Sep. 2016No.73

CPS実社会×ITがもたらす未来

Interview

日本発のCPS基盤づくり目指す

国立情報学研究所(NII)は北海道大学、大阪大学、九州大学と共同で文部科学省の国家課題対応型研究開発推進事業として始まった「社会システム・サービス最適化のためのサイバーフィジカルIT 統合基盤の研究」に取り組んでいる。サイバー空間と実世界(フィジカル)を融合することで、省エネや防災などさまざまな社会的課題を解決することを狙ったCPS(Cyber-Physical System) の研究だ。研究代表者を務める安達淳副所長にその成果と今後の展望について聞いた。

安達 淳

ADACHI Jun

国立情報学研究所 副所長

関口和一

聞き手SEKIGUCHI Waichi

日本経済新聞社 編集委員
1982 年一橋大学法学部卒、日本経済新聞社入社。88 年フルブライト研究員としてハーバード大学留学。89 年英文日経キャップ。90-94 年ワシントン支局特派員。産業部電機担当キャップを経て、96 年より編集委員。2000 年から 15 年間、論説委員として主に情報通信分野の社説を執筆。2006 年より法政大学大学院、 08 年より国際大学グローコム、15 年より東京大学大学院の客員教授を兼務。09-12 年 NHK 国際放送コメンテーター。早稲田大学、明治大学の非常勤講師、内閣府「総合科学技術・イノベーション会議」評価専門調査会専門委員なども務める。著書に『パソコン革命の旗手たち』『情報探索術』、共著に『未来を創る情報通信政策』など。

関口 「CPS」はあまり馴染みのない言葉です。

安達 CPSは米国の大統領科学技術諮問委員会(PCAST)が平成19年(2007年)から使い始めた言葉です。サイバー空間と現実世界を結び付けることでさまざまな装置やシステムを制御しようという考え方です。我々は6年ほど前にこうした考え方を活用できないかというフィージビリティスタディーを行い、その結果として文部科学省から予算を得て、5年前にプロジェクトがスタートしました。

関口 どのような取り組みをしてきたのですか。

安達 北海道大学、大阪大学、九州大学とNIIが連携して複数の実証実験を行ってきました。北大では、車にセンサーやドライブレコーダーを付けてさまざまなデータを集め、また、交通や気象の情報と組み合わせて札幌市における雪による自動車渋滞などの原因究明と除排雪対策について研究してきました。阪大と九大では、人の動きなどをセンサーで察知し、どうすれば建物内や大学キャンパスのエネルギー消費を効率化できるか実験してきました。

関口 どんな成果が得られたのでしょう。

安達 除雪の例でいえば、積み上げられた雪の壁が崩れることで道幅が狭くなり、渋滞が起きる原因になっていたことが分かりました。CPS の重要なポイントはデータをもとに状況を可視化し、シミュレーションすることで、今まさに起きつつある現象にすぐ手を打てるようにすることにあります。我々の実験は特に人間や社会にかかわる課題を研究対象としたことから、「ソーシャルCPS」と呼ぶことにしました。

関口 実験結果はどのように活用されるのですか。

安達 文科省からサポートを受けている研究の狙いは、社会的課題にデータをもって対処できるプラットフォームをつくることにありました。実利用面でも、札幌市が除排雪の例を実際の行政サービスに役立てられないかと興味を示してくれています。

関口 実証実験が成功した理由は?

安達 最大の理由は、この5 年間に起きた技術革新により多様なデータが利用できるようになってきた点にあります。例えばスマートフォンが挙げられます。ソーシャルメディアへの投稿やカメラで撮影した画像・映像など、携帯端末からはさまざまなデータを瞬時に得ることができます。その意味で、CPS の研究には二通りのアプローチがあります。一つは、データをより一層うまく集められる新しいセンサーを作ろうというアプローチ。もう一つは、今入手できる多様な情報をどう組み合わせて問題解決のためにフィードバックできるのかというアプローチです。我々が進めてきたのは後者のほうです。

関口 CPS の研究は、海外ではどう進められているのでしょうか。

安達 ドイツ政府が進めている「Industrie 4.0」という製造業革新の試みもCPS を産業分野に応用した例といってよいでしょう。米国では国立科学財団(NSF)が旗振り役を担い、カリフォルニア大学などで実証実験が行われていますが、社会実装という点ではベンチャー企業が重要な役割を果たしています。最近、人工知能(AI)やIoT(Internet of Things:モノのインターネット)、ビッグデータが話題を呼んでいますが、こうした技術もCPSと深い関係にあります。IoT はインターネットを使って装置などをつなぐことに重点を置いています。ビッグデータも、データを処理して活用するという点ではCPS と似たところがありますが、CPS は現実世界から得られるデータを処理してフィードバックする点にポイントがあります。

関口 AI やIoT、ビッグデータの研究は内閣府の総合科学技術・イノベーション会議の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」などでも進められています。

安達 SIP では社会インフラの維持管理や防災対策など個別具体的なテーマについてその解決策を見出そうとしていますが、当プロジェクトの狙いはそうした試みに対して分析や処理などのプラットフォームを提供することにあります。実際、SIP で行われている橋梁の劣化などのデータ分析には我々のチームも加わっています。

関口 新たな課題はありますか。

安達 スマホなどの技術革新が研究に役立ったことはお話をした通りですが、一方でデータ収集の面で新たな課題が見えてきました。利用者が新しい技術を使いこなすにつれ、プライバシー保護やセキュリティー対策などに敏感になってきたことです。Twitter のようなソーシャルメディアは貴重な情報源ですが、自分の位置情報を外して情報発信する人が増えています。顔認証のようなセンシングもだんだんと難しくなっています。我々が除排雪の実験でドライブレコーダーを採用したのも、スマホからのデータ収集だけでは限界があるとみたからです。

関口 データを分析するには目利きも必要ですね。

安達 その通りです。データから新たな発見をするには、モデリングができる能力が必要です。それには論理的思考力とIT の素養が欠かせません。残念ながら日本ではこのような人材が不足しており、その育成が喫緊の課題となっています。これは教育システムや社会の風潮にも原因があります。大学院まで行ってドクターをとっても、それほど給与が上がるわけではありませんから。理科系を避けるような雰囲気は初等中等教育の段階から始まっており、この流れは変わらないとなりません。

関口 日本にベンチャー企業が少ないのも同じ理由からですね。

安達 はい、新しい発見をしたり、それを事業化したりできる人材は、オリジナルな考え方ができる人です。周りを気にせず、好きなことに打ち込める人材ですが、日本はどうしてもそういった人たちはやりにくいようですね。そこが米国などと違うところです。ですから研究所には極力、とんがった人を引き上げ、外部からも変わった人材を引き連れてくるような努力が必要だと思っています。

関口 データの活用には情報連携や民間企業との協業も必要かと思います。

安達 日本では産学連携といっても、人の流れが民間企業から大学へという一方通行になっており、もっと人材の交流が必要です。民間のお金やデータがより多く使えるようになれば、新たな研究成果を生み出すことができるようになります。特にCPS は現実社会の事象を相手にしているわけですので、研究者ももっと外に出ていかないとなりません。

関口 成果をどう発展させていくのですか。

安達 CPS に必要なプラットフォームの形はかなりできたと思いますが、残された時間でさらに完成度の高いものにしていきたいと思います。政府のSIP のようなプロジェクトにも応用が可能ですし、民間企業にも利用してもらえるようなプラットフォームにしていきたいと思っています。

(写真=土佐麻理子)

インタビュアーからのひとこと

 「CPS」とアルファベットの頭文字だけ聞いても普通の人にはピンと来ないが、日本でも経済産業省がCPS の普及に力を注いでいる。サイバー空間と現実世界を融合できれば、研究開発や実証実験などの効率を上げ、日本の産業競争力の向上につなげられるからだ。
 ドイツの「Industrie4.0」や米国の「Industrial Internet」など、欧米でも製造業のデジタル化が進んでいる。日本の製造業にとっても、デジタル化は避けて通れない課題といえよう。
 米GE はこのために「Predix」と呼ばれるクラウド型のデータ分析プラットフォームを構築、他の企業にも共同利用を呼びかけている。その意味では日本にも組織の壁を越えた情報活用のための基盤づくりが求められている。

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