古文書目録データベースと東京大学史料編纂所

東京大学史料編纂所助教授

近藤 成一

 歴史学の研究のために古文書がきわめて大切であることはいうまでもない。日本は世界の中でも古文書が豊富に残された国だといわれている。

 ところで歴史学でいう古文書とは,古い書き付け一般のことではない。たとえば『日本書紀』を古文書とはいわない。日記も古文書ではない。古文書の定義にはいろいろ問題があるけれども,「甲から乙という特定の者に対して,甲の意志を表明するために作成された意志表示手段」(佐藤進一『古文書学入門』)という定義が一定の目安になっている。そういう古文書は大部分が寺社や旧家に伝来した。近代以後部分的に文書館・博物館・図書館に移されたり,収集家の手に渡ったものもある。これら全国に散在する古文書を研究者が利用できる環境をつくることが,一貫して学界の課題であった。

 東京大学史料編纂所はまだ太政官・内閣直属の機関だった時代から全国の古文書を調査し,写本を作成してきた。戦後に至るまで写本作成のために主として用いられてきた方法は,古文書原本の上に薄い和紙を重ねて,文字の形状・筆勢・墨のかすれやにじみまでも正確に写しとる「影写」という方法であった。この方法によって作成された影写本は古文書のみで(というのは古文書以外にも多くの史料が影写されているからだが)6800冊,そこに収められた古文書は約20万点と計算されている。これらの影写本は現在では研究者の利用に供されており,特に日本中世史の分野では,史料編纂所に出かけて影写本を調べるということが,研究者の必須の作業となっている。

 影写本はレプリカとはまた別物である。図1に古文書の原本,図2・3に同じ古文書の影写の写真を示した(出典は史料編纂所蔵「入来院家文書」)。古文書原本は通常,1通ずつばらばらになっているか,巻物に仕立てられている。影写本は冊子である。仕上がりが所定の大きさの冊子となるように,原本が1紙である文書もふつうは2紙にわけて影写する。影写は袋綴じにされるから綴じ代が必要である。また折り目に文字がこないような工夫がほどこされている。図2・3は冊子に仕立てられた影写本を見開きで撮影したものである。図2の左側と図3の右側が本来連続しており,1紙に影写されたものが折られ,1丁の表と裏になっているのである。このようにして作成された影写本は,原本を原寸大で精巧に写しとったものであるが,にもかかわらず外見は大胆な変更を加えている。これは影写本が展示を目的としたレプリカとは異なるから轤ナある。影写本は研究のための利用を目的としている。だから研究者が扱いやすい,検索しやすい形状をしているのである。影写本は原本の単純な代用物ではない。1通ずつばらばらになっていたり,あるいは巻物の形をしている原本の扱いにくさ(巻物は一番奥まであけてみないと必要な文書があるかどうかわからない)を,一定の規格の冊子という形状をとることによって解消しようとしているのである。最も古い影写本はおそらく1880年代にさかのぼると思われる(そのうち正確に調べたいと思います)。まだコンピュータが出現する以前のことだけれども,史料を情報化しようとする合理的な発想が,影写本にはこめられているのである。

図1

図2

図3

 学術情報センターから提供されている「古文書目録データベース」はこの影写本に収載されている古文書の1点目録をめざしたものである。史料編纂所がコンピュータを導入したのは1984年度であるが,その翌年から開発が始まった。1992年度からは文部省科学研究費研究成果公開促進費を交付されて,入力を継続している。1998年7月現在公開しているデータは24,609件,影写本収載古文書全20万点の1割強である。年間4,000件ほど追加しているが,その計算でいくと,影写本収載古文書全点の入力が完了するのは...もちろんそれではどうしようもないので,なんとか入力を早める工夫をいろいろ試みているところである(一番肝心なのは入力経費なのだけど)。

 「古文書目録データベース」は,現在では,史料編纂所のホームページからも公開されている(URLはhttp://www.hi.u-tokyo.ac.jp)。ホームページ版のセールスポイントは画像とのリンクを実現したことである。といっても影写本画像を公開するためには原本所蔵者の理解を得る必要があるので,現在画像が公開されているのは史料編纂所蔵の「入来院家文書」のみである。しかし今年度中には「東寺百合文書」と「大徳寺文書」の目録データと画像の公開を実現したいと思っている。また学術情報センター版とホームページ版は,元データは同じであるが,検索システムは別物であるので,それぞれの長所を生かした利用をしていただければ幸いである。


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