ポインダーの視点: 10年を経て

リチャード・ポインダー(→Web Site)>

(原文: Ten Years After / by Richard Poynder InformationToday Vol. 21 No. 9 - October 2004

オープンアクセス(OA)ムーブメントは今年大きな勝利を勝ち取った。7月、英国の超党派の議員団は英国政府に対して、公的助成を受けたすべての研究をすべての人が「オンライン上で無料で」アクセスできるようにすることを求めた。同月、米国下院予算委員会は、NIHの助成を受けた研究はすべて、出版から6ヶ月後には無料で利用できるようにすることを勧告した。では、OAムーブメントはどこから来て、そして、我々をどこへ連れて行こうとしているのだろうか。

OAムーブメントの起源を知るためには、認知科学のスティーバン・ハーナッド(Stevan Harnad)教授が、彼が「破壊的提案」と呼んでいる意見をバージニア工科大学で運営される電子ジャーナル・メーリングリストに投稿した10年前の1994年10月に遡る必要がある。

ハーナッドの投稿は、単純だが過激な次のような主張であった。研究者が出版に興味を持つのは単に自分の考えをできるだけ多くの同僚と共有するためである。それゆえ、彼らは喜んで自分の論文を無料で提供する。雑誌購読料の値札はその共有に望ましくない制限を強制するだけでなく、インターネットの時代にあっては、もはや不要なものでさえある。したがって、研究者は論文をインターネット上にセルフアーカイブすることを直ちに開始し、それにより、自分の考えの影響力を最大化し、また、考えを「世界中の同僚や専門分野の科学者や学者」により効果的に届けるべきであると結論付けた。

メーリングリストの意見のほとんどはたいていすぐに忘れ去れるものであるが、ハーナッドの提案はオンライン上で大きな議論を引き起こし(皮肉なことに後に1冊の本としてまとめられた)、すぐに胎動期のOAムーブメントの事実上の宣言書となった。

10年後の現在では、OAは60億ドルの学術出版産業を崩壊させる脅威となっており、最大の出版社でさえロープ際にまで追い詰めている。たとえば、今年の初め、リード・エルゼビア社のCEOは不名誉にも英国の議員団の前に立ち、公的助成を受けた研究成果を初めにそれを(無償で)提供したまさにその当事者、すなわち、研究者やその所属機関に売ることで出版社が34%の利益を得ることがどうして容認できると考えるかを説明しなければ ならなかった。

しかし、どのようにしてOAムーブメントは、明らかに雑多なメーリングリスト中の1つの意見から、今日見られるような強力な変革の力へと成長したのだろうか。

創始者ではないが

もちろん、インターネットが研究を共有する新しい方法を提供する可能性があることに気づいたのはハーナッドが最初ではなかった。テッド・ネルソン(Ted Nelson)のような前ウェブ時代の有名人やウェブの創作者ティム・バーナーズ=リー(Tim Berners-Lee)はひとまず置くとしても、物理学者であるポール・ギンスパーグ(Paul Ginsparg)はハーナッドの提案の3年前にインターネット上の最初のプレプリントサーバであるarXivを創設していた。

arXivは、長々とした出版プロセスに比べてより迅速に物理学者の間でアイデアを共有できるようにするために作られたものであり、ハーナッドが破壊的提案を投稿した時点で2万人の利用者を擁し、1日当たり3万5千件の利用があった。そのため、ハーナッドは彼の概念を証明するものとしてarXirを引用している。もっとも、彼の野望はこれよりいくらか壮大なものであったのだが。

また、ハーナッドは雑誌購読料により引き起こされるアクセス障壁を最初に乗り越えようとした人でもなかった。ラフバラ大学のチャールズ・オッペンハイム(Charles Oppenheim)情報科学教授は、図書館員が長い間「商業出版社が出版する雑誌の購読費が高額であることを言い続けてきた」ことを指摘している。雑誌価格が上がるたびに図書館は雑誌の購読を中止し、教員が雑誌を利用できなくなるようにしてきた。実際、OAムーブメントのルーツを、ますます高騰する雑誌価格という問題の改善を求めて1998年にSPARC(Scholarly Publishing and Academic Resources Coalition)アドボカシ・グループを創設した図書館員による直接行動主義の高まりであったとする者が多い。

しかし、SPARCがまず取り組んだのは代替となる、より価格の安い雑誌の推奨であり、arXivは集中管理の主題ベースのプレプリント・リポジトリであった。一方、ハーナッドは学術論文のすべてをインターネット上で自由に利用できるようにしたかった。すなわち、彼の信ずる目標は、研究者が従来の雑誌で論文を発表し続けると同時に、ローカルにも同じ論文をセルフアーカイブすることにより最も達成されるものであった。

さらに、革命を起こすことに取り付かれていた(また、修辞法と論争術という二つながらに持つ者は稀な、この二つの才に恵まれた)ハーナッドはその後の10年間を、研究者仲間を言葉巧みに誘い、どなりつけ、熱弁をふるい、弁護し、また、批判者を降伏させるまで(あるいは少なくても沈黙させるまで)口撃して過ごした。

したがって、ハーナッドがOAムーブメントを発明したとは言えないが、その驚異的なエネルギーと決断力は、本当に必要なことに焦点を絞った見識と相まって、疑いなく彼にオープンアクセスの主導者の称号を与えるものである。

世間知らず

実際、何年もの間に多くの人がOAの自明の論理を「独立に発見」していた。しかし、ハーナッドの集中的なエネルギーに匹敵する者はほとんどいなかった。そういう人はたいて世間知らずだと考えられていた。たとえば、ノーベル賞受賞者で当時NIH所長であったハロルド・バーマス(Harold Varmus)が、1999年にE-Biomedと呼ばれる新しい生物医学研究論文サーバを提案した時、彼は単にコンテンツ保管庫を一般に公開するよう出版社に依頼する必要があるだけと考えていたようだった。

E-BiomedはarXivに倣ってプレプリントとポストプリントの両テキストを含むフルテキスト研究論文の包括的なリポジトリであり、完全な検索機能を持ち無料で利用できる「医学および生命科学分野の電子公共図書館」として議論された。しかしながら、2000年2月にPubMed Centralとして開始されるまでに、プロジェクトはバーマスによる初期の構想のほとんどを失っていた。

何故か。科学者からの広い支持にもかかわらず、出版社や学会がE-Biomedに反対する攻撃的キャンペーンを繰り広げたからである。その結果、プレプリントはアーカイブから削除され、論文の出版からアーカイブへの投稿までの間に遅延が生じることになった。さらに、出版社は出版した論文の著作権を当然のように獲得したので、PubMed Centralは出版社の協力に頼ることになった。こうした事実があるので、開設後4年たった現在でもPubMed Centralに保管されている雑誌がわずか161誌(ほとんどはWeb上のどこか別の場所でも無料で利用できるものである)に過ぎなくても驚くべきことではない。

バーマスは明らかに出版社に少し圧力をかける必要があると決心した。そして、2000年11月に科学者のマイケル・アイゼン(Michael Eisen)とパトリック・ブラウン(Patrick Brown)と共に、パブリック・ライブラリ・オブ・サイエンス(PLoS: Public Library of Science)を創設した。その目的は、自社が出版した研究論文を出版後6ヶ月経ったら「PubMed Centralのようなオンライン公共科学図書館で利用できるようにする」ことを拒む雑誌にはもはや論文を投稿しないことを誓う公開書簡に署名するよう科学者仲間を説得することであった。

PLoSは大きな運動となり、180カ国の科学者から3万4千近くの署名を得た。しかし、ごく一握りの出版社は応じたものの、ほとんどの出版社はPLoSの書簡をはなから無視した。さらに悪いことに、署名した科学者のほとんどは喜んで申し立ての誓いを破り、自分らの要求に耳を貸そうともしなかったまさにその雑誌に発表を続けた。

ほとんどの出版社は自身の利益を脅かす計画はどんなものであれ協力などせず、むしろ、どんな犠牲を払ってでも反対するものであるということをバーマスとPLoSの彼の同僚は正しく認識できなかったのである。

ハーナッドはもっと現実的であり、出版社にお願いするのではなく、研究者は単に「審査済み論文を自分の自由にする」べきであると常々当然のように考えていた。

とは言うものの、破壊的提案にもまた甘い点があった。ハーナッドの計画では、研究者は論文を何千ものFTPサイトに個別に投稿することになってしまうからである。これは論文にアクセスしたいと思う者はあらかじめ論文の存在とすべてのアーカイブの所在を知る必要があり、さらに、個々のアーカイブを別々に検索しなければならないことを意味する。現在では、ハーナッドは「検索のことを考えると、アノニマスFTPサイトや気まぐれなWebサイトはどちらかといえば共同墓地のようなものである」ことを認めている。

セルフアーカイブ・ツールキット

このため、ハーナッドはまた、セルフアーカイブ・ツールキット作成の熱烈な唱道者となった。このツールは、購読ベースのオンライン雑誌アクセスを提供するために出版社が開発中であった電子的プラットホームへの対抗手段をOAムーブメントに与えるものであった。次々に生み出されたOAツールの多くがサウサンプトン大学で開発されたのは偶然ではない。そこは、破壊的提案を投稿した後すぐにハーナッドが異動した大学だからである。

たとえば、2000年サウサンプトン大学電子工学・計算機科学科はEPrintsソフトウェアをリリースした。研究者が自身の論文を投稿できる相互運用可能なアーカイブを機関が構築できるよう、EPrintsソフトウェアはJISCの助成を受けたオープン・アーカイブ・イニシアティブ(OAI)が制定した共通のタグ付きメタデータ標準を利用して設計された。この標準を使うことで複数の分散されたアーカイブを1つのバーチャルアーカイブとして扱うことができる。

さらに、このバーチャルアーカイブを検索できるようにするために多くのOAI用「Google」が開発された。最も有名なものはミシガン大学のOAIsterである。OAIsterはOAI準拠の様々なリポジトリから定期的にレコードを収集することによりOAI準拠のすべてのアーカイブからコンテンツを集め、1つの検索インターフェースによりこれらのアーカイブの横断検索を提供する。

該当する論文が見つかったら、サウサンプトン大学のParaCiteサービスを使って、Web上でもっとも利用し易いそのフルテキスト版を見つけることができる。操作は、論文の抄録をParaCiteの検索欄に貼り付けてリンクをたどるだけである。

また、セルフアーカイブした論文のインパクトを知りたい場合は、サウサンプトン大学のCiteBaseを使うことができる。CiteBaseは、もっとも多く引用された著者や論文など、多くの要因を使ってセルフアーカイブされた論文を順位付けすることができる。

一方、このような進展にはどうやら気づくことなく、出版社は合併に明け暮れていた。現在では2つの大出版社、エルゼビアとシュプリンガーが科学技術医学系(STM)の雑誌市場の40%近くを占めるようになっている。しかしながら、そのような合併への不安の増大がOAに対する大きな理論的根拠を提供することとなった。

OA出版

しかし、ある出版社が嵐の近づいていることを悟った。問題の核心は本質的にはコストではなく、むしろ、従来の購読契約モデルが読者と研究者の間に引き起こす障壁にあることに気づいたカレント・サイエンス・グループの会長ビテーク・トレイツ(Vitek Tracz)は、OAは出版社を脅威にさらすものではなく、むしろ新しい機会を提供するものであると判断した。コストを読者から著者に移すことにより、出版社は研究論文を無料で利用できるようにしてもなお出版の対価を請求することができると彼は結論づけた。

こうしてトレイツは1998年に数多くの出版ビジネスをエルゼビアに売り、世界で最初の商業OA出版社バイオメド・セントラル(BMC: BioMed Central)を創設した。BMCは(購読費を通じて)雑誌アクセスの対価として読者に課金するのではなく、論文を出版するための対価として著者に課金した。現在、BMCは生物医学分野のWeb雑誌を110誌発行しており、すべての雑誌はPubMed Centralにアーカイブされると同時にWeb上で直ちに公開されている。

OA出版モデルはOA支持者の間で高まりつつあった要望に対する斬新で創造的な応答であった。「ビテーク・トレイツがオープンアクセス出版社としてバイオメド・セントラルを興し、言い出した者の責任を果たしたという事実は、それまでには存在しなかったオープンアクセスへの大規模な取り組みであり、突破口であった」とBMCのジャン・ベルトロープ(Jan Velterop)は語る。OAを喜んで受入れる商業出版社を持つことは、運動を盛り上げる大きな信用をももたらすことになった。

これまでのアドボカシ活動の限界とBMCの成果に気づいて、PLoSは2001年OA出版社として再出発し、新しいOA雑誌の確立に取りかかった。昨年10月に『PLoS Biology』が創刊され、今月(10月)、2番目の雑誌『PLoS Medicine』の第1号が出版される予定である。

「パブリック・ライブラリ・オブ・サイエンスはNIHのアーカイブであるPubMed Centralのアドボカシ・グループとして活動を開始した」と最近バーマスは『サイエンス』誌に説明している。「その後、PLoSは出版社となった」

しかしながら、OA出版の進展は運動の将来に不協和音の種を蒔くことになった。OA出版は結局、研究者は引き続き伝統的な雑誌で論文を発表し、その後セルフアーカイブすることを仮定していたハーナッドのそもそもの概念から逸脱するものであった。

たしかに、ハーナッドは、出版社は今後規模を縮小する必要があり、おそらく最終的にはピアレビューサービスを提供するだけのものになると予想していた。しかし、OA出版は新しいタイプの雑誌を作り出した。これはすべての出版済研究論文は無料で利用できるべきであるという高まりつつあった要求に応えるものであったが、ハーナッドはそれが発展を詐害するのではないかとだんだん懸念するようになった。

しかしながら、2002年、運動に潜んでいるかもしれないあらゆる傷を覆い隠すような良い知らせが登場した。12月、PLoSはゴードン・アンド・ベッティ・ムーア財団から900万ドルの助成金を得た。さらに重要なことに、この年の初めに慈善家ジョージ・ソロスのOpen Society Institute(OSI)が運動資金として300万ドルを提供し、ブダペスト・オープン・アクセス・イニシアティブ(BOAI: Budapest Open Access Initiative)を開始することができた。

PLoSとは対照的にBOAIは実践的な施策に重点的に取り組んだ。すなわち、人々に請願書への署名を求めるというより「原理原則宣言や戦略宣言、積極的関与宣言」に同意するよう求めた。

「今から思えば、PLoSのボイコットへの署名のほとんどは幸運を願ってされたものであることは明らかだ」と当時ハーナッドは『インフォメーション・トゥデイ』誌にコメントを寄せている。「しかし、BOAIはもう一つのPLoSのような請願ではない。BOAIに署名するということはその主張を支持することを意味するのではない。すなわち、誰か(たとえば出版社)に何かを要求することを意味するのではないのである。署名は自ら(個人あるいは機関)が何かをする(セルフアーカイブするか、代替となる雑誌に投稿するか、あるいはその両者をする)ことにより積極的に関与することを意味するのである」

さらに銀行に預けた300万ドルにより、今やその関与を現実にすることが可能であった。ハーナッドがBBCに指摘するように「機関e-プリントアーカイブを開設して運用するには1万ドルもかからない。代替となる雑誌を創刊して発行するには5万ドルもかからない。したがって、300万ドルもあれば多くのことができるのである」

重要なことだが、BOAIはまた初めて広く合意されたOAの定義を明瞭に示した。定義ではOA研究論文は「広くインターネット上で」自由に利用でき、「すべての利用者にOA研究論文の閲覧、ダウンロード、コピー、配布、印刷、検索、論文フルテキストへのリンク、索引化のためのクロール、ソフトウェアへのデータ取り込み、その他合法的な目的での利用を、インターネットそれ自身へのアクセスを得るための障壁を除いて、財政的、法的、技術的障壁なしに許可する」ことを明記している。

また、BOAIは現在では2種類のOAIが存在することを理解していたので、破壊的提案の単純な再宣言以上のものであった。この目的を果たすため、BOAIは二又の戦略を描いた。1つは、破壊的提案で概略が描かれたセルフアーカイブ(あるいは、グリーン・ルート)によるBOAI-1であり、今1つは、BMCやPLoSで行われているOA出版(ゴールド・ルート)によるBOAI-2である。

手短に言えば、BOAIは定義化運動であった。運動の公的性格をはっきりと打ち出すだけでなく、同時に、運動の進展を促進した。「ブダペスト・オープン・アクセス・イニシアティブ以前には我々は『オープンアクセス』という共通に理解された名称も持っていなかったことを考えると、過去2年半前における運動の勢いの高まりは驚くべきものであった」とSPARCの事務長リック・ジョンソン(Rick Johnson)は語っている。

焦点の転換

しかし、確固とした財政基盤を持つことでBMCやPLoSは今やハーナッドよりOAムーブメントの行方を決するより強い力を持っていた。たとえば、両出版社は自身の活動を促進するために一連の「模倣」宣言を開始した。それらは、BOAIで表現されたものを越えるものではなかったが、ハーナッドから見れば、OA出版を不相応に強調するものであり、セルフアーカイブを軽視するものであった。

このようにして、2003年6月、オープンアクセス出版に関するベセズダ声明書が公表された。2003年10月には、自然科学および人文科学における知に対するオープンアクセスに関するベルリン宣言が生まれた。ハーナッドは言うには、残念ながらこれらはすべて、OAジャーナル出版の「優れた宣伝」ではあるが、セルフアーカイブを促進するためには何の役にもたたないものであった。たとえば、「ベルリン宣言はBOAI-1に対して何の言及も理解も」見られなかった。

ハーナッドの苦痛を一層募らせるように、この年の初め、BOAIはソロス資金の使い道を発表した。発表によれば資金の71%がBOAI-2に割かれ、BOAI-1には29%が配分されるに過ぎなかった。

ところで、もしOAムーブメントの目的がインターネット上で研究成果に自由にアクセスできるようにすることであるとすれば、これがOA出版によって達成されるか、あるいは、セルフアーカイブによって達成されるかは問題であろうか。「手短に言えば、イエスだ」とハーナッドは語る。「OA出版をあまりに強調することは、OAの受容を遅らせる恐れがあるからだ」

まず、OA出版の著者支払いモデルはOAの鬼っ子になっていた。論文あたりの支払額はBMCでは525ドル、PLoSでは1500ドルであり、著者支払いはOAの受け入れを阻害する強力な要因であると多くの人に見られている。BMCもPLoSも、支払う余裕がない著者からは負担金を取り立てることはないことを強調したがった。両社は、その意図は著者の所属機関や助成団体により支払われるべき出版手数料であり、研究者個人が支払うべきものではないと主張している。これを明確な形にするために両社は年間の「メンバー」制を導入した。これは研究者がこの先論文を発表する権利を所属機関が一括購入するものである。しかしながら、多くの人はこれが伝統的な出版社が自社の雑誌へのオンラインアクセスを売るために導入して、広く批判された「ビッグ・ディール」サイトライセンスと同じものであると苦々しく感じている。

このように、トレイツの発明はOAムーブメントに信用をもたらしたが、一方で、OA出版だけでなく、それとは知らずOAムーブメント全体に対する疑いを投げかける不安の種をももたらした。BMCは明らかにこれに気づき、8月になって、将来の価格モデルについて図書館員や助成団体と協議を開始した。

ハーナッドはOA出版の過大評価が別の意味で運動を阻害するかもしれないと心配した。しばしば彼が指摘したように、2万4千の学術雑誌のうち現在OAであるのは1000誌に過ぎない。これは、OA出版はすべての審査済み研究成果のうち最大でもその5%しか無料で利用できるようにすることができないことを意味する。一方で、もし、すべての研究者が2万3千の伝統的な雑誌で発表する論文のセルフアーカイブを直ちに開始すれば、研究成果の95%をOAにすることができるだろう。ハーナッドが言うように「セルフアーカイブは2万4千の全雑誌で1年間に出版される250万の論文すべてに対する無料のアクセスを事実上一晩で提供することができる」のである。

その後1月に行われたオンライン公開討論でハーナッドはマイケル・アイセンに尋ねた。何故PLoSは、普遍的なオープンアクセスをほとんど確実にもたらすと思われる「もう一つの道[BOAI-1]についても少なくとも同じくらい積極的に推進することをせずに、オープン出版(BOAI-2)を推進することだけに相当な資源を費やすのか」

明らかにハーナッドを心配させているものは、破壊的提案それ自体が骨抜きにされつつあることであった。

皮肉なことに、OAムーブメントの初期の頃には、ハーナッド自身が著者支払いモデルを提案していた。これは、今では彼が「不必要であり、私の戦略的な誤り」であったと後悔しているOA出版に対する一時的な浮気心であった。

彼が説明しているように「OAセルフアーカイブはOAへの道であるだけでなく、結果としてOA出版への道でもある(ただし、セルフアーカイブを通じてOA自身が100%普及した後でのみ)ことが今ではより明白になっている」

暗黒の夜明け前

しかしながら、ゴールド・ルートもグリーン・ルートも共に、すなわちOAムーブメント全体がはるかに大きな問題に直面していることが既に明らかになっていた。刺激的な新しい出版モデル、見栄えの良いセルフアーカイブ・ツールの開発、OAの利点の称揚、これらすべても変化の第一の当事者、すなわち研究者自身が呼びかけにまったく耳を傾けないとしたら、結局、何の価値もないことがわかった。

彼らの行動について、7月、ハーナッドは議長を務めるアメリカ・サイエンティスト・オープン・アクセス・フォーラムにおいて「今日取り得る2つの方法(ゴールド・ジャーナル[5%]で論文を発表するか、グリーン・ジャーナル[95%]に発表してセルフアーカイブするか)で論文をOAとして提供している著者はわずか20%に過ぎない」ことを認めた。

要するに、馬を水のみ場につれてくることはできても、水を飲ませることはできないのである。「完全に明らかになったことは」とハーナッドは次のように結論づけた。「大学や助成団体は、従来の『出版か死か』という命令を拡大して、出版物はすべて、できればOAジャーナル(5%)に発表するか、非OAジャーナル(95%)に発表しセルフアーカイブすることにより、必ずOAにしなければならないと命ずる必要がある」

しかし、それは登るべき山がさらにもう一つあるかのように思えた。研究者にOAを受入れるよう命令することを大学や助成団体に説得することは、さらにもう10年かかりそうであった。

だんだん悲観的になっていたハーナッドは英国下院科学技術委員会がSTM出版物の調査を行っているという昨年12月のニュースに懐疑的だった。意見書を提出したにもかかわらず議会は彼を証人に喚問しなかったので、彼の疑念は増すばかりであった。さらに、調査が進むにつれ、政治家はセルフアーカイブに興味も理解もないように思われた。

3月、自身のメーリングリストに投稿してハーナッドは、委員会は「この世界規模の大きなうねり[そこでは、オープンアクセスはもっぱら、オープンアクセスの『提供』ではなく、オープンアクセス『出版』に等しいとされていた]を拡大」し続けていると不満を述べた。

調査委員会で証言をした研究者はOAに対する全般的な興味の欠如を認め、そのほとんどは現行システムを変える必要はないと述べた。たとえば、リバプール大学の組織工学教授デビット・ウィリアムズ(David Williams)は委員会に次のように語った。「現在、科学技術出版において何か大きな問題があるとは思わない。私の同僚も、ポスドクも、学生も、強力な機能を使って幅広い出版物に制限なくアクセスすることができる。5年前に比べて、技術の進歩により節約された時間は非常に大きなものがある」

しかし、言わば、暗黒の時間はもう終わりに近づいていた。夜明けは間近であった。7月20日、特別委員会の報告書が出版されると、政治家がOA出版とセルフアーカイブの違いを明確に理解していたことがすぐに明らかになった。さらに、彼らはOA出版についてはある種の警戒を表明する一方で、英国政府は直ちに機関リポジトリのネットワークを構築し、公的助成を受けたすべての研究者は論文のコピーをこのリポジトリにデポジットし、すべての人々に「オンラインにより無料で」提供するよう命令することを勧告した。

時の預言者

ハーナッドにとって(彼はバルセロナで開かれた会議に出席していたが)これ以上望むことのできないものであった。OAを急速に発展させる方法として、研究者とその所属機関にセルフアーカイブを採用するよう政府が命令することより良い方法があるだろうか。インターネットカフェに飛び込むと、彼は勝ち誇ったようにメールを送った。ニュースは「これ以上のものはなかっただろう。10年早く実現できたはずだが」

しかし、良い知らせはそれで終わらなかった。同じ月、米国下院予算委員会は、米国連邦政府における最大の科学助成団体であるNIHに対し、NIHの助成を受けた研究のすべての論文が出版6ヵ月後にPubMed Centralに確実にアーカイブされるような計画を策定するよう勧告した。

本稿を執筆中の時点では、同様な提案がカナダ、スコットランド、オーストラリア、インド、ノルウェイで検討されている。我々が目撃しているのは、とハーナッドは語る。「実際にどの国が最初に勧告を実施するのかを競う歴史的なレースである」

多くの失望はあったが、ハーナッド流の宇宙観がついに勝利を収め始めたようである。破壊的提案を投稿して10年、エルゼビアのような国際企業が持つ財源を持たず、BMCやPLoSなら自由に使える強力なPRマシーンも持たず、ただ真の信者のすべてのエネルギーと献身を得て、ハーナッドはこれらすべてに明らかに勝利した。「あなたはまるで時の預言者になったように感じているに違いない」、ハーナッドの支援者の一人はオーストラリアからそうメールを寄こした。

もちろん、つまるところ、OAムーブメントはみんなの努力であり、たとえどんなに疲れを知らないものであっても、たった一人の仕事ではない。宣言の拡散に対してハーナッドは不満を持つようになったかもしれないが、結局、これが政治家の注意を引くことに成功した。OAが現在得ているような世間の認知を得るためには、ギンスパーグやバーマス、トレイツ(2,3の名前を挙げただけである)のような個人のひらめきや図書館員の行動主義、増大する賛同者による支援(および助成)など、多くの人の努力があったということが真相である。そして、もちろん、インターネットがなければオープンアクセスのレゾンレートルそのものがありえなかった。

とは言うものの、ハーナッドによる焦点の絞込みと情熱がなければ、今では多くの人が学術コミュニケーションプロセスに大きな変革をもたらすものと信じている運動も、依然として雑誌価格に関する憎悪に満ちた口論に終始していただろう。

しかし、本当に戦いは勝利したのだろうか。結局、英国政府が科学技術委員会の勧告の実施を拒否したり、NIHの計画が失敗に終わったり骨抜きにされたりする可能性もある。本稿を執筆中の時点では、出版社や学会はかつてE-Biomedに対して行ったよりもさらに激しいキャンペーンを繰り広げている。我々は再び行く手を遮られるのだろうか。

何が起ころうとも、伝統的な出版社はもはやオープンアクセスを無視することができないことは明らかである。第2部では、出版社がいかに応酬しており、また、セルフアーカイブのロードマップはハーナッドが主張するほど単純なものであるのか、また、持続可能なものであるのか、という疑問を呈しているかについて、さらに詳細に検討するつもりである。

 


リチャート・ポインダー(Richard Poynder)は英国のフリージャーナリストで、知的財産権および情報産業を専門としている。メールアドレスは、richard.poynder@journalist.co.ukである。