格は高騰し研究者に欠かせない資料の入手が世界中で困難になっている。ジャーナルの電子化で従来の出版システムが通用しなくなりつつある。また、蔵書の保管場所の問題、オープンアクセスへの要求などのために新しいシステム構築の必要性に迫られている。このような状況に対処するため、コーネル大学図書館が Digital Publishing System の開発に取り組んできたという話だった。また、World Digital Mathematics Library and Retro-digitization Project についての構想も語られた。数理科学の基礎研究はあらゆる科学技術の基礎をなすものであり、物理学、経済学を始め、あらゆる分野で応用されている。これまで人類が築き上げてきた学術的遺産を生かすためには、データを最大限に活用したデジタル図書館を整備していくことが求められる。そして、大量の論文や過去の資料に世界中のどこからでもアクセス可能で、それらが相互にリンクされているという世界について熱く語られた。これが私にとって、電子ジャーナル、デジタル図書館などというコンセプトとの最初の出会いであった。なんという夢物語だろうという感想を持ったのを良く覚えている。あれから8年。DOI、CrossCheck、CLOCKSS、ORCID、MathJax のようなサービスシステムも普及してきた現在、ジャーナルを取り巻く環境は驚くほど変化してきた。

● SPARC Japan 選定誌になってから

数学会のジャーナル、Journal of the Mathematical Society of Japan は、2005年11月に SPARC Japan の選定誌となり、電子化への道が始まった。新規に出版する論文は、Project Euclid のプラットフォームで公開し、過去に出版された論文のアーカイブを電子化するに当たっては、膨大な数の著者から著作権委譲を受け、少しずつ Project Euclid にアップしていった。その間ホームページも一新し、投稿先メールアドレスも公開。その結果、投稿数は倍増し、2000年のインパクトファクターが0.317であったのに対し、2011年には、0.63とこれも倍増である。(数学分野におけるIFは、世界のトップ雑誌でも2から3ほどである)。アクセス数に関しては、統計を取り始めた2007年は年間で6,000件強であったものが、現在では1ヶ月で9,000件を越えるまでになった。個人的には、SPARC Japan に参加して得た知見や人脈は、何にも代えがたい財産になっている。

● 今後の課題

デジタル出版のみならず、2005年当時、夢のようだと思っていた論文相互のリンクやデジタル図書館は既に当たり前になったが、今後の課題も見えてきた。まずは、確固としたビジネスモデルが確立していないことである。数学の論文は、医学、化学、物理学などと違い、特許や産業界との絡みが薄いためオープンアクセスに向いているのだが、無料公開するためにはその資金の調達を確保する必要がある。しかし、投稿料や掲載料を取ることは、数学の世界ではあまりなじまない。そのため、3年間のエンバーゴ付でのオープンアクセスにして購読料モデルを採用しているが、現在の価格が果たして適切であるのかどうか、はなはだ心もとないところがある。また、メガジャーナルなどの出現でオープンアクセス論文が次々に出版される中、どのように visibility をあげ、世界的な競争の中で存在感を示せるのかも大きな課題になっている。そして何よりも、他の学会誌同様、世界の第一線で活躍している日本の著名な研究者が日本の学会誌に投稿したがらない傾向があることも、日本のジャーナルが抱える根源的な問題であろう。

過去8年間の動向から判断すると、今後の10年は、さらに目まぐるしく環境が変化すると思われる。楽しみでもあり、怖くもある。