SPARC Japan NewsLetter No.13 コンテンツ特集記事トピックス活動報告
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Mendeleyの可能性を探る:歴史学研究の立場から

崎山 直樹(さきやま なおき)
千葉大学

● 学術の未来

2011年12月に千葉大学にて、MendeleyのCEO、Victor Henning 氏を招き、アカデミック・リンク・セミナー「新たな文献管理技術が切り拓く研究・教育の未来」が開催された。私は後半のセッションにてディスカッサントを務め、人文学の研究者の立場から素朴な疑問を投げかけた。また Mendele yの人文学への影響については、『人文情報学月報』第6号に簡単な解説を寄稿した 。1

私が Mendeley に対して期待していることを簡潔にまとめると、次の3点に要約できるだろう。(1)学術情報の流通経路の開拓。特に日本語で著述された学術情報の流通する領域の拡大が期待できる。(2)研究活動をこれまでとは違った指標で可視化することができること。Mendeley は登録した論文の「読者」、「属性」(職種・専門・地域)を示してくれる。Mendeley が提供するこのデータは、将来的にインパクト・ファクターに置き換わっていくかもしれない。特に人文学の場合、これまでのインパクト・ファクターでは実際の研究状況を反映しきれていないと指摘されており、Mendeley を通じて収集され、提示されるデータは、研究評価の指標として活用できるかもしれない。(3)研究者間での情報交換が促進されること。書誌データあるいは論文そのものを前提とした議論というものは、これまで学会や研究会が担った機能である。しかし昨今では、研究者の研究時間の減少に伴い、学会や研究会の活動が低調となっている。Mendeley の SNS 機能は、学会や研究会が担ってきた、学術情報の交換やそれに基づいた議論という機能の一部を代替するかもしれない。

これに加え、震災以後に問題になっている「科学と社会」の関係性を再構築するという課題にも Mendeley のようなソフトウェアは貢献出来るだろう。学術論文をはじめ科学者によって生産された学術情報は、科学者だけに独占されるものではない。しかしその解釈や扱い方には充分な注意が必要とされる。科学者と社会の間でのデータの共有、および共有データに基づいた議論を行うことを支援するためのツールが必要とされている。特に学術論文のオープン・アクセス化の進展に対応しつつ、その情報を効率的に、そして正確に扱うためのソフトウェアの開発・発展は今後重要性を増していくだろう。

● 人文学の現状―歴史学を中心に

しかしながら情報の電子化に関する人文学の状況は芳しいものではない。コンピューターを用いて人文科学諸分野に関する調査、研究、教育の革新を目指したデジタル・ヒューマニティズの台頭は、確かに目を見張るものがある。テキスト分析技術、GIS、マルチメディアの活用によって、これまで扱えなかった大規模データの分析が可能となり、分析データの提示の方法も変化が生じている。しかしながら、これはあくまでコップの中の嵐に過ぎず、大半の研究者にとっては、対岸の火事である。

ここで松林による歴史学研究者の実態調査を参照しよう。2 この調査では歴史学研究者が研究を遂行するために行う情報収集の諸相が分析され、電子データへの対応が遅れている実態が明らかにされている。例えば「電子ジャーナルの利用度」という項目を見てみよう。私の専門である西洋史は他の領域と比べて、海外の研究動向を参照することも多く、電子ジャーナルの利用頻度は高い領域と考えられる。しかし2007年に行われたこの調査では、約3割の西洋史研究者が電子ジャーナルを「利用したことがない」と答えている。最も利用が進んでいない日本史の場合、その数値は44%を超える。

その理由は単純である。松林がまとめているように「いずれの領域においても「紙のほうが読みやすい」が最も多く6割強、ついで「読みたい雑誌が電子ジャーナルになっていない」が半数強という結果になっている。また「現状のやり方に満足しており、変える必要性を感じない」という歴史学研究者の声も収集されている。しかし紙媒体よりも扱いやすく、必要な雑誌が電子化されれば、「現状のやり方」よりも望ましい状況になるだろう。特にまとめで言及されているように「史料」「学術書」「大学紀要」の電子化は、状況改善のための鍵を握っている。

実際にこの調査が行われた2007年と比べ、歴史学研究ための情報基盤の整備は急速に進展している。例えば西洋史分野に関しては、Google Books, Europeana といった Web サービスを通じて、これまでアクセスが困難であった史資料をダウンロードすることができるようになった。日本史、東洋史領域においてもアジア歴史資料センターや国会図書館近代デジタルライブラリーが整備され、利用可能な史資料は増加している。大学紀要に関しても、各大学におけるレポジトリの整備および CiNii の改良によって、利便性は高まっている。

● Mendeley のメリット

情報の電子化によって、個人の研究者が扱うことが可能なデータの量は爆発的に増加した。またメタデータや DOI の整備に伴い、書籍のみならず史料に関しても、それらに基づいた管理の方法が模索されている。このような情報量の拡大を研究の進捗に結びつけるためにも、文献管理ソフトウェアの導入は必須となりつつある。しかしながらこれまで EndNote に代表される文献管理ソフトウェアは高額であり、研究者はともかく、学生に気軽に薦められるものではなかった。

このような状況で、私が注目したのが Mendeley であった。Mendeley のメリットは、(1)マルチ OS に対応、(2)基本的にフリーソフトである、(3)既存の論文データベースから書誌データの取得が容易、(4)BibTex 形式に対応しているために他のソフトウェアとの連携が容易、(5)クラウド領域へデータを保存するため Web およびモバイル環境との連携が可能、ということが挙げられる。教育という観点から見た場合、これらの条件は幅広いユーザーを想定することができ、またソフトウェアを利用する局面も多く、非常に使い勝手の良いソフトウェアである。

出典: Victor Henning(2011)第2回 SPARC Japan セミナー2011, http://www.nii.ac.jp/sparc/event/2011/pdf/2/1_henning.pdf

日本においては著作権上の縛りが厳しいため Mendeley の最大の特徴である情報共有機能は制限を受ける。しかし高等教育機関における授業で利用する場合、著作権上の規制が緩和されるため、学術論文や資料を共有することもできる。特にグループワーク、共同作業を行う演習では、この機能は最大限に生かされている。

もちろん Mendeley は教育だけに限定されているものではない。人文学の研究において、特に共同研究の場面で、非常に有効なツールとなる。共同研究の場合、メンバー間での情報共有が研究を進める上で何よりも重要となる。しかしながら、地理的な条件や時間的な制約もあり、共同研究のメンバーが一堂に会し、情報交換を行うことはなかなか難しい。これまでもメーリング・リストを通じて情報交換や議論を行ってきたが、一度に送付できる情報の容量や、議論の蓄積という点で課題があった。Mendeley の場合、例えば PDF へ加筆した注釈情報を共有することも可能であり、またグループ内での議論も Mendeley Desktop 上で保存されるために、個々の研究へのフィードバックが容易となっている。

とはいえ Mendeley にはまだまだ改善の余地が残されているだろう。例えば日本語書誌データの引用支援が挙げられる。これは標準化された日本語論文のスタイルが策定されていないことに起因しており、Mendeley のみならず、日本の学術界の課題であり、学術情報の流通促進を考える場合、避けては通れない課題であろう。

 

 


参考文献
1. 崎山直樹. ”Mendeley ワークショップと人文学への影響”. 人文情報学月報. 6号, 2012.
http://archive.mag2.com/0001316391/20120127213404000.html
参考:千葉大学アカデミック・リンク・センター・セミナー. http://alc.chiba-u.jp/seminar/report006.html
2. 松林麻美子, 岡野裕行. ”歴史学および日本文学研究者に対する実態調査からみる人文科学系研究者の情報行動”.
筑波大学知的コミュニティ基盤研究センター・モノグラフシリーズ. 筑波大学知的コミュニティ基盤研究センター. no. 4, 2010.
http://www.kc.tsukuba.ac.jp/monograph/monograph04.pdf