英国および米国の委員会は、公的助成を受けた研究者にその論文をオープンアクセスアーカイブ(OAA)によりWeb上で無償で利用できるようにすることを義務付けることを勧告した。通常OAへのグリーンロードと言われているが、この勧告は論文を著者支払いのOAジャーナル(ゴールドロード)で発表することは必要としない。どんな方法で出版したにせよ、単に発表した論文をWeb上で無償で利用できるようにすれば良いだけである。
報告書においてOAAが強調されたことは、10年前にスティーバン・ハーナッド(Stevan Harnad)の破壊的提案で初めて概略が示されたセルフアーカイブプログラムを大きく牽引することになったが、バイオメド・セントラル(BMC: BioMed Central)やパブリック・ライブラリ・オブ・サイエンス(PLoS: Public Library of Science)などのOA出版社にとっては期待はずれであった。
本稿を執筆の時点では、この勧告が承認されるかどうかは不明であるが、政府およびその他の研究助成団体がセルフアーカイブを広く義務化するとしたら、STM出版社にはどんな影響を与え、また、図書館員やOAムーブメント全般にどのような結果をもたらすだろうか。
出版社は従来きわめて独占的な手法でビジネスをしてきたので、出版社にOAを強制することはおそらく重要な意味を持つだろう。出版社は自社が出版した論文の著作権を当然のように取得してきただけでなく、しばしば独占的権利を遡及的に取得しようともしてきた。1969年に現れたいわゆるインゲルフィンガー・ルール(Ingelfinger Rule)と呼ばれる戦略である。これは、その内容が既に投稿されていたり、どこか別の場所で報告されていたりした場合は、原稿の受け取りを拒否するという(その後、他の医学雑誌にも広く採用された)慣行を作り出した。
この独占的手法はインターネットに本来備わっている開放性にそぐわないものである。それゆえ、新しいメディアが発達すると、出版社は2つの選択を迫られた。Webの開放性を受入れるか、サイバースペースにおいて独占的モデルの再構築を目指すか、である。
研究者はインターネットの潜在的能力を探り始めていたので、当初、多くの出版社はそれに参加することを求めた。たとえば、1994年の破壊的提案により引き起こされたオンライン上での生産的な論争の熱心な参加者の一人は全米化学会の出版人であった。そして、先月述べたように、もう一人の出版人ヴィテーク・トレイツ(Vitek Tracz)はOA精神を受入れて、最初のOA出版社であるBMCを創設した。
ドイツ・オルデンブルク大学のエーベルハルト・ヒルフ(Eberhard Hilf)理論物理学前教授は、研究者による論文のインターネットへの掲載と組織化に対するほとんどの出版社の当初の反応は無関心であったと指摘している。「何年もの間、出版社はPhysNetやMath-Netのようなサービスは脅威を与えるものではないと見ていた。なぜなら、印刷雑誌はまだ彼らにお金をもたらすものだったからだ」とヒルフは説明する。
実際、1990年代の初頭、e-プリントサーバをデータベース提供者や出版社、印刷サービスに結びつけることを目的とするあるプロジェクトの旗振り役をヒルフが務めている時、出版社は彼に取り入ろうとした。「1944年にIoPP(英国物理学会出版局)は私をブリストルに招待した」と彼は語る。「エルゼビアやシュプリンガーなども訪問したが、雰囲気は良かった」
しかし、芽生え始めたOAムーブメントを従来の印刷雑誌にとっての脅威と見なし始めると、とヒルフは語る。出版社は「既得権益を守るために」OA推進者と話すのを止めた。
そして、芽生え始めたOAムーブメントを出し抜くために、出版社は従来の閉鎖モデルを新しいオンライン環境へと移行し始めた。ScienceDirectのような強力で新しい電子的プラットフォームを開発し、研究論文を予約購読という防火壁の内側に閉じ込めようとしたのである。
2002年に当時エルゼビア・サイエンス会長であったデルク・ハーンク(Derk Haank)から戦略の概略を聞いた。出版社が有するすべての雑誌に対する「食べ放題」の電子購読権を新たに提供すれば、研究者はセルフアーカイブされた論文を求めてWebを彷徨うようなことはないだろう、と彼は主張した。「このまま行けば、ますます多くの顧客がScienceDirectのすべてのデータベースにアクセスできるようになり、ScienceDirectを使った方が他の方法よりはるかに簡単であることを理解することになるだろう」
これから発展した「ビッグディール」モデルは、出版社が有するすべてのコンテンツに研究者がアクセスできるようになる未来を描いた。ハーンクは語る。「個々の研究者は常に大学や会社に属している。そして機関に属する者は誰でもあらゆる雑誌にアクセスできるようになる。それ以上研究者は何を求めるだろうか」
彼はこの戦略の次のようなすばらしさについては言及しなかった。すなわち、研究者はScienceDirectのようなサービスを無償で利用できる。何故なら、購読料は図書館が支払うからだ。
しかしながら、ビッグディール戦略を成功させるためには出版社は電子ジャーナルをきわめて大量に品揃えする必要があったのだろう。必要な規模を達成するために、彼らは熱狂的な合併・吸収の時代に突入した。そして、現在では2つの大出版社、エルゼビアとシュプリンガーがSTM雑誌市場の40%近くを支配することになった。
大出版社が占める市場占有率が大きくなるにつれ、ますます雑誌価格は高騰し、図書館がビッグディールの契約を続けることは困難になっていった。そして、図書館が支払いに苦しむほど、OAの理論的根拠は強くなっていった。
ビッグディールが引き起こした内在的矛盾を指摘することで、OAムーブメントは最終的には研究助成団体の注目を得るまでに成長した。怒れる図書館員、ハーナッドやPLoSの共同設立人ハロルド・バーマス(Harold Varmus)のような発言力のあるOA推進者が問題点を警告したので、ハワード・ヒューズ医学研究所(Howard Hughes Medical Institute)やウェルカムトラスト(Wellcome Trust)のような大規模助成団体、および、マックス・プランク協会(Max Planck Society)などの主要研究機関は、徐々にOAに共感するようになった。
昨年、もっとも重要な一つの進展があった。医学研究における世界最大の私的助成機関である英国のウェルカムトラストがSTM出版産業に関する報告書を委嘱したのだ。報告書は、出版産業は「研究コミュニティの長期的発展に寄与しておらず」、また、「科学的著作は『公共財』であるという要素を持っており、市場原理にはなじまない」と結論付けた。OA出版は「出版経費を30%程度抑えることができる」と推定した昨年10月に出版された続報を受けて、ウェルカムトラストは正式にOAに取り組むことになった。
ほとんどの研究は政府が助成しているので、公益という大きな問題もまた問われていることが今や明らかになっていた。これが政治家の関心を惹き、英国および米国の勧告を導くことになった。
英国の調査で重要なことは、公益という問題、特に税金で賄われる研究に対するアクセス可能性に対して公式に注目したことであった。英国研究会議(Research Councils U.K. )が議員に説明したように「公的助成を受けた研究の成果はその研究から得られる出版物へのアクセスをますます難しくしていると思われる営利企業に無償で渡されている」のである。
調査はまた出版社の姿勢に問題のあることも強調した。たとえば、現在のところアクセスを認めていない一般大衆に対してどのようにアクセスを認めるつもりか、と出版社側の証人に議員が尋ねたところ、ワイリー・ヨーロッパ取締役社長であるジョン・ジャービス(John Jarvis)は、次のように芝居がかって答えて委員を驚かせた。「すべての者が何もかも見ることができるようにすべきだとする、このどちらかといえば魅惑的な意見は人々を混乱に導きます...(何故なら)...世界にはほとんどの人が支援を必要とするような情報がたくさん(あるからです)」
調査終了時点までは、出版社は自ら公知に対する(身勝手な)門番の役割を買って出ていた。ただしそれはアクセスを配給して利益を最大にすることを第一の動機とする門番であった。
論争に敗れたと知ると、出版社は譲歩を始めた。英国の報告書が出版される直前にリード・エルゼビアはセルフアーカイブに関する方針の変更を公表し、研究者は今後ポストプリント(ただし最終的なPDF版ではない)を自由にセルフアーカイブできるとした。
ひと夏を通じて、(ゴールドルートおよびグリーンルートの両者に関する)一連のさらなる譲歩が続いた。6月、オックスフォード大学出版局(OUP)は、自社の高く評価されている雑誌『Nucleic Acids Research』を2005年1月から完全にオープンアクセスにすることを公表した。8月には、リード・エルゼビアのセル・プレス(Reed Elesevier's Cell Press)社が、『Cell』、『Neuron』、『Immunity』を含む最新のジャーナルアーカイブを翌年1月から無償でアクセスできるようにするというニュースがもたらされた。さらに、9月初めにネイチャー・パブリッシンググループ(Nature Publishing Group)は欧州分子生物学機構(European Molecular Biology Organization)と提携してオープンアクセスジャーナルの第1号を刊行すると発表した。しかしながら、これらの発表の(すべてではないかもしれないが)多くが主として宣伝用であることを疑うものは少なかったので、これらは懐疑的に受け止められた。特別調査委員会報告書が出版されると、OA推進者は「ひねくれ者の広告だ」としてエルゼビアの動きを非難し、さらに次のように付け加えた。「委員会自身も報告書出版のおよそ1ヶ月前という発表のタイミングが偶然の一致だとは思われないことを知っていた」
委員会が出版社の誠意を信用せず、英国政府にセルフアーカイブを義務化するよう勧告することを選んだのはおそらくこの理由による。
実際、リード・エルゼビアのCEOクリスピン・デービス(Crispin Davis)の報告書に対する反応は、エルゼビアの言動が、論文を自発的にセルフアーカイブするような研究者はほとんどいないだろうという認識によるうわべだけのものであったという疑いを確実なものにした。8月6日、『ガーディアン』紙はデービスが次のように語っていると報告した。「英国の250の研究機関に(自身のアーカイブを構築することを)期待することはばかげている。率直に言って、大部分の機関はそれを望まないし、大部分の研究者もそれを望まない」
シュプリンガーは英国調査委員会に証人を出さなかったが、行動の必要性に気付き、7月にオープン・チョイスを発表した。これは3000ドルの出版料を支払えば研究者は論文をWeb上で無償で利用できるようにすることができるものであった。「要するに」とシュプリンガーのプレスリリースは説明する。「研究者は引き続き従来の方法で発表することもできるし、3000ドルを支払って論文を出版することもできるというわけである」
エルゼビアの発表同様、オープン・チョイスもまた大いなる疑いの目で迎えられた。批判派は、依然として著者はシュプリンガーに著作権を譲渡しなければならないことを指摘し、また、その価格は著者にOAの採用を奨励するというよりむしろ思いとどまらせる水準に設定されていると結論づけた。「論文当たり3000ドルなんてとんでもない」とヒルフは言う。「私の勘では、シュプリンガーは誰もこの価格を選ばないことを示して、要するにOAという考え自体が悪いことを示したいと思っているのだ。そうじゃなければ臆病すぎるかだが、違うと思うね」
8月にハーンク(現シュプリンガーCEO)と話した時、彼はオープン・チョイスが猿芝居であることを強く否定し、ものごとを異なる方法で行う用意がシュプリンガーにはあることを示す合図であると主張した。「我々が言っていることは、『いいですか、我々は原則を変えたくないと思っているわけではないのです。単に従来のモデルを主張してきただけなのです。なぜなら、それが実用的だと考えているからです。でも、もしあなたたちがオープンアクセスを試して見たいなら、そして、本当に違った方法で組織化でき、お金が別のつぼから出て来るようになるなら、我々は喜んで内部手続きを変更して便宜を図ります』ということなのだ」
しかしながら、シュプリンガーの独自調査ではほとんどの研究者がOAを望んでいないことを示していると付け加えることで、彼はこの意見を台無しにした。「著者の半分以上はオープンアクセスが何であるかを理解していない」と彼は言う。「OAとは何かを知っている残りの半分の研究者はたいてい『俺の目が黒いうちは他人が論文を見るためなんかに絶対お金は払わないぞ』と言っているのだ」
要するに、エルゼビアもシュプリンガーもほとんど誰も取り上げないだろうと信じているものを提供したのだ。
皮肉的ではあったがそれでも、今では商業出版社も変化を避けられないものとして受け入れたことを示すものであると言って、この動きを歓迎するOA信奉者もいた。たとえば、ウェルカムトラストの上級政策顧問ロバート・テリー(Robert Terry)はオープン・チョイスを評して、「著者が支払うべき適切な価格が1000ドルであるか3000ドルであるかは明らかでないが、シュプリンガーの決断は少なくとも従来は完全に閉鎖されていた市場に適切な競争と開放性をもたらす一助になるだろう」と語った。
対照的に、学会はOAに対するはるかに強い反対勢力であることがわかった。英国ではOA出版の著者支払いモデルを攻撃することに重点がおかれた。たとえば、王立協会は3月、このモデルは「英国科学者が必要とする助成水準に著しい影響を与え、助成を得ることのできる科学者の数を減少させる可能性がある」と警告した。
一方米国では、学会は商業出版社との差別化を模索していた。3月、48の非営利出版社は「科学情報へのフリーアクセスのためのワシントン原則」を発表した。オープンアクセスの擁護者は学術出版社も商業出版社と同罪であると論じていたので、学術出版社は自らを「医学および自然科学分野の研究成果を直ちにオープンアクセスにするよう唱えるグループと現行の雑誌出版システムを擁護するグループとの間のますます加熱する論争において必要とされる『中間グループ』」として原則を主張した。
雑誌を「世界中のすべての人に直ちにあるいは出版後数ヶ月の内に」オンラインで無償で利用できるようにするという約束を含む7つの計画を発表することで、参加出版社は自らをSTM出版の善玉として描こうとした。
しかし、NIHの提案が明らかになると、彼らは直ちに攻撃的な反対キャンペーンを開始した。たとえば、55の学会は9月、上院歳出委員会委員長に書簡を送り、「発表されるまで」提案について意見を聞かれなかったこと、および、科学研究論文に関する「政府指導による義務的配布システム」は彼らの生存を脅かす恐れがあることを指摘した。
国家独占をもたらすかもしれないというこの提案の意味合いを他の非営利組織もすぐに理解した。そして9月20日には頂点に達した。この日、米国化学会の『C&EN』誌の編集長ルーディ・ボーム(Rudy Baum)はOAを「社会主義科学」と糾弾する論説を書いたのだ。
ボームは、明らかに社会主義の亡霊を持ち出すことを狙っていた。また、OAを、衰弱した企業の代わりに国家独占事業を作り出すことを狙った何らかの非アメリカ的逸脱であると見せかけようとした。そして、OAムーブメントの「暗黙の狙い」は、「科学の助成、科学の伝達、科学知識のアーカイブ維持に関する責任を連邦政府に委ねることで、科学のあらゆる側面を国有化することである」と主張した。STM出版の善玉は、どうやら、悪玉に代わってしまったようだ。
もちろん、学会が(少なくともゴールドロードによる)OAに脅かされるというのは過酷な現実である。英国特別委員会は報告書で「著者支払いの出版モデルに移行すると学会は収入の大部分を失う可能性があることを我々は心配している」と脅威を認めている。
委員会がOA出版を支持することを故意に控え、代わりにセルフアーカイブによるグリーンロードを選択した主な理由はこれであった。さらに、OA推進者が熱心に力説したので、NIHの提案もまたOAへの(ゴールドではなく)グリーンロードを採用した。従って、もしそれが実施されても、学会はワシントン原則ですでに自主的に約束したものと大差ないものを受入れるだけで済むだろう。
政府の命令とあれば、商業出版社も学会もWebの開放性を、1990年代に無視したまさにそのものであったが、受け入れるしか選択の余地はないだろう。ところが大部分の出版社はできるだけ長く抵抗するつもりのようである。
ところで、我々はセルフアーカイブを長期的なソルーションと見るべきだろうか、あるいは、OA出版への整然とした移行を可能にするための短期的な一時しのぎと見るべきだろうか。「セルフアーカイブは長期的ソルーションの一部である」と英国特別委員会議長のイアン・ギブソン(Ian Gibson)は答えて言う。「それ自体長期にわたって実行可能であるが、もっと劇的な変化のための触媒のようなものであると考える」
しかしながら、セルフアーカイブに対して長期的にも短期的にも大きな疑問を持つ者も存在する。短期的にはセルフアーカイブは「商業モデルを台無しにする」可能性があり、長期的にはとても成功しそうにない、とテリーは語る。「それがOAジャーナルの方がより持続可能なソルーションであるとする理由である。著者支払いモデルによるOAジャーナルにすべてを変えることは非常に困難な道のりではあるが」
ハーナッド派のセルフアーカイブの欠点はもちろん従来の雑誌に依存していることである。ピアレビューを保証するために今後も著者は雑誌を頼みにするだろうとセルフアーカイブは想定しているからである。最近の出版社の譲歩により、今ではおよそ92%の雑誌でセルフアーカイブが許可されているが、出版社は当然のように著作権を得ているので、思いつきで許可を取り消すということももちろんありえるのである。
この問題は理論上、政府や助成団体がOAを義務化した場合になくなるが、さらに、セルフアーカイブが商売上の利益に深刻な脅威を与えると感じた場合、出版社があっさりと市場から撤退する恐れがある。「我々が心配するのは、何らかの劇的かつ突然の変化が生じて、科学上の記録が途絶えることだ」とテリーは語る。「たとえば、商業出版社がもはや商業的にやっていけないと考え、一夜にして市場から撤退することを決定したとして、それに代わるものがない場合である」
ハーナッドはそのような懸念は「憶測に基づいた机上の空論」であるとして退ける。しかしながら、ハーナッドはかつて、地球最後の日のシナリオをもっとも声高に唱える者であった。たとえば、1998年に彼は「事実上の無償利用は、新しい安定したシステムに至る適当な回避策を持たず、また無秩序な空白期間を生ずることで、現行システムを単に破壊し、我々すべてに損害を与える」として「学問の集積に対する破滅的不安定性ないしは危機」の可能性を警告した。
現在ではハーナッドはそのような心配事は見当違いとして捨て去り、「私は、初期のまだ世間知らずの時期にそのようなあいまいで恣意的な推測をした罪を認め、後悔している」と語っている。一方、デービスは未来を推測することが大好きである。ただし、彼の予言は好ましいものではなかった。6月、リード・エルゼビアの社内報に原稿を寄せ「出版されたコンテンツをインターネット上に無償で公開することは、現在存在する安定し、かつスケーラブルで手頃な出版システムを危うくする」と警告した。
それでも、セルフアーカイブは思わぬところで味方を得ている。たとえば、ブラックウェル・パブリッシング(Blackwell Publishing)の社長ボブ・キャンベル(Bod Campbell)は、セルフアーカイブが許容できるだけでなく、出版社の利益にもなるかもしれないと信ずるようになった。
第1に、セルフアーカイブは批判をそらすことができる、とキャンベルは語る。「助成を受けた著者は受理された論文を6ヶ月以内にPubMed Centralで利用できるようにしなければならないとNIHは言っている。PubMed Centralやその他のオープンアーカイブはWeb上で簡単にアクセスすることができる。出版社はこの提案を使って、納税者には自分が支払ったものを読む権利が与えられるべきだと主張する批判的人々にこのように答えることができるのである」
第2に、セルフアーカイブはおそらく人々を出版社版の論文に導くので、出版社が提供するサービスの利用は増加こそすれ減少はしないだろう、とキャンベルは続ける。「スティーバン・ハーナッドとその同僚の研究をいくつか見てみれば、いわゆる被引用増大効果が見て取れるだろう」。これは「セルフアーカイブやオープンアーカイブは正式版に対するさらなる販促効果を持つという証拠を追加」するものであると彼は説明する。
このように彼らの研究は、論文をオープンアクセスにすると被引用回数が増えるので著者の利益になるという主張を支持するためにOA信奉者に広く使用されてきたが、キャンベルは出版社にとっても利益になるだろうと考えている。「重要な点は」と彼は語る。「出版された正式版だけが、たとえば、CrossRefリンクやデジタルオブジェクト識別子(DOI)など、付加的機能のすべてを持つことである。それゆえ、人々はオープンアーカイブ版ではなく、出版社版の論文を参考文献として挙げることになる。この点でサッカーによく似ている。サッカーはテレビ放送を通じて多くの人に見られている。それなのにマンチェスター・ユナイテッド戦を観戦することは以前に比べて難しくなっているのだ」
他の出版社は依然として懐疑的である。そのため、彼らは研究者の投稿動向をコントロールしたいと思っている。8月、セルフアーカイブに対するシュプリンガーの方針はエルゼビアと同じであると説明してハーンクは語った。「我々は、たとえば、誰かが全論文リストを収集して、事実上雑誌そのものを複製するような方法でリンクを作成することを望んではいない。そんなことを許可したら、もう我々の雑誌を講読する必要はなくなるからだ」
ここにセルフアーカイブ信奉者にとっての難問が存在する。セルフアーカイブが意味をなすためには、効果的な検索ツールが必要であるという問題である。結局、これがタグ付けしたメタデータによるOAI共通規格が作成された理由であり、OAIsterのようなリポジトリ横断ハーベスタが開発された理由である。しかし、これらのツールが改良され、また、グーグルやヤフーのような企業が自社の検索エンジンで機関リポジトリを認識できるようにすることに興味を持つようになると、セルフアーカイブは出版社の深刻な脅威となる地点にだんだん近づくことになる。
ハーナッドが認めているように、「審査済み研究論文のオンライン版がいったん無償で利用できるようになれば、所属機関が購読料を支払えないために以前はまったくアクセスすることができなかった研究者だけでなく、事実上すべての研究者が無償のオンライン版を利用することを選ぶと思われる」。そうなれば、おそらくボブ・キャンベルでさえ難色を示すだろう。
これが、ほとんどの出版社がこれほどまでにPubMed Centralを嫌う理由である。洗練された検索機能を誇る中央リポジトリとして、PubMed Centralは機関リポジトリのネットワークよりはるかに大きな脅威を与えている。PLoSのヘレン・ドイル(Helen Doyle)とアンディ・ガス(Andy Gass)が10月にgpgNetメーリングリストで指摘したように、出版社にとってのPubMed Centralの問題は「それが少しばかり便利すぎる」ことである。
ところで、以上が物語るものは、セルフアーカイブは本質的に脆弱な戦略であるということである。それでも、「無秩序な空白期間」を引き起こすことなくOA出版への円滑な移行を促進することができるとすれば、セルフアーカイブは確かに役立つものであろう。そこで次のような疑問が生ずる。ゴールドロードはOAを実現できるのか。中でも、ゴールドロードは有効なビジネスモデルを提供できるのか、という疑問である。
今までのところ、BMCもPLoSも、将来にわたる持続可能なモデルを構築することはおろか、損益分岐点を越える力も示していない。また、それが可能かどうかも明らかでない。「BMCの雑誌で発表される論文の平均数を見ると、一般の雑誌の平均100篇に比べて、およそ10篇にすぎない」、匿名を条件にある出版人が解説する。「BMCでは掲載する論文数が減少した雑誌もあり、今ではたった2,3篇の論文を掲載しているにすぎない雑誌もある。購読モデルだったら、これらの雑誌は淘汰されていただろう。一方、1500ドルを負担させるPLoSは、何とか2タイトル目の雑誌を立ち上げようとしているにすぎず、また、最初の雑誌の発刊で損をしているに違いない」
実際、現存する1200誌ほどのOAジャーナルのうち、著者に出版経費を負担させて財政的に独立したいと願っているものはほんの少数にすぎない。「もちろん、第三者機関や所属機関からはっきりとした資金を得ている雑誌もある」と、学協会出版者協会(The Association of Learned and Professional Society Publishers)CEOのサリー・モリス(Sally Morris)は、最近、liblicenseメーリングリストで説明している。「しかし、『公にはされないが』所属機関から支援を受けている雑誌はもっと多いと推測される」
OAジャーナルはセルフアーカイブ同様寄生的であるように思われる。それゆえ、ハーンクの3000ドルの著者支払い額はおそらく「とんでもない」ものではなく、まさに現実的な額なのだろう。OA出版社も著者負担金を上げる必要があるだろう。しかし、カンパニー・オブ・バイオロジスト(The Company of Biologists)が経験した「負担金が1350ポンドに上がるや否や、研究者の関心は冷めた」事実をキャンベルは指摘し、これを警戒した。
おそらくキャンベルは正しい。実際、著者支払いモデルはおそらく決してうまくいかないだろう。しかし、政府や助成団体が本当にOA(の確実な実行)を望むなら、必ず市場は存在する。そして、問題は単に資金調達の受入可能な代替方法を探すことである。そういう訳で、OA出版社は会費制を導入した。この制度は、論文を発表する度に研究者がその出版料を請求される代わりに所属機関が1年分の経費をまとめて支払えるようにしたものである。ここで、会費は一般に図書館により支払われるということに注意するべきである。
しかしながら、会費制は薄気味悪いほどビッグディールにそっくりだということに我々は気付いた。たとえば、コーネル大学の図書館員フィル・デイビス(Phil Davis)はコーネル大学での会費の影響を分析し、購読者支払いの出版モデルとOAは大して変わらないと結論付けた。「両者ともすべての経費を機関が払うという点で、BMCモデルは商業出版社の購読モデルと見なすことができる。また、購読制と著者によるページ負担が組み合わさっているという点で、PLoSモデルは一種の学会出版モデルと見なせる」と彼は説明する。「このように言葉を変えてみると、我々は従来の出版で問題となった開始地点に戻ったように思える」
しかし、これが教えるものは、我々はOAにお金をつぎ込むということである。すなわち、我々はこのシステムから経費を締め出さないのである。さらに、これらの経費負担は相変わらず最後には図書館に回ってくるということも我々は学ぶのである。
そして、これが図書館員にとっては問題なのである。英国や米国で出された勧告の結果がたとえどんなものになるにせよ、OAはもはや避けられないのである。そして、OAは研究者のアクセス問題を解決することは約束しても、OAが図書館経費を削減するかどうかはまったく不明なのである。
実際、図書館は従来の雑誌購読料を支払い続けるだけでなく、OAの会費も支払わなければならないことに気付きつつある。あげくの果てに多くの図書館では機関リポジトリの構築も要請されはじめている。その構築経費は大体7000ドルから250万ドルであり、1年間の運用経費は少なくとも4万ドルもかかるのである。
まるでそれでは不十分であるかのように、セルフアーカイブ推進者は図書館員の窮状にまったく同情しない。ハーナッドにとっては、研究成果が自由に利用できるようになるだけで十分なのである。彼が最近しばしば説明しているように、図書館が抱える雑誌の適正価格という問題と雑誌論文のアクセス問題とは別問題なのである。「たとえ、前者が我々の注意を後者に向けることを助けたとしても、両者は別の問題である。また、同じ解決策を持つものでもない」
それでは、雑誌の適正価格という問題の解決策とはどんなものであろうか。我々にはわからない。わかっているのは、たとえOAの利点は議論の余地がないとしても、OAは図書館の経費を(少なくても短期的には)まちがいなく増加させるもので、減少させるものではないように思えることである。図書館員にとっての悲劇は、OAを促進するためにあれほど努力したにもかかわらず、その見返りがさらなる財政上の苦痛だけであったことである。痛みなくして得るものなしというわけだ。そして、今回の場合、得たのは研究者、痛みを感じたのは図書館員であった。