Mar. 2024No.102

日本の文化芸術と情報学

NII Today 第102号

Interview

作品の「美しさ」をデータから「観る」

レオナール・フジタ(藤田嗣治)は、独自の技法で「乳白色の肌」を描き、絶賛を浴びた。その画材研究は多くの研究者によって進められてきたが、作品の修復や画面保護用のニスが施されることが多かった当時の絵画からは、フジタが意図した肌質感が本当はどのようなものだったか計り知れないところも多い。今回、画面保護等の手が加わっていない作品「ベッドの上の裸婦と犬」を分光蛍光分析し、絵画の内部から画家の制作意図を探った。美術作品への新たなアプローチとなる今回の研究について佐藤 いまり 教授、石原 慎 特任研究員にその内幕を聞く。

プロジェクトメンバー:内呂博之(ポーラ美術館)、三木学(株式会社ビジョナリスト)、中本翔太(東京大学)、淺野祐太(国立情報学研究所)、平諭一郎(東京藝術大学)、西田眞也(京都大学)

佐藤 いまり

SATOH, Imari

国立情報学研究所
コンテンツ科学研究系 教授/主幹

石原 慎

ISHIHARA, Shin

国立情報学研究所
コンテンツ科学研究系 特任研究員

芸術作品が持つ"美しさ"をデータから「観る」意義

──まずは今回の研究背景とともに研究を始めた経緯について教えていただけますか?

佐藤 今回、多くのフジタ作品のコレクションを持つポーラ美術館からお話をいただき、フジタの描く肌質感表現技法の解明が始まりました。これまでの先行研究でも、顔料の詳しい配置、組み合わせなどの空間分布までは分かっていなかったのです。

私はもともと工芸品が好きで、その色艶、漆塗りの質感などに惹かれていたこともあり、学際情報学を扱う大学院(東京大学大学院学際情報学府)に在籍当時から科学とアートを融合させた「美術作品の"美しさ"とは何か」という解析に興味を持っていました。そのため、今回の研究を通してアート作品の「質感」を科学的に分析することに大きな意義を感じました。

石原 私は東京工業大学大学院在籍時より、光の現象を情報でどう解き明かすかについて研究してきました。コンピュータビジョン分野の画像解析技術と光学の専門知識を融合させることで、水中などでの光の波長解析に基づく計算を行っていました。今回のフジタ研究のテーマは少し毛色が違うのですが、佐藤先生からお誘いを受けて、「人が芸術作品として作った光の現象に迫る」という点が面白そうだと思い、参加しました。

佐藤 石原さんは大学院時代に、紫外線や可視光や近赤外線といった光の波長の解析をテーマに研究に取り組んでいたため、まさに今回の光の波長に着目した研究には、ぴったりだと思い声をかけたのが始まりです。

芸術作品が持つ"美しさ"をデータから「観る」意義

──フジタの描く「乳白色の肌」における、肌質感表現技法の今回の研究成果について教えてください。

佐藤 今回の私たちの研究では、フジタの作品の中でも、特に《ベッドの上の裸婦と犬》(1921年、ポーラ美術館蔵)に焦点を当てています。フジタの作品の中でも、人肌やシーツの白の美しさが評価されている作品であると共に、修復やニスの塗布が行われておらず、制作当時の状態がよく保たれていることが、解析対象に取り上げられた理由です。この作品に紫外線を当てたところ、複数の顔料がさまざまな場所によって使い分けられていることが分かったのです。(図1)

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石原 この時代の作品では、先行研究によって数種類の白が使われていること自体はすでに明らかになっていました。しかし、いざ実物を見ても肉眼ではその差が判別できなかったのです。今でもよく覚えていますが、初めて実際の絵を見た時は、呆然としてしまいました。どの角度から見ても、ただただ白く、違いはほとんど確認できませんでした。

──そんな中、紫外線によって異なる蛍光発光顔料をフジタが意図的に使い分けていた可能性にたどり着いたのですね

佐藤 はい。そもそも蛍光発光とは、実は私たちの生活の中に溢れていますが、蛍光成分を主とする対象以外は、肉眼で蛍光色そのものを確認することは難しいものです。蛍光発光する顔料があることは知られていますが、蛍光発光に基づく情報処理技術を発展させて、「紫外線を当てた時に観察される蛍光発光色を分離する」という技法を美術分野に応用して解析を行ったのは、今回の研究が最初の試みではないかと思います。とはいえ、今回のフジタの絵の解析に関しては、当初はそこまでするつもりはありませんでした。しかし、石原さんが何を思ったか、「ちょっと紫外線を当ててみましょう」と。

石原 最初は、「乳白色の肌」というくらいですから、肌の散乱光を分離する手法が使えるのではないかと思っていました。もともとフジタが画材にベビーパウダーを使っているという文献はあり、最初は、「パウダーを使って実際の人間の肌のような光の散乱を起こさせているのでは?」と考えました。しかし実際には、絵の具の層がとても薄くて、人肌と同じような光の散乱は返ってきませんでした。そこで試したのが紫外線を用いた蛍光発光の解析だったのです。すると、4つの白色の顔料が、まったく違う輝きを示したのです。これがフジタの描く肌質感に関係しているのではないかとひらめきました。

──今回の研究では使用されていた蛍光発光する白色の顔料にはどんな種類があり、どのように使い分けていたのでしょうか?

佐藤 過去に進められてきた調査や文献からフジタの絵の白色顔料では、炭酸カルシウム、タルク、硫酸バリウムが使われていることが推測されます。これらをハロゲンランプ下で比較してみると、発する波長はそのどれもほぼ横一直線で重なります。ハロゲンランプの光は、ほぼ人の可視光の波長と同じなので、肉眼で見た時に、色としての違いはほとんどない単純な白色ということになります。しかし、紫外線ランプを当てた場合には、炭酸カルシウムは青緑、タルクは緑、硫酸バリウムは赤の蛍光発光が見られました。また、炭酸カルシウムを主成分とする胡粉は青く蛍光発光しました。(図2)

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《ベッドの上の裸婦と犬》において複数の顔料は、腹部を中心に青色、乳首や足の爪、犬の肉球など膨らみのある部分には赤色、シーツは緑色の蛍光発光と使い分けられています。その結果として見えてくる画像は、通常の光線下で見るよりも格段に肉感的で、かつ艶めかしく見えるのです。これは驚きでした。(図3)ポーラ美術館の学芸員の方も「蛍光発光色が背景と人の肌で明確に分かれたときは、これはすごいものを見てしまったなという驚きがあった」と話されています。顔料として用いられている蛍光成分の分離については、当時、東京大学大学院情報理工学系研究科コンピュータ科学専攻に在籍していた中本翔太さんが、ノイズなどにも頑健な分離技術の開発に取り組みました。

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石原 さらに、フジタが人肌の光学現象を、蛍光発光を用いて再現したのではないかという仮説を立て、人肌の表面反射と内部散乱成分を観測する技術を試しました。すると、フジタの絵画において赤色が使われていた膨らみのある部分と似ていることが分かりました。これにより、フジタが実際の人間の肌の反射における内部散乱を意識し、絵画面上に光学的に再現していたのではないかと考えられます。(図4)

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同時代の他の画家の作品の解析も行ってみたのですが、フジタのように美しい蛍光発光の色合いを示すものはみられませんでした。通常、絵具を2度、3度と塗り重ねていくにしたがって、下層の蛍光発光は失われていってしまいます。例えば、ルノワールやフジタの師にあたる黒田清輝の絵を同様に蛍光発光で見ても、絵のごく一部に蛍光成分のハイライトは見られるものの、意図的な使い分けなどは認められませんでした。ただ不思議なことに、黒田清輝が師事したラファエル・コランの作品では、赤の蛍光発光成分が意図的に使われているようにも見えました。とはいえ、コランの場合、"使い分け"されているように見えるのは1色だけでした。フジタの作品では、複数の蛍光発光成分を広範囲に、明確に使い分けていることが認められるため、まさにフジタ特有の作風と言えるかと思います。

実際に、フジタが蛍光発光をはっきり意識していたかは分かりません。しかし、黒田清輝やルノワールとは違って何度も塗り重ねず、日本画のように、あらかじめ置く色を決めて描くフジタの手法だからこそ見えてきたものではあると思います。

新たなアプローチで貴重な作品を未来につなぐ

──今回の研究過程を振り返ってのご苦労や喜びはありますか?

佐藤 やはり白色の顔料としてどんな素材が使われていたかが先行研究で明らかにされていた のは大きく、それがあって初めて今回の成果があったと思います。とはいえ、それらの違いを明らかにできたのは、石原さんの粘り勝ちの部分もあって、きちんと素材に立ち戻って特徴を確認したことが大きいですね。

特に難しさという点では、絵画作品には劣化の原因となる強い紫外線を当てることができないため、いかに微弱な蛍光発光を分離するか、ノイズを除去するかには苦戦しました。

また、嬉しかったのは、この研究を進めていく過程で、多くの美術関係の方たちが光学解析を非常に好意的に捉えてくださり、研究に協力してくれたことですね。

──今後の展望として、この研究をどのようなことに生かしていきたいですか?

佐藤 美術教育において、今回のような科学的分析の存在を知ることで、新しい作品作りや研究にもつなげていければと思います。

また、すでに具体的に進めているのが、この解析を元に顔料の構成や塗る場所、厚みなどまで再現した作品のレプリカを作成するという試みです。

私たちは、「フジタが当時描いた状態のまま」の作品を、美術館で見ることはできません。作品の劣化を 防ぐために紫外線をカットしたり、強い光線は当てたりしてはいけないなどの条件があるためです。しかし、本物は朝見た時、昼見た時、夜見た時で印象が異なっていた可能性があります。そこで、新たな解析結果も盛り込んだレプリカを作成することで、本当にフジタが見た/描いた作品を検証ができるかもしれないと、次の一歩として研究を進めているところです。もちろん、フジタ自身がどこまで意図してその塗り分けを行ったかは分からないのですが、少なくとも美術を学ぶ人にとって、そうした違いを知ることは意味があるのではないかと思います。

石原 私は、今回の研究など最新の解析を踏まえ、より詳細なデータをデジタル上に記録することも重要だと思っています。古い美術作品などは、過去の測定や解析ではデータとして不十分な部分もあります。その上、度重なる修復などでオリジナルのデータはどんどん失われていってしまいます。貴重な美術作品を未来に残すためにも、作品のあらゆる情報を保存することは大切な課題として進めていかなければいけないと思います。今回の研究結果も踏まえると、素材や使用している場所などをより厳密に考える必要性が高まったのではないでしょうか。

──その他に、現在力を入れている研究などはありますか?

佐藤 解析を行うに当たっては、従来かなり大がかりなセッティングをする必要がありました。例えば、大きな計測装置を持ち込んだり、作品の一部を削って解析したりなどです。そのため、さまざまな面で負担が大きく、現地で解析できることの条件も限られてしまいます。そこで現在は、JST未来社会創造事業の研究助成を受けて、対象となる作品を動かしたり壊したりすることなく、3次元の対象物であっても手軽に光学解析できるカメラの開発に中央大学の河野行雄先生の研究室と共に取り組んでいます。

開発中の光学解析カメラは、シート状で軽くて持ち運びが簡単な上、フレキシブルで曲げ伸ばしが可能なので、対象を包み込むような状態で解析することができます。

実際、美術品の解析において、絵画とは違う立体物の場合はどうしても死角ができてしまいますが、このフレキシブル光学解析カメラを使えば、3次元構造の対象物が何から作られているのかといった素材解析から内部構造がどうなっているのかまで測定が可能になります。ゆくゆくは、動かすことのできない大きな壁画なども解析できるかもしれません。完成すれば「いつでも・どこでも」さまざまな美術作品の解析ができるようになるので楽しみですね。

取材・文 川畑 英毅 Photo 橋本 美花

本研究は、文部科学省科学研究費補助金 学術変革領域研究(A)「実世界の奥深い質感情報の分析と生成」(20H05950)、科学技術振興機構 未来社会創造事業 「カスタマイズ可能な光学センシングの確立と社会・生活に新たな価値をもたらす光情報の高度利用創出」(JPMJMI23G1)の助成の元で行われました。

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