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情報サービスのマーケティングと情報管理の品質
Marketing and Quality of Information Management

エリザベート・ジモーン (Elisabeth SIMON, Hon FLA) 1)
ドイツ図書館研究所国際事業部長・英国図書館協会フェロー

訳 三浦 太郎(東京大学大学院教育学研究科)

1) Deutsches Bibliotheksinstituts, Kurt-Schumacher-Damm 12-16, D-13 405 Berlin, Fax:+49-30-410 34 480; E-mail: simon@dbi-berlin.de 本稿は1999年8月27日(金)に京都大学附属図書館で、8月31日(火)に東京大学総合図書館において講演されたものである。

図書館のマーケティング
図書館情報サービスの経済学
マーケティングおよび情報政策
情報サービスのマーケティング
マーケティングについて教えること、市場活動の方法を学ぶ
電子的サービスのマーケティング
情報の質的管理
統制
マーケティングとサービスの質―情報管理ネットワーク

図書館のマーケティング

「マーケティング」(marketing)という話題が図書館サービスと関連づけられるようになったのは、つい最近のことである。20年ほど前には、マーケティングの概念は産業の分野にも、また経済の分野にさえも導入されていなかった。広告、広報、コマーシャルといった手法は、民間の企業が自社の製品を周知させ、顧客の心をつかむために用いられるものであった。

 およそ14年ほど前、すなわち最初期の段階において、ベルリンのドイツ図書館研究所(Deutsches Bibliotheksinstitut:DBI)はマーケティングの概念を公共図書館に適用することを試みた。しかし、その時点では、マーケティングは広告やコマーシャルの手法として誤解を受けることが多かった。図書館界を代表する人びとのほとんどは、マーケティングに対し否定的な評価を与えたのである。これはなぜだろうか。

マーケティングは民間の分野で生まれた概念である。他方で、図書館サービスはその社会的なルーツによって強く規定されている。すなわち、「貧しい者のための学校・大学」(イギリス)、市民に対する教育的な機関(Kitsch als kultureller Ubergangswert:ドイツ)、農村部におけるコミュニティ創設の手段(bibliothek centrale du pret:フランス)といった定義づけである。マーケティングによる図書館運営はそうした概念を超えるものであった。そして、これは図書館ばかりでなく、博物館やいわゆる非営利分野の他の機関にも当てはまっていた。今日でも、ヨーロッパにおける文化的な分野のほとんどの機関、および学界や大学において、このことは一般化して言うことができる。ただし、例外的にイギリスでは、文化的・学術的な使命を帯びた諸機関が、比較的に早い時点から市場原理に基づく運営を受け入れる環境にあった。

ドイツ図書館研究所(DBI)では、マーケティングの概念を公共図書館に適用するにあたって、まず第1段階としてロゴの作成を行った。これは、図書館で作成されるすべての製品に付けたり、図書館相互の連絡の際に使うためである。ヨーロッパでは商業の分野においてすら知られていなかったが、そうしたロゴの作成は、法人など団体としての独自性を主張するために、最初の段階で必要であった。すぐに、薬局から郵便局にいたるあらゆる場所で、そうしたロゴが見られるようになった。今では忘れられているが、当時はそうしたロゴが一般的でなく、国内の都市や村で見られることはなかったのである。ドイツ図書館研究所の作成したロゴは現在でも広く使用されており、国内の図書館相互、もしくは図書館と利用者との連絡に使われている。

 マーケティングの概念は、英米における経験、とりわけアメリカ合衆国の経験に基づいて導かれたものである。ボーチャート(Peter Borchardt)によって最初にマーケティングが主張されるが、その土台となったのは、1987年に講演者が視察旅行でアメリカ合衆国を訪れた際の経験であった 2)。このときに、フィラデルフィアの図書館サービスシステムが事例として取り上げられ、蔵書構築やサービスの展開について論じるのに必要な詳細な統計データが紹介された。この結果、蔵書構築やサービス提供の際には、図書館のサービス対象である利用者やコミュニティの意向が反映されていることが明らかとなった。言い換えれば、図書館はその使命にしたがって、利用対象を特定化してサービスを行う必要のあることが明示されたのである。これによって、図書館に対する見方が変わり始めただけでなく、提供されるサービスも変化し、また、そうした方向性で蔵書構築が行われるようにもなった。いわば、「あらゆる人びとのための書棚」との表現に端的に示されたような、すべての人びとへのサービス提供という考え方からの転換が行われたのである。ここにおいて、図書館が自らの使命や方針の実現に尽力する時代がきた 3)

1985年、バーテルスマン財団が企画し図書館について国際的に討議する場が設けられた。その論題は「今日および未来の公共図書館―目標設定および図書館運用の始まり」である。その場で、マーケティングの基本原理と実際の適用について紹介が行われた。この議論の中には「なぜマーケティングなのか」という問いが読みとれるであろう。「私が思うには、もしメディアがある特定の人びとの要求に応えながら発展するとすれば、公共図書館は出版物の氾濫に貢献し、性や暴力、お手軽なラブ・ストーリー、西洋の犯罪小説、軽い読み物などを受け入れていくのではないでしょうか。皮肉なことに、そうしたものは出版社、テレビ、その他の商業プロバイダがマーケティングを進めているものなのです。」

 ここで引用したのは、国際討議に参加したスウェーデンのレンボルグ(Renborg)女史の発言である。ここには、マーケティングにともなう不安と怖れとがきわめて明確に示されている。図書館界ではマーケティングの理解は完全に商売と結びつくのであり、人びとの単なる娯楽要求に応えて書物を提供することと同義に認識されている。実に驚くべきことであるが、そうした軽い読み物ばかりを購入することを防ぐであろう課金の問題や、情報センターとしての図書館の役割といった事柄は当時の議論には現れていない。

1988年、ブリティッシュ・カウンシルとDBI国際事業部の共催によって第1回ビジネス情報会議が開かれた。会議の目的は、1923年にシェフィールドで始められて以来、イギリスで発展してきた情報サービスについて紹介した上で、サービス価格の設定、課金、利用者志向についての専門的な議論を活性化することであった。会議では、従来はフランスと同様にドイツのほとんどの図書館においても無視されてきた利用者が、議題の中心に据えられた。会議は、今後の国際協力と、ドイツおよびイギリスの協力関係の議論に関しては大きな成功を収めたが、ドイツの図書館専門職に情報サービスの重要性を認識させる点では成功したとは言えない。図書館員と情報職の人びととが大きな関心を抱いていたのは、利用者の喧しい「文化性」であった。これは、まったくの作り事なのであるが、ほとんどの図書館において、特にトルコ系を中心とするマイノリティの人びとが利用者として騒々しいというものである。

 本章における簡単な分析を終えるに当たって、私は以下のことに言及しておかなくてはならない。すなわち、今日、ヨーロッパ連合の支援プロジェクトのもと、旧東ドイツ地域のコミュニティへの情報サービスの導入が図られている点である。このプロジェクトはイギリスのグループによって進められているが、旧東ドイツ地域の専門職の人びとは、イギリスのような図書館と情報とが結びついたサービス構造に親しみがないため、導入に対する抵抗感がある。また、公の議論には出てこない憤激が秘かにあることが予想され、このプロジェクトが長い目で見て本当に成功するかどうかはまだ分からない。

2) Simon, Elisabeth: Bibliothekswesen in den USA. Muenchen u.a.: Saur 1988. 155 p.
3) Ideas into Action, Public Library Resources, Getting the Return. Proceedings of the Public Libraries Authorities Conference Harrogate 1986.London: LA, 102 p
4) Warum Marketing, see Greta Renborg, chapter 3.6 in: ffentliche Bibliotheken heute und morgen. Neue Ansaetze fuer Zielsetzung und Management.G殳ersloh: Bertelsmann Stiftung 1985: p. 125.

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図書館情報サービスの経済学

 マーケティングの概念のルーツが部分的には経済学にあることが、今日では確実視されている。利用者の要求に応じて図書館情報サービスを形作るという考え方も経済学から導き出されたものであり、そうした考えは、読者情報およびコミュニティ情報についての基本的な知識に基づいて定義される必要がある。今日では(蔵書構築の指針として)しばしば、牛を一頭買うよりも一杯のミルクを買ったほうがよいという喩えが用いられる。あるいは、蔵書を「万が一に備えて」構築する必要はないといわれる(こうした点に関してはマーンケ女史の講演を参照)。現代的な蔵書およびサービス構築の方針にしたがえば、あらゆる図書館がすべての人びとの要求に見合うことはできない。「万が一に備えて」という理念の実現は難しいし、今後もさらに難しくなることが予想される。繰り返しになるが、そうした考えは今日ではもはや実現不可能なのである。しかし、その理論的な裏付けとして経済学や財政的な観点が必要である。

 1990年に開催された独英会議の席上、「経験主義」(empirica)の専門家として民間企業の顧問を務めるシュトレートマン(Karl Stroetmann)が、図書館情報サービスの経済的な側面について概観した 5)。彼は「広告の本から情報管理まで」、両国の情報文化の違いを論じるための共通基盤を提示した上で、イギリスの専門家の人びとにはあまり関心のなかった、図書館情報サービスの定義および専門的な用語について論じた。この種の議論はイギリスではあまり行われたことがなく、従来は「収入をいかにして生み出すか、支出をいかにして補うか」(コルメント(Pat Colment))ということが論じられてきたのである。この会議以来、マーケティングおよびサービス・システム評価は、同一現象の表と裏とを示すことが明らかにされた。マーケティングはつねに評価を必要とするが、最近ではそうした評価はほとんど、費用対効果やマーケティングへの適応度合によって決定されている。「図書館や情報センターの生き残りと繁栄を実現させるつもりであるのなら、私たちは必然的に費用対効果の観点から考える必要がある」と英国図書館協会の現会長であるライン(Maurice Line)は言っている。今後、私たちは彼が妥当なのかどうかという疑問に立ち返る必要が出てくるであろう。

5) The economics of library and information services. An Anglo-German Perspective. ed. by Edward Dudley, Monika Segbert and others. London: Anglo-German Foundation l991.VII, 317 p.

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マーケティングおよび情報政策

 ここまでの議論から、マーケティングが一方では利用者志向の考えによって推進され、そこで提供されるサービスの使命は課金、費用、予算措置の問題と関わりのあることが分かった。ここにおいて、サービスの内実が議論に上ってくるのである。また、情報政策はマーケティングの議論やサービスの質に関する議論の中にすでに見られている。本章では、情報政策の形成過程の相違に関する基本的な考察を行い、その理解を深める。

 マーケティングの基礎について、利用者志向のサービスや図書館の使命と関わらせながら論じる際にしばしば忘れられているのは、利用者志向の考えは図書館の使命とまったく同列には論じられない点である。言い方を換えれば、そうした考えを図書館の使命に関する宣言と同一視して論じることはできない。1980年代初頭に出された図書館の使命に関する宣言(これはほとんどがアメリカからの流入である。なぜならドイツでは、こうした図書館の使命はほとんど考えられてこなかったためである)を比較してみれば、情報政策に関する文言の中に、上述したような初期の時点での、マーケティングに対する社会的な通念を見出すことができるであろう。もちろん、図書館の使命が情報政策の枠組みによって決定されることもありえる。それは特に、学術界にサービスを行っている学術図書館の場合である。この幸運なケースでは、利用者志向と図書館の使命とは一体である。なぜなら、研究機関の使命に沿って研究を行っている研究者は、彼らの情報要求のままにサービスを受けることができるからである。また、専門図書館や情報部門の場合にも、最高の情報サービスや、しばしば情報管理の望ましいあり方が見られる。そうした図書館の使命は明確であり、親機関を図書館が真に支援している。同様のことは国立図書館にも当てはまる。余談になるが、中央ヨーロッパや東ヨーロッパにいる図書館専門職の人びとへの研修セミナーの機会を設けるたびに、私は若干の失望を禁じえない。それは、国立図書館からの参加者のあまりに多くの人が蔵書構築のコースに参加するためである。彼らにはそれは問題ではないはずである。国立図書館に収書方針は必要ない。国内の書物をはじめ、音響資料や増加を続ける電子的な資源に対するアクセスを提供する機関としてサービスを行うことが、その唯一の使命である。もしも国家という実体が消滅すれば、国立図書館は大きな問題を抱えることになるだろう。国立図書館は国家に対してサービスを行っているのであり、それは例えば、ドイツにおけるこの連邦構造の中で、州立の各図書館が州に対してサービスを行っているのを見ても分かる。今日において国家の消滅が問題となるのは、例外的に、旧ユーゴスラビアの中から生まれた国ぐにやロシアの一部であった国ぐにだけである。例えばボスニアでは、それぞれの地域に計3館の国立図書館が望まれている。

 情報政策があってこそ情報サービスは可能である。数年前、ゴア(Gore)アメリカ副大統領がデータ・ハイウェイ構想について話した際に、コール(Kohl)前ドイツ首相はドイツにはたくさんのハイウェイがあると答えたが、このやりとりはドイツに情報政策が存在しなかったことを端的に表している。それまでにも、確かに3つの「情報プログラム」のもとで、専門主題に関する情報センターが設立されてはきた。しかし、これによって、情報供給の領域において、図書館と情報センターとが不健全なかたちで分離する結果となったのである。もっとも、連邦政府の最近のプログラム「一次資料へのアクセス改善」を見る限り、こうした動きは終息に向かい、転換されつつある。

 マーケティングにともなう課金および予算措置についての議論は、情報構造全体の中で進められる必要がある。情報政策の中では収益に見合わない事項を取り扱う必要も生じるであろう。また、数年前にレンボルグ女史は、マーケティングによって図書館に性と犯罪とが流入することを危惧したが、公共図書館サービスの情報政策を全体的に見れば、必ずしもそうはならないことが分かる。すなわち、公共図書館は一般の人びとにとっての情報センターでもあり、さらにまた、コミュニティ・センターとしての使命によって社会と結びつく 6) ことが情報センターの役割の一環でもあるからである。しかし、もしも図書館が小説だけを提供し、こうした情報機関としての役割を果たさなければ、情報政策の中に図書館は不要であると主張されることになるであろう。実際にそうした不要論は、1980年代に情報政策が構想され「主題情報専門センター」(Fachinformationszentren)が設立される際に主張されたと、私は考えている。当時の情報政策の課題は、学術研究界に対してデータベース情報を紹介し、その利用方法を示すことにあった。しかし、学術図書館ではこれが認識されず、情報サービスの導入に消極的であった。この結果、連邦政府の国家目標を果たすため、そうした役割を担う新たな機関が創設されることになったのである。これらの情報センターは、国の情報政策においてその役割を果たしたものの、膨大な額の予算を必要としたため、早いうちから危機が訪れ、発展が妨げられた。近年になり、情報センターの再構築が進められ、マーケティングが積極的に導入されるに至ってようやく、いくつかの情報センターがきわめて満足すべき発展を遂げることとなった。本章では情報政策の展開について簡単に述べたが、ここで結論に代えて、陳腐な文句ではあるが、マーケティングなしには、どんなに素晴らしい情報政策も役には立たないという言葉で締めくくることとする。

6) Usherwood, Bob: More than numbers a social audit of public libraries in: The information literate Library in the Information Society Proceedings of the international conference: The information literate library Berlin, Dec. 6-10 1998. ed. by the Academy of Sciences. Prague and the German Library Institute /Foreign Relations Office, Berlin, June 1999, pp. 135-150.

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情報サービスのマーケティング

 中央ヨーロッパや東ヨーロッパでの研修セミナーを準備する際に、「マーケティング」の話題はつねに強い要望があった。例えば、図書館運営についてのセミナーをモルダビアで開いたことがある。これは、現地で図書館職員の研修全般を扱っているオープン・ソサイエティのソロ財団(Soros Foundation)との共催であったが、私たちが用意したプログラムに対してオープン・ソサイエティ側が注文をつけたのは、ただ一か所、マーケティングについてプログラムに含めることだけであった。しかし、この修正によって私たちは弱点を突かれた格好となった。なぜなら、現在ではマーケティングに関する多くの理論が存在し書物に書かれてはいるが、それは授業で学ぶものなどではなく、結局は理解し実践しなければならないものだからである。しかし、私たちは実際の状況の役割を演じ合うことによって理解を図ろうと努めた。もっともこれは、参加者よりもむしろ訓練する側にとって面白いものであったかもしれない。

 そして、私たちはセミナーにおいてマーケティングに関するさまざまな意見を紹介することに決めた。4人のドイツ人参加者に意見を求めたが、そのうちのひとりは私の同僚であるウルリッヒ(Ullrich)女史であった。彼女はマーケティングの問題を、それを処理してきた商業分野に限った問題としてとらえようとはしていない。そして、情報サービスを提供する機関は、予想される利用者の望みを満たそうとするばかりでなく、利用者の欲する情報を先取りすべきであると主張している。また、ベルリンのプロシア文化財団国立図書館でISBNを担当しているワルラベンス(Walravens)博士は以下のように言っている。すなわち、今日の雑誌を読めば、ファッション・クリエーターの人びとが喫茶店やレストランに出かけ、人びとの衣装や生活方式を観察して、将来の生活スタイルを創造しようとしていることが分かる。博士はこれを、非常に純粋なかたちでのマーケティングの現れだと評価している。博士は図書館のマーケティングを、商業用プロバイダの利用者としての観点からとらえ、また利用者に対するサービスの代理機関としての観点から特徴づけている。さらに、図書館の運営に経済的な基準を導入することも重要視される。これは、図書館を商業化するというよりはむしろ費用対効果の視点をもつ意味である。ここにおいて、図書館運営にもマーケティングの概念が含まれることになる。昨今、世界的な兆候としてサービス対価の導入が積極的に検討されているが、そうした徴収によってすべての費用がカバーされる必要はない。むしろその意味するところは、教育的もしくは学術的、情報政策的な使命を明らかにすることにある。費用対効果を自覚することによって、少なくとも情報の受け手と提供者の双方の意識が高められる。

 公共図書館の領域では、このマーケティングの概念はイギリスで展開を遂げた。ここでは、純粋にマーケティングの概念を論じることを避け、公共図書館サービスの目的と社会とを調和させる新たなマーケティング概念について言及するにとどめる。これは、情報領域における責任について論じたモア(Nick Moore)とのインタビューの中で、彼が述べていることである 7)。この領域で行われたモアの調査は、1999年に日本でも紹介されているが、近いうちにさらにその重要性が増すものと思われる。まったく異なる点から研究を出発したワルラベンス博士とモアとは、実はお互いに共通の目標を目指している。すなわち、情報政策によって包括的な図書館サービスが必要とされることであり、その実現にはマーケティングの全体的な概念が必要不可欠である。この全体的な概念には、最先端のサービスの質から情報提供の迅速さまで、さらには、コミュニティの中心部に建設された新しい建物から、きれいな女の子が従事する公共サービスまで、さまざまな事柄が含まれる。ちなみに、スロバキアのある大学図書館長によって、私たちは最高のマーケティング「ツール」は美しい女の子だと指摘されたことがある。

7) Nick Moore: Right and Responsibilities in an Information Society. Study on International Scholarly Information, l999, pp. 1-18, engl.-japan.

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マーケティングについて教えること、市場活動の方法を学ぶ

 本章で図書館と情報政策の社会的・文化的な環境について概観し、マーケティングの必要性を考えてみれば、結果的に、非営利分野の研究機関は、特に公的資金をめぐって他の研究機関と競争する必要があるため、自らの使命を明らかにするべくマーケティングの概念を取りいれなければならないことが分かるであろう。ドイツ、フランス、イギリスのどの国に設立されていようとも、そうした研究機関の提供物には市場活動の原理が適用されなくてはならない。言い換えれば、そういった提供物は、現実に存在する研究機関の枠組みの中であれ、電子的であれ、ネットワーク上であれ、市場において提供されなくてはならない。パンフレットやリーフレット、および研究機関に関する書物が以前よりも数段は美しく刊行されていることを見れば、そうした考えが反映されていることが了解される。しかし、提供される情報の価値がつねに申し分のないものであるとは言えないし、広告についても素晴らしいものばかりではない。現在、マーケティングの技術は、ドイツの図書館学教育において教えられていないばかりでなく、そうした技術をもっていない人びとに対する研修セミナーの中でも論じられることがない。1998年2月16日から19日にかけて、ヨーロッパ連合(EU)の「新しい書物の経済性」プロジェクトの一環として、バード・ホネフで国際会議およびワークショップが開かれたが 8)、この会議では、図書館の将来のために継続教育の質的改革を行うという主題が掲げられたにも関わらず、議事録を丁寧に見てもマーケティングへの言及はいっさい存在していない。他方、ヨーロッパ各地ではさまざまな研究機関によって数多くのプロジェクトが行われているが、会議の開催はどうやって周知されているのだろうか。また、誰がいかにして、そうした情報を市場活動の中に位置付けているのだろうか。そして、市場そのものはどこにあるのだろうか。

 おそらく誰もがこう答えてくれるであろう。そうした研究機関が設けているホームページや討議リストを見れば会議の開催について分かるし、インターネットこそは世界規模の市場であると。しかしそこには、マーケティングの基本的な要素である、利用者を特定した志向性がない。

 3年前にビジネス情報についてのセミナーを準備したとき、マーケティングの経験を豊富に有する研究機関がいくつか参加しており、アイデアの宝庫と言えた。このうち非常に素晴らしい機関のひとつが、デンマークのアーハスから参加した小さなグループであった。この都市では、地域の経済的な再生に貢献しようと公共図書館がビジネス情報を提供していた。彼らは美しいホームページを作成しており、写真は用いないものの、3か国語(ドイツ語、デンマーク語、英語)のバージョンを用意し、他地域への訪問の全日程をそこで公開していた。そうすることで人びとの関心を高め、情報サービスを提供し、そうしたサービスをコミュニティやビジネス生活の一部に統合する目的である。こうした態度は、シュトゥットガルトから参加した「アドベンチャー企業」(Unternehmensinitiative)の代表者がさパンフレットをばら撒いただけで帰っていったのと対極的な態度であった。アーハスのグループはもっとも注目を集めたマーケティングの実践例であった 9)。

 ビジネス情報を提供するあらゆる公的機関は、情報サービスへの関心の高低に関わらず、マーケティングの計画・実行のやり方について学び始めている。マーケティングを最初に経験したのは民間企業の図書館であったが、不思議なことに、『マーケティング技術を勝ち取る』("winning marketing techniques")といった書物、これはアメリカ専門図書館協会のディーン(Sharin Dean)が情報専門家に対してマーケティングの紹介を行った本であるが、そうした書物はドイツでは書かれていない。

8) For the Library of the Future. Improving the Quality of Continuing Education and Teaching. International Conference and Workshop Bad Honnef 16th-19th Feb. l998, Proceedings Berlin: Deutsches Bibliotheksinstitut l998. XII, 217 p.
9) Business Information. Proceedings of the international seminar l997. German/English Berlin Foreign Relations Office l998. 283 p.

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電子的サービスのマーケティング

 図書館情報サービスの中に電子的な可能性を導入することによって、情報サービスのマーケティングの問題は解決されると考えることもできる。しかし、そうはならない。確かに、インターネットを介して図書館のOPACにアクセスし、電子的にテキスト情報を入手することができる結果、書物を情報として入手するためには長い時間がかかるが、一見したところ、あらゆる人びとに対して、すべてのテキスト情報への迅速なアクセスが開かれているように思える。すなわち、それだけであらゆる図書館情報サービスの使命は満たされているようにも見える。もしそうであるなら、こうした現代的なサービスによって、マーケティングは時代遅れになるとも考えられる。

 ヨーロッパの至るところで行われているわけではないが、電子雑誌などの電子出版は実際に図書館サービスを変えつつある。誰もがアクセスすることができるために、学術雑誌や外国語新聞の定期購読はもはや図書館にとって問題ではなくなっているように思える。また、図書館管理者のもっとも重要な仕事の中に著作権許諾と図書館協力の領域が含まれるようになり、図書館情報の環境も劇的に変化した。しかし、私たちはこの劇的な変化を誤って解釈しかねない。ほとんどの図書館、特に貧弱な図書館は、近年、専門的な発展が閉ざされた状況にあるが、だからと言って、今日に現れた新たな可能性を理解してそれに適応するのがそれほど困難だとは考えにくい。

 ロシアの学術図書館の例を挙げる。ロシアの学術図書館は予算が制限されており、何社かのドイツの出版社が協力して、ひとつのコンソーシアムを形成する学術プロジェクトが実施された。ロシアの研究者が最新の科学研究成果や議論にアクセスする際に、わずかではあるが資金協力が行われている。ロシアの学術図書館がこのプロジェクトに参加するにはコンピュータのIT番号を入力するだけでよく、プロジェクトの参加館は追加的な費用を取られることがない。しかし、調査によって、こうした設備を利用する図書館とまったく利用しない図書館とに二分されることが明白となった。図書館ごとの差が非常に大きいわけだが、これはロシアに限った話ではない。また、貧しい国での他の例を挙げると、モルダビアではすべての図書館を対象に同様のプロジェクトが行われたが、現在に至るまで参加館はひとつもいない。

 次はドイツのボッフム大学図書館の事例を挙げる。ここはノルトライン・ウェストファーレン州の文献提供システムJasonに参加している。数日前にケルンに学術図書館センター(Hochschulbibliothekzentrum)が開館したが、現在利用可能なサービスへの要求はあまりなく、センター内に配置された専門職員の数も少ない。一方のボッフムでは2人の専門職図書館員がキャンパスで働いており、来館し情報を求める学生にサービスを行っている。こうしたサービスが知られるようになって、図書館の存在が評価されている。

 電子的なサービスとその可能性に関しては、伝統的なサービス以上にマーケティングが必要である。これは、そうしたサービスが新しいからばかりでなく、新たなアプローチが必要だからである。今日、生涯学習の領域においては、訓練や教育が不足しているためにマーケティングが貧弱であり、また外部の動向や、しばしばサービスそのものへの注意が欠けているために、新しいサービスがまったく行われていない。このままでは、図書館専門職が新たなサービスのマーケティングを行うことができず、ゲートキーパーとしての役割だけを担うことが明らかになり、図書館はお寒い状況に陥るであろう。結果として、最終的な将来構想の中では、図書館はバイパスされ、書物や古い資料の単なる所蔵庫となってしまうであろう。ブレーメン大学では、研究のためのインターネット利用や電子雑誌の利用について学生に教える電子的なサービスは、図書館の手を離れ教授のゼミで教えられている。教授陣もまたそのことに満足を表明している。こうした風潮は、図書館専門職の発展に重大な翳を落としかねない。

 電子的なサービスをいかにマーケティングするかという問題は、情報専門職の人びとにとって最重要課題である。しかし、例えば歴史家や経済学者がいかにインターネットを使うかについての本は 10)、情報専門職の人ではなくそうした領域の研究者によって書かれている。

10) Ditfurth v. Christian/Ulrich Kathoefer: Internet fuer Wirtschaftswissenschaftler. Ffm/New York: Campus l997, 227 p.

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情報の質的管理

 ここまでマーケティングの展開を示す中で情報の質的管理についても論じてきたが、ここでそれについてまとめておく。情報の質的管理を決定しているのは、情報管理の経済学、情報政策、情報サービスの電子的環境という3つの要素である。去年、GMD(ドイツ数学研究所)の参加者と共同研究を行い、セミナーの準備を行っているとき、私の子どもが私に情報サービスの目標を定義してくれとうるさく頼んだ。とりあえずは「正しい情報を適切なときに」と定義したが、これはあまり正確ではないといわれれば、その通りである。しかし、正しい情報を提供するための時間と責任が、私たちの生活を決定するほどに重要であることに気づく必要はある。今日では、私たちは少なくとも理論上は情報の速度の問題を解決したように思えるが、実際にはインターネットの使用にはひどく時間がかかるのである。一方で、情報の質の問題、すなわち正しい情報の重要性も高まりつつある。人びとは、自分で欲する以外の情報の洪水に巻き込まれて溺れているのである。空港にいることを想像しよう。飛行機はスケジュールの通りに離発着しないし、乗り入れている電車にしてもまた然りである。交通渋滞はどうであろう。私の話していることがお分かりだろうか。ドイツでは特別のラジオ番組が高速道路の交通情報を伝えるが、高速道路を非常に頻繁に利用する私にとって、そうした情報が役に立つことはほとんどないのである。そうした情報の伝達はきわめて遅く、必要な時点ではまったく入手できない。

 こうした説明は、あるいはあなた方には当たり前に思われるかもしれない。情報の質的管理については、10年ほど前から多くの議論がなされている。全体的な見通しの中で、総合的な質的管理はISO 2000や図書館運営との関連でしばしば扱われてきた。こうした議論の最大の利点は、10年前に開かれたNORDINFO会議 11)をはじめとして、質の問題が中心的な話題となったことである。ここ10年ほどで問題を取り巻く環境は劇的に変化しているが、情報の質的要素や電子的な情報のオーソリティ(オライゼン(Johan Olaisen))などの問題が、10年前に考えられていたよりもずっと真剣に討議されている。今後もさらにそうした問題は取り組まれていくと思われる。

 正しい情報を適切なときに提供すること自体が問題を含む以上、情報の質的管理は今後も必要とされるであろう。情報のほとんどは、必要なときには届かないか、誤った内容であるか、もしくは更新されていないままである。これがインターネットの大きな欠点であり、徐々に問題となりつつある。

 情報がどれだけ有用なのかについても議論の必要がある。ほとんどの情報は使えないものであり、明確で理解可能な言葉によって書かれてもいない。家電や電化製品に付された説明書がもっともよい例である。私の夫にエスプレッソ・マシーンを買ってきたことがあったが、とうとう私たちはどうやってそれが動くのか分からなかった。夫は教授職にあり、私は情報の専門家であるにも関わらずである。

 情報の正確さも情報検索を代行する機関や人びとの責任が消えつつあるので、重要な問題となりつつある。

 現在、情報の品質は一大問題となっている。今回の発表では、著作権の問題やインターネット上における著作権の侵害に関する議論には立ち入らない。しかし、著作権を主張し過ぎれば、結局は情報への自由なアクセスを危険にさらすことになるだろうし、最悪の場合には一般の人びとへのアクセスが制限され、学界の中に情報や研究を囲い込んでしまうことにつながりかねない。

 今後、情報の品質はマーケティングの成功を占うもっとも重要な要素となるであろう。マーケティングから新たなサービスが生まれる可能性があるし、マーケティングは経営の中でもっとも重要な位置づけをもつものと思われる。電話センターであろうと研究機関であろうと、信頼できる情報の質がその経営の中で追求されるべきである。
 品質の問題に関係して、情報源と情報のフォーマットの問題がある。インターネットから得られる説明書や案内書は馬鹿馬鹿しいものであって、机の上に溢れている同じ類の印刷体の情報源を想起させる。また、例えば、送り手に対して難しい状況を説明しようとする場合、電子メールの使用は必ずしも賢明なことだとは言えない。フォーマットの選択は今後、さらに重要となっていくだろうし、真に高質な情報を提供するための議論の出発点となろう 12)

11) Information Quality-definitions and dimensions. Proceedings of a Nordinfo seminar Royal School of Librarianship, Copenhagen l989, ed. by Irene Wormell l990. 139 p.
12) 今日の議論の予備的な知識を得るには以下の書物を参照 "The Knowledge Industries" Levers of economic and social development in the l990 s. Ed. by Blaise Cronin and Neva Tudor Silovic, Aslib l991, 331 p.

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統制

 あらゆる情報機関にとって高質なサービスが目的となる以上、それをいかに届け、いかに統制するかという問題が持ち上がってくる。5年ほど前から、統制の話題が専門的な議論の中に登場している。ドイツ図書館研究所(DBI)では『公共図書館の統制―効率的な図書館運営を行うための指針』を編集しこれを刊行した 13)。ここでは、まず統制の内実が定義され、続いて年間計画にしたがって策定された機関の活動、統制の方法、各部局における処理について述べられている。そして、統制は将来にわたる図書館の使命であり、図書館運営のためのツールだと論じられる。この報告書で試みられているのは、予算策定や人事配置を効率的に行う手段としての統制の活用であり、さらには図書館の長期的な戦略やその理念、目標、使命の中に統制を関わらせることである。きわめて奇妙なことであるが、この報告書ではサービスの質について直接的に論じられてはいない。法人組織の効率性について論じる場合には、この報告書は経営のツールとして適用することができるだろうが、先ほども述べたように、情報サービスの質についてはほとんど言及されていない。

 統制に関して危険があるとすればその中身である。計画と運営は本来的に情報の質や内容に関わるものではない。著作権に関する論議や統制案の議論を見れば、統制に関して論争が繰り広げられることが予想される。

13) Controlling fuer Oeffentliche Bibliotheken. Berlin: Deutsches Bibliotheksinstitut 1994, 101 p.

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マーケティングとサービスの品質―情報管理ネットワーク

 私が述べたかった点は2点ある。ひとつは、マーケティングなしには、どんなに質の高い情報を生産しても人には認識されないということである。そしてそれ以上に重要なこととして、もうひとつは、低質な情報を生産しても、失敗することこそあれ、継続的な成功が導かれることはないということである。ある機関の命運が、個々の細かなサービスと全体的な使命や構造によって決定されるようになれば、生産される情報のマーケティングはさらに進められるであろう。現在、情報環境は劇的に変わりつつある。ここ10年間の話題について学術単行書を調査してみれば、その傾向は明らかであろう。しかしながら、重要な研究結果の数や質の高い情報が生み出される量はあまり変わらないであろうから、今後、質的な要求はますます高まっていくであろう。また、情報環境を一変させたのは情報へのアクセス速度の向上である。情報は簡単に入手され利用されるようになった。しかし、アクセスが飛躍的に改良されたにも関わらず、利用可能な情報の総量はあまり変化がないと思われる。なぜなら、有用な情報の提供者の数はほとんど変わらないからである。あるいは、こうした人びとの数は減少する可能性さえある。人文科学の領域と合わせて特に経済学の領域から教養課程の充実を望む声が高まっていることは、研究領域の壁を超えたマーケティング導入の必要性が認識されている現れと言えるかもしれない。ともかく、インターネットに関わる中で、私たちは情報をマーケティングすることができるし、マーケティングやコミュニケーションが行われている巨大な場へとアクセスすることができる。ここでは、質への要求を見落としてはならない。著作権の問題が未解決なままに増え続けているが、これを質への要求の現れと見なすこともできる。

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謝辞

 21世紀における図書館情報サービスという専門職に対して[日独のあいだに]共通性のある挑戦課題について検討する貴重な機会を提供された猪瀬博博士に感謝と敬意を表する。

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