Dec. 2023No.101

若手研究者と研究環境

NII Today 第101号

Article

未来の情報科学の達人を育てる

情報科学に関する素養と意欲を持つティーンエイジャーを世界の第一線で活躍する研究者・技術者へと導く「情報科学の達人プログラム」本プログラムの到達点と今後について、企画運営責任を担う河原林 健一 教授に聞く。

河原林 健一

Ken-ichi Kawarabayashi

国立情報学研究所
情報学プリンシプル研究系 教授
ビッグデータ数理国際研究センター長

才能育成、大学からでは遅すぎる

世界では今、情報科学をけん引する研究者や新しいサービスを社会に提供する技術者たちの中心を25~35歳の若手が担っている。経歴を見ると「小学生の時からプログラミングに熱中し、スキルと実績を評価されて名門大学に入学」といったエピソードも珍しくない。しかしこれまでの日本の教育システムは、残念ながらそういった異才の育成には「適していなかった」と河原林教授は言う。「2010年代、世界の情報科学人材が若年化していく中で、日本は若い世代の育成の立ち遅れが課題でした。日本の高校生は、国際情報オリンピックに出場すれば2年連続で出場メンバー全員が金メダルを獲得するなど、才能のある子はたくさんいます。しかし、その先の大学、大学院との連携が弱く、世界トップレベルの研究者を生み出すところまで、つなげられませんでした」

そこで企画されたのが、全国の中学生・高校生年代に最先端の情報科学を学ぶ機会や自ら研究する機会を提供する「情報科学の達人プログラム」だった。素養と意欲を持つティーンエイジャーたち40名程度が、半年~1年をかけて大学レベルに相当する情報科学を学ぶ。その後、選抜された受講生が、メンター(若手研究者)の指導を受けて自ら研究に取り組む。年度末の3月には、最後の仕上げとして、情報処理学会の全国大会で発表を行う。研究テーマは、数理的研究、アルゴリズム、アプリケーション、ハードウェア、さらにゲーム攻略法など多彩。もともと、大学3年生程度のプログラミング能力とアルゴリズムの知識を持つ中学生、高校生、高専生が対象となるので、体系的に情報科学を学べば研究も問題なく行えるというわけだ。

新型コロナの影響を追い風に変えて

時をさかのぼり、第1期生がプログラムの始動を待ちわびていた2020年3月、新型コロナによるパンデミックが発生。4月からのプログラムは、全面的にオンラインとなった。

河原林 教授は、「大学に実際に来て研究者と交流し、研究環境に触れてもらう機会がなくなったという意味では、痛手でした」と、当時を振り返る。

しかし、よい面もあった。受講生たちは、放課後も部活や塾などで忙しく、指導にあたる大学教員たちと、空き時間を擦り合わせることは困難だ。さらに、海外在住の受講生も毎年数名いる。ビデオ講義なら、どこにいても、自分のペースで理解できるまで学習できる。当初、講習は対面を予定していたが、パンデミックが収束した現在もオンラインのままだ。

なお、リアルで集まる機会も年3回設けている。大学見学が2回と、プログラム終了時の情報処理学会全国大会だ。

「大学見学では、大学生もめったに入れない計算機センターの中を見る機会があります。スーパーコンピュータが動いているその場で、昔のCPUやコンピュータの実物を見せてもらったりしながら、みんな『信じられない』という表情をしていますよ。生まれた時から、コンピュータがあって当然の世界で育っている子たちには刺激的でしょう。」

全国の大学や企業との連携は、NIIならではの強み。総合的な学びや、研究の先端に触れる機会を提供する上で、多様な機関との連携は欠かせない。本プログラムの実施には、情報処理学会に加えて情報オリンピック日本委員会が協力している。

ダイバーシティへの取り組みは続く

始動当初から意識しているのは、受講生のダイバーシティだ。「似たような人ばかりでは活性化しませんから、バックグラウンドの多様性は心掛けています。情報オリンピックだけではなく、ビジネスプランコンテスト、高専ロボコンなどの成績優秀者や、その他の社会活動に励む受講生もいます。」当初は5%程度だった受講者の女子比率も、現在は25%近くまで増加している。女子中高生が情報科学に関心を持つ機会は、いまだ不足気味ではあるが、状況は改善されつつある。

一方、現在もなお深刻なのは、大都市圏と地方の格差だという。「地方の中高生には、本プログラムのような情報が十分に届いていないようです。『まだ高校生なのに?』という空気もあるのかもしれませんね。地道に理解を広げていくしかないと思っています。」

だからこそ、NIIでは「10年計画」を掲げている。河原林教授は「プログラムの修了生たちが大学院を修了し、博士学位を取得したプロ研究者や技術者として歩み始めるのがちょうど10年後。メンターとして戻ってきてくれれば、プログラムは自然に回っていくようになるでしょう。そうなれば、受講生にとっての意味や社会にとっての意義も、より広く理解されるはずです」と、展望を語る。

若い「情報科学の達人」たちが活躍し、後進の育成に当たり、日本に多様な貢献をする"エコシステム"が形成されれば、大都市圏と地方の情報格差も縮小できるかもしれません。

フェアに、草の根的に歩みは始まったばかり

一方で、本プログラムは世間一般から「エリート教育」として批判されかねない一面もある。運営しながら、意識し続けていることの一つは、社会への還元だ。「世の中には『エリート教育で、勝ち組がさらに勝つ状況を助長する』という批判もあるでしょう。しかし、優秀な人材を生み出し国力を高めることと、格差是正は、相反しないはずです。利権を独り占めするのではなく、社会を良い方向に動かせる人材が育ってくれればと考えています。」

 また、国の機関が実施する意義も自らに問い続けている。

「本プログラムでは、他国でよくある『ブランド大学に飛び級入学』といった受講生へのインセンティブは用意していません。また、少なくとも現時点では、民間企業からも助成は受けていません。あくまでも草の根的な活動であり、スピード感や規模はあまり重視していません。でも、フェアに日本社会を刺激し続ける存在であることが重要だと考えています。そこが、国の機関が実施することの意義でもあると考えています。」

修了生は10年後、どのように社会で羽ばたいているだろうか。情報科学の道を歩み続けた先で、あるいは別の道を選んだとしてもその先で、「情報科学の達人プログラム」での学びを還元してくれるに違いない。彼らが育んだ知識やスキルが、新しい技術やサービスの創造、社会の発展に寄与することでしょう。また、メンターとして後進を導く姿勢も、プログラムの理念を継承し、社会に良い影響をもたらすことになるでしょう。

未来への挑戦は、これからも続いていく。

2024年度 情報科学の達人プログラムの受講者を募集しています。要項や応募方法は、下記Webページをご覧ください。
応募期間:2023年11⽉22日(水)~2024年1⽉22日(⽉)

(取材・文 みわ よしこ  Photo 杉崎 恭一)

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