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構成業務に携わって(1)

マシュー・H・ディック(北海道大学大学院理学研究院自然史科学部門)

 

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科学分野の学術原稿が出版論文となる過程において、校閲者が果たす役割は小さいが重要なものである。校閲者の責務はジャーナルごとに異なる。本稿で私は、特に著者の能力と編集方針の二つの要素が校閲者の業務にどのような影響を及ぼすかについて論じる。本稿は SPARC JAPANのニュースレターで2回に分けて掲載される予定である。第1回では、出版のプロセスにおける校閲業務と工程を説明する。とりわけ、非英語圏の著者、すなわち英語で書いているが、母語は英語ではない書き手の割合が高いジャーナルについて説明する。第2回では、ジャーナルの書式とスタイルが出版プロセスにどのような影響を与えるかを考察し、それに関連して、なぜすべてのジャーナルがそれぞれ異なった参考文献書式を使っているのかという、皆が抱いている不満に言及する。最後に論文の著者に対して若干アドバイスをさせていただく形で締めくくりたいと思う。

● 校閲作業と校閲者の役割

『シカゴ・マニュアル』(The Chicago Manual of Style, 15th Edition, University of Chicago Press)によれば、校閲作業は次の2つを含む。機械的編集作業と実質的編集作業である。機械的編集作業とは、大文字表記、スペリング、ハイフン、略語表記、句読点、図表の様式、引用書式などの処理である。また、基本的な文法、統語法、語彙の用法も扱う。実質的編集作業とは、この名称が示すとおり、より内容に踏み込んだものとなる。すなわち、読み易さを高めるため、あるいは曖昧さや繰り返しをなくすための書き直し、および段落の再構成や文章の配置換えなどである。

『シカゴ・マニュアル』は、過度に手を入れすぎるような実質的編集を戒めている。例えば、珍しい言い回しや慣用表現を直したり、著者のスタイルに修正を加えるようなことだ。たとえ、けばけばしすぎるとか冗漫すぎると編集者が感じるような場合でも、である。『シカゴ・マニュアル』では、実質的編集は著者の同意のもとで行なわれるべきであるとしているが、時間的に余裕のないスケジュールで業務をこなしているジャーナル編集者は、「構成、体裁、言語表現の問題が早い段階で対処されていないならば、著者への事前の相談なしに実質的編集作業を行なう必要があることもある」(Chicago Manual, 15th Edition, Section 2.56)とも述べている。

Figure 1
図1: 生の原稿が出版論文となるプロセス。登場人物を結ぶ矢印は、原稿や原稿についての情報のやりとりを示している。点線の矢印は、特に Zoological Science のシステムでの校閲後の原稿の行き来を示す。詳しくは、第1節(校閲作業と校閲者の役割)を参照のこと。

校閲者は、著作物が原稿の段階から出版論文に変わってゆくプロセスのなかで、ほんの小さな役割を担うに過ぎない(図1)。自然科学系学術論文が出版されるやり方について馴染みのない読者のために、ジャーナルによって細かな差異はあるものの、そのプロセスについて簡単に説明しておこう。恐らく、世の中には学術ジャーナル出版のプロセスについて知らない人もいるだろう。というのも、私が読んだある小説では、ヒロインは優秀な化学者で、ジャーナルに科学の論文を投稿することで生計を立てているという設定になっていた。現実には、自然科学系の学術ジャーナルが論文に対価を支払うことは決してない。むしろ出版に際して著者からお金を徴収するジャーナルもあるくらいだ。

最初の段階では、査読と修正が行なわれる。著者は原稿をジャーナルに、通常は電子的に投稿する。複数いる編集委員のうち一人が、まず、その原稿が主題と水準においてジャーナルに掲載するにふさわしいかどうかを審査する。もしそうであれば、その原稿を(ここでもまた、普通は電子的に)、関連領域の学識を持つ査読者少なくとも二人以上に送る。査読者たちは、それを科学的新規性、重要性、厳密性、提示形式の妥当性の観点から審査する。各査読者は、編集委員に推薦意見(または不採用の意見、あるいは掲載のための大なり小なりの修正を提案する意見)と、著者に向けて改善すべき箇所を細かく列挙したリストを提出する。査読者たちが改訂後に掲載が妥当と判断すれば、著者は原稿を直し、改訂稿を編集委員に再提出し、それは再び査読者たちに回され、改訂が適切になされたかどうかの判断が下されることになる。最終原稿の執筆において、著者は査読者たちから受けた意見を取り入れる。この段階で、編集委員は、自身の判断に査読者たちの意見を加味した上で、その原稿を掲載するかどうかを決定する。

これをへて、原稿は制作段階へと移行する。制作スタッフ(以後、制作部)は、改訂稿を校閲者に送り、校閲者はチェックをして送り返す。その後、制作部は原稿を印刷業者に渡す。論文を印刷用に整えて、印刷業者は制作部に校正用原稿を、通常、PDFファイルにして送る*¹ 。制作部は著者にその原稿を送り、著者は自分の書いた最終原稿と突き合わせて丁寧に確認する。校閲者が変更を施していることもあるので、元の原稿と異なる箇所がある場合もあり、著者は変更箇所に同意するかどうか決めなくてはならない。同時に、修正されていない誤植や、校閲者による誤植がないか確認する。その後、著者は制作部に校正版を送り返し、印刷業者は修正箇所を入力してプリント版を作成する。この段階で、しばしば校正者が修正を経た校正版を読み、他の誰もが気づかずにいた誤りがないか確認する。こうして、論文は出版の運びとなる。

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注釈
ジャーナルによっては、校閲者は最終段階で提出された原稿にではなく、校正用原稿をチェックし修正を加えることがある。その場合、著者が応じるべき問題を「著者への質問」として原稿に付すこともある。

● 非英語圏発の国際的ジャーナルが抱える編集上の問題

2005年、札幌にある北海道大学で生物学の研究員として働いていた頃に、私は、日本から出版されている国際的英文学術ジャーナル、Zoological Science の当時の編集長であった長濱嘉孝博士から、校閲の仕事を打診された。すでに手一杯だったため、あまり気乗りがしなかったのだが、やってみますとお答えした。2005年から2009年まで、私は500を超える論文の校閲を行なった。

校閲者の仕事はジャーナルごとに違う。生物学系ジャーナルの場合、特に英語圏で発行されている英文ジャーナルの場合には、校閲者は主として機械的編集作業を行う。実質的な問題の是正は査読プロセスでなされるし、明らかに大掛かりな機械的・実質的編集作業を必要とするような原稿ならば、プロの編集サービスに委託される。しかし、英語を母国語としない人々が主に編集スタッフでありながら英文で出版されている国際的ジャーナル(ここでは、「非英語圏発ジャーナル」と呼ぶ)の場合は事情が大きく異なり、機械的・実質的編集作業の多くが校閲者の手にかかってくる。日本で学協会から発行されている多くの国際的ジャーナルが、このカテゴリーに入る。

本節では、このようなジャーナルが直面する問題を、Zoological Science における私自身の経験を描くことで論じようと思う。最初に強調しておきたいことは、Zoological Science は、素晴らしく有能で献身的な編集者と制作スタッフに恵まれていることだ。私自身、このジャーナルに主著者として、また共著者として3本の論文を載せたし、これからも論文の投稿を続けるつもりである。Zoological Science を例として挙げるのは、単に実情をよく知っているという理由からであり、また、このジャーナルが直面している課題はこのクラスのジャーナルにとって典型的なものだからである。私の意図は批判ではなく、分析にある。

Zoological Science は、日本動物学会から発行されている。このタイトルになったのは1984年で、それまでの同学会の2つのジャーナル、動物学雑誌(1888-1983)と日本動物彙報(1897-1983)が統合されたのだった。このジャーナルは学際的であり、原著論文、総説、エッセイを掲載している。共通要素は、動物学という領域に幅広く関連しているということである。それゆえ、Zoological Science では、タンパク質の機能や組織学の論文から、神経生物学、記載分類学、動物行動学、あるいは分子生物学の論文まで読むことができる。ジャーナルは毎月、会員に印刷版で配布され、年間総ページ数は1300頁以上に及ぶ。デジタル版は、UniBio Press が世界中の図書館に配信している。

表1: 主著者の出身国・地域に基づく2009年の Zoological Science に掲載された英語圏・非英語圏著者別論文(総数121本)。少なくとも1人の英語圏出身者を著者に含んでいる論文の場合(下部)、主著者の出身国は明記していない。
Table 1




Zoological Science の出版に関わっている大多数の人が、英語が母語ではない書き手である。現時点(2010年)で、編集長と7人中6人の編集委員は日本人であり、制作スタッフも校閲者を除くと全員、日本人である。非英語圏出身の著者の割合をみるために、2009年の Zoological Science の掲載論文の主著者を国別にまとめてみた。主著者が日本の大学で学ぶ外国人大学院生であるような場合は、出身国は推定にならざるをえなかった。結果を表1に示した。著者が非英語圏出身で、全共著者もそうであるものが、約93%にのぼる。1本だけ、全体からみると0.8%を占める割合で、主著者が英語圏出身者のものがある。8本の論文、6.6%が、主著者が非英語圏出身だが共著者のなかに英語圏出身者を含んでいる。この8本の論文について、研究に参加している英語圏出身者が原稿のチェックをできたはずだから、主著者が英語圏出身者であるような論文と同等ではないかと考える人もいるかもしれないが、必ずしもそうではないのである。英語圏出身者が明らかに英語の文章の修正執筆になんの関与もしていないケースも見られるのだ。

つまり、2009年の Zoological Science に掲載されたおよそ95%以上の論文が、非英語圏出身の著者によって書かれていた。一般的に、非英語圏出身者の母語とその人の英語の執筆能力との間には相関関係はないことを、私は発見した。それは個々の書き手の訓練と経験の問題なのである。私が校閲を行った論文の非英語圏出身の著者の何人かは、英語を母語とする著者のそれと比べても遜色なく、最低限の修正しか必要ではなかった。だが、初めての英語の論文を出す大学院生とおぼしき著者もいて、大掛かりでかなりの時間を費やす校閲作業が必要となる。たとえば、次のような例だ。

 

編集前

Both sensory systems do not show a homogeneous distribution of their sensory components albeit they show heterogeneity in relation to molecular, anatomical, and physiological parameters in all the studies of vertebrates as now. [33語]

 

修正箇所を示した編集バージョン(取り消し線:削除箇所、アンダーライン:付け加え)

Both Neither sensory systems do not shows a homogeneous distribution of their sensory components; albeit they show both systems are heterogeneityous in relation to molecular, anatomical, and physiological parameters in all the studies of vertebrates as now studied to date.

 

編集後

Neither sensory system shows a homogeneous distribution of sensory components; both systems are heterogeneous in molecular, anatomical, and physiological parameters in all vertebrates studied to date. [26語]

 

この例は多くの問題を提起している。第一は、大半の英語圏読者も非英語圏読者も編集前の文章を理解できるだろうが、この文章がまったく編集されなかったとしたら、どんな難点があるのだろうということである。私は、読後感は非常に大切だと考える。間違いを多く含む文章は読者に、研究そのものも同様に厳密なものではないだろうという感覚を持たせてしまうのではないかと思うのだ*² 。加えて、編集後の文章は、元のものより7語短くなっており、わかりやすさは倍増し、印刷スペースは縮小している。時によっては、統語法を直したり、繰り返しを省くことで、5%も原稿の長さを縮小したり、20頁の原稿のまるまる1枚分を短縮したこともある。

第二に、このような文章の論文がどうして査読プロセスを通過し、校閲段階まで来るのかという問題だ。私は、非英語圏出身の英文執筆者は、同じような非英語圏出身者(自国の知っている、または個人的な付き合いのある研究者など)をしばしば査読者として推薦しがちであると思う。しかも、そのような査読者は英文を修正できるような能力を自分は備えていないと考えていることがある。査読者は、英文の修正が必要だと認識していたり、そのように付記として記したりはする。だが、具体的な修正の加筆がなければ、それがなされる可能性は低いだろう。

第三に、上記の例のようなレベルの間違いを含まない、洗練された英文の原稿だけを校閲段階にあげることにするには、どうしたらよいのだろうか。皮肉なことに、Zoological Science の投稿規程には、「著者の責任において、簡潔で文法的に正しい英語で書かれた原稿を提出すること。文法・用法の誤りが過剰にある場合には、掲載を受け付けません」と書かれている。ここにも、多くの問題がある。実際の話、過剰とは何を指すのかが不明瞭なのだ。例えば、英語圏出身者によって書かれた20頁の原稿のなかに、文法・用法の誤りが10もあれば、過剰に多いと言って然るべきだと考える。しかし、校閲者としては、非英語圏出身の著者による同じ長さの原稿にもし10しか誤りがなかったら、むしろ喜んでしまう。

私の勤務期間中、Zoological Science は、投稿規程に述べられている条件を投稿者に守らせるメカニズムを持っていなかった。これを満たすための唯一の方法は、誰かが―可能なら、英語圏出身者が好ましい―、どこかの段階で―おそらく査読終了後、最終原稿を受理する前に―、すべての原稿に目を通し、原稿の英語の修正を条件に掲載を許可するという形にすることだ。原稿が貧弱な英語であるまま、査読プロセスを通過し、最終段階まであがってしまうと、著者に残された選択肢は原稿をプロの英文校閲サービスに出すことだけになってしまう。そうすると、遅れが生じるし、Zoological Science の2万円の掲載料と場合によっては他のページチャージがかかり、大きな出費を強いられることにもなる。この点に関して、非英語圏出身の著者たちが、自分達の書くものが英語圏出身者によるものと同じように流暢ではないとは言え十分理解できる文章なのだからと、プロの英文校閲サービスへの余計な出費を強いられることに納得できないと異議を唱えるとしてもおかしくない。最悪のシナリオは、大きな比率を占める量の原稿がプロの校閲サービスを必要とするような方針のもとでは、これから論文を書こうとしている人たちが Zoological Science に投稿するのを単にやめてしまうことである。

Zoological Scienceは、文章の質と効率性という校閲段階における相反する要求に取り組む道を選択してきたが、この道を避けることはできないだろう。これは校閲者に並々ならぬ負担を強いる。一月で10~12編の原稿を校閲するために使える限られた時間の中で、各原稿をプロの校閲サービスのレベルまで持っていくことは望めず、せいぜい明らかな誤植や冗長な部分を削って文章を滑らかにするのがやっとである。私が自分の校閲した原稿の雑な仕上がりに悪態をついたことは一度や二度ではないが、次第におそらくこれ以上のことはできないのだと自覚するようになった。

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注釈
まったく同じような心理が、大学の入学応募で提出されるエッセイについても働く。文法上の誤りが多い文章は、その生徒の出来はあまり良くないだろうとか、少なくとも誤りをゼロにしようと努める気配りに欠けるという印象を与える。