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Doric column and link to Issue Home Page 42号: 2005年1月 Doric column and link to Issue Home Page

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オープンアクセスへのグリーン・ロードの急速前進:グリーンとゴールドの混同に対する反論

Stevan HarnadStevan Harnadは、オープンアクセスへのグリーン・ロードおよびゴールド・ロードに関するJean-Claude Guédonの記事についての彼の批判のサマリを提供する。

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(原文: Fast-Forward on the Green Road to Open Access: The Case Against Mixing Up Green and Gold
Stevan Harnad. Ariadne, Issue 42. January 2005)

序論

この記事は、オープンアクセスへの「グリーン・ロード」および「ゴールド・ロード」:Jean-Claude Guédon [1]による混合・組み合わせ(mixing and matching)の議論の批判である。

オープンアクセス (OA) とは、すべてのピアレビュー済み雑誌記事に対するオンラインでのフリーアクセスを意味する。

Jean-Claude Guédon (J-CG) は、以下を根拠に、ピアレビュー済み雑誌記事の著者セルフアーカイビング―OAへの「グリーン」ロードの有効性に関して異議を唱えている:(1)セルフアーカイビングを行っている著者はあまりにも少ない、(2) セルフアーカイビングは、不完全で不便なアクセスを生み出すことしかできない、また (3) アクセスおよびインパクトの最大化は、OAを追求する理由として正しくない(エリートの著者を益するだけである)。J-CG は代わりに、OAを追求する正しい理由は、OA(「ゴールド」)出版(そこではすべての記事のオンライン・バージョンがすべてのユーザーにとってアクセス可能である)へ転換する中で「価値の創出」および「ブランディング(branding)」の新しい方法を生み出すことによって、ピアレビューのシステムと雑誌出版システムの双方を改革していくことであると提唱している。(彼によれば)以下のように、我々はグリーンとゴールドの「混合と組み合わせ」によって、ゴールドへ転換すべきである:

まず、学位論文(出版されたピアレビュー済みの雑誌記事ではない)をセルフアーカイブする。次に、それらの学位論文がいかに評価され、レビューされたかを明らかにし、タグ付けする。第三に、未査読プレプリント(出版されたピアレビュー済みの雑誌記事ではない)をセルフアーカイブする。第四に、複数レベルでそれらの未査読プレプリントを評価およびレビューするための仕組みを開発する。その結果はOA出版(ゴールド)となるだろう。

私は、これは混合・組み合わせではなく、単なる想像、100%ゴールドにいかにして転換するかについての漠然とした憶断にすぎないと言おう、これは最初から最後まで本物のグリーンを含んでいない、というのも、グリーンとは、単なる学位論文やプレプリントではなく、出版されたピアレビュー済み記事のセルフアーカイビングであるからである。

私が主張するのは、実際に必要な(それも差し迫って)のは、もう10年の思弁[2]ではなく、出版されたピアレビュー済み雑誌記事のセルフアーカイビング(グリーン)が100%OAに向けて急速前進できるように、OAセルフアーカイビングが研究資金提供者および研究機関によって義務づけられることである。OAの直接的目的は研究アクセスおよびインパクトを最大化することであり、ピアレビューや雑誌出版を改革することではない。またOAの直接的便益は単にエリートの著者たちだけにとってのものではなく、すべての研究者、その研究機関、その資金提供者、それら資金提供者に資金を提供している納税者にとってのものである、また研究自体の進歩と生産性にとってのものである。

今日、同じ非OA記事のOAバージョンへのアクセスおよび非OAバージョンへのアクセスの間に相補性が存在するのとちょうど同じように、今日、100%OAに達するためのグリーンおよびゴールドの戦略の間には相補性が存在する。100%グリーンOAが最終的に100%ゴールドにつながるか否かは、仮定的な問いであり、それについては、我々がまず100%OAに達するまで保留しておくのが最も賢明である。それに対し、100%OAは、直接的かつ現実的、到達可能で、はるかに目の前に差し迫った目標であり、ポストグーテンベルグ世界(PostGutenberg Galaxy)における最適かつ不可避で自然な成果である。

「オープンアクセス(OA)に関する最近の議論は、OA雑誌およびセルフアーカイビングを2つの別のルートとして取り扱う傾向がある」。

この言葉が2001年にブダペスト・オープンアクセス・イニシャティブ(BOAI)[3]によって初めて使われた時以来、「オープンアクセス」は常に、2つの別なルート、つまりBOAI-1のOAセルフアーカイビング(「グリーン」)とBOAI-2のOA雑誌(「ゴールド」)によって到達可能なフリー・オンライン・アクセスとして定義されてきた。

「ある人たちは・・・(セルフアーカイビング)単独で世界中の科学文献への全面的なオープンアクセスをもたらすことができるとさえ提唱している」。

OAの重点はピアレビュー済みの雑誌記事‐年間24,000のピアレビュー済みの学術雑誌、研究雑誌における年間250万の記事のみに置かれているのであり、全体としての「世界中の科学文献」(書籍や雑誌にではなく)に置かれているわけでない。

(1) 自分自身の記事をセルフアーカイブすることは、自分自身の記事へのオープンアクセス(OA)を提供することである。どの著者も、その記事のどれに関しても、これを行うことはできる。すべての著者が、年間250万のどの記事に関しても、これを行えば/行う時には、我々は定義により、「全面的なオープンアクセス」(グリーン)を得ることになるのである。

(2) 同じ理由によって、24,000の各雑誌の出版社がOA出版に転換すれば/する時には、我々は定義により、「全面的なオープンアクセス」(ゴールド)を得ることになるのである。

あとは単に蓋然性の問題である:すべての、あるいはほとんどの雑誌がOAに転換する可能性の方が高いだろうか、あるいはすべての、あるいはほとんどの著者がその記事をアーカイブする可能性の方が高いだろうか?どちらがより多くの障害、コスト、遅延、不確実性、リスクの問題に直面するのか?どちらがより多くの段階を必要とするのか?どちらが、大学や研究資金提供者のOA指令によって促進させることができるか?どちらがすでに、直接手の届くところにあるのか?

「セルフアーカイビングは十分ではない・・・レポジトリーは何らかのブランディング能力を必要とする」。

セルフアーカイビングは、何に関して十分でないのか?100%のセルフアーカイビングは100%OAに相当しないだろうか(100%OA雑誌がそうであるのとちょうど同じように)。

そして、我々がピアレビュー済みの出版された雑誌記事のセルフアーカイビングについて語っている時に、なぜ、「ブランディング」の必要があるのか?何をブランディングするのか?雑誌記事だろうか?しかし、それらはすでに、それらを発行した雑誌の名前でもってブランド付けされている。それらの雑誌記事に欠けているもの、必要なものはブランディングではなく、オープンアクセスなのである! (J-CGのブランディングに関する思い込みは、実は、彼は現在の雑誌記事をOAにする方法を提案しているではなく、現在の雑誌にすっかり取って代わる方法を提案しているのだということから来る一つの結果だということが明らかになるだろう。)

「(OA雑誌出版)は結局、基本単位としての雑誌に(依存した)既存の出版システムの改革に行き着く、そしてオープンアクセス雑誌への転換あるいはその創出を目指すものである」。

OAセルフアーカイビングもOA雑誌出版も(実際、OAそれ自体、そしてOAの定義も)「根本的に(それらの)基本単位としての雑誌に依存している」、というのもOA運動の対象文献はピアレビュー済み雑誌の記事だからである。

ただし、が既存の出版システムの改革を目指すのは、BOAI-2、OA雑誌出版(ゴールド)のみである。BOAI-1、OAセルフアーカイビング(グリーン)はそれについては中立的である。それは単にOAを目指しているのである。

「(OA出版の)財政的実行可能性は政府の意思にかかっており、・・・また国や状況によって異なる」。

新しいOA雑誌および転換されたOA雑誌はすべて価値あるもので、歓迎すべきでものであるが、その数およびその数の伸び率は現実的に認識されるべきである。今日、雑誌の約5%(1400/24,000)がOA(「ゴールド」)雑誌である。それと対照的に、雑誌の約92%は「グリーン」である、つまり、それらの雑誌は著者たちに、望むならば、その記事をセルフアーカイブすることに対して青信号(グリーン・ライト)を出しているのである。グリーン雑誌の数の伸び率は過去数年、ゴールド雑誌の伸び率とは比べものにならないほど高かった。セルフアーカイビングによって生み出されたOAの量(15%)もOA出版によって生み出された量(5%)の3倍である。 そして(直接的な測定はまだ行われていないが)、OAセルフアーカイビングを通じてのOAの成長率も、OA出版を通じてのOAの成長率よりも、かなり高そうである。すでに述べた通り、その理由は明白である。OA雑誌を創設し、それを充実させるよりも、研究機関のOAアーカイブを創設し、それを充実させる方がはるかに簡単で、安上がりなのである。さらに、確立されている雑誌に関しては、OAコスト回収モデルへの転換にはかなりの財務リスクが存在する。このモデルは、それが持続可能か、拡張可能かが分かるほぼ、十分長い期間、テストが行われていないのである。

したがって、新および転換のOA雑誌はすべて歓迎されるものではあるが、OAの主たる供給源としてそれらを待ち続ける、あるいはそれらに重点を置くことは意味がない。真の活用不足の資源はOAセルフアーカイビングである。それはすでにOA雑誌に比べて3倍のOAを供給しており、伸び率の方もおそらく高いとしても活用不足なのである。OAセルフアーカイビングはすでに、それに対して我々の手間、注意、そしてエネルギーが向けられさえすれば、ただちに100%OAを提供できる状況にあるからである。

新および転換のゴールド雑誌の数が早く大きくならない理由は政府がそれらを補助することに消極的だからだと考えるのは非現実的である。そもそも政府がそうしたことを求めるべきかどうかさえ明らかではない。特に、現時点ではそうである。 OAはすでに補助なしで、セルフアーカイビングを通じて手の届くところにあるのである。単に研究者たちがまだ、それを達成するのに必要な数回のキーを叩こうとしていないだけである(グリーン雑誌に発表されている彼らの記事の92%に関してさえも)―OAを求め、必要としていると言われているにもかかわらず、自分たちの出版社からそれを要求するためにキーを打つことには意欲的である(何万人も!)にもかかわらず、また、OAそれ自体の便益は主として研究者や研究のためであると考えられているという事実にもかかわらず、そうした状態なのである [4]。

OAのために政府の介入が必要だとすれば、それは、研究者たちに、すでに自分たちができる範囲内にあるOA提供を行うようにさせるためであり、彼らのためにOA提供を行うよう雑誌に補助を与えることではない。

「(セルフアーカイビングにとって)記事が基本的単位であり、雑誌は、ピアレビュー済み記事と非ピアレビュー済み出版物の差別化を行い、象徴的価値を与える点でのみ重要なのである」。

象徴的価値?理論と切り離して述べれば、どれほど単純で、簡明になることだろうか:今日、世界の24,000ピアレビュー済み雑誌に発表されている250万の記事のほとんどは、その潜在的ユーザーにとって、アクセスを手に入れる余裕がないために、アクセス不能なのである。それらの記事が無料でオンライン・アクセス可能(それらのセルフアーカイビングにより)であれば、問題は解決するのである。

我々は、ユーザーが何故ピアレビュー済み雑誌記事を利用したいのかについて理論化する必要はない。それはどちらかと言えば自明な前提と見なすことができる。確かに、ユーザーはピアレビュー済み記事を欲しがっている(そして、雑誌の名前からそれがどんなものかは分かる)、そしてフィルターの掛かっていない誰でも無料のものよりもむしろ、専門的査読済み文献に彼らは価値を認めているが、その価値は、ピアレビュー自体が与えてくれる。OAの文脈でピアレビューの価値について議論する必要は何もない。OA運動の前提の一つは、OAは、ピアレビュー雑誌文献へのアクセスに関するものであり、他の何かへのアクセスではないということである。したがって、ピアレビューと雑誌の名前は付き物なのである。解決すべき唯一の問題はアクセスである。オープンアクセスがそれを解決するのである。そして、セルフアーカイビングはただちにOAを提供するための、何にもまして最も迅速かつ確実な方法なのである。

さらなる理論化、あるいは問題を複雑にすることは無用である。我々には、ピアレビュー済み雑誌はあるが、それらに対するオープンアクセスがないのである。それらをセルフアーカイビングすることが、そのアクセスを与えてくれる。それで話は終わりなのである。あとは単なる思弁(無用な思弁、無用な複雑化)であり、不必要にOAを遅れさせるだけのことである。

「セルフアーカイビングの主張の問題点は、少なくともこれまでのところ、その結果が印象的なものではないということである」。

OAセルフアーカイビングのこれまでの結果は、実際のところ、印象的なものではない。私は、それには少しも異議を唱えるものではない、ただし、何と比較してのことか?OA出版の結果としての話でないことは確かだ、というのもOAセルフアーカイビングはOA出版の3倍もOAを生み出しており、おそらくこれからもはるかに速く大きくなっていくだろう。グリーンは、OA産出に関するそれ自身の即時的可能性と比較した場合にのみ非印象的なのである。グリーンの即時的可能性は、ゴールドの5%に比べて、少なくとも92%ある。その点で、5%のゴールドはその全即時的成長可能性に非常に近いのに対して、15%のグリーンは決してそうではない。しかし、グリーンの全即時的可能性を活用するには、さらに手間と注意とエネルギーを傾けることが必要なことも確かである。それこそ、懸案のセルフアーカイビング義務づけが行おうとしていることである。しかし、さしあたりは、(1)OA出版とOAが同じことであるかのように、ゴールドに専属的に向けられている手間と注意を少なくし、(2)グリーンの選択肢も指摘することによって、常にゴールドの選択肢と釣合いを取ることが役立つだろう。(グリーンはここ数年間、次のような統一されたOA供給戦略を採用してきた:「あなたの論文のために適切なゴールド雑誌があれば、そこにそれを発表して下さい、存在しない場合には、グリーン雑誌に発表し、それをセルフアーカイブして下さい」。常に2つの選択肢を公平に提示するというこの措置を取ることは、ゴールドとグリーンの不均衡是正に大いに役立つだろう。)

「もっと重要なのは、科学者の大半がいずれにも傾いていないことである」。

単にもっと重要なのではない、最も重要なことである。実際、研究者たちを、彼らが望んでおり、大いに必要としていると言われているOAを提供させるよう、「傾けさせる」ことがOAにとっての唯一かつ真の難題なのである。しかも、その難題に対処する方法はすでに明らかである:(1)OAインパクトの利点の経験的証拠[5]、(2)それに加えて、そうした利点から確実に利用されるようにするために、研究者の研究機関および研究資金提供者の側によるOAセルフアーカイビングの義務づけ―現在の「出版するか消滅するか」の指令を「出版し、セルフアーカイビングせよ」(あなたの記事へのアクセス、そしてその利用およびインパクトを最大化するために)にまで自然な拡張をすることによって[6]。

最近の調査からすでに分かっていることであるが、現在、研究者たちが「出版するか消滅するか」の要求を順守しているのとちょうど同じように、研究者のほとんどが、彼らはそれが義務付けられなければセルフアーカイビングしないだろう、しかし研究機関あるいは資金提供者によって要求されることになれば、セルフアーカイビングするつもりである、それも積極的にすることになるだろうと報告している[7]。

「ゴールド雑誌に発表されている記事の数(5%)は・・・しばしば、「グリーン」のタイトルの下で発表されている記事の全体数(85%以上)と対比されているが、・・・それらの大半が、実際にはオープン・アクセス・レポジトリーに入っていないことには言及されていない」。

それどころか、雑誌の93%がグリーンであるのに、記事の20%のみがOAであり、そのうちの15%のOAがセルフアーカイビングによるものだと言う事は、常に非常に明確に述べられている(J-CG'の記事が出ている同じ号に同時に出ている記事におけるものを含めて)[8]! この事実は隠されているわけではない、それが大声で言われているのは、研究者たちが本当に、(グリーンおよびゴールドの双方のOA唱道者によって)語られているほど、OAを、またアクセスとインパクトの面でのOAの便益を求め、必要としているとして、それを提供するかどうかは研究者にかかっている―彼らが出版社からそうすることに対して青信号が出されている場合には特にそうであるということを指摘するためである!

しかし、研究機関や研究資金提供者の「出版するか消滅するか」の要求がなかったならば、非常にわずかの研究者しか何も出版しなかったであろう(出版のあらゆる利点―研究者たちが求め、必要としていると考えられる利点にもかかわらず)と考えられるのとちょうど同じように、研究者たちは、その研究機関や研究資金提供者がその雇用や給料、研究資金提供を、彼らがセルフアーカイビンすることを条件とするまで、セルフアーカイビングしないであろうということも明らかである。(研究機関および研究資金提供者はすでに研究者の雇用、給料、資金提供を、単に出版によってではなく、出版のインパクトによっても条件づけることにより、これを暗黙のうちに実施しているのである。 OAはインパクトを最大化するものであるから、必要なのは、この暗黙の因果関係および密接な関係を単に、明示的に形式化することだけである)。

「研究機関のアーカイブは設立されつつあるが、著者たちによって研究雑誌論文でさらに迅速に充実される必要がある。著者およびその論文をひきつけるには、そのサービスが彼らの作品の認知性(visibility)とインパクトを高めるという証拠が必要である」。

その通りである、そして我々は、必要とされる証拠を収集し、それを広く伝えているのである[9]。しかしながら、こうした証拠、および、それが証言する使用とインパクトの拡大の蓋然性は、十分に高い、あるいは速い割合でのOA提供を誘発するには、まだ十分でない、それは、出版から生まれる使用とインパクトの蓋然性がそもそも出版を誘発するのに十分なものではないのと同様である。OA提供のインセンティブは、出版のインセンティブと同様、何よりも雇用、給料および研究資金提供の形式的条件として、明示的なものにされなければならない。それは出版および研究インパクトの双方がすでに雇用、昇進および研究資金提供の条件となっているのとほぼ同じことである。

「科学者が大急ぎでセルフアーカイブしようとしないのも不思議はない・・・「セルフアーカイビング」唱導側が、「セルフアーカイブ」の義務付けを歓迎したのも不思議はない。・・・研究機関がその昇進や任期の手続きを通じて、また助成機関がその評価手続きを通じて資料がオープンアクセスになっていることを優遇するならば、オープンアクセスは実際に前進するだろう。しかし、(この)議論は、インパクト・アドバンテージの議論とはまったく無関係である」。

研究機関および資金提供者による研究成果のOA義務付けが「インパクト・アドバンテージの議論」(および証拠)とは何の関係もない? そんなことを言うくらいなら、研究機関および資金提供者が雑誌インパクトの要因においている現在の重みもインパクトとは何の関係もないと言った方がいいくらいである!

OAの理由そのもの、そしてOAが提供されるべきである(セルフアーカイビングによって)と義務づけるための研究機関および資金提供者の根拠は、あらゆる点でインパクトと関係している。大学および助成機関が現在、セルフアーカイビングの義務化を計画しているのは、アクセスのために研究機関が支払いを行う余裕のある、研究機関の一部のユーザーのみに研究成果の利用を制限し続けるのではなく、研究成果の認知性、使用インパクトおよび引用インパクトを最大化するためである。(J-CG は、それとも、彼らが出版システムを改革するために、あるいは雑誌価格/購入能力(アファオーダビリティ)の問題を解決するためにOAを義務づけようとしていると想像しているのであろうか?)

「政府が介入し、オープンアクセスを迫ることを決断した場合、非常に大きな政治的根拠(が必要とされる)。しかし、義務づけに依存する必要があることは、「セルフアーカイビング」側が政治的操縦を避けることができないことも示している」。

政府は「介入し、オープンアクセスを迫る」ことはできないし、また行うこともしない。誰に、どのように、また何を行うように迫ることができるのか? 政府にできることは、OA雑誌の著者の出版手数料をカバーすることだけである。研究資金提供者は、彼らの被助成者に、そもそも研究資金を受け取る前提条件として、その助成研究の成果に対するOAを、次のいずれかにより提供するよう要求することができる:産物としての非OA雑誌記事をすべてセルフアーカイビングする(グリーン)によるか、あるいは(適切な雑誌が存在する場合)OA雑誌にそれらを発表する(ゴールド)ことによるか。そして、研究資金提供者は、まさにそれを迫る方向にかなり進んでいるように見える。彼らがそうするならば、あるいはそうした時には、我々もすべて、100%OAに向かってかなり進んでいることになるだろう[10]。

「つまるところ、「ゴールド」ロードの重要な点は、知的価値を新しい、より良い方法で創造することである。この目標を達成するためには、「ゴールド」ロードは、科学者のうちの著者側だけに対処するインパクト・アドバンテージより多くのものに注意を向けねばならない。科学者は、急ぎの読者でもあり、価値はより優れた検索、引き出し、案内(ナビゲート)のツールから構築され得るものである・・・「ゴールド」プロジェクトは、引用リンクおよび索引を創出するためのコラボレーションの面で努力すべきである。

「知的価値を創造する」? OA雑誌はその記事をOA化し、著者-研究機関に費用を請求する、それに対して非OA雑誌はユーザー-研究機関に費用を請求すると言う方がより簡明で、より理論中立的ではないだろうか? 我々は実際に「知的価値の創造」に関する理論化を必要としているのだろうか? いずれにせよ、我々はすべて、雑誌が何を行っているかを知っている。彼らはピアレビューを実施し、成果に雑誌の名前を付け、品質に関する関連の追跡記録を付けている。OA雑誌も非OA雑誌もそれを行っている、ただ、それに関して彼らは異なる当事者に費用を請求しているのである。

ゴールド雑誌は確かにコラボレーションおよび引用リンクを行うべきであり、また行っている。しかし、すべての非ゴールド雑誌(グリーンおよびグレー)も行っている。また、CitebaseのようなOAアーカイブやハーベスタも行っている「11」。すると、要点は何なのか?

「私は、ピアレビュー済みの記事からではなく、博士論文から始めることを提言したい[下線部の強調あり]」。

ついに、我々はJ-CGの提案の心臓部に到達した。OAの対象はピアレビュー済み記事である。今日まで、それらのうちの20%しかOAになっていない。ところが、J-CG は、我々はピアレビュー済み記事ではなく、学位論文のセルフアーカイビング(その一部はすでにセルフアーカイビングされている)から「出発すべき」だと提言しているのである[12[。何故、我々は学位論文との混合的組み合わせを開始するよう求められているのか?

(その答は直に明らかになるだろう。我々は、J-CGの提案する混合・組み合わせのシナリオでは、決してピアレビュー済み雑誌記事のセルフアーカイビングに移行することはないであろう。 代わりに、我々は何とかして―その方法は決して特定されることはない〔しかし、ピアレビュー済み雑誌記事よりもむしろ、未審査プレプリントのセルフアーカイビングを進めることによってだと推測される〕―現在のピアレビュー済み雑誌に取って代わるものとして、ボトムアップで、それらの学位論文の上に、何とかして、真新しい代替的ピアレビューと出版システムを構築する方向へ移行することになる。実際のところ、これがOA雑誌創出、ゴールデン・ロードのJ-CGバージョンである。それはグリーンとゴールドの混合・組み合わせでは全くない! それはまったく別の仕組みの再発明である。第一段階は、新しい形態の「品質評価」であり、それはどういうわけか、博士論文の「知的価値の増進」の新しい方法から生じることになっている)。

「博士論文の知的価値、権威および信望を増進するための研究機関横断的戦略により、研究機関横断的学科アーカイブ出現のためのテスト・グラウンドは容易に供給可能であろう」。

24,000の雑誌における年間250万のピアレビュー済み記事―そのすべてが、すでに有する知的価値がどのようなものであるにせよ、ともかくそうした知的価値をすでに有するものである―のうち、わずか20%しかOAとなっていない時に、我々は学位論文をセルフアーカイビングすること、またその知的価値を増進するよう求められているのである! しかし、すでに評価済みでありながら、まだアクセス不能な残りの80%の記事こそ、我々が実際に必要としているものではないのか? では、これが、見込みのある代替策としてのグリーンとゴールドの混合・組み合わせ提案なのか?

「評価レベル: メタデータも品質に関する表示を行えるよう拡張すべきである。それは、レポジトリーの文書に対して判断を下す評価団体の正体および性質を確認するのに役立つように設計することができるだろう。言い換えれば、メタデータは、編集委員会として活動を始めるグループの質、性質、手順を確認するのに役立つべきである。メタデータは、評価尺度のデザインでも寄与することができるだろう、その尺度は、ミシュランのレストラン・ガイドにも似た、1ブレーン、2ブレーン・・・nブレーンなどを想像すればよい」。

品質メタデータ? 学位論文に関して? いったい何のために?我々は学位論文ピアレビュー・サービスを創設しようとしているのではない。我々はすでにピアレビュー済みの記事の他の80%について、OAを提供しようとしているのである、またそれらの「品質表示」は、それらに対してピアレビューをすでに行った雑誌の名前である!

雑誌記事の場合、「評価団体」は雑誌であり、その名前によって表示されている。学位論文については、誰が知ろうか?(それに、OAに関する限り、誰が気にするだろうか? 学位論文の品質表示はOAと何の関係もない。)

我々は、雑誌記事にミシュランのガイドを必要としていない! 我々が必要としているのはただ記事へのアクセスとその雑誌の名前だけなのである!彼の提案では、そうではなく、我々はピアレビューの再発明で忙しいことになる、それはこれまでテストされていないもので、しかも(我々がこれから見るように)かなり突飛な新しい形態である。

「これは新しいプロジェクトにつながる。さまざまな大学が学科ごとのレポジトリーのコンソーシアムを創設するならば、彼らがさまざまなレベルのピアレビュー評価、例えば研究機関、コンソーシアム、地域、国、国際のレベルでの評価を生み出すための手順を設計することを阻むものは何もない」。

これは確かに新プロジェクトである! というのも、古い方のプロジェクトは、既存の24,000のピアレビュー済み雑誌における年間250万の既存記事のうち、残りの80%に対するオープンアクセスを提供することだったからである。ところで、我々は何について語っているのか? ピアレビューのレビューについて?ピアレビューのやり直しについて? あるいはピアレビューの置換えについてだろうか?

私は、J-CGがその出版改革の衝動に駆られて、ここで本当に想い描いているのは、セルフアーカイビングされている記事の95%が現在発表されている非OA雑誌をすっかり取り替えることではないかと疑う。しかし、OAそれ自体は、それらのピアレビュー済みの雑誌記事に対するオンラインでのフリーアクセスを提供することであり、それらの記事が発表されている雑誌から、また雑誌のピアレビューからそれらをもぎ取ろうとするものではない―少なくともそれはセルフアーカイビングのグリーン・ロードを介したOAではない。

また、雑誌がセルフアーカイビングに対して青信号を出すことで意味していることは、そんなことではない、つまり、あなたは私が出版した記事を、まるでそれらはピアレビューを受けたことがないかのように、扱ってもよい、単純にプロセス全体を新しく始めなさいということではない。また、プロセス全体が最初に適切に行われているとしたら、それを新規に始めることに何の意味もない。論文を一回レビューするための適格な審査員を確保するだけでも十分難しい、それをすっかりやり直す(それも多くのレベルで?何度も?)ことは言うに及ばない。

またそれは、すでにピアレビュー済みで出版されたそれらの記事の著者および将来のユーザーが必要としている、あるいは求めていることでもない。著者やユーザーが求めているのはそれらの記事に対するオープンアクセスなのである。

どうして、このような奇妙な状況に入り込んだのか? OAアーカイブを「テスト・グラウンド」として、ピアレビュー済みの雑誌記事ではなく、学位論文で満たすという誘惑を受入れることによってであった。明らかに、我々は決して雑誌記事のセルフアーカイビング(グリーン)に向けてレベルを少しも上げることはないだろう、むしろ、我々は出版システム全体を底から再構築することになり、学位論文でスタートし、次にそれを一般化し、将来的記事の未審査プレプリントに適用することになる。(J-CGは誤って、「グリーン」が意味するのは、OAの主たる対象であるピアレビュー済みの出版された雑誌記事のセルフアーカイビングよりもむしろ、未審査プレプリントのセルフアーカイビングを主として意味すると推測したのだ、あるいは思い込んでしまったのだ!)

それを別の言葉で言えば、ちょうどJ-CGが提言したように、結局、我々は出版システムを改革することになるだろう。あの既存の雑誌記事の他の80%に対するオープンアクセスの提供について気にすることはない。その代わりに、我々は新しい評価団体(ゴールド)を創設することになる。我々には時間があり、最終的にはすべての当事者がこのプロジェクトに追随することは確かだ(とりわけ、セルフアーカイビングさえしようとしなかった、あのものぐさな著者たち全員が)。彼らは現在の雑誌から引き離され、代わりに、まだすっかり明確にはなっていないが、それでもおそらく、「さまざまなレベルのピアレビュー評価、例えば研究機関、コンソーシアム、地域、国、国際のレベルでの評価」の線に沿ったものに方向づけられることになるだろう。

「その時点で、評価レベルの認知された階層性が現われ始めることができるのである[強調あり]・・・それはどのレベルのピアレビューおよび評価が使われているか・・・またどのグループがそれを支持しているかを[示す] メタデータを通じて明確に特定可能である。実質的には、これが雑誌の行うことであり、・・・雑誌が何らかのブランディング能力を獲得する仕方なのである」。

実質的には、J-CGが「評価レベルの認知された階層性」(「メタデータを通じて明確に特定可能な」)から成る、上記の「現われてくる」ゴールド・システムで置き換える(ボトムアップで、学位論文から始めて)ことを提案しているものは、現在の雑誌システムである(というのも雑誌の95%がゴールドになることを執拗に拒んでいるからである)。そして、学位論文から始まるこの代替的「ブランディング」システムは、グリーンおよびゴールドの混合・組み合わせから現われてくるはずなのである。

続いて出てくるのは思弁に思弁を重ねたものであり、すべてはこの最初の前提(それらを転換できないのであれば、取替えよ)に根拠を置いているのである。

「こうした価値構築の方式に透明性と信頼性を与えるには、・・・そうした評価方式およびそれに関与する学者チームの国際的レジストリーを開発することが可能であろう。このようにして、拡大されたピアレビューおよび評価のための比較的秩序だった枠組みが現われることが可能になる」。

J-CGはここで、Harold Varmusの元々の1999年E-biomed提案に付きまとっていた矛盾を、ほぼそのまま蘇らせることになっている、つまりそれは、提案されているものが次のどれなのかを必ずしも明確にすることができなかったのである:(1)雑誌記事へのフリーアクセス、(2)記事をフリーアクセス可能なものにするため、記事がセルフアーカイブされるアーカイブ、(3)著者を既存の雑誌から誘い出すためのライバルの一出版社あるいは複数の出版社、(4)代替的種類のピアレビューを有する代替的種類の一雑誌あるいは複数の雑誌、あるいは(5)前記のすべて[13]。

あの幾らか混乱した、不釣合いの1999年の構想がその後の数年で、以下のように次第に整理され、より重点を明確にしたものになっていったのである:まず、PubMed Central [14]が中央のOAアーカイブとして創設され(2000年2月)、出版社は出版から6ヶ月後に自分たちのコンテンツをそこに預けるよう勧められた。この勧めを受入れる出版社がわずかしかなかった時に、Public Library of Science (PloS) が設立された(2000年10月)、そして公開状(Open Letter)が回され、世界中の34,000人の生物医学研究者がそれに署名して、既存の雑誌はゴールドになるべきだと要求した[15]。それもうまくいかなかったので、PLoS はオープンアクセス・パブリッシャーとなり(2001年)、それ以来、二つのゴールド雑誌を立ち上げている[16](グリーンのセルフアーカイビングのことはまったく忘れている)。つい最近になって(2004年)、おそらく、OAへのゴールデン・ロードは道が遠く、遅いということに気づいて、 PLoS は、提案されたNIHパブリック・アクセス方針の推進を支援することにより、再びセルフアーカイビングのグリーン・ロードを採用することになった(この方針案はNIH助成研究から生まれるすべての記事が出版から6ヶ月以内に、PubMed Centralにセルフアーカイビングされることを要請するものである)[17]。

J-CGは、当初のとんでもない1999年E-biomedの混合物に非常に良く似たものを今一度、蘇らせることを提案しているのである! 私は一度でたくさんだと反論したい。我々は、出版システムを底から再構築しようとする(曖昧でテストされておらず、思弁的で、おそらく整合性のない、アーカイビングと出版の混合・組み合わせモデルでもって)ことは忘れるべきである。そうしたことよりも、現在の雑誌文献の残りの80%のOAセルフアーカイビングを研究資金供給(および雇用)の条件として、推進することによって、OAへのグリーン・ロードを強化すべきである。これには、ハロルド・バーマス(Harold Varmus)、PLoS 、ウェルカム・トラスト(Wellcome Trust)、英国政府特別委員会(Select Committee)、その他多くが最近になって参加している(最初からそうしていれば、もっとうまく行っていただろう)。

「新しい雑誌のモデル:信頼できる価値を生み出すためには、透明性、信望および厳格性が必要とされる・・・「オーバーレイ雑誌」のようなものが現われ・・・しだいに存在感と尊敬を獲得し始めるだろう。その時点では、研究機関のレポジトリーは実質的に、豊富な価値創造ツールとますます認知度を高めた名称あるいは表号を備えた、コンソーシアムを基盤とするレポジトリーのネットワークに変貌し、成熟しているだろう」。

問題は、すべてそうした「変貌(モルフィング)」はこれまでのところ、無活動の思弁家の頭の中だけで起こっていることであり、その間、記事の80%は相変わらず、アクセスを得るだけの余裕のない将来的ユーザーにとってはアクセス不能のままだということであるーそれこそOAが解決すべき問題だったはずなのに。

ちょうどE-biomedや「脱構築された雑誌」と同じように、「オーバーレイ雑誌」は現在のところ、机上理論家の想像上の絵空事である。さらに、「オーバーレイ雑誌」 が何を意味するのかということさえ明確でない。単に、ウェブサイトに提出物を預けさせ、続いてサイトへの審査員および修正原稿の割り当てによって、オンラインでのピアレビューを実施する従来の雑誌(ハイブリッド型であれ、オンラインのみであれ)を意味するのであれば、ほとんどの雑誌はすでにこの陳腐な意味でのオーバーレイ雑誌である。

「オーバーレイ雑誌」が単にオンラインの雑誌を意味するのであれば、何も新しいものはなく、興味深いものもない。また、「オーバーレイ雑誌」ということで、審査員が論文をそこに探しに行き、修正原稿の置かれているアーカイブが雑誌のウェブサイトではなく、OAアーカイブ(研究機関のものであれ、中央のものであれ)であることを意味しているのであれば、それもまた興味深いものではない―現存の雑誌および従来型(オンラインでの)ピアレビューの標準的特徴の、ただの些細な(それも当然の)実施上の変種にすぎない[18]。

雑誌それ自体はピアレビューと認証のみを行い、アーカイブがアクセス提供とアーカイビングのすべてを行うのであれば、これはいつの日か、何らかの潜在的利益を有するかもしれない。しかし、今日その記述に類似した雑誌は高々一握り存在するだけであり、それらと残りの99.99%の雑誌の間には、OA(ゴールド)雑誌とそのコスト回収モデルの未解決の将来の問題が存在する[19]。

それゆえ、オーバーレイ雑誌はやはりただの机上の思弁にすぎない。しかし、100%OAは、そうしたものである必要はない。また、現在の24,000雑誌がオーバーレイ雑誌に「変貌」するのを待つ必要ないことは確かなのである。

「この進化の結果として、・・・オリジナルの提出物は、これらの科学通信の新チャンネル[オーバーレイ雑誌]に宛てられることになるだろう、・・・並行的に、[それらは]従来の雑誌ですでに「発表」されているだろう。「セルフアーカイビング」の重要性が真に拠点とするのはここである。・・・これらはすべて、「セルフアーカイビング」戦略を「ゴールド」の目標へ向かう途中の移行段階として扱うことによって達成することができるのである」。

従来の雑誌ですでに発表されている記事がどのようにして「オーバーレイ雑誌」への「オリジナルな提出物」となり得るのかを理解することは困難である―さらに困難なのは、これをセルフアーカイビングの真の「拠点(anchoring point)」と見ることである。セルフアーカイビングは、この仮定的で新しい、多レベルで多義的なシステムが進化するのを待つよりも、現在の雑誌文献の残りの80%に対して即時的OAを提供するという現実的な任務に単純に固執すべきであろう。

語る価値のある唯一の「移行」(それもテストされ、目にも見え、到達可能な)とは、セルフアーカイビングを通じての今日の20%OAから100%OAへの移行である。それ以後のことについては、議論するつもりはない(nolo contendere)―我、仮説を作らず(hypotheses non fingo)である!

「オープンアクセスは、ひたすら自分のキャリアを高めたいと思っている少数のエリートで身分の確立された科学者の戦術的ツールであるべきではない」。

誰も、OAが少数のエリートで身分の確立された科学者の戦術的ツールであるとか、そうであるべきだと提言している者はいない。OAセルフアーカイビングによるインパクト強化がエリートで身分の確立された科学者のみを利するだろうと言った(どのように、あるいは何故については語ることなく)のはJ-CGである。著者/記事の年功および品質レベルによる分析はまだ行われていないが、OAインパクトの利点がトップの層のみにある、あるいは大半そうであると考えるべき理由は特に存在しない。

結論

今日、何が必要とされているかはすでに明白である:可能な限り最も早く、最も確実な手段による100%OAである。それが何を意味するかも明らかである。それはセルフアーカイビング(グリーン)であり、今や研究者の機関および研究資金提供者によって義務づけられる必要がある。すべてのピアレビュー済みの出版された雑誌記事のセルフアーカイビング(グリーン)に並行して、OA雑誌(ゴールド)の成長と仮説的な新システムの双方の余地も存在する、しかしそれらはグリーンの代わりとなるものではない。それについてはいかなる混同もあってはならない!

参考文献

  1. すべての引用は以下から:Serials Review 30(4) 2004 http://dx.doi.org/10.1016/j.serrev.2004.09.005 この批判のさらに完全なバージョンについては以下を参照: http://www.ecs.soton.ac.uk/~harnad/Temp/mixcrit.html ; 編集者のノート:Serials Review 30(4) 2004 に関するいくつかの有益な情報が以下で入手可能: at http://www.library.yale.edu/~llicense/ListArchives/0412/msg00075.html
  2. Richard Poynder, "Ten Years After" Information Today 29(9) 2004. http://www.infotoday.com/IT/oct04/poynder.shtml
  3. Budapest Open Access Initiative. http://www.soros.org/openaccess/read.shtml
  4. A Keystroke Koan for our Open Access Times. http://www.ecs.soton.ac.uk/~harnad/Hypermail/Amsci/3061.html
    Journal Self-Archiving Policy Registry. http://romeo.eprints.org/stats.php
  5. Bibliography of Open Access Impact Advantage Studies. http://opcit.eprints.org/oacitation-biblio.html
  6. Registry of Institutional Open Access Provision Policies. http://www.eprints.org/signup/sign.php
  7. Swan, A & Brown, S. Authors and open access publishing. Learned Publishing 17 (3) 2005 http://www.keyperspectives.co.uk/OpenAccessArchive/Authors_and_open_access_publishing.pdf
  8. Harnad, S., Brody, T., Vallieres, F., Carr, L., Hitchcock, S., Gingras, Y, Oppenheim, C., Stamerjohanns, H., & Hilf, E. (2004) The Access/Impact Problem and the Green and Gold Roads to Open Access, Serials Review 30 (4) 2004 http://dx.doi.org/10.1016/j.serrev.2004.09.013
  9. Open Access Impact Studies: http://citebase.eprints.org/isi_study/ http://www.crsc.uqam.ca/lab/chawki/ch.htm
  10. Directory of Institutions with Open Access Policies. http://www.eprints.org/signup/fulllist.php
  11. Citebase scientometric search engine http://citebase.eprints.org/
  12. Open Access Dissertation Archives. http://archives.eprints.org/eprints.php?page=all&type=theses
  13. Critique of e-Biomed Proposal. http://www.nih.gov/about/director/ebiomed/com0509.htm#harn45
  14. PubMed Central. http://www.pubmedcentral.nih.gov/
  15. PLoS Open Letter to Publishers. http://www.plos.org/support/openletter.shtml
  16. PLoS Journals. http://www.plos.org/journals/
  17. Proposed NIH Public Access Policy, http://grants.nih.gov/grants/guide/notice-files/NOT-OD-04-064.html
  18. Online Peer Review Innovations. http://www.ecs.soton.ac.uk/~harnad/Temp/peerev.ppt
  19. Harnad, S. "For Whom the Gate Tolls?" http://www.ecs.soton.ac.uk/~harnad/Tp/resolution.htm#4.2

著者紹介

Stevan Harnad
Canada Research Chair
Université du Québec à Montréal

Email: mailto:harnad@uqam.ca
Web site: http://www.ecs.soton.ac.uk/~harnad/

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