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情報サービス分野における国際的な専門協力の運営
Managing International Professional Co-operation in the Field of Information Services

エリザベート・ジモーン (Elisabeth SIMON, Hon FLA)
ドイツ図書館研究所国際事業部長・英国図書館協会フェロー

訳 三浦 太郎(東京大学大学院教育学研究科)

今日、情報専門職の国際的な協力は実現されているのか?
国際的な場面における情報
専門職の人びとの協力による運営情報
国際協力の運営
専門的な国際協力の運営にはネットワークづくりが必要

今日、情報専門職の国際的な協力は実現されているのか?

 1999年3月に発行された「学術情報センター・ニュースレター」第19号の中で猪瀬博教授はこう述べている。「知的な活動が深化すれば、専門化は不可避である。しかし、それに付随して、専門的な事柄へのまったくの無関心が起こり、それが無制限に拡張することが、教養の洗練に対する脅威となっている」。猪瀬教授は続けて「それぞれの団体が、他を排除するかたちで人種的・文化的・宗教的・地理的な独自性を主張していけば、分裂状況はさらに加速されるであろう。その結果、新しい服装をまとった、古代部族制社会の復活をみることになるであろう」 。

 現在、「世界村」(グローバル・ビレッジ)(この表現には村内の人びとがお互いを知っているというニュアンスがある)、あるいは、世界中のすべての情報へのアクセスの実現を目指した情報社会といった言い方がなされるが、そうした文脈の中に猪瀬教授の見解はどう当てはめられるであろうか。おそらくは、今日の技術的な可能性、すなわちCD-ROMデータベースやとりわけウェブを通じて、あらゆる人びとが知識を分有しつつあるということが示されるであろう。これは革命的な考え方である。なぜなら、それによって、あらゆる種類の情報へのアクセスの機会が提供されるからであり、そこには、外国語で書かれた文献やテキストといった情報源 や、例えば外国語の技能を身につけるための学習情報源 、要求に合わせて出版された特別な書籍や出版物も含まれる 。

 モルダビアやウクライナといった国ぐににコンソーシアのような協力関係に基づいて、電子雑誌が提供されている。また、現在は大それた目標のように思われるかもしれないが、すべての図書館が世界中の情報源に関わる可能性も生まれている。そうして、学術的・科学的な研究成果へのアクセスが、現在、きわめて遠くに離れた国ぐにに対しても提供されつつある 。しかし、猪瀬教授はニーチェ(Friedrich Nietsche)の『ツァラトゥストラはかく語りき』における次の箇所も引用している。「私が学び人よりもよく知っている研究主題は、ヒルの頭脳である。(中略)その他のすべての事柄をわきへのけているのはこのためである。他のあらゆる物事に関心を示さなくなったのはこのためである。闇のような無知が、私の知り得た事柄のすぐ傍らに存在する」。

 私たちが現在直面しているいわゆる知識社会の中では、矛盾が広がりつつあるように思われる。一方では、ゆっくりではあるが着実に協力関係が生まれつつあり、世界規模で物事を論じるグローバリゼーションの考え方が、平和と繁栄にとっての鍵として認識されている。しかし、技術的な可能性が数段と高まったとは言え、教育や研究のような学術世界では、専門化、孤立化、多様な考え方の欠如、論じられる中身への無理解や基本的な認識の不一致といった問題が、さらに大きくなりつつある。これにともなって、特にコソボ紛争が端的な例であるが、バルカン戦争のときの政治的な状況と同じように、人間の暴力的で原初的な反応が突発的に起こることになる。

 今日では、あらゆる企業、協会、学術機関が、経済的な状況の中で、そして文化的あるいは教育的な状況の中で国際協力を志向している。見通しを立てていないか、もしくは対処の進度が遅いために国際協力を求めない機関は、かつてないほど国際競争が激しい市場において多くを失うであろう。現代において、ほとんど信じられないほどの企業が現れている状況は、経済的な理由からそうなったと言うよりはむしろ、マーケティングへの志向性や権力同士のぶつかり合いから生じたものである。どんな機関にとっても、国際市場の中に現れていることがとりわけ重要であり、そうした機関は必ず競争のただ中にいなければならない。

 図書館を含めて、国際的な学術機関ではウェブサイトが作成され、中には2か国語で情報を提供する機関も見られる。奇妙なことに、スロベニアやデンマークといった小国では、図書館や情報関連の企業がウェブ上で2か国語の情報を提供しているのに対し、例えばドイツの図書館ではほとんどの場合にウェブサイトは自国語でしか書かれていない。

 地方や地域ベースで会議が開かれる場合にも、基調講演には外国から重要な人物が招待されている。また、外国で国際会議を開くための準備がなされるほか、外国で国内会議を開くことさえある。こうした事実はあまり知られていないが、これは、機関の担当者が適切な情報をどこで収集すればよいかを知らなかったり、そうした情報を収集して選択するだけの時間をもっていないからである。講演者は比較のために外国における経験や国際的な経験について言及することが多いが、しばしば正直さに欠けるきらいがある。基本的な概念についての考えや、論じている国際的な状況への理解がなければ、そうした比較を行ったとしても、正確でないことがほとんどであるし、少なくとも核心はまったくとらえられない。

 専門職を取り巻く状況において国際的な協力は専門職の成功にとっての必要条件であるが、情報専門職の人びとは果たしてそれについて本当に自覚しているのだろうか。彼らは外国での経験を獲得しようとするが、それがもつ意味について本当に理解しているのだろうか。

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国際的な領域における情報

 現在、情報サービスの領域で働く人びとや情報専門家たちは、過去において国際的な協力が、このサービスの一部をなし、サービスの効果やその成功の度合いを決定するものであったことを忘れている。

 残念なことであるが、私たちは世界を国家主義的な目もしくは地域主義的な目をもって眺めており、つねに世界の発展が貿易によって促進されてきたことを忘れている。紀元前1600年から前600年にかけての青銅器時代に北欧に驚くべき文化性があったことは、エジプトの墓で発見された足台によって証明されるが、この事実は少なくとも、すでにヨーロッパに市場が存在していた可能性を示唆している。また、沿海に臨む亡命者の都市ヴェニスが、中世において度重なる戦争や過酷な運命にも関わらず繁栄した理由は、繰り返し他国との関係の構築を政治的に推し進め、中国とまでも交易を行ったためである。

 「情報市場」(マーケット)という概念を理解するには、国際的な事例を見ることが一番である。11世紀のトレドにはアラビア語、ギリシア語、ラテン語の聖典を解釈する学校が存在したが、ここでは、古代ローマと古代ギリシアにおける文化相互の影響関係を記した文献を見ることができ、またイスラム聖典の利用も可能であった。当時、書物の貸与や複製を行っていたのは修道院であるが、修道院のあいだで広範に書物の貸し借り(ILL)を行う基礎がこの学校によって形づくられた。その結果、今日では大規模な大学図書館、学術図書館、国立図書館、市立図書館に高価で貴重な蔵書が遺されている。その後、グーテンベルク印刷術がなかったなら、宗教改革とそのヨーロッパ諸国への拡大は実現しなかっただろう。グーテンベルク印刷術は、かつてないほど広範囲におよぶ国際的なつながりをもたらしたばかりでなく、宗教が政治と密接に結びついていた当時において、中央ヨーロッパを戦場とする三十年戦争(1618-48年)の引き金ともなった。ついにはそれが、中央ヨーロッパ諸国において今日でさえ見られる深刻な破壊状態の原因となった。

 国家の枠を超えた情報の利用が、政治的・文化的・宗教的・商業的な理由から、ここ数世紀のあいだ試みられてきた。その背景には、新聞、小冊子、書物の市場の拡大があった。そうしたメディアは以前には家柄との関連で重要視され、代償を支払ってでも一族の次の世代へと受け継がれてきたものである。しかし、啓蒙活動の進展とともに、地域の枠を超えて情報が発信され利用されるようになり、啓蒙的で教養ある市民たちによって、今日に認識されるよりももっと広範にそうした情報の共有がなされた。やがて、人びとの読み書き能力が向上するともに印刷体マスメディアが登場し、国民全体に向けた情報発信が行われるようになった。17世紀初頭から1870年にドイツが統一を果たすまでヨーロッパでは国民国家の誕生を見るが、この時期に情報はますます国際的に利用されるようになり、さらにはそうした情報の利用に政治的な権力や影響力が行使されることもあった。すなわち、教養ある市民の養成が国家的な目標となる一方で、権力を強めた国家によって市民の統制が図られたのである。1537年 にフランス国王フランソワ1世がパリに国立の図書館を建設したが、これは国家遺産の蒐集や保護を目指したものではなく、書物や特に雑誌に現れた「危険な」知的活動を監視するためであった。

 それから400年以上が過ぎて、旧ソビエト社会主義共和国連邦(previous international Sowjetunion)の一部であったエストニア共和国は、全ロシア化学技術情報研究所(Vserossiisky Institut Nauchnoi i Tekhnicheskoi Informatsii: VINITI)の提供する国際的なデータベースの利用を禁じられた。VINITIでは医学領域の論文データベースを提供しており、アクセスが禁じられた結果、エストニア共和国にいる医学情報の必要な人びとに大きな支障がもたらされた 。この理由については推測するほかないが、国家的な理由と政治的な理由が存在するものと考えられる。

 また、私たちが情報サービスの領域における専門職の国際的な協力を実現させようとするとき、考えなければならない点としては、国家的な観点のほかにも、社会や学界内における嫉み、羨み、団結力の欠如といった問題がある。情報へのアクセスが国際的に実現されたからと言って、専門職の人びとの国際的な協力が達成されるわけではない。

 そこで、協力の考えについてまとめておく必要がある。繰り返しになるが、情報への国際的なアクセスが実現されれば自動的に国際的な協力がもたらされるということはない。国際的な協力は言語、技術の進展状況、文化的な背景などによって制限を受ける。こうした要素がすべて情報リテラシーの形成に影響を与え、世界中で情報がいかに利用されるかを評価する際のもっとも重要な尺度となる。情報領域におけるアクセス、利用、協力の実現状況はさまざまに異なりうる。

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専門職の人びとの協力による運営情報

 国際的に情報へアクセスしそれを利用するためには、情報が管理されている必要がある。情報リテラシーの概念を狭く定義すれば、必要とされる技術的・書誌学的な技能を用いて、情報へアクセスしその処理を行うこととなるであろうが、ここには情報源に対する評価や判断といった重要な要素が反映されていない。国際的に利用可能な情報にアクセスしたり、そのパッケージ化や評価を行うためには、さまざまな分野の専門職の人びとが協力した国際的なネットワークが必要である。また、ネットワークのレベルに応じて、その実現の度合いは異なるであろう。

 専門職の人びとの協力は情報の分野の中でつねに重要視されてきたが、ほとんどの場合に目録法、分類法、文献提供、文献レビューとの関連において論じられた。今日においても情報専門職の人びとの中心的な論点は、世界中の情報源へのアクセスのほか、目録法や分類法の体系化および書誌コントロールにおける国際的な協力である。ただし、独自の道を歩んでいるドイツでは若干事情が異なる。

 以下に挙げる協会や研究機関などは、情報専門職の人びとのあいだの連絡調整に尽力しており、専門分野を超えた協力や提携が目指されている。
 国際図書館協会連盟(IFLA)
 国際情報専門職連盟(FID)
 国際技術図書館協会(IATUL)
 国際学校図書館協会(IASL)
 国際法学図書館協会
 国立・大学図書館常設会議(SCONUL)
 アメリカ図書館協会(ALA)の国際委員会
 イギリス図書館協会の国際グループ

また、ISO 2000のような規格やIFLAあるいはUNESCOが作成するガイドラインによって、国際環境における情報サービスの統一的な発展が保証される。同時にそれによって、専門職の人びとが職務を果たすための能力の平準化が図られ、誰もが必要な情報にアクセスしそれを入手する機会を提供される。

 上に挙げたような協会、あるいはここでは「試み」と呼ぶべきものは、これまである程度の成功を収めてきた。例えば、専門職の経験を国際的に交換するための合同の場を生み出すことによって、そうした協会が専門職の人びとにとっての国際的な環境づくりを行っている。特に小さなグループあるいはワンマン所帯や遠隔地で活動している専門職の人びとにとって、そうした連絡調整は心強いものである。こうした調整は、例えばルーマニアやアルバニアのように、社会主義時代に政治的な理由で外国から閉ざされていた国ぐににおいて、図書館情報サービスの発展を考える際に必要視された。

 しかし、ここ数年のあいだに専門職の環境は劇的に変化し、この傾向は今後も続くと思われる。この10年間で、比較的に若い世代の語学力は高まっており、彼らが教育課程や職場訓練の時期に体験する事柄はますます増えつつある。生涯学習の領域では次の2つを中心に議論が展開されている 。すなわち、情報リテラシーに必要な情報機器を操作する能力の獲得と、世界規模の情報社会に対応する語学力とである。そうして、将来の職場では国際的な経験が求められると予想される。これを裏づける事例のひとつとして、クロアチア図書館協会の例を挙げる。クロアチア図書館協会では、各メンバーからドイツ語や英語での講演の要請がなされ、前回の年次大会では英独語での講演プログラムが翻訳なしで提供された 。

 国を超えて経験の交換を行うことは、これまで国際的なイベントのような専門職の会議に限られていた。今後は事態は変わっていくであろう。なぜなら、国際的な経験が専門職の日々の経験の一部となりつつあるからである。ビジネスや商業の分野では国際化やグローバリゼーションの考え方が浸透しており、このことは、専門職の人びとがあらゆる点で国際市場を意識して考えるようになることを示唆している。そうした影響を受け、情報サービスも同じ方向性をもって発展していくと考えられる。情報提供機関は、一方で地域のコミュニティからの情報要求に応え、他方で国際的に活動することを強いられるであろう。国際的な活動とは、世界の情報へのアクセスを提供することばかりでなく、広がり続ける国際環境下でのあらゆる疑問に答えるため、情報相談や質問回答を行っていくことを意味している。

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国際協力の運営

 国際協力を実現するためには、まず昨年までとは違ったかたちで国際協力の概念を定義し、実現方法について改めて考える必要がある。こうした再考の作業によって、一時的には国際協力の活動に混乱が生じるが、やがて活動は活性化されていくに違いない。猪瀬教授は先に引用した論文の中で「専門化の進展とともに、問題の解決に当たっては、専門職の人びとが相互理解に基づき、共通の関心事について意見を交換し合うことが重要となってくるであろう。しかし、残念ながら現在では、こうした関心を共有するコミュニティの潜在的な力は無視されがちである」と述べている。残念なことに、これは国際協力の現状についても言い当てている。

 国際的な協会について先に簡単に述べたが、こうした協会が基準やガイドラインを作成し、世界的な規模で適用することを目指した結果、同じ目標をもつ人びとの経験が徐々に交換されつつある。こうして国際協力が促進されることによって、国際協力プロジェクトの実現も可能となった。現在では、協力の枠組みや手続きの処理について議論される時期にきている。

 インターネットは専門化の一因となっている反面、広い範囲での協力をもたらしており、ネット上ではひとつの事例がほかへ参照されるかたちで問題の解決がなされている。ある問題に関心のある人びとがディスカッション・リスト上で意見を交換したり、インターネット利用者がある機関に出した質問が担当部局へと伝達されていくことを見れば、問題が国際的に解決されている仕組みが了解される。そうしたディスカッション・リストや投稿メールに意見を送ると、ホームページに意見を掲載する場合と比べて、素早く正確な反応が返ってくる。また、母国語の異なる人同士がペアで相手の言語を学ぶタンデム学習は、対面でもしくはインターネットを通じて、地理的な制約を受けずに人が言語技能を獲得することのできる仕組みである 。さらに、電話を介してマーケティング業務を行うコールセンターや、情報通信手段を活用して人が仕事を行うテレワークもまた、国際性に対応し柔軟であり、新たな可能性を示すものである 。市場において付加価値の重要性が認識され、利用者に対する総合的なサービスが主張されるなか、問題解決の際の相談や助言がますます重要視されてきている 。情報機関には多くの情報源を提供することに加え、利用者の要求に見合った製品の提供が求められており、今後は後者のサービスが主流となる可能性は高い。サービス提供を行う際に問題解決への志向性が強まり利用者が中心視されていくにつれて、そうしたサービスは基本的なパッケージ製品として位置づけられることになるであろう。このことは図書館や情報センターにも当てはまるし、機関の枠組みを超えた協力や提携が必要となり、その実現が図られていくであろう。しかし、適切な枠組みづくりのための議論はまだ始まってさえいないのである。

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専門的な国際協力の運営にはネットワークづくりが必要

 人びとの問題解決のために専門職が提携する必要が生じ、そこから国際協力が展開されるとすれば、彼らが新たにネットワークを構築するための方法を考える必要がある。私たちは、新聞記事、小冊子、書物、インターネットなど文字を通じて経験を国際的に交換することに加え、セミナー、外国留学、職員研修、会議を組織し、生涯学習の枠組みづくりを具体的に考え出す必要がある。

 「セミナー」は国や館種ごとではなく問題に焦点を当てて組織し、そこで多様な経験をもつ人びとのネットワークを作り出すことを目指すべきである。例えば、ベルリンにあるドイツ図書館研究所(DBI)の国際交流部で国際セミナーを組織すると、ジャーナリストや専門職、政府職員といった人びとにとってまず問題となるのはセミナーの参加国である。これをルソーが言うところの貴賎効果と呼ぶことも可能であろう。今回のセミナーでは参加国が大して問題とならない代わりに、もっと興味ある質問、すなわち、各国からの参加者がさまざまな問題や議題についてどういった議論を行うのかということが関心を集めるであろう。

 [国際的な]「実習」(インターン)は専門職を養成するための標準的なカリキュラムに含めるべきであり、留学者が帰国後、新しい経験や発展に直面した際に参考となるであろう。ノルトライン・ウェストファーレン州ではつい最近になって、国際的な経験をもたない図書館職員は館長に就任できないことが定められた。この決定は、図書館の設置者側が国際交流や国際的な経験の重要性を認識し、専門職教育の中にそうした経験を組み込もうとしていることを示すものである。

 何年ものあいだ仕事場から離れなければ、その人にとっては、多くの専門職の人びとが直面している変化は苦痛で面倒なものに感じられてしまう。そうした事態を何とかして避ける方途を見つける必要がある。生涯学習という概念の実現に向けて努力する際には、変化に対して前向きに対処することを目指すべきである。これは私たちが単に変化に直面しているのではなく、専門職の環境そのものの変化に直面しているからであり、また今後も長いあいだ、そうした変化は起こり続けると考えられるからである。

 「会議」は国際的な協会や研究機関の中では重要性を失うことがないであろうが、上述したインターネットの可能性が広がっていけば、相対的に影響力は小さくなると考えられる。IFLAの年次大会をはじめとするいくつかの会議は、基準やガイドラインを作成するための重要な会合の場であり続けるであろうし、専門職の人びとが国際的に活躍する政治的な場として存続するであろう。しかし、参加国の政治的な力関係によって議論の方向性が決められてしまえば、そうした会議が真に国際的な影響力をもつに至らない危険性がある。

 今日必要とされている図書館は「塀のない図書館」ではなく、専門職が置かれている状況の下で学習、情報活動、相互交流を行う場としての図書館である。そこでは、ほかの専門職と同様に国や地域による垣根を持たず、国際協力のためのネットワークを形成し、利用者にアウトリーチ・サービスを行う図書館専門職を生み出すのである。望ましいことに、技術の進展によって情報専門職の人びとは日常の事務的な仕事から解放されていき、生涯学習を推進するためのネットワークづくりに専念できるであろう。もしも専門職の人びとがほかの専門職の人びととの交流やそこでの議論から孤立したままであれば、真の国際協力に必要な文化的・学問的・社会的な視野を失うことになる。

 こうした将来の変化によって、多くの古い協力構造は捨て去られると考えられる。学術、公共、専門といった同一の館種ごとの国際的な交流は、なくなりはしないであろうが重要性は低下するであろう。国際交流で焦点となるのは、目録規則や書誌コントロールにおける同意の形成ではなく、利用者志向や情報の内容への志向性である。情報のパッケージ化や評価、情報リテラシーの教育に高い優先順位が与えられ、それらが専門職の成功の鍵を握るのである。総合的な情報源を提供するよりも、利用者の要求に適合する情報を選択することが重要となるため、現在において実現が図られているようなあらゆる形態の協力が必要となる。話題となっている事柄や情報源についての知識や、どんなネットワークを支援しどこと提携していくかを決めることが、ますます大切になってくるであろう。そのため、最終的に情報専門職の成功を決定づけるのは、国際協力の定義とその実践である。

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謝辞

 21世紀における図書館情報サービスという専門職に対して[日独のあいだに]共通性のある挑戦課題について検討する貴重な機会を提供された猪瀬博博士に感謝と敬意を表する。

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