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スーパーハイウェイ上の社会
Society on the Superhighway

ブライアン・ペリー(Brian J. PERRY) 1)
前英国図書館研究開発部長

訳 古賀 崇(東京大学大学院教育学研究科)

1) "Heiwa" 10 Crossingfields Drive, Exmouth, Devon EX8 3LP, U.K. Fax: +44-1395-266448 本稿は1999年10月22日(金)に東京大学総合図書館で、10月25日(月)に京都大学附属図書館において講演されたものである。

はじめに
コミュニケーション
電子商取引
教育
図書館・情報サービス
労働慣行の変化
おわりに

はじめに

 1960年代のはじめ、カナダの学者マーシャル・マクルーハンは、マスメディアとコミュニケーションが結びついて「世界村」を構築し、そこでは文化の障壁が取り払われコミュニケーションが世界規模になる、と予言した。彼はこれに付随し、「媒体がメッセージである」との言葉を生み出した。これは、情報の内容よりも形態が重要なものになった、ということを意味している。

 1960年代の後半から1970年代の前半にかけて、私たちは情報時代への第一歩を目にしたが、そこには情報技術の急速な発展があった。すなわち、マイクロプロセシングと遠距離通信が相まって情報の迅速な処理・伝達を可能にしたのであり、1980年代のはじめまでに情報技術はしっかりと確立した。情報技術は、情報革命を可能ならしめる要素を、大量に創出されたデジタル情報がますます手に入る状況に結びつけたが、最も大きな刺激は、1980年代末にインターネットが一般大衆のアクセスに開放されたことであった。アメリカ国防省の「アーパネット」に基礎を置くこの「ネットワークのネットワーク」は、それ以来、おそらくマーシャル・マクルーハンさえも驚かせたであろうほどの素早さで、容量と範囲の両面において拡大してきた。1971年時点で、アーパネットはアメリカの十数都市にあるわずか23の「ホスト」コンピュータに接続していた。それから1973年にかけて最初の海外サイトとして2つ(ロンドンとオスロ)が加わった。それが1995年になると、インターネットは世界中の100万以上のホストコンピュータを結ぶグローバルな仕組みとなり、今日ではおそらく200万のホストコンピュータが存在するに至っている。インターネット内にワールド・ワイド・ウェブ(ウェブ)が構築されたことは、ネット利用の急速な伸長に最も寄与した。言うまでもないが、ウェブが可能にするのは、メッセージが記される「ウェブサイト」と、あるサイトのデータと他のサイトにある関連データとを相互に結びつける「ハイパーリンク」とを、作り出すことである。1999年1月時点で4320万のウェブサイトが存在しており、この数字は1年間で46%も増加している。

 昨年のアメリカ商務省の報告書は、インターネットの利用がいかに急速に進んできたかを示している。曰く、アメリカで5,000万人の利用者を獲得するのに、ラジオは38年、テレビは13年を費やしたが、インターネットはそれをわずか4年でやってのけた。インターネットの利用者は、1994年時点では世界で400万人だったが、1998年には1億人に達した。推測では、インターネットの利用は 100日ごとに倍増している。またアメリカでは、いわゆる「デジタル経済」(コンピュータ、家電製品、遠距離通信、ソフトウェア、インターネット)が経済全体の2倍の成長率で発展し、国内総生産の8%以上を占め、1993年以来実質経済成長の4分の1以上に寄与している、と考えられている。

 アメリカ合衆国は約2億7,500万の人口をもち、約1億の世帯を有している。この人口のうち、約6,000万人がインターネットを利用し、約3,000万人が毎日「ネットサーフィン」を行い、約4,000万人が電子メールを毎日チェックしている。西ヨーロッパ(約1億5,000万世帯)ではこれよりもはるかに低い割合となるが、フィンランドは例外で、アメリカよりもかなり高い数字をあげている。興味深いことに、フィンランドは1人あたりの携帯電話保有数でも最も高い割合を示している(おそらく、それは地形のせいであり、居住地が分散しているせいでもあろう)。

 インターネットを構築するリンクは序々に改善され、スーパーハイウェイとしての地位を得るほどになっている。そこには、ラジオ信号・ビデオ信号をリアルタイムで効率よく伝達できるほどの、大容量と高速性を備えた仕組みがある。こうした仕組みがあれば、多様な方法でネットにアクセスできるスーパーハイウェイの上に、私たちはグローバル社会を手にするであろう。このネットへのアクセス方法は、デジタルTVが比較的最近になって導入されたことにより一層進展を見せた。デジタルTVは双方向方式の改善により、情報革命の担い手に加わったのである。

 以上を鑑みれば、インターネットは、人間が情報の処理・利用として行うほぼすべてのことに影響を与える、広く浸透した仕組みと言える。最近の調査では、82%のウェブ利用者がインターネットを「不可欠なもの」と見なしている。ネット利用者の総計は、来年末までには北米の全人口=世界全人口の5%と同じ数字に達すると見込まれている。情報の提供と利用に興味のある者、言い換えれば「媒体」よりも「メッセージ」の方が大事な者にとっては、次のことが重要となる。すなわち、インターネットが私たちの住む世界にどのような影響を現在与え、今後与えうるかについて、そしてこうした変化がもたらす結果について、私たちは理解しなければならない。それは、将来の計画に向けてこうした変化に対応できるようにするためである。そこで、私はインターネットに影響を受けているいくつかの活動を概観し、こうした活動がもたらすいくつかの帰結を提示することにしたい。

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コミュニケーション

 インターネットに接続している世界の他のコンピュータに向けて、即座にかつ比較的安価にメッセージを伝達できるというのは、インターネットの仕組みにとってまさしく「決定的機能」である、と言って間違いない。電子メールの利用は、コンピュータ利用者全体を最も急速に引きつけた機能であり、インターネット利用時間の拡大に大きく寄与した。電子メール利用を可能にするために 1960年代後半に構築された小さな専門的プログラムは、コンピュータ技術の歴史において最も影響力を有するプログラムのひとつという地位を占めるに違いない。そして電子メールを利用できるというのが、一般大衆の大部分をオンライン端末に向かわせる上で今なお大きな動機となっている。

 だが、残念ながら時間の経過と共に、この簡便かつ手に入りやすいコミュニケーション手段にも「マイナス面」があることが明らかになった。この最初の兆候は英語に対する影響である(日本語についても同様の事態があるか否かについては不明だが、おそらくないと私は考えている)。電子メールの利用者の多くは、電報を送る場合と同様に、言葉の豊かさを明らかに重んじない傾向がある。彼/彼女らはまた句読点(大文字も含め)の使用を最小限にとどめており、文意を導く重要な機能−いくぶんか曖昧さも生じさせるが−がなくなってしまう結果となっている。さらに悪いことには、電子メールの利用者の多くは同報機能の利用を大いに好み、たいていは興味をもたない者に向けて自分のメールのコピーを遠方にかつ広範囲にばらまいている。このような無秩序なコピー行為は、情報過多の一端を招くことにつながっている。ピトニー・バウズ社(オフィス用品会社)による最近の調査が明らかにしたところでは、個々の労働者が1日あたり190件のメールを送受信し、60%の重役・マネージャー・専門職が電子メールの日々の氾濫に苦しんでいる。こうした氾濫の一部はスパム(受け手からの要求がなく送られる、無駄な電子メール)により引き起こされている、と考えられる。スパムは現在増加傾向にあり、イギリスでは潜在的なメール受信者がこの手のメールを拒否する旨を登録できる手段が考案される事態となっている。実によくつくられた「ネチケット」はあるものの、ネット上でのマナーや尊厳についての認識を欠く電子メール利用者もおり、また「フレーミング」−悪用や誹謗中傷のために電子メールないしニュースグループへの投稿を用いること−も広まりつつある。電子メールでのコミュニケーションにおける比較的インフォーマルな態様は、職階の壁を崩すことにもつながっている。これはよいことかもしれないが、少なくともアメリカでは、上級官職にいる者が電子メールの送信のみを許し受信ができないようにシステムを変えた事例をももたらしたのだ。

 電子メールの利用者が留意すべきことがもう1点ある。それは、電子メールが訴訟上の証拠に用いられる可能性があるため、私用のイントラネット上で電子メールを送信する場合であっても注意を払う必要がある、ということである。

 電子メールを用いる経験から得られる教訓のひとつとして、次のことを提示したい。すなわち、情報専門職は情報利用者に対し、電子メールであまりに多くのメッセージを送ることのないよう注意すべきである。送る方も他の膨大なメッセージに忙殺されかねないからだ。電子メールを用いたどんなサービスも、簡潔で当を得たものでなければならない(付言すると、利用者の関心を記述し、サービス向上のための「フィードバック」の仕組みをより活用することに向けた、研究への需要が高まっている)。

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電子商取引

 電子メールに続き、インターネット利用を増幅させる最大の要素になりうるもののひとつとして、電子商取引が発展してきた。電子商取引は基本的には私たちがすでに親しんでいる商取引形態をとっているが、対面してペンと紙を用いて行うのではなく、遠いところからコンピュータを用いて行うのが特色である。それゆえ、バンキングから個人的な売買まで幅広い領域を扱っている。これらの売買活動すべては情報スーパーハイウェイの仕組みから大きな利益を享受しうるが、何が求められるか、どんな基準・保護手段を設定すべきか、について国際的な合意がより必要とされている。多くの機関が電子商取引に関わる問題点を検討しているが、そうした機関として、世界貿易機関(WTO)、経済協力開発機構(OECD)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)、世界知的所有権機関(WIPO)、ヨーロッパ委員会(EC)が挙げられる。これらは、電子商取引の可能性に関し重要な役割を示す、有力な機関の一群と言える。様々な潜在的欠点はあるものの、電子商取引はすでに現実のものとなり、特にアメリカではインターネット上で盛んに発展している。近年、イギリス政府はアメリカの様々な専門家を自国に招き、電子商取引についての助言を求めている。また、議会に提出された、あるいは提出が予定されている最近の法案は、電子商取引を容易にすることをねらいとしている。その中の「電子通信法案」は、他の規定もあるが、とりわけビジネス上および政府−市民間で電子署名を活用するための枠組みを提示している。ここで重要なのは、この法案は電子署名の利用に固執してはおらず、これをあくまで選択肢のひとつとしていることである。例えば、企業は年間報告の提出や株主からの議決の受け取りを電子上で行い、政府機関は電子上での回答・申請を利用することができるが、一般の人々が紙とペンにこだわるのは自由、というわけである。

 しかし、この法案の中で最もなじみの薄い規定のひとつとして、暗号解読用の「鍵」ないし暗号化された文書の原文にアクセスする権限が政府当局に与えられる、というものがある。この規定は犯罪対策の目的のみを有するとされているが、市民団体の多くはこれが個人のプライバシーの侵害につながりかねないと考えている。

 基準や保護手段を整備する必要が続いているとは言え、電子商取引には輝かしい未来が待ち受けているように思われる。昨年末、KPMG社が3億ドル以上の売上高をもつヨーロッパ企業459社を対象に行った調査によると、2002年末までに10%の業務がインターネット上で行われるものと考えられている。興味深いことに、ドイツの企業が最も低い割合(5%)を、スカンジナビアの企業が最も高い割合(15%)を示している。データモニター社はやはり昨年末の推計で、 2002年までにヨーロッパのオンラインでの消費者市場は35億ドル分に達し、一方アメリカでのその市場は125億ドル分になるとしている。これは、ヨーロッパではインターネット利用に発展の余地がまだ大いにあることを示している。しかし、インターネット利用の急速な広がりを示すであろう一例として、NOP社が今年8月末に出版した最新の調査を掲げておくと、2000年末までに、イギリス一国のみでのオンライン消費は95億ポンドに達するということである(これは昨年のイギリス商業における1940億ポンドの消費額に比べると小さな割合に過ぎないことを銘記されたい)。オンラインでの商品購入者に対するネットスマート社の調査は、このオンラインという購入手段を用いる大きな理由として、次の5つを掲げている。

 便利さ: 68%
 24時間のアクセス: 66%
 時間の節約: 60%
 金の節約: 57%
 料金の比較のしやすさ: 46%

 オンラインでの商品購入者が金を節約できるひとつの理由は、そこで提示される割引価格にある。国境を越えた商品購入の原則が標準化されていないため、海外からの購入に対し課税されないことが多い、というのもこれに付随した理由である。

 イギリスでは、多くのビジネス分野においてオンラインでの競争相手のもたらす脅威がすでに認識されており、旅行業・書籍販売業は現にそうした競争相手の取引による影響を被っている。

 電子商取引に対する大きな障壁のひとつは、詐欺へのおそれであり、またそれゆえネット上でのクレジットカード番号の通知が敬遠されることである。このことは、インターネットのベテランにおいてさえもあてはまる。つまり、『ワイアード』誌およびメリルリンチ社による調査では3分の2の回答者がネット上でのクレジットカード番号の通知に否定的だったが、この調査対象の大部分を占めたのが「ベテラン」であると考えられる。モリ社がインテル社のために最近行った統計調査では、コンピュータ上の詐欺に対する懸念を表明した者は、スウェーデンでは67%と多数を占めたのに対し、イギリスでは39%であった。確かに、ビザ・マスターカードの2社によるSET(Secure Electronic Transaction)マークや他の予防措置の導入は人々を安心させるだろうが、どんなシステムもハッカーに対しては安全とは言えない、という結論に私は遺憾ながらも達してしまう。そもそも、「ロフト」なるハッカー集団がアメリカ上院に対し「我々はインターネットを30分のうちに停止状態に追い込むことができる」と言ってきたのは、わずか1年前のことである。

 銀行や金融サービスは電子商取引についてきわめて熱心に取り組んできた。銀行の場合、人手を使った取引にかかる費用が1回につき約2ドルであるのに対し、ATM(自動現金預払機)を用いた取引ではその費用は80セント、インターネットの場合は30セント以下で済む、ということを考えれば、この熱心さは驚くべきことではない。株取引など他の金融取引の場合も同様の節約が可能であり、オンライン・トレーダーがオンラインを用いない同僚よりも低額の手数料を課す理由もここにある。

 サイバー・バンキングの欠点のひとつは、銀行があまりに費用を節約できるために、顧客がオンラインを用いず窓口で取引する場合に余計な金額を払わなければならなくなる、という危険性が生じることである。もっとも、このような事態の進行は割と遅くなりそうである。イギリスで最大のオンライン・バンキング・サービスを行っているというバークレー銀行は、オンライン上の小口顧客として40万人近くを抱えている。これは顧客全体の約5%にあたるが、今後 2年のうちにこの数字が10%に達することはないと同銀行は予測している。しかし、同銀行はすでにオンライン上の企業顧客として25,000社(顧客の22%)を擁しており、この割合はこれからかなり急速に上昇することが見込まれている。

 オンライン上のバンキングが上昇傾向にあるが、小売商についても同様である。現在オンライン上で販売されている商品の主なものは、パソコンのハードウェア、旅行、娯楽、本・音楽、贈り物、花、あいさつ状であるが、イギリスのスーパーマーケットの大部分はサイバーショッピングの実験を行っている最中である。多忙な勤労者や気苦労の多い主婦、それに家から出られない人々にとって、インターネットで毎週買い物ができるのは恩恵であるが、「買い物の経験」の中で他の人々と出会う喜びがないのを惜しむ者も多いだろう。それ以外の人々(私自身も含め)は、買おうとする個々の品物を見定めることに魅力を感じている。これは、新鮮な果物や野菜、それに衣服やペットなど「感情に訴える」品物に対しては、特にあてはまる。

 あるところまで行き着くと、オンライン・ショッピングはいくつかの副作用をもたらしうる。遅かれ早かれ、オンラインでの買い手は、店を使うよりも倉庫からの方がより効率的なサービスを享受できる、ということに気づかされるだろう(すでにイギリスでは2つのスーパーマーケット・チェーンが、倉庫から品物を供給するという方法を実験している)。これにより、小売店の多くが閉店に追い込まれることにもなろう。巨大な駐車場と汚染をもたらす車とを抱えた郊外のショッピング・モールを見ることが以前よりも減るとなれば、個人的には嬉しいことである。しかし、オンライン・ショッピングへの殺到が、小さな専門店や街角の便利な店の閉店につながるとなれば、私は非常に残念に思うであろう。

 オンライン・ショッピングは、顧客の行動を変えるのみならず、ビジネスそのものの性格をも変える。ひとつだけ例として、オンライン書店のアマゾン社を紹介する。ここは最も頻繁に喧伝され、今なお最も成功しているオンライン書店である。ごく最近オンラインに進出したバーンズ&ノーブル社と比べると、アマゾンは100万タイトルの書籍を供給し社員1人あたり24万ドルの年間売り上げを達成しているのに対し、バーンズ&ノーブルでは前者は17万5,000タイトル、後者は10万ドルである。しかし、アマゾンが1,700万ドル分の在庫をもつ一方、バーンズ&ノーブルの在庫はその50倍である。アマゾンの成功は技術とインターネットのみに依るのではなく、同社がビジネスの再構築の中で業務形態を再構築したのも事実である。

 オンライン・ショッピングの広がりと効果を過大評価するのは簡単なことである。例えば、1999年最初の3ヶ月において、アマゾンは1億8,350万ポンドもの利益を上げたが、3,800万ポンドの損失も計上した。実際のところ、同社が長い年月の中で利益を上げられるとも考えにくい。とは言え、インターネット市場への期待(と過大評価)の下では、1998年8月時点で、アメリカ書籍市場の4分の1を占めるバーンズ&ノーブルの資産が25億ドルと評価される一方、この市場の3%を占めるに過ぎないアマゾンの資産は64億ドルもの評価を受けたのである。

 最も楽観的な調査や予測であっても、オンライン小売業が伝統的な小売業を短期間のうちに征服するとは考えられていない。例えば、投資銀行のゴールドマン・サックス社による調査では、世界の小売市場のうち最終的にインターネットに掌握されるのは15%〜20%とされている。このネット市場の広がりの大部分はアメリカにおいて生じるものであろう。というのは、アメリカ小売業の上位 100社はみなウェブサイトをもっており、このうち43社は取引が可能だからである。これに対し、イギリスでは小売業の上位100社のうちウェブサイトをもっているのは43社、取引が可能なのはわずか14%である。

 ヨーロッパにおける電子商取引の発展を妨げている要素として、以下のものが考えられる。

a) 電話料金
b) パーソナル・コンピュータの浸透度の低さ
c) 地域・国の違い
d) 言語の違い
e) クレジット・カードの利用の低さ(および安全性への不信感)
f) 供給システムの遅さ

 興味深いことに、少なくともイギリスでは、インターネット/スーパーハイウェイ経由での売買の伸長と並行して、対面しての売買、特にいわゆる農民市場−毎週開かれる市場(たいていは町の中心部にある)で農民が食品を直接一般の人々に販売する−への関心が高まっている、ということを明記しておく。地域で取れた旬の新鮮な食品を購入できる、ということに大きな関心が寄せられているわけだが、これはある面でオンライン・ショッピングと対立する事態である。実際、ショッピングの将来は遠隔ショッピングと地域でのショッピングとのバランスにかかっていると考えられるし、オンライン上の買い手を求めての戦いに勝利するのは、近い将来オンラインに進出する伝統的な小売商となりそうである。なぜなら、新参の小売商にはとても構築できないほどの現金・在庫・供給システムを、彼/彼女らは備えているからである。国際的な電子商取引に関しては、前述した税制に対しどのような決定が下されるかに大きく左右されるだろう。今のところイギリスでは、他国からオンラインで購入する際に課税されないか税を二重取りされるかということが、買い手の損得に大きく関わっているように思われる。ヨーロッパ連合におけるインターネット税制の新規定が今年末に提案されることになっており、そこでは「消費する地点」における課税が原則となりそうである。電子商取引に関しては、社会での2つの異なる流れに行き着くことになろう。それは、オンライン上の買い手と、対面する買い手である。これが、情報技術指向の流れと情報技術を拒否する流れとに一致するわけではなさそうだ。

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教育

 スーパーハイウェイは、教育・訓練の将来に大きな影響をもたらすに違いない。公的ないし半官半民の財源により計画的に進められている資料のデジタル化の多くは、教育・研究上の価値をもつものに集中している。その目的は保存・出版・広範囲の頒布のいずれかである。これだけでも、オンラインでの教育の基礎をなす優れたデータベースを提供することになる。遠隔教育はイギリスでは長年にわたって利用されてきた。例えば、ブリティッシュ・テレコム(BT)社は、中等学校の生徒のために復習や他の教材を提供する「ホーム・キャンパス」サービスを実施している。昨年の調査によれば、家庭でのコンピュータ活動が子どもの教育に重要な役割を果たすべきだと考えている親が90%も存在する。BT社はまた、学校での授業中に使われ、生徒・教師の両者にとって等しい価値をもつとされるインターネットサイトとして、「キャンパス・ワールド」なるプログラムももっている。さらに、スコットランドのウェスタン・ハイランド地方にいる年少の児童を教えるための「キャンパス・ビジョン」というシステム(高品質の画像と音声をデジタル電話回線により送る、ビデオ会議の技術に基づいている)もある。この地方では人里遠く離れた村が多く、80%の学校は3人以下の教師しかおらず、12歳の児童が5歳の児童とまさしく同じ教室を使うことも多い。このシステムにより、こうした児童が他校の同学年の児童と一緒に授業を受けることができる。イギリス放送協会(BBC)もまた、復習や他の援助手段を備えた「スクールズ・オンライン」サービスを実施しており、インターネット上でもこれが利用できる。ハイランズ・アイランズ大学はインターネット中心で構成されており、広範囲に分散した多くのサイト(遠隔地の学生も含め)に接続している。もうひとつ例を挙げると、オックスフォード大学は1998年に、薬学・コンピューティング・歴史学専攻の学生を対象としたインターネット上のコースを開設する、と発表した。ここでは個人指導教師がパートタイムの学生に対し、電子メール、オンライン上での討論、音声ベースの相談という手段により監督を行っている。

 イギリス政府は確固とした情報政策をとっているわけではないが、自国をインターネット時代の先端に置くことには熱心である。また政府は教育を「通信・情報技術(CIT)」の文脈の中で捉え、この目的を追求するのに必要な手段としてCITを用いている。1998年に政府は「全国学習ネットワーク」を立ち上げた。これは、教師が最良の教育実践にアクセスでき、生徒が新技術を利用できるようにすることを意図している。学校運営者のためのサイトや、高等教育・継続教育に関する情報もあり、生涯学習や職能開発に関する情報も得られる。図書館や博物館・美術館へのリンクも備えている。

 コンピュータや関連設備の供給は、概して大学・継続教育レベルでは大いに満足のいくものであるが、1998年初頭ではイギリス国内でインターネットに接続している学校は相対的に少なく、中等学校では9人の生徒に1台、初等学校では18人の児童に1台のコンピュータしかなかった。この状況を改善することが目標であるとイギリス政府は明言し、今年3月までにイングランドでは約30%(5,500校)の初等学校、約90%(3,200校)の中等学校、約45%(520校)の専門学校においてインターネット接続が何らかの形態で可能になった。遅くとも 2002年までに全国の学校すべてがインターネットに接続できるよう保証する、というのが政府の意図である。学校に十分なコンピュータを供給できるように、コンピュータとソフトウェアを購入するための1億ポンドの独立の基金が1997年に設立された。「学校のための道具」という別の民間団体が、工場から学校へ余分なコンピュータをリサイクルすることにより、この基金を拡大している。

 学校でコンピュータを十分利用できるようにするためには、教師がCITの能力を十分に身につけることが必要である。しかし、皮肉的見方をする者の多くが気づいたところによれば、少なくとも3分の2の教師は生徒に比べて通信・情報技術についての知識を欠いている。イギリス政府はこの状況を改善すべく、教師を再教育し情報技術投資を十分活用するための2億3500万ポンドの基金を設立した。

 スーパーハイウェイがすべてのレベルの教育に変化をもたらす大きな可能性をもつ、というのは間違いない。世界のほぼすべての国で、コンピュータ・リテラシーを身につけた生徒集団を生み出すための計画ないし活動が行われている。学校レベルの活動は別にしても、大学や継続教育機関では最良の講義や演習を録画・デジタル化し送信している。こうした活動と、出版界・図書館界で行われている大規模なデジタル化計画とが相まって、講義・レッスン・情報・データの巨大なデータベースが形成され、適切なソフトウェアや設備とともに効果的な遠隔教育・学習を可能にする、と想起することができる。ここから、あらゆるレベルの教育が分散的な双方向システムへと発展し、そこでは家庭および地域の「資源センター」の両者から生徒がまさしく最良の教師・最良の教育実践を享受できるようになる、という可能性がひらけてくる。さらに、学習プログラムは学習障害をもつ生徒や天才的IQをもつ生徒の特別な需要にも応えるものとなろう。こうした条件の下では、地域の教師の役割は個々の学習に応じたコーディネーター・監督者・促進者といったものに再定義されるだろう。このような教育システムは伝統的な教育機関を余分なものにしうる。しかしその一方で、地理的位置や階層・文化の違いにもかかわらずすべてのレベルの生徒が適切な教育を受けられるよう保証されることになろう。

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図書館・情報サービス

 出版社や図書館により構築されつつある大規模なデジタル化データベースについては、すでに言及した。図書館・情報サービスが、情報スーパーハイウェイの発展により大きく変貌した領域のひとつであることは間違いない。莫大なデータや印刷物がデジタル化され、現在では印刷物もデジタル過程により生産されているので、インターネットへのアクセスで入手できる(あるいはできるかもしれない)資料の割合は日々増え続けている。もっとも大部分の資料は未だデジタル化されていないことには当然留意すべきだが、時が経つにつれこのバランスは変わるに違いない。研究者や学者に必要な資料の大部分はすでにオンライン上で入手可能となっている(残念ながら、かなり高額の費用を払わなくてはならない場合もあるが)。

 図書館・情報サービスは、(前述の通り)教育サービスに対し不可欠とは言えないにせよ有益な資源を形成しており、このことは世界中の政府の大部分に認知されてきた。例えば、イギリスでは1997年に図書館・情報委員会が1億 2000万ポンドを費やして国内4000館の公共図書館すべてをインターネットに接続する計画を推進した(同年では、アメリカの公共図書館のうち45%がインターネットに接続していたのに対し、イギリスではその割合はわずか6%であった)。昨年、政府は以下のような発表を行った。すなわち、ネットワーキングの可能性を示すために、選ばれた図書館における「先駆的」計画への支援として600万ポンドを提供すること。また、1998年〜2001年分として7000万ポンドを確保し、そのうち5900万ポンドは「最広義の生涯学習・教育」への支援として資料をデジタル化するのに費やすこと、である。これらは、政府がこうした活動に関与することと、こうした活動に対する図書館の重要性との両方を示している。

 教師の場合と同様、図書館では情報技術への応用能力の向上が必要である、ということが認識されており、その訓練のために2000万ポンドが費やされることになっている。

 図書館、特に公共図書館は、新たなコミュニケーション・情報資源を利用するための設備をもたない市民に対し、インターネットへのアクセスを提供する大きな可能性をもっている。公共図書館の利用が落ち込んでいるという印象があるが、最近のイギリスでの調査によれば、実際には63%の成人が様々な理由で図書館を利用しており、こうした利用者層はあらゆる年齢や社会集団にわたって多かれ少なかれ等しく広がっている。昨年、アメリカ図書館協会がギャロップ社に委託して行った統計調査によると、ハイテク化したアメリカにおいても、人口の3分の2が図書館利用カードをもっており、64%が1997年に少なくとも1回は図書館を訪れ(1978年には51%という数字だった)、10人に1人は12ヶ月のうちに25回以上図書館を訪れている。驚くべきことではないだろうが、アメリカでの図書館利用者のうち17%がインターネット接続のために図書館を訪れているものの、81%の者は本を借りにやってくるのである。

 本は情報時代においても今なお重要だし、これからもそうあり続けるだろう。しかし、公的財源がデジタル資料へのアクセスに集中する危険性はあり、大通りやスーパーマーケットにある「キオスク」内のパブリック・アクセス端末群に、公共図書館が取って代わられる傾向がないとも限らない(このような端末が消滅していなければ)。最近では、ATM、写真スタンド、給油コーナーにおいてもインターネットへのパブリック・アクセスを可能にしようという議論が、イギリスでなされている。公共図書館は単なる情報源や本の貸出の場ではないということを忘れてはならない。高齢者、失業者や、ほかに宿題をやる場がない生徒にとって、公共図書館は集いの場や資源として強力な社会機能をもっている。このような社会的機能のもつ価値や、読書指導者、ソーシャルワーカー、情報担当官、文化支援者として働く図書館員の価値を評価する試みは今までほとんどないとは言え、このような価値は過小評価されてはならないのである。

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労働慣行の変化

 高速コミュニケーションの潜在力をもち、効率的なマルチメディア通信に無限の可能性を秘めるスーパーハイウェイは、すでに広がりつつある「テレワーキング」(オフィスではなく家庭で働くこと)への流れをさらに加速しそうである。大組織がテレワーキングを魅力的に感じるのは不思議ではない。なぜなら、現在のイギリスでの推測によると、1人のスタッフを在宅勤務に就かせる場合、設備・ソフトウェア・通信・援助の費用として2000〜4000ポンドかかるが、在宅勤務の場合は自社のオフィスで働かせるよりもスタッフ1人あたり平均して1万ポンドを節約できるからである。こうした特定の節約項目以外にも利点がある。それは、労働者が自分で勤務時間を設定でき、邪魔が入らないおかげでより生産的な勤務時間を送ることができる、ということである。実際、「テレワーカー」はオフィスにいる同僚よりも懸命に長時間働き、より大きな効果を上げていることが、複数の研究により明らかとなっている。

 1995年という早い時期においても、コンピュータ企業のDEC社は4分の1の社員を「フレキシブル・ワーカー」とし、彼/彼女らは特別に設けられた「テレワーキング・センター」、家庭、勤務用の車という3者を利用した。これによりDECは1年間に2,000万ポンドもの節約を実現した。とりわけオフィス・ワークはテレワーキングに向いている。パゴダ・アソシエイツ社がイギリスの有力100機関を対象に行った調査によれば、平均的なオフィスワーカーの仕事のうち80%は机の上だけで行われるのでどこでもできる、ということである。調査企業のモリ社が昨年出版した統計調査によれば、労働人口の5%(約130万人)以上は週単位の勤労時間の少なくとも一部を家庭で費やしている。これは前年に比べて30万人の増加である。テレワーキングを行っている非手工業職の推測上の割合は25%から50%とまちまちである。「知識労働者」の部門、とりわけ金融業、遠距離通信、マーケティング、営業、メディアの領域においては、3分の1近くの労働者がすでにテレワーキングを行っているか、じきにそうなるであろう、という段階である。金銭的節約が明白であるのに加え、テレワーキングには有益な副作用がある。その中で最も明らかなのは、毎日の通勤時間の減少である。イギリスでは平均的な労働者は毎日の通勤に50分かけている。ロンドンの労働者だとこれは2時間にも達する。多くの者は車で通勤しているが、テレワーキングは車による汚染を著しく減少させるであろう。

 テレワーキングから生じる社会的便益の一例は、ロンドン地区の大規模自動車道「M25」に対する将来の必要性を尋ねた調査に示されている。M25における予測上の交通量をさばくのに必要な費用は、2007年までに14億5000万ポンドと推算された。その一方で、M25を使うであろう通勤者のためにテレワーキング・センターを創出するのにかかる費用は、4億5000万ポンドとされた。となると、 10億ポンドの金銭的節約に加え、主要近郊地域における広大な土地も節約できる。その反面、通勤利用が大きく減少すれば、バス・鉄道路線の中には採算割れになって廃止されるものも出てくるだろう。そうなるといくつかの地域コミュニティにとっては特に不都合なことになりかねない。

 交通システム以外にも、テレワーキングは潜在的な欠点をはらむ。地域経済への副作用は特に大きい。例えば、ヨーロッパにおいて最大数の通勤者がロンドンを出入りする。これにより(直接的および間接的効果として)首都圏に1年あたり240億ポンドもの金額が生み出されるが、この数字が大きく減少すれば経済的な打撃は甚大であろう。テレワーキングによってより直接作用する欠点として考慮すべきなのは、同僚に面と向かって接触する機会がほとんどなくなることである。実際、非常に有益な進歩は議論や「円卓を囲む」ことから生じるのである。それに、家族やそこからの電話により仕事が邪魔されるおそれもある。家庭に仕事場をもてば仕事から「隠れる場所がない」という事実が、より深刻に響く者もいるだろう。

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おわりに

 情報スーパーハイウェイが社会の動向に現に影響を与え、また今後与えると思われる領域として、5つを挙げた。それらは以下の通りである。

コミュニケーション
バンキングとショッピング
教育
図書館・情報サービス
労働手段

 これら5つは個人的なリストの中で、スーパーハイウェイに影響された100以上の領域から選んだ。またこれらは、この「スーパーハイウェイ」の仕組みを利用するほぼすべての場合において副作用や利益や他の効果が生じうることを示すために、私が意図的に選んだものである。結果として自分の推測を誇張してしまったし、また反証を行おうとすれば不合理な結論を導いてしまう(古代の哲学者が用いたような背理法に依っている)という責めを負うべきかもしれない。ここからは、情報提供のためにインターネットを利用する者、またその利用について、私たちが知っていることを述べていきたい。

 利用者や利用についての統計を得、またそれらを実際に提示するのは非常に簡単なことだが、たいていは「ネット愛好家」による誇張があったりサンプル数が非常に小さかったりするため、それらを評価するのはきわめて難しい、と認めなければならない(私は、ネット利用についてここ3年のうちになされた調査や予測を調べ、それらを実際の出来事と比較する、という個人的な研究活動を行っているところである)。

 情報スーパーハイウェイは大きな可能性と同時に、長所と短所の両面を併せもつ。1990年代のはじめには、情報スーパーハイウェイという言葉のもつ様々な意味には「自由の精神」が込められていた。それが現在になると、情報技術には統制と規制が必要だという一般的印象がしばしばまかり通っている(興味深いことに、「インターネットは規制されるべきだ」と考えている者は、アメリカでは37%であるのに対し、ドイツでは70%である)。スーパーハイウェイにより、苦境にある者が自分の状態を広く訴え、より大きな可能性に目を向けることを可能にした一方で、精神的病者が自分の憎悪や偏見をまき散らすことも可能にしてしまった。スーパーハイウェイは情報の自由な流通を可能にしたが、ポルノグラフィの氾濫をも引き起こした。また、地理的には離れていても人種を問わず同じ関心をもつ人々の間でコミュニケーションを行うことを可能にしたが、悪意のある人々が権威に対する暴動を組織することも可能にした。(少なくとも表面的には)ネット上の応答者の匿名性は可能となったが、電子上の痕跡を確認し、小規模の野放しのデータベースを寄せ集めれば、15・16世紀の宗教的異端尋問の時代以来、個々人のプライバシーの侵害もきわめて容易になってしまった。イギリスには「太陽と雨と風があれば忠実な下僕も悪徳な主人になってしまう」という格言があるが、私が思うにインターネットや情報スーパーハイウェイにおいても同じことが言える。

 スーパーハイウェイを適切に活用すれば社会に利益のみがもたらされるし、情報専門職はこうした適切な活用法の確立・維持の保証に大きく貢献できる、と私は確信している。情報を最大限に利用している者以外に、情報専門職と同じくらい情報媒体の内容について論じる資格のある者がいるだろうか。

 情報専門職に対するいくつかの示唆がただちに想起される。情報利用者の中で一定の割合はコンピュータ・リテラシーをもち、自分の情報要求をインターネット上で展開するようになるだろう。しかしその結果、通常の業務過程ですでに味わっている情報過多と相まって、しばしば必要以上に情報を受け取るか、(索引が悪いかないために)情報をほとんどないしまったく受け取れない事態も生じる。そこで、情報専門職は利用者のために媒介・濾過を行い、整理され関連性のあるかたちで結果を表示することで、大きな役割を果たす。情報専門職はまた、自分自身の情報源(もちろん、常によく整理されたものでなければならない)が、インターネット上にあるが通常は未整理の情報源の数々よりも優れていることを、示すことができる。技能や才能に応じてネット上の資源を再構成するのを支援することもできる。

 ネット上に不平等があることは疑いようのない事実である。利用に関する統計は、それが大きくかつ急速に広がっていることを示している。例えば、『インターネット・マガジン』誌はイギリスにおけるインターネット利用者の数を以下のように示している。

 1997年6月: 600万人
 1998年6月: 900万人
 1999年6月: 1,200万人

 このように単純な数字を示すのはやや巧妙に過ぎるという印象もあるが、「おおよその数」をよく見積もったものではあろう。前述の通り、2000年末までに世界人口の5%はネットに接続しているだろうとの予測がある。これはかなり現実味のある数字ではあるが、世界人口の80%は電子メールでのメッセージ送信はもとより電話を使ったこともない、という事実にも目を配らなければならない。アメリカは世界の他の地域での数を合わせた以上にコンピュータを保有しているし、世界のウェブサイトのうち5分の4が英語表記であるのに対し世界人口のわずか8%が英語を母国語にしているのである。3ヶ月前に出版された国連の報告書によれば、「典型的なネット利用者は男性で35歳以下、大学教育を受け高い収入を得ており、都市圏で生活し英語を話す、というものだが、これはハイエリートの少数者である」。世界人口の15%のみを占める先進国はネット利用者全体の88%を擁しているが、世界人口の5分の1を抱えるアジア南部ではオンライン利用者は1%以下である。

 これは実に不平等な状態であるし、世界中で「情報リッチ」の人々と「情報プアー」の人々との格差を大きく広げることにつながる。こうした格差は常にあることだが、情報時代の到来と電子上のコミュニケーション利用の拡大により、この状況がさらに悪化するのは目に見えている。諸機関が紙の頒布よりも安価な電子上の頒布を利用しようとして電子的手段を排他的に用い、ネットに接続していない人々に対しては結果的に情報提供を行わないとすれば、なおさらである。こうした人々が必要とする情報をいかにして提供するかについて、情報専門職は考慮する必要があろう。この問題に関連することとして付け加えれば、「普通の市民」が日々の生活で必要な情報は何か、またどうすればそれを最良のかたちで提供できるかについては、実際にはほとんど分かっていない。この点も情報専門職が研究すべき領域である。格差があるのは国の間だけではなく、同じ国の人々の間にも存在する。私の国では、障害をもつ人々が健常者と同等に情報を受け取るには大変な努力を必要とする。同じことは失業者にもあてはまる。その多くは、さしあたり自分のコンピュータを購入することはできたとしても、それを維持するほどの余力がないのである。

 イギリスの学者のひとり、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのイアン・エンゲル教授は、「情報プアー」について大きな懸念を表明し、情報時代を「怒りの時代」と呼んでいる。新時代のエリートというのは、「知識労働者」としての技能をもち、テレワーキング技術の資源全体と思いのまま相互に結びつく者であり、それは人口の約10%に過ぎない、とエンゲル教授は見なしている。こうしたエリートは、その技能のために大いに頼りにされ甘やかされる。その一方で情報を奪われた未熟練の下層階級者の数は拡大し続け、その絶望感は社会不穏をもたらすであろう。このような絶望的状態が訪れるかどうかは疑問だが、個人の成長と国の豊かな発展に対し「情報飢餓」が大きな妨げになるのは間違いない。

 こうした中で、情報専門職は情報の提供と活用にわたる専門家として、社会的・経済的状態にもかかわらず必要に応じ人々に情報が自由に提供されるよう、保証する役割を担っている。私はさらに、情報専門職が世界規模でより効果的に組織され、力量ある圧力団体としての役割を担う時に来ている、と主張したい。こうした「圧力団体」の役割とは、国内・国際レベルで効果的な情報政策を構築する必要性を政府に十分認識させ、そのような決定が経済的便宜のみに基づきなされることがないよう保証することである。情報専門職は情報技術の世界にいる者と同じくらい確かな声をあげなければならないし、おそらく彼/彼女らを大きく上回るほどの献身的な精神もそこに求められる、というのが私の思いである。

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