Dec. 2016No.74

地方創生情報学が果たすべき役割

Interview

ものづくりのまち「鯖江」の オープンイノベーション

眼鏡づくりの伝統が実現した実用型プライバシーバイザー

福井県鯖江市は、眼鏡フレームで国内シェア95%を超える「めがねのまち」。同市の技術を活用して、国立情報学研究所(NII)の越前功教授による最先端のプライバシー保護技術研究を応用した「プライバシーバイザー」がこのほど完成、市内の眼鏡資材商社が受注販売を開始した。プライバシー保護の新機軸として国内外から注目を集める製品を、地方において産官学連携で開発したことは地方創生の革新的なモデルケースと言える。開発の背景を、鯖江市の牧野百男市長と越前教授が語り合った。

牧野 百男

MAKINO Hyakuo

鯖江市長

1941年、鯖江市に生まれる。2001年に福井県総務部長を退職後、同年小浜市副市長に就任(第9代)、2003年に福井県議会議員に。2004年から鯖江市長(第6代)に就任。今年10月に4選。

越前 功

ECHIZEN Isao

国立情報学研究所コンテンツ科学研究系 教授/総合研究大学院大学 複合科学研究科教授

カギを握るのは「オープン」

越前 市長とのお付き合いは、私の情報セキュリティーとプライバシー保護技術の研究の中から生まれたアイウェア型の「プライバシーバイザー」試作のために、鯖江市の眼鏡産業の力をお借りできないかとお願いしたのが始まりです。研究は社会実装を視野に入れていますから、実際に装着できるモノがなければ進みません。市長には共同開発の提案を快く受けていただき、先端的な製造技術を持つメーカーとの橋渡しをしていただきました。

牧野 お声掛けはうれしかったですね。鯖江市では行政と市民との情報共有を重視し、行政情報をオープンデータ化する取り組み「データシティ鯖江」を平成22年(2010年)ごろからスタートしており、当時からNIIとは付き合いがありました。現在は市から各種の行政データを公開、それらを利用した便利なアプリを民間企業や市民が続々と開発するという、オープンイノベーションが始まっています。
 一方で、情報の共有にはSNSなども含めたITツールの活用が不可欠ですが、危惧されるのがプライバシーの侵害です。これに対して、プライバシーバイザーは一つの解決策となり、オープンイノベーションに新たな展開をもたらしてくれると期待しています。また「めがねのまち」である鯖江の技術と最先端の情報学の研究成果が結び付くことにも大きな意義がありますね。

越前 研究者の視点から鯖江市の皆さんに働きかけると、すぐに反響があります。これには驚きました。地域活性化をしん真摯に考えておられるのですね。

牧野 自治体は自らが持つ情報を守ることに手一杯になりがちですが、地域の発展には市民参加と協働が不可欠です。多くの自治体が若者の都会への流出という悩みを抱える中、鯖江市は人口が年々増加しているんですよ。リスクをとってもイノベーションにチャレンジし続けていることが、その理由の一つだと思います。
 市役所としても、特に若者の意見を反映する行政に努めています。例えば女子高校生がまちづくりの提案をして市役所などと連携して活動を行う「鯖江市役所JK課プロジェクト」は今年3年目を迎え、平成27年(2015年)に総務省「ふるさとづくり大賞」総務大臣賞をいただきました。また「市長をやりませんか」と名付けた地域活性化プランコンテストでも、若い人の声を集めています。このような取り組みがきっかけとなり、市民との協働による活性化活動が本格化してきています。これをさらに推し進め、オープンデータ化や地域活性化プロジェクトを通した地方創生の「鯖江モデル」をつくっていきたいと考えています。

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写真│プライバシーバイザー(量産化モデル/株式会社ニッセイが受注販売)

SNSの発達と顔認識技術の進歩により、投稿画像に意図せずに写り込んだ人物のプライバシー侵害が問題となっている。そこで、平成23年(2011年)ごろより越前教授が技術開発を手掛けてきたのが、撮影されても顔からの人物特定を困難にするプライバシーバイザーだ。発表以来、国内外からの反響も大きく、メディア掲載や展覧会への出展依頼も多い。ドイツ技術博物館では常設展示され、国際メガネ展でも話題となった(技術の詳細は本誌第64号8~9頁に掲載)。

高度な製品を実現した「互助精神」

越前 平成25年(2013年)にNIIと鯖江市のメーカー5社との共同開発を始めてから約3年、今年5月には、デザイン性と掛け心地に優れた量産化モデルの受注生産を開始するところまできました。プライバシーバイザーは類例がないアイウェアです。微妙なカーブや特殊構造を、チタンのように軽くて丈夫な一方で高度な製造・加工技術が必要な素材でつくり出す必要がありました。これが実現できたのは鯖江の技術力あればこそ。また資金調達の一部は、鯖江市のクラウドファンディング「FAAVOさばえ」を活用しました。

牧野 技術者がお互いの知見や技術を出し惜しみしていては、創造的な製品は開発できません。鯖江の眼鏡産業は専業メーカーの分業で成り立っており、金型なら金型、ネジならネジの専門技術を極める技術者が、お互いに情報をオープンにしながら協力して製品開発を行う土壌と文化があります。だからこそ、難度の高い製品開発を短期間で実現できるのです。
 精神風土もあるのでしょう。鯖江には浄土真宗10派のうち2派の本山があり、親鸞の時代から「お互い様」という宗教的な互助精神がこの地域に根付いていました。お互いの知恵を隠さずに出し合い、より良いものを生み出そうとする。そして新しい試みに失敗した人を決して悪く思わない。実験的な製品開発に最適な精神風土がもともとあったというわけです。

世界で通用するものづくりへ

越前 鯖江のことを知れば知るほど、その底力のすごさに感嘆します。技術力はもちろんですが、高度なITソリューションを受け入れるリテラシーがあり、それを育む教育がある。しかも、市役所の方も業者の方も意思決定が速い。私は地方創生のすべての解は鯖江にある!と確信しています。その実力を世界にもアピールできるといいですね。

牧野 日本貿易振興機構(ジェトロ)には「SABAEブランド」による眼鏡の海外新規市場開拓を支援していただいており、平成27年には「鯖江の眼鏡」が第1回COOL JAPAN AWARDを受賞しています。グローバルメジャーなIT企業数社も、鯖江市のイノベーションをCSRの観点から手伝いたいと言ってくれています。このようなお力添えも糧にして、ますますSABAEブランドを世界に広めていきたいと思っています。
 一方で、海外への知的財産の流出を危惧する声もあります。これはオープンイノベーションにつきものの課題ですが、イノベーションがなければ地方創生はない。地元の産業を維持・強化して、若い人の他地域への流出を止めるためにも重要です。

越前 SABAEブランドには皆さんのプライドを感じます。オリジナルブランドをつくっていくんだという気概がある。先日も、鯖江市の小学校でプライバシーバイザーを教材にして、プライバシーとITに関する授業をさせていただきましたが、このような取り組みも地域活性化につながると思います。

牧野 中央の研究者との交流そのものが自信につながりますし、特に情報学のリテラシーは今後の鯖江にとって不可欠なものです。是非こうした試みを続けていきたいですね。
 鯖江は今、アイウェアだけでなく、メディカル領域、ウェアラブルデバイス領域でも産官学連携による先端技術と製品開発の拠点になろうとしています。シリコンバレーならぬチタンバレー、メディカルバレー、ウェアラブルバレーのような、地域内で新しい産業を育成できるように、NIIの力も借りながら、さらに力強く突き進んでいきたいと思います。

(構成・文=土肥正弘 写真=美土路昭一)

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