ARLリポート(隔月刊)

ARLリポート(隔月刊) 226
2003年2月号

機関リポジトリ : デジタル時代における学術研究に不可欠のインフラストラクチャ
Clifford A. Lynch(ネットワーク情報連合事務局長)

はじめに
2002年秋、一連のネットワーク情報革命において驚くべきものが現れ、個人が推進する革新、機関の発展、専門的学術研究活動の進化、これら3者の関係を変えつつある。機関リポジトリの開発である。機関リポジトリは、学術研究や学術コミュニケーションで生じている変化を加速するために、大学が本格的かつ体系的な影響力を発揮する新しい戦略として登場した。機関リポジトリは、現代化する学術出版において、大学がデジタルコンテンツへのライセンス契約を通じて既存の出版社をサポートするというこれまでの比較的消極的な役割を超える動きをもたらし、また、デジタル媒体の革新的な使用法を探る少数の選ばれた先駆者によるアドホックな協力関係やパートナーシップあるいはサポート協定を超える関係を生み出しつつある。

機関リポジトリは多くの技術動向と開発努力が相まって可能になった。オンラインストレージにかかる費用が大幅に低下し、リポジトリが手の届くものになった。オープン・アーカイブズ・イニシャティブのメタデータ・ハーベスティング・プロトコルのような標準が現れ、また、メタデータに関する標準にも前進が見られた。デジタル保存に関する考えが過去5年の間に進歩し、その必要性が広く認識され明らかになった。技術的アプローチが少なくとも表面的には計画され、今や行動に移すことが必要であることが明確になった。高エネルギー物理学のような専門分野でフリーに誰でもアクセスできる雑誌論文コレクションが発達したことで、ネットワークを利用して発信とアクセスの形態を変えることにより学術コミュニケーションを変えることができる方法が示された。また、これとは別に、一連の驚くべきデジタル作品の増加により、少なくとも、デジタル媒体による創造的著作が学術研究の発表と伝達の方法を一変する可能性が示された。

ヒューレット・パッカード社との協同作業で作成されたDSpace機関リポジトリシステム<http://www.dspace.org/>の開発と展開におけるマサチューセッツ工科大学(MIT)のリーダーシップは、他の多くの大学を前進させる方法を示すモデルとなった。2003年にはアンドリュー・W・メロン財団等の資金援助を受けて、MITのDSpaceは世界中の数多くの機関で複製される予定である。このソフトウェアはオープンソースライセンスで一般に公開されているので、すべての機関にとって、リポジトリの実装にかかる経費も開発に関する障壁も非常に低いものになっている。DSpaceはもっとも汎用的なシステムであると私は思うが、DSpaceが利用可能な唯一の選択肢ではない。たとえば、英国のサウサンプトン大学で開発されたソフトウェア<http://www.eprints.org/> がある。このソフトウェアはデジタル資料全般でなく、特に論文の機関リポジトリあるいは主題リポジトリ用に設計されている。

ワシントンで開催されたARL,CNI,SPARC共催のワークショップやMITにおけるDSpace発表祝賀会、あるいはテネシー大学やブリティッシュコロンビア大学など、過去数ヶ月の間に私は、ネットワーク上の情報を利用して学術研究を進歩させる戦略としての機関リポジトリの役割と重要性について話す多くの機会を得た。これらのイベントのいくつかについては、ビデオ記録がインターネット上で利用できるようになっているが、本稿では、機関リポジトリの性格と機能および学術研究の変革におけるその役割について、イベントで表明した私の考えをまとめて明確に述べたいと思う。

機関リポジトリの定義
私が考えるに、大学における機関リポジトリとは、大学がその構成員に提供する、大学やその構成員により作成されたデジタル資料を管理し発信するための一連のサービスのことである。このサービスでもっとも大事なことは、これらのデジタル資料を組織し、アクセスを提供し、あるいは配布し、適切な場合には長期保存を行うなど、資料の受託管理に対して組織として責任を持って取り組むことである。これらのサービスの運営責任をとる組織単位は大学により異なるであろうが、機関リポジトリを効果的に運営するためには、図書館員、情報技術者、公文書館や記録館の管理者、教員、大学の管理者および政策担当者の協力が必要である。機関リポジトリは設置時点で利用できる一連の情報技術により構築されるが、機関リポジトリを構成するサービスのうち鍵となるのは技術革新への対応であり、デジタルコンテンツの旧技術から新技術へのマイグレーション(移行)である。これはリポジトリサービスの提供に対する組織的な関与の一例である。機関リポジトリは単にソフトウェアとハードウェアの固定されたセットではないのである。

初期に設置された機関リポジトリでは、リポジトリの存在を広めるため、あるいは学内の承認と支援および参加を得るためにさまざまな道を選択したが、成熟し完成した機関リポジトリには、教員や学生の知的成果物(研究資料と教育資料)およびイベントやパフォーマンスの記録あるいは毎日の知的生活の記録といった機関自身の活動に関する文書も含まれることになるだろうと私は考えている。さらに、学術研究活動をサポートする、機関の構成員により採取された実験データや観察記録も格納されることになるだろう。

最も基本的なレベルにおいて、機関リポジトリとは、大学における知的生活や学術研究は今後ますますデジタル形式で表現され、文書化され、共有されるだろうという認識、および、大学の第一の責務はこれらの知的財産を利用可能とし、かつ保存するという受託管理であるという認識の現れである。機関リポジトリは大学がこの責務を学内構成員あるいは一般の人々に対して伝える手段である。機関リポジトリは広く世界に対する大学の貢献を形作る新しいチャネルであり、それに見合った運営方針とこの関係の文化的再評価を求めるものである。

現在営まれている学術出版と、より広く、より多様化した、多くの場合形式的でない、そしてもちろん急速に進化している学術コミュニケーションを構成する一連の実践とを、私は区別したい。学術出版はきわめて具体的で限定された学術コミュニケーションの一例であるからである。私は本稿において、「学術コミュニケーション」と「学術出版」という2つの用語を注意深く区別して使用する。たとえば、私が提案した機関リポジトリの定義において、私は大学に新しい学術出版の役割は求めていない。ただ学術コミュニケーションの発信の役割を求めただけである。学術出版は単なる発信以上のものであるが、ものを発信するというコミュニケーションの分野においてはむしろ限定されたものであった。リポジトリと出版の関係については後ほど詳しく述べたい。

大学内で受託管理を担当する組織(我々はすぐに図書館、公文書館あるいは博物館を思い浮かべるが、情報のコレクションを管理する組織は他にも数多く存在ことを認識すべきである)に対して、各組織の役割と各組織が責任を持つリソース、さらに各組織の戦略についての複雑で含みのある問題を機関リポジトリが提起することは明らかであろう。同時にそれほど複雑ではないものの、学術コミュニケーションの発信に重点を置く組織、より限定的にいえば大学出版局のような学術出版を行っている組織のすべてに対しても問題を提起することになる。

機関リポジトリの戦略的重要性
学術研究および学術コミュニケーションは変化している。この変化は個人の創造性の危険で大胆な活動から始まる。そして、ゆっくりと拡大していき、やがて専門分野における文化を変化させ、最終的には機関におけるテニュア取得や昇任の決定の際に表明されるような新しい学際的標準となる。

高等教育機関は少なくともこの10年間、もっとも革新的で創造的な教員をサポートする機会を逃してきた。それは、教員団および機関自らを犠牲にするものであった。これらの教員は、新しいデジタル媒体による著作物により教育や学習、あるいは学術コミュニケーションを高める方法を模索してきた。そのような革新性は学術研究の活性と効率性を維持するために不可欠であり、支援のみならず育成の対象となるべきものである。実際、これら革新性の育成は大学の中心的使命かつ中心的価値となってきている。一般に保守的なより広範囲な教員の間でも、彼らの考えを地球規模で共有する乗り物としてインターネットが利用されるようになった。その形態は、伝統的な雑誌論文のデジタル版のような比較的なじみのあるものである場合もあったし、(それほど一般的ではないが)デジタル媒体による学術モノグラフなどのこれからの発展が見込まれるまったく新しい形をとる場合もあった。この新しい発信機会の受容は、社会やグローバル環境における学者や大学の役割について言及する場合に重要である。大学はこの広範囲な研究者集団にも満足なサービスを提供してこなかった。しかしながら、教員は所属機関が彼らの学術成果物の発信を支援しなくても気にしないでいられるよう動機付けされている。非伝統的な学術成果物を正当化できないことに比べればその学術成果物を効率的に発信できないことはダメージが少ない。また、伝統的な資料の発信にしか関心のない教員はかれらの専門分野においては危険を冒さない。だからそれほど問題にはならなかったのである。

しかし、これまでの学術出版システムと平行して、雑誌論文や図書の章、あるいはモノグラフ全体をネットワークを使って広範囲に発信して利用可能にしたいと思っている教員の窮状を考えてみるべきである。そのような教員は時間を浪費する問題に直面している。教員はコンテンツそのものとそのメタデータの受託管理者の役目を果たさなければならない。すなわち、続々と現れる新しいフォーマットにあわせてコンテンツを移行し、コンテンツを記述するメタデータを作成し、適切なスキーマやフォーマットによって、さらには、オープン・アーカイブズ・イニシャティブのハーベスティング・プロトコルのような適切なプロトコルインターフェースを通してメタデータを利用可能にしておかなくてはならない。教員は新しい知識を作り出すことは得意であるが、知識の創出過程の記録を維持することは苦手である。さらに悪いことに、これらの教員はコンテンツを管理するだけではなく、システム管理者(あるいはシステム管理者の管理者)として、パーソナルウェブサイトのような発信システムの管理までしなければならない。過去数年の間に、これはほとんどの素人の手に負えるものではなくなってきた。ソフトウェアは複雑になり、セキュリティリスクが増大し、バックアップの必要性が増した。一般的にこうした問題に対処するには、ウェブサイトの運用を、規模の経済を発揮できる、毎日の仕事を最近発行されたセキュリティパッチの調査から始めることができる専門家に任せて効率化するようになっている。今日、教員の時間はシステム管理とコンテンツ管理のために浪費され、非効率的に消費されている。そしてそのシステム管理は不完全であるので、大学は危険にさらされている。一般に教員には、際限のないセキュリティホールの露見とそれへのパッチに対応する余裕がないので、大学のネットワークは学術成果物の配布ポイントとして利用されている教員の脆弱なマシンで穴だらけである。また教員がコンテンツを作成する際にも危険が潜んでいる。教員は一般にきちんとバックアップを取らず、(たとえばコンテンツを安全なシステムに置くことにより)コンテンツの完全性を保証することもせず、コンテンツを正しく管理することもしないからである。

ネットワークによる発信だけでなく、デジタル媒体の性質を新しい著作物にどのように生かすかという、より困難な問題にも関心のある教員にとって状況はさらに悪いものである。これは単に、雑誌論文のような認知され見慣れた形式の著作物へのより効果的なパブリックアクセスについての問題ではない。雑誌論文は、最悪の場合でも、紙に出力してテニュア取得や昇進のために委員会に提出することができる。これらの教員は、デジタル著作物に時間を割くことの正当性について論じ、かつ、そのような学術成果物の価値が伝統的な学術成果物と同等であることを論証するという重い負担を背負っている。これは専門分野ごとに取り組まなければならない文化的問題であり、また、各機関で行われる評価やテニュア取得、昇進審査において解決を図るべき問題でもある。ただし、新しい媒体による著作の学術的正当性を主張するためには保存可能であることが基本的な前提条件となる。デジタル媒体による作品が学術記録として永久に残ることを主張できないと、それらが学術研究への貢献として完全に考慮する価値があり、考慮すべきであると論じることは非常に難しいものになる。ほとんどの研究者は、自らの学術成果物をたとえ短期間であっても確実に保存するための時間もリソースも専門知識も持ち合わせていない。また、退職後にまでわたる長期保存ができないことは明らかである。長期保存は戦略に基づいて組織的に取り組むしかないのである。機関リポジトリは、アクセスの継続性という短期的問題に対しては、デジタル媒体による新しい学術成果物を管理し発信するための、専門家によるシステム管理や体系的なファイルバックアップなどを含む環境を提供することで対処できる。また、保存という長期的問題についても組織的な取り組みをすることで対処できる。

学術コミュニケーションにおける改革は,デジタル媒体によって可能となった学術成果物の新しい形態の成立に留まらない。昨今では,雑誌論文のような伝統的な形態にあってさえも,学術成果物は補助的なデータセットや分析ツールを伴うことがしばしばある。学術研究活動はデータ集約的になってきている。すなわち,学術研究活動はデータやツールによって支えられ,裏付けが与えられ,それらは著述の実践においても補完の役割を果たすのである。自然科学におけるこの変化は、Dan Atkinsを委員長とする全米科学財団サイバーインフラストラクチャに関する諮問委員会による最新の報告書1の中で十分に裏付けられている。報告書は自然科学の研究をサポートするサイバーインフラストラクチャに焦点をあてているが、議論のほとんどは自然科学にとどまらず人文科学を含む幅広い学術研究活動へも適用できるものである。自然科学分野の雑誌は現在ではほとんどが、彼らが「付録」資料と名付けているものを伝統的な雑誌論文出版の一部として受け入れている。しかし、各雑誌が論文を雑誌の一部として維持しているのと同じように、付録資料を学術研究の永久的な記録として組み入れるために各雑誌が実際にどのような取り組みをしているのかはほとんど明らかではない。ある種の学術成果物においては、専門分野のデータリポジトリ(たとえば分子生物学を考えてみてほしい)が今後も発展し、これらの主題リポジトリに保管されたデータによって雑誌出版を補完するというコミュニティの規範がはっきりしているが、同時に、学術研究活動は多様化しており、主題リポジトリがすべての専門分野にまで広がることはけっしてないであろう。デジタル世界において、新しい学術研究をサポートするデータを発信し保存する包括的なメカニズムを提供することができるのは、各機関で教員が実際に行っている方法に沿って、これらのデータリソースを機関として管理するというアプローチだけである。雑誌はデータリソースを管理するにはあまりに動きが遅く偏っているし、主題データリポジトリは包括的ではない。機関リポジトリは、学術成果物に加えてデータも維持できる。この意味で、機関リポジトリは伝統的な学術出版に代わるものではなく、補完または補足するものである。

機関リポジトリは、学術コミュニケーションにおける対話の一部である個々の研究者の学術成果物を発信し、管理する以上の役割も担っている。私は常々、研究図書館は将来の学術研究に重要となるコンテンツの受託管理に責任を持つことで、デジタル世界におけるコレクション形成の新戦略を確立する必要があると主張してきた。機関リポジトリは、研究図書館が収集の価値を認める資料の多くを置くことのできる場所である。ようやく、少なくともいくつかの機関では自らの文化を変え、多くの教育・学習資料をインターネット上でグローバルに公開(たとえば、MITのOpenCourseWareイニシャティブ<http://ocw.mit.edu/>)したり、あるいは、相当数のシンポジウムやパフォーマンス、講義など学内生活の多くの行事をそれほど体系的ではないが、捕捉して保存することに積極的にかかわるようになってきた。機関リポジトリは、これらの資料を受託管理しアクセス可能とするフレームワークを提供する。

以上をまとめると、機関リポジトリは、ネットワークにより提供される新しい発信機会を教員が効果的に使用できるようにすることによって、伝統的な学術研究コンテンツへのアクセスを強化し大いに促進することができる。これは少なくともいくつかの専門分野においては、e-プリントやプレプリントサーバによって実現されている。このような場合、機関リポジトリは主題リポジトリに直接コンテンツを提供することが可能である。学会やコアジャーナルが変化を引き止めるような選択をしている保守的な文化を持つ専門分野では、機関リポジトリはその専門分野の慣習の変革を先導する個々の教員を助けることができる。

機関リポジトリは、デジタル媒体を基本的手法として利用する新しい学術コミュニケーションの形態を模索し、採用することを促すことができる。私が考えるに、おそらくこれが機関リポジトリのもっとも重要で刺激的な利点である。すなわち、機関リポジトリは、既存の学術出版システムにおける変化を促すというよりも、短・長期にわたるアクセスを保証することにより正当化され育成されるべき、学術コミュニケーションのまったく新しい形態を開くことで変化を促進するのである。機関リポジトリは、学術研究の記録や論文の不可欠な一部としてデータを重視する学術研究の新しい慣習をサポートすることができる。機関リポジトリは学習資料や教育資料、シンポジウムやパフォーマンス、あるいは大学における知的生活に関する文書を捕捉し発信するという、ともすれば散漫になりがちな努力を構造化し、効率的にすることができる。

機関リポジトリに関する警告
機関リポジトリを開発しようとする試みが、道を踏み外し逆効果になりかねないと心配する領域が少なくとも3つ存在する。

潜在的危険性の第1は、一般に教員により管理されてきた知的作業を、機関(管理当局)が管理しようする戦略の道具として機関リポジトリが使用されることである。教員や学生に学術成果物のデポジットを強制したり、これらの学術成果物の管理や所有権を主張する方法として機関リポジトリを使用するというアプローチはすべておそらく失敗におわるか、失敗する運命にあるものと私は信じる。学内コミュニティのニーズにすばやく反応し、学内コミュニティや広く学術研究の関心を高めれば、きっと機関リポジトリは成功すると思われる。しかし、学内コミュニティにおける行動や文化の変更、特に議論を呼ぶような変更を強制すれば、機関リポジトリは失敗におわるだろうし、またそのような機関リポジトリは失敗すべきである。大事なのは責任を引き受けることであり、新たな管理を行使することではない。これは、機関の記録として広く認識されている(または組織自体が所有すると認識されている)資料のデポジットを必須にするという方針が間違いであるといっているのではない。しかし、機関はこの方針をできるだけ控えめに抑えるべきである。

我々は機関リポジトリをインフラストラクチャとして重視するのであり、このインフラストラクチャを本来の目的から外れる不適切なポリシーにより負担をかけ過ぎないという点で、私の2番目の心配は1番目の心配にいくらか似ているが、まったく別の観点からのものである。

我々は、機関リポジトリを設置する機関の役割と、機関リポジトリというインフラストラクチャを基礎とする学術コミュニケーションを創造し管理する組織単位、あるいは専門分野における学術コミュニティの役割を厳密に区別することを忘れてはならない。既存の学術出版システム(特にその経済モデルと知的所有権の管理とライセンス処理によるアクセス制限)を変革したいと考えている大学管理者、図書館員および教員は、リポジトリサービスの運用方針に不適切な制約を加えることによって、変革への努力をあまりにも直接的に機関リポジトリに結び付けようとしがちである。

たとえば、さまざまな機関リポジトリにおいてアクセス可能となる学術成果物を選択して認証するピアレビューシステムを構築したり、多くの機関リポジトリを橋渡しするオーバーレイシステムを開発し。「仮想的な」雑誌を作りたいと考えるグループがあるだろう。機関リポジトリはこうした関心を推進するインフラストラクチャを提供するのにふさわしいかもしれない。大きな学問的信頼性を得るには、そのような努力は機関を超えたあるいは機関を横断するものでなければならないということに注意が必要である。これは大学出版局が単に親機関に所属する教員の作品だけを出版しているわけではないことや、機関発行の雑誌の編集委員会が発行機関以外からも委員を任命していることと同じ理由による。機関を超えるという機関リポジトリが持つこの性質は、それと個々の機関リポジトリの開発とを混同すべきはないということを明確にするのに役立つに違いない。

しかし、私が考えるに、これは機関リポジトリの第1の意義ではない。実際、はるかに幅広いスペクトルを持つ新しい学術コミュニケーショを向上させ、サポートし、正当化する乗り物として機関リポジトリを捉えるのではなく、現行の学術出版の経済学を再構築する道具として機関リポジトリを捉えることは、機関リポジトリの重要性をひどく過小評価することにつながる。機関リポジトリに資料を保管することを認める際の複雑でめんどうな「門番的な」方針、特にピアレビューの使用など伝統的な学術出版のやり方を真似するような方針は、まったく逆効果を招くものであると、私は主張したい。このような方針は、機関リポジトリが教員のなかの革新者や指導者を支援することを妨げるであろう。学内教員はもちろん、学内コミュニティの構成員にも、機関リポジトリに資料を蓄積する資格が認められるべきである。確かにリソースの制約という各機関が解決しなければならない現実が存在する。保管するのが困難なほどの大量データやマルチメディアコレクションを持つ教員がいるかもしれない。しかし、機関リポジトリは雑誌でも雑誌のコレクションでもないことを、また、雑誌のように管理されるべきではないことを認識するべきである。それが機関リポジトリの要点あるいは目的ではないのである。

これは精巧な門番機能を実装する構造を機関リポジトリの上に構築することを除外するものではない(たとえば、DSpaceの「コミュニティ」機能は、特定のグループに運営方針を譲ることで、リポジトリ内に特定のグループが運営方針をコントロールできるサブ領域を設けることができる)。重要なのは、基本的なリポジトリサービスは基盤サービスであり、そのような上乗せ機能によって課せられる方針からは分離すべきであるということである。既に述べたように、新しい雑誌がそのような上乗せ機能になるかもしれない。また、たとえば査定システムや記録保管計画を備えたアーカイブが上乗せ機能になるかもしれない。私が言いたいのはただ、基本的なリポジトリサービスはシンプルで簡単に投稿ができるようにしておくことが重要であり、このサービスこそがリポジトリを設置する第一の目的であるということである。

機関リポジトリは、主題リポジトリへの挑戦者でもなければ代替者でもない。むしろ、機関リポジトリは、既存の学術出版を補完するものであるように、主題リポジトリを補完するものである。オープン・アーカイブズ・イニシャティブのメタデータ・ハーベスティング・プロトコル<http://www.openarchives.org/> は、機関リポジトリが主題リポジトリへ学術成果物を再配布する入り口として動作するための道具となる。道具はできるだけシンプルであることが望ましく、教官が絶えず進化する主題リポジトリサービスの多様性について詳しく知らなくても済むようになっていることが望ましい。さらに望ましいのは、機関リポジトリへのシンプルで安定した投稿インターフェースを教員に用意することである。この意味で、機関リポジトリは主題サービスあるいは主題リポジトリを構築する基盤になることができるのである。

機関リポジトリについて、3番目の少し違う心配がある。現在、我々は機関リポジトリの構築に取り組む相当な数の先導的機関を見ている。近い将来、多くの大学コミュニティがそのようなサービスの早期提供を期待し要求するようになるだろう。機関リポジトリの構築が管理当局者の間で流行するかもしれない。私が恐れるのは、機関として十分な取り組みをしないまま拙速に機関リポジトリを提供する機関が出てくることである。

機関リポジトリは、学内コミュニティ(および学術世界あるいは広く世間一般)への厳粛な長期にわたる約束であり、軽く考えるべきではないことを設置機関が認識することは極めて重要である。機関リポジトリを設置するということは、機関が危険を承知の上で約束を交わしたことを意味する。リポジトリは新たな期待を作り続けるのである。デジタル保存には常に変わらぬ注意が必要であり、それ故資金が必要であるという認識が機関全体で共有されることで、予算が逼迫した際にも機関リポジトリが削減の対象に最後までならないことを私は祈る。自分の学術成果物の発信と保存を機関リポジトリに託すことを選ぶ教員は、所属する機関および作品を管理する人々の誠実さと知恵、能力に多大な信頼を置いている。我々は機関リポジトリがこの信頼に値することを保証する必要がある。

機関リポジトリは、やがて方針の変更(たとえば機関が資金提供停止を選択するなど)や管理の失敗あるいは技術的問題など多くの理由で失敗に終わる可能性がある。失敗の理由が何であれ、機関リポジトリに蓄積された資料へのアクセスは中断され、最悪の場合すべての資料が永久に失われる結果になる可能性がある。今日の機関リポジトリについて考えてみると、出版や図書館システムに見られるほどの冗長性を持ち合わせていないので、たった1機関の失敗が多大なダメージを与える可能性がある。理由はどうあれ、機関リポジトリで最初に起きる数例の大きな失敗が引き起こす衝撃や影響について私は大変心配している。たとえば失敗により、学者の間でデジタル学術成果物の著作性の受容が大きく阻害されることを、また、学内コミュニティを支える信頼に致命的な影響が与えられることを、さらに、高等教育に対する幅広い社会的支援が台無しにされることを、私は恐れている。残念なことに今後10年くらいの間にそのような失敗を見ることになることは疑いがないと私は思う。この予測が誤りであることを願うばかりである。

受託管理を公言することは簡単で費用かからないが、遵守することは高価で困難である。そしておそらく後になって極めて簡単に放棄されることになるだろう。各機関は機関リポジトリプログラムを開始する前に真剣に考える必要がある。

機関リポジトリとネットワーク情報標準およびインフラストラクチャ
機関リポジトリは、多くの困難なあるいは放置されてきた分野における、基盤となる標準の策定と利用を推進すると私は考える。ここでは3点を指摘するにとどめる。

保存可能なフォーマット。機関リポジトリは受託管理と保存について約束する。この約束は承認を得なければならない。設置機関は、学内コミュニティの要求と技術的な実現可能性を勘案して、ファイル保存フォーマットについて選択を行うことになる。1つの選択肢は、機関が(おそらくフォーマットを変換移行することにより)常にアクセス可能な形態で保存することに責任を持つファイルフォーマットを決めてリスト化することであり、もう1つの選択肢はファイルを構成するビット列のまま保存するが、これを読むための特別なプログラムが開発されない限り将来このビット列が解釈されうることを保証しないというものである。各機関における選択は、高等教育機関や研究者コミュニティにおける幅広いコンセンサスに集約され、教員が責任者としての参加する活発な作業によるボトムアップ型の標準策定という形を取ることになるだろう。

識別子。機関リポジトリに保管された資料を永久に参照できるようにしておくことは明らかに重要である。なぜならこれらの資料は学術的議論や記録の重要な部分を形作るからである。これにはバージョン管理のような問題も扱えるようにしておく必要がある。この分野については、高等教育機関や図書館コミュニティはこれまで、主として商業活動や伝統的な出版社に全面的に任せて十分な活動をしてこなかった。機関リポジトリの展開によって、この分野における実用的な解決策が追求されることになるだろう。

諸権利の文書化と管理。デジタル資料に関する諸権利の管理は重要である。機関リポジトリの目的は、コンテンツへのアクセス、再利用、受託管理(フォーマットの再変換を含む)を促進することにある。研究・教育コミュニティにおいて、この目的を円滑にはたせるよう学術成果物に関する諸権利や使用許諾を記録し文書化する方法が必要である。これはメタデータ構造のような技術的な問題の側面もあるが、実際はほとんど、大多数の資料に適用できる比較的少数の使用条件についてのコンセンサスを得ることにある。クリエイティブ・コモンズ<http://creativecommons.org/>により策定されたストック・ライセンスのような実用的な「標準」がここでは重要になるだろう。機関リポジトリは、学内コミュニティの構成員にこれらの標準策定を知らせるきっかけとなるだろう。ここでもやはり、機関リポジトリは諸権利と使用許諾にかんするコミュニティ主導でボトムアップ型のコンセンサス形成の機会を提供している。

機関リポジトリの今後の発展
本稿では、機関リポジトリの現在の発展について述べ、それが学術研究活動や高等教育機関にとってなぜ非常にかつ戦略的に重要であるのかを説明しようと試みた。その視野は、おおよそきわめて近い将来においてきた。本稿を終えるにあたって、徐々に完全な形となっていく機関リポジトリモデルに基づく将来の発展についていくつかスケッチだけでもしてみたいと思う。

必ずしもすべての高等教育機関が機関リポジトリを必要とする、あるいは運用したいと望むわけではない。しかし、最終的にはほとんどすべての機関は自らのコミュニティに対し、機関リポジトリサービスを提供したいと考えるようになるだろうと私は考えている。様々な形態のコンソーシアムベースの、あるいはクラスター型の機関リポジトリが登場するだろう。設計の優れた機関リポジトリは、コンテンツの運営方針の管理(たとえば投稿、保存など)からシステムの運用を切り離すことになるだろう。それゆえ、機関リポジトリが大学や図書館からなる地域や専門分野によるコンソーシアム結成の話し合いの基本的な議題になることを期待できる。

機関リポジトリの「連合」という概念が明らかに生まれつつある。ただし、この意味するものを具体的に探ったもの、たとえば、リポジトリ横断検索や、複数の機関リポジトリ間でコンテンツを交換して地理的な多様性とシステムの多様性を獲得し、バックアップや保存、災害からの復旧、その他の可能性を求めるといった活動は、今のところまだ行われていない。こうした試みは、今後の探求と改革に値する領域であろう。教員はその職歴を通じて同一の機関に留まることはあまりない。また、他の研究者と協同で研究を進める際には、機関の垣根を無視する。連合のもう一つの役割はここにあり、機関リポジトリ連合には、教員の可動性や機関を超えた共同作業を認識して促進する協定の策定が含まれるかもしれない。

最後に、大変興味深いことであるが、大学における機関リポジトリは、コミュニティリポジトリあるいは公共リポジトリに発展していくかもしれない。これは高等教育機関の中で議論となっている、社会の中により深く入り込むという概念のもう1つの実例にあたるであろう。公共図書館は、地方自治体や地域の歴史協会、博物館や公文書館、あるいは地域コミュニティのメンバと力をあわせてコミュニティリポジトリを設置しようとするかもしれない。公共放送もある種の役割を担うであろう。長期的には、学術的な文脈の中での「出版」ではなく、必ずしも地理的に定義されたものではない任意のコミュニティや利害グループの参加者による「出版」(特に非営利出版)について、さまざまな問題が生じてくるであろう。また、広く一般向けの商用リポジトリサービスが登場することも想像できないわけでない。

機関リポジトリが、高等教育機関を、あるいはより広くそれがサポートする学術研究活動を変革するエンジンとして機能する非常に強力なアイデアであることは明らかである。もし正しい方向に発展していくなら、機関リポジトリは驚くべき数の課題の解決に向けて、幅広い範囲のニーズに応えることになる。結果が明らかなものもあれば、予想のつかないものもある。機関リポジトリは大学が積極的に投資すべき分野であると私は考えるが、それはまた、注意深い実装が求められる分野でもある。それには、(教員と図書館の協力による知的リーダーシップの下に)学内コミュニティ全体の協議と協力を得る必要がある。さらには、成功したあかつきには、学術コミュニティの景色を一変することを十分に理解しておかなければならない。

--Copyright © 2003 Clifford A. Lynch

  1. Atkins, Daniel E., et al., "Revolutionizing Science and Engineering through Cyberinfrastructure: Report of the National Science Foundation Blue-Ribbon Advisory Panel on Cyberinfrastructure," January 2003, <http://www.communitytechnology.org/nsf_ci_report/>. テキストに戻る

先頭に戻る

Lynch, Clifford A. "Institutional Repositories: Essential Infrastructure for Scholarship in the Digital Age" ARL, no. 226 (February 2003): 1-7. <http://www.arl.org/newsltr/226/ir.html>.

226号の目次 | 最近の記事
ネットワーク情報に関する記事 | 学術コミュニケーションに関する記事

ARL Bimonthly Report Home
ARLリポート(隔月刊)ホームページ
ARL Home
ARLホームページ

 

原則としてARLはARLリポート(隔月刊)のすべての記事について完全な帰属がなされている限り教育的利用のための増刷に対して包括的許諾を与える。この原則に従わない記事については個々に明記する。本原則は著作権法107条および108条による権利に対する追加である。商用利用のための増刷依頼はARL情報サービス担当役員Julia Blixrudに送付のこと。

© The Association of Research Libraries
Maintained by: ARL Web Administrator  Site Design Consultant: Chris Webster  Last Modified: March 5, 2003