学術情報センター軽井沢土曜懇話会報告

簡明技術の推進

東京大学名誉教授

柳田 博明

 サイエンスとテクノロジーを基礎と応用に分けると境界が曖昧になる。そこでサイエンスでは複雑な現象を定義するために言葉があるのに対し,テクノロジーでは,設計し作るために言葉があるというふうに,言葉の機能の違いとしてとらえるのがいい。

テクノデモクラシーの確立

 技術は市民のためにある。東大先端研の所長をしたとき,これ以上理解できないものをつくるなという市民の声に応える必要を感じた。テレビが故障しても直せない。洗濯機にしても,トイレにしても複雑で使い切れていない。どこか間違っている。原子力開発などに見るように技術と市民とが敵対関係にあるのは問題だ。市民の側には技術への参加意欲はあるのだから,例えばテレビを10個のブロックに分割して,どの部分が故障したかユーザに容易に分かるように作れば,その部分を切り離して電気店へ自分で持参することができるなど,市民の疎外感を軽減させる努力が要る。

スパゲッティ症候群

 現象の複雑さ。皿の上のスパゲッティーのようにどこが頭かどこがしっぽか分からない。理解の糸口がつかめない。その背後には,技術上の問題を解く際に,今までの技術の上に何か足して解決しようとする思考法がある。どんどん足して行くから技術がどんどん複雑になる。この足し算志向はあまねく定着している。複雑な技術ほど価値が高いと誰でも思いやすい。プロポーザルなど一見複雑そうに見せかけないと通らないのがその典型だ。その結果行き着くところは,本質よりも末梢の重視である。この問題は,技術史的にも言えることで,低機能から高機能へと言う技術の発展が複雑化への過程でもあるというのがこれまでの技術の進化過程であるのに対し,複雑化でなく単純に向かうのが21世紀の,テクノデモクラシーの向かうべき方向で,90度の方向転換が必要である。その例として,最近のトンネルなど大型構造物の信頼性の問題でも,補強とセンサーの両立を足し算志向で解決しようとするのでなく原点に戻れと主張している。

自己診断材料

 補強とセンサーの両立を原点にまでバックして実現する例として,炭素繊維とガラス繊維の組み合わせで実現することを思いついた。ガラス繊維と炭素繊維では突然破壊に対する抵抗力が違うので,ガラス繊維に炭素繊維を加えると機械的な補強効果が期待できる。炭素繊維だけではかえって壊れやすい。しかもガラス繊維は絶縁体だが炭素繊維は導電体なので,力が加わっても炭素繊維成分がそれに耐えられる間は,信号が通っているのを利用して,破壊の程度を電気抵抗を計測してチエック出来る。破壊が二段階に分かれる。従って破局に至る前に対応すればよい。この自己診断材料の応用分野は,航空機,自動車,地震の被害を受けやすい地上の構造物がある。興味深い実用例は警備会社が金庫の防護壁に使ったもので,防護壁の手前にセンサーをつけると泥棒ではない人まで検知してしまう。防護壁の向こう側では検知したときにはもう遅い。真ん中にセンサーを入れると壁が弱くなる。ところがこの材料を使うと,壊すのに時間がかかり,警報が鳴ってから25分という免責時間に耐えることが出来る。この知恵を一般化したのがWisdom Indexである。分子には必要なメリットを,分母には必要技術で対応し,これは簡明である程良い。スパゲッティ症候群はこの分母をどんどん増やしたものだ。このindexを「技術の分子/分母論」と名付け重視している。

賢材研究会

 やがてこの技術に興味を持つ仲間が増えて,他の材料への応用可能性の検討を始めた。一種の産学共同研究だが,異業種交流会ではない。各社との個別の共同研究の成果を早く他にも流通させる手法としてコンソーシャムにした。その研究成果の例は,ブライト・ガード,損傷記憶材料,損傷記憶センサーなどあるが,中でも優れたものとして摩耗自己検知トロリーというのがある。これは鉄道の架線の摩耗チエックで,摩耗状況の段階的なチェック方法が,簡明技術とスパゲッティとの違いをはっきりさせたという点で典型例と言っていい。もう一つの面白い例は,ソイルセラミックスの場合で,タイル製造残土を利用するため廃棄物はゼロ,熱処理段階は普通は千度℃以上の熱が要るが,この原料では多孔質なため,150℃で十分な強度が得られる。多孔質というヒントは縄文土器から得たもので,つまり天然性繊維で補強している。しかし企業の側は,廃棄物はイメージがもう一つとか,縄文時代の技術ではいかにも,とか不平があった。バブル技術志向の現れだ。これを壁や床に応用すると,冬は加湿器不要,夏は除湿器不要だ。なぜなら床・壁材が湿度を自動的に調節するからである。賢材研究会の英語名はken-materials research consortium。そのコンセプトを[ケン」という発音の漢字7字(賢,兼,建,検,健,倹,圏)を使って,無限大記号[∞]上にプロットしたのが賢材コンセプトである。無限大記号は左右二つの眼球に通じ,それは手法と哲学の協同を表象するものでもある。この比喩が外国で理解されやすいのは,[ken]が英語の語彙の一つとして,名詞なら知力の範囲,眼界,視界を意味し,動詞なら見る,認める,知るなどを意味するからである。

簡明技術推進機構

 テクノデモクラシーの拠点となる機構として,簡明技術推進機構のお世話をしている。イギリスに一年いたとき,たまたま北海油田で使い終わったシェル石油の掘削機ブレント・スパー(北海油田に400基ある)の廃棄が問題となった。市民から海水汚染を理由に反対運動が起こったが,実際は市民を無視した決定に問題があった。決定に市民参加を求めるための公聴会等を頻繁に開いた。問題が起きたのが1995年4月末で,1998年1月に最終決定が出た。海中投棄(1.4億円で済む)を全面禁止し,フェリー岸壁拡張案(12億円)になった。専門家と大衆との対話の必要性,消費者の力,メディアの影響力,科学技術に対する不信感が隠す行為から生まれることなどを,シェル石油会社を始め関係者が学ぶ結果となった。テクノデモクラシーの好例である。

           (文責=井上如)


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