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東京都立戸山高等学校

「はじめての量子力学」 ~ようこそナノワールドへ~

平成24年11月10日(土)

授業時間
15:30-17:50 140分×1コマ

対象者・人数

高校1年生 49名、2年生 21名、3年生 2名
東京理科大大学院理学研究科応用物理学専攻修士2年 2名
一般 34名、教員 数名

出張授業担当者:

  • 上村 洸(アドバイザー・東京理科大学)

1.講演の目的と要旨

量子力学が誕生して2025年に100年になります。その頃の日本の発展を担う現在の高校生に、ナノサイエンス・ナノテクノロジー時代の日常生活の中で、TVのリモコン、LED電球、ルビーなど宝石の色や人間の赤血球の色など、日頃いかに量子力学と身近な生活を送っているかを知ると同時に,量子力学の基礎を学ぶための講演会を都立戸山高校が企画をされ、私に講演を依頼されました。
2時間の講演でこの企画に応えるには、どのような講演をすればよいか、いろいろ考えてみた結果、高校生の好奇心を喚起するテーマを示しながら話を進めるのがよいのではないかと考えました。好奇心を喚起するテーマとして、家庭の電球が、白熱電球からLED(発光ダイオード)電球に変わりつつある現状を高校生の聴衆がどの程度認識しているかの問いかけからスタートしました。白熱電球とLEDのスライドを見せながら、「最近は、白熱電球のワットの時代から、LEDのルーメンの時代に変わりつつあるが、夜勉強をする机の上を照らす電球を白熱電球からLEDに変えようとして電気屋さんに買いにいくと、明るさを表す単位がワットではなくルーメンになっていて、ビックリしませんか」と問いかけましたら、生徒の目がいっせいに光ったように見えました。しめたと思って、「LEDの光は、半導体から発せられていて、電場で加速されたマイナスの電荷をもつ電子が、プラスの電荷をもつ孔に飛び込んだ時にでる光の明るさで、夜私たちは勉強をしているのです。照明のもとは、電流から光に変わりつつあります」、それでは「半導体は何故光るのでしょう」、「この謎を解くためには、ナノメートルの世界(ナノワールド)を支配する量子力学を勉強しなければなりません」というように話をしていきましたら、生徒の目が益々輝いてきました。
ここで、宇都宮聖子先生からお借りした「ナノワールドに見られる不思議な現象は、“波と粒子の二重性”」というスライドを見せて、「光とか電子とか気軽に言葉に出しているが、実はナノワールドでは、光も電子も波と粒子の間を変身する忍者なんです。これから、光や電子がどうして忍者なのか、ナノワールドに出かけて勉強しみましょう」と言って、本題に入りました。
講演では、3回ほど休憩時間を設けましたが、大勢の生徒たちが質問に演台まで押しかけてきて、休む暇はありませんでした。最初の休憩時間後は、頭の体操と称して、藤嶋昭東京理科大学長からお借りしたスライドでピラミッドの話をしました。2度目のブレークで、半導体のエネルギー・バンドの話をした直後でしたので、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でネービル・モット先生と不純物バンドの研究をした話から、キャベンディッシュ研究所の歴史の紹介をしました。最後の休憩の時は、電場をかけたpn接合からLEDの原理の話をしたついでに、pn接合と関連して太陽電池を発明したカール・フラー博士とベル電話研究所時代に親しくお付き合いをした話とトランジスタを発明したベル研究所での研究者の心構えについて話をしました。
脱線をしたために、ルビーや赤血球など固体あるいは生体中での遷移金属イオンによる色の起源の話をする時間がなくなりました。最後に、モット先生やフラー博士の巨人との出会いが人生を素晴らしい方向に変えることになったので、ニュートンの「巨人の肩」の話をして、「生徒さんたちも是非巨人を見つけて肩に乗り、遠くを見通して、自分の名前がよい意味で残るような活躍をして下さい」と締めくくって、2時間20分の講演を終えました。

2.都立戸山高校の先生による講演内容の紹介とご感想

スーパーサイエンス担当主任(物理)の霜山一夫先生が、講演内容を戸山高校のホームページに詳しく報告されていますので、先生のご好意により、その報告を掲載させて頂いて、聴衆からのフィードバックと致します。
量子力学が誕生してからまもなく100年を迎えようとしています。ナノサイエンス・ナノテクノロジー時代の21世紀にふさわしい講演会を企画しました。
上村先生は戸山高校が都立第四中学校(昭和18年7月1日に東京府と東京市が一体となって東京都となり、府立第四中学校も都立第四中学校となる)として現在の新宿区立牛込第三中学校がある場所に建っていたときの卒業生で、今年で82歳になります。第二次世界大戦の東京大空襲で校舎が焼かれ、国民学校(現在の小学校)の教室を借りて授業を受けました。数学・物理・化学は近くの東京物理学校(現在の東京理科大学)を卒業した先生が物理学校の「実力主義」の伝統で熱心に授業を行い、予習を怠り質問に答えられないと廊下に立たされたり、戦後は生徒が教育を受ける権利を主張すれば、教室の中に多くの生徒が立たされたこともあるスパルタ教育であったことを懐かしそうに楽しそうに語っておりました。
戦後の混乱期で、卒業証書をもらわないまま旧教育制度の私立武蔵高等学校理科に入学し、占領軍の命令で旧教育制度の高等学校が無くなると、新制度の東京大学に入学、理学部物理学科を卒業して、新制度の東京大学大学院博士課程(物理学専攻)を修了(理学博士)、東大理学部助手、ベル研究所研究所員、キャベンディッシュ研究所客員研究員、東大教授、日本物理学会会長、東京理科大学教授、英国物理学会名誉フェロー、東大名誉教授、理科大名誉教授となり、平成18年に教授職から引退され、現在は東京理科大学特別顧問です。当日の赤いネクタイは、英国物理学会名誉フェローのヒッグス先生の業績を記念して作られ、英国物理学会からプレゼントされたもので、ヒッグス先生の予言された「ヒッグス粒子」が宇宙空間(真空)を飛び回っている様子が描かれていると仰っていましたが、残念ながら客席からは見えませんでした。

ヒッグス粒子の描かれたネクタイをしめて、身振りをまじえて熱演された上村洸先生。
左端は、ゼスチャーで、レーザーはコヒ-レントな光であることの説明をしているところ

講演会の全体の雰囲気

講演の本題に入ります。ナノワールドの大きさのイメージを、地球:リンゴ=リンゴ:フラーレンC60のたとえで説明し、現在は白熱電球がLEDに変わる時期にあり、明るさの指標が「ワット」から「ルーメン」に変わる時代になったこと、「ルーメン」の定義の説明に続いて、ナノワールドの電子の振る舞いに注目して考えてゆくことから量子力学の話しが始まりました。半導体電子部品の例として、直径63.5cmのホトマル(カミオカンデの光電子増倍管)、小惑星探査機「はやぶさ」の赤外線センサーとX線分析装置、すばる望遠鏡の超大型半導体カメラ、植物栽培工場の半導体レーザーなど浜松ホトニクスの製品をいくつか紹介していただきました。

  • ナノワールドは極微な世界

  • 光電効果の実験と結果

  • 物質波?

  • ド・ブロイさんとは?

1879年、JJトムソンが電場で陰極線を曲げる実験を行い比電荷e/mを測定し、陰極線の正体が電子という粒であることを見つけました。1916年のミリカンの光電効果の実験で光の粒子性が証明されたことで、波だと思われていた光が粒子でもあることが実証され、光はアインシュタインの予言する波動性と粒子性の二面性をもつという認識に至りました。アインシュタインが1921年のノーベル物理学賞を特殊相対性理論ではなく光電効果で受賞したことを嬉しく思っていなかったという興味深いエピソードを聞かせていただきました。光は波だと思っていたのに粒子だったのなら、電子は粒子だと思っていたが波として捉えてみようというド・ブロイの天才的な発想とド・ブロイがパリ大学の歴史学科を卒業して、物理学科に学士入学をした話を聞かせていただきました。このあたりから、電子のボーア軌道の「円周2πr=波長の整数倍」という量子条件やプランク定数hや波数kを用いた複素関数の波動方程式、シュレディンガー方程式が相次いで登場し、予備知識のない生徒達が話しについて行くのがつらくなってきました。

  • 量子条件と複素数で表される波動関数

  • シュレディンガー方程式

  • 水素原子のとびとびのエネルギー状態

波としての光(電磁波)が、位相の揃ったコヒーレントな状態であれば、ダブルスリットを通過後に干渉縞をつくるヤングの実験の電子版として、電子線のバイプリズムを利用した外村彰博士の干渉実験の結果と説明が続きます。ひとつずつ電子を打ち込んだのにたくさんデータをとると不思議なことに干渉縞があらわれるという古典物理学では説明のつかない実験結果です。そして水素原子のエネルギー準位のエネルギー値がとびとびの値を取ることから量子化という概念が生まれ、それがナノワールドの本質であることや、水素原子2個からどうして1個の水素分子が誕生するかについて、結合状態の波動関数の重要な振る舞いについての説明があり、ここで5分ほど休憩が入りました。難解な概念や式が登場しましたが、数式の質問などで高校一年生の生徒が上村先生を囲みましたことを、「戸山の生徒さんの好奇心はすごい」と講演後に評価しておられました。

  • 水素原子ではなく水素分子のエネルギー状態

  • 電子線の干渉実験と結果

休憩後は、コーヒーブレイクの話題として理科大の藤嶋昭学長から借りてこられた写真で、4500年前にエジプトのクフ王が造ったピラミッドの話がありました。ピラミッドの調査のために傍らに建てられた建物の外壁に酸化チタンを塗ることで、壁が綺麗になるそうです。酸化チタンはまだまだ研究対象として魅力的で、社会の活用の幅を広げられそうです。

さて、量子論の続きです。休憩前の水素原子から水素分子になったエネルギー準位のスライドを復習して、さらに電子を増やしたことでシリコンSi結晶から作られた半導体のエネルギー・バンドの説明に発展しました。半導体の電子構造と光励起によるキャリアの生成、IV族シリコンにV族のリンPを不純物として入れると電子キャリアを供給するドナー準位ができること(n型半導体)、III族のボロンBを不純物としてプラスの電荷のキャリア(正孔)を造るアクセプタ準位が現れること(p型半導体)、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所モット先生と共同研究の不純物バンドの物理、pn接合と空乏層、pn接合後のエネルギーバンドの変化、pn接合に順方向に電圧を掛けた時n型半導体側から空乏層に進む電子がp型半導体の正孔と再結合することで発する光が発光ダイオードの原理との説明、半導体の禁制帯の大きさで発光ダイオードの光の色が決まる、太陽電池の原理・・・・・まで来て予定していた講演時間が無くなりました。最後にまとめとしてキャベンディッシュ研究所時代の思い出や量子コンピュータ、電子顕微鏡の話題にも触れていただきました。

  • 半導体のエネルギー準位

  • pn接合と発光ダイオードの原理

時間の都合で、宝石の色や血液の色の話が聞けなくて残念でした。それでも固体中の遷移金属イオンの色の謎とき、ルビーの吸収スペクトルとルビーのエネルギー準位やヘモグロビンの遷移金属の配位子場理論などは、あらかじめ配布されたカラー刷りの詳しい講義資料が理解の助けになります。電子線で加速電圧により波長がどのくらいになるかなど、将来に向けた宿題もその中には入っていました。

  • 参加者への宿題です

  • 上村 洸先生からのメッセージ

量子力学の入り口から身近な自然現象の紹介や、LEDやレーザーポインター、TVのリモコンなどの日常生活で使用している半導体デバイスの話題、光の波長やエネルギーは、とびとびの世界であることから、ひとつひとつを数えられる量子という考え方がナノスケールの世界では基本であること、最先端の量子通信、量子コンピュータ関連の話題に触れながら、量子力学の基礎を知る貴重な機会となりました。高校一年生向けとは言いながらも、知らず知らずのうちに最後は大学生レベル以上の高度な内容にまで我々を導いていただきました。
講演の最後に、「2025年、量子力学が誕生して100年になります。その頃の日本はどのような国になっているかをいつも考えて、理科の物理・化学・生物・地学のみならず、政治・経済・社会、特に外国のことなど、学問に分野は無いと思って、広く勉強していただきたいと願っています。」という熱いメッセージを戴きました。
本日の講演のために142枚もの多くのスライドを準備していただき、そのスライドを先生のご厚意でSSHホームページにアップさせていただきました。本日の講演会で理解が難しかった高校一年生も、大学、大学院、研究者となってこのスライドを見返したときに、先生の伝えたかったことが本当に理解できるようになると思います。
携帯電話からスマートフォン、タブレット、カーナビゲーション、PCなどナノテクノロジーの恩恵にあずかる私たちの社会は、2025年になったら、きっと大きなフェスティバルを世界中で催して量子力学の誕生を祝うことになりましょう。

アインシュタインのエピソードの追加(上村 洸先生)

Einsteinは1905年に発表した3つの論文、特殊相対性理論、光電効果、ブラウン運動の理論のうち、特殊相対性理論に愛着をもっていました。1916年には、重力も含む一般相対性理論も発表しました。1921年当時、ノーベル物理学賞を審査するスウェーデン・ロイヤル・アカデミーが対象にしたのは、特殊相対性理論でした。しかし時空を統一する特殊相対性理論はユダヤ的と言って、光電効果を発見したフィリップ レーナルトとシュタルク効果のシュタルクの2人のノーベル物理学賞受賞者が批判をしていたので、ノーベル賞委員会は、光電効果を受賞理由に挙げたと、私が読んだ科学史の本に書いてありました。
このようなごたごたのせいでしょうか、理由は知りませんが、1921年のEinsteinのノーベル物理学賞の発表が保留になり、発表されたのは、1922年11月10日、来日のために乗船していた北野丸の船の中でした。1922年12月のノーベル賞授賞式の時は、1922年のノーベル物理学賞受賞者のニールス ボーアと一緒に受賞するはずでしたが、Einsteinは日本にいましたから、式典には出られませんでした。日本滞在中、相対性理論の講演以外は講演をしないと言って、受賞テーマの光電効果については、講演しませんでした。特殊相対性理論と一般相対性理論について、8回講演をしていますが、来日最初の講演会は、慶応大学の大講堂で、通訳を含めて5時間の講演をしたそうです。2005年12月に東京国際フォーラムの相田みつを美術館で開催された「アインシュタイン日本見聞録展」(理科大共催)で、そのことを知りました。Einsteinは1923年7月11日にスウエーデンのヨーテボリーで特殊相対性理論についてノーベル賞受賞講演をしました。この講演の収録されたノーベル賞講演集で、特殊相対性理論の講演に「この講演はノーベル賞の受賞講演とは関係が無い」とのコメントがついていたのを記憶しています。

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