1990年代における米国の日本研究

− 新しい研究者,新しいトピック,新しいアクセス・ニーズ −

                        ハワイ大学社会学教授 

パトリシア・スタインホフ

まえがき

 学術情報センターは,平成9年度文部省科学研究費補助金国際共同研究「海外における 日本情報の需要と供給に関する研究」(課題 番号07044017)の米国側の研究代表者であるハワイ大学社会学教授パトリシア・スタインホフ教授を招いて行った共同研究の一環として,1997年7月3日,国際交流基金日本研究部日本研究課と共催で,記念講演会を開催した。スタインホフ教授は,国際交流基金の支援によって,アメリカアジア協会(Association for Asian Studies, Inc.= AAS)が実施した米国の日本研究に関する調査の代表者であり,先にまとめられたその調査の報告内容についての講演をお願いした。 以下にそのあらましを紹介する。

 国際交流基金の支援によって,アメリカアジア協会が実施した米国とカナダの1990年代の日本研究に関する調査が終わり,米国の分について2つの成果が刊行された。1つは,3分冊からなる便覧(1995年刊行)であり,他の1つは調査から得られたデータを分析した報告書(1996年刊行)である。この調査は,米国の日本研究に対して今までに実施された最大規模のものである。5つのテーマ(日本研究が分野として,成長,多様化,専門化,常態化,国際化を遂げたこと)のうち,今回は,多様化と専門化を中心にして,新しい種類の研究者が新しい種類の研究に取り組んでいる状況を取り上げる。研究者,研究テーマ,アクセス・ニーズにおいて何が新しい現象かを10年前と比較してつかむために国際交流基金が発注し,米国のSocial Science Research Council の日本研究 Joint Committee が1982 - 83年に実施した調査を用いる。

 米国の日本研究の規模は,1984年から1995年の間に研究者の数で85%増えた。日本研究者がいる大学の数に至っては,238%増加した。一方,1980年代初頭から日本研究を行っている大学で研究者が増えたところも86%ある。博士課程の学生は,唯一の比較可能な年次である1989年に比べても80%増加した。

 状況を更に詳細に見ると,そこにまず認められるのは多様化である。第一に,日本研究の内部に種々の専門分野ができてきていることである。日本語や地域研究のような伝統的な分野が縮んで,ビジネスや法律のようなプロフェッショナルが台頭してきている。第二に,学位の多様化がある。日本研究者の4分の3は,依然として博士の保持者だが,残り4分の1は,法律,ビジネス,図書館学などのプロフェッショナルの学位である。修士学位の者も,プロフェッショナルとして日本研究者便覧に含まれる資格があるといえる。第三に,日本研究者が大学を去って外部に仕事を見つけるという現象である。出て行く先としては,大学から独立した博物館,図書館,財団,協会,政府機関,研究所など,10年前にもすでにあった機関の他に,コンサルティング会社,企業,金融機関,法律事務所,メディア機関などで,これらの機関が大学よりよい給与で雇用するからである。

 一方,プロフェッショナルとして地位を確立した人が,途中から日本研究に参入してくる場合がある。大学では,自分の専攻分野の研究の比較対象として日本に関心を持った人達で,日本語はできない。この10年で変わったこととして,こうした研究者が日本研究にもたらした専門的知識と,洞察力がある。彼等をサポートするためのファンド,および彼等の研究を支援するアシスタントも確保されるようになった。特に社会科学では,こうした2種類のサポートのおかげで,特定主題分野において,従前からの日本研究者を上回る能力を持った真の日本研究者として日本研究を行う者がこれらプロフェッショナルの人達の間に現れてきた。

 このように,多様化が,より進んだ専門化をもたらしたというのが米国の日本研究の特徴である。専門化には,3つの形態がある。1つは,専門化の程度とその研究成果が向けられているaudience との関係で,日本専門家の4分の3は,学会のaudience 向けである。研究成果は,学会の場で当該学会の他のaudienceに向けて発表される。残り4分の1は,学生,ビジネス,政府および一般向けに発表される。

 第二に,学会の内部で,研究者の所属する学問分野での知的要請や理論上の関心からくるプレッシャーがある。この影響は,当該学問分野の日本研究者の数がクリティカル・マスに達しているか否か,またその学問分野が日本研究を適正な主題と認めているか否かによって異なる。例えば歴史学では,元来地理的,文化的区分になじむし,日本専門家の数も相当いるので,日本研究が定着している。その分野の学者は,日本語ソースを用いて書いた原著論文を,日本歴史に関するアメリカの研究者の集まりで研究発表せねばならない。対照的に,ある種の社会科学は,地理的,文化的区分と無縁の理論的カテゴリーによる組織化が進んでおり,その中では日本研究は見えにくい。研究者の数も少ない。要するに,日本研究を評価し,あたたかく迎える主題分野と,日本研究を冷眼視する分野とがある。

 専門化の第三の形態は,研究トピックそのものが専門化していることで,従来からの主題分野では粗すぎてそのへんがつかめないので,281個の主題分野からなるリストを作って回答者にチェックしてもらった。その結果,新しい研究トピックとして,経済/法律,女性,環境,国際化の4つが顕著であることが明らかになった。

 日本研究の多様化は,今日の日本スペシャリスト達がそれぞれ異なる訓練を受けているということを意味している。つまり,言語と地域という伝統的な背景に属さず,特定の学問分野やプロフェッショナルな分野で訓練を受け,異なる資料を必要とし,異なる研究方法を用いるということである。

 研究者は,自分の主題分野やプロフェッションの期待にもっと添うような仕事をするようになる結果,研究論文はその分野以外の人には読まれにくくなっている。日本研究として論ずることも少なくなっている。日本ですでに分析され,刊行された資料に頼るのでなく,もっとオリジナルな研究をするように主題分野が研究者に求めている。これは,アクセスする必要のある資料の種類に変化が生じているということだ。つまり,図書館にある刊行された学術的な書物のかわりに一次元のデータソースへのアクセスを必要としている。

 調査の結果あきらかになった研究者の情報収集の特徴は,1)所属する機関の図書館の利用ではすまなくて,2)他の図書館を利用し,3)データ収集のために日本に行き,4)集めたものを自分の private collection として保持し,5)日本のprivate collections を利用するためにcollabolators を必要とするということなどである。新しい通信技術は,遠隔地にいる研究者の資料収集に便宜をもたらした。しかし,社会科学者の求める資料は,ごく限られた範囲の統計や定期的に起きる事象の最近の状況や,他の刊行物に埋もれている情報,通俗的な資料や1日限りの資料に埋もている情報で,それは図書館の収集対象ではないが,社会科学者にとっては一次元のデータになる。

 このような新しい日本研究の新しい情報要求への対応が効果を上げることができたら,日本研究情報へのアクセス改善は,他の国にとっての1つのモデルになりうるだろう。

(文責: 学術情報センター教授 井上 如)


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