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「学術情報センター紀要」第3号(1990年9月)
 要旨

【2001/11】
巻頭のことば
山田 尚勇 (学術情報センター研究開発部長)

研究論文

1. 韓国の文字コードについて
宮澤 彰(学術情報センター)
要旨:
 韓国の文字コードについてコードスペースと文字セットの観点から紹介し, 東アジアの文字データベース交換についての問題を考察する. コードスペースとは文字を表現するのに使用されるコード値の集合として定義する. 文字コードは一般にコードスペースとそこに対応づけられる文字セットをあわせて言っている. この観点から文字コード拡張の基本的な標準であるISO2022を整理して紹介する. また学術情報センターのサービスシステムの環境であるN-1のNVTコード, 日立のVOS3KEISまた一般ユーザに最も普及しているシフトJISコードについても, このコードスペースと文字セットの観点から整理する. 韓国の文字セットについてはハングルの文字コードとして, Nバイトコード, 組合型, 完成型の各タイプを, IBMのホストコード, 標準コードの付録の例などを示して紹介する. また急速に普及しつつある標準コードKSC5601-1987については, その構成や特徴, 指摘されている問題点などを紹介して解説する. これらを使用するコードスペースについては, IBMホスト, 標準的なKSC5601の使用法, シフトJISと似た形での拡張されたコードスペースなどの例を紹介する. いずれも文字セットの呼び出しは固定的である. しかし東アジアでの文字セットを扱わねばならず, コードスペースを広げるか, 文字セットの動的呼び出しを行なうかをしなければばらない. これは現行のシステムではできず解決しなければならない問題となる.

2. 韓国標準規格と日本工業規格の漢字について
李 春澤(韓国公州大学:富士大学)
要旨:
 コンピュータで使用する漢字コードについては, 韓国にも日本にも国家規格がKSC5601およびJIS X0208として制定されている. いずれも数千字の漢字を収録しているが, 同一ではない. 本稿では, はじめに韓国国家規格の漢字の内容を, 同一字が場合によって音が変わる字, 異意異音同体字, 同意異音同体字の3種類の基準から分析した. 次に500字あるとされる韓国字の特色と国家規格の収録状況を述べた. さらに日本工業規格に収録された漢字との比較を体裁, 字数, 異体字の3種類の基準から分析した. 二つの国家規格のおける漢字収録の状況を比較することにより, 国際(地域)標準化の課題を提示した.

3. 文献の論理構造を考慮した全文検索システム
影浦 峡(学術情報センター), 大山 敬三(学術情報センター), 宮澤 彰(学術情報センター), 根岸 正光(学術情報センター), 鳥居 俊一(日立製作所), 絹川 博之(日立製作所)
要旨:
 全文データベースはデータベース・サービスの品揃えの一つとして発達してきたが, 検索結果にノイズが多いとか利用が難しいといった問題点が指摘されている. 学術情報センターでは, 全文データベース・サービスを公開するとともに, こうした問題点を解決するような新しい全文検索システムについて研究を行ってきた. 本稿ではこれに基づき, 文献の論理構造を考慮した全文検索オペレーションを紹介する. また, こうした検索オペレーションを備えた全文検索システムの実現方式についても述べる.

4. ドキュメント・デリバリーのための電子図書館 : リソースシェアリングをめぐる制度的枠組み
桂 英史(学術情報センター), 影浦 峡(学術情報センター)
要旨:
 本論の目的は, リソースシェアリングという視点から電子図書館という考え方を制度的側面から再検討し, 方法論的に位置付けることにある. 電子図書館という考え方の多くは, フルテキストデータベース, マルチメディアドキュメントシステムあるいは分散処理などの技術革新に依存した将来展望であり, 具体的な方法論や問題点に関して深い議論はなされていない. 本論においては, まず電子図書館という技術的なアプローチが, 従来の図書館機械化というアプローチとどのように異なるか, という問題に関して議論する. また, 将来の電子図書館システムに基づくドキュメントデリバリーに内在する問題点に関して, とりわけ知的所有権の問題を踏まえながら検討を進める. その際, 具体的にシステム構築の前提としてどのような必要条件を具備すればよいか, という問題に焦点を当てながら議論を展開する.

5. 知識ベースシステムにおけるタスクの役割
小山 照夫 (学術情報センター)

6. 機械概念設計プロセスのモデリング
小山 照夫(学術情報センター)

7. 大規模関係データベースのための並列処理マシンの一構成法
浜田 喬(学術情報センター), 大久保 一彦(東京大学)
要旨:
 本論文では, 将来予想される大規模関係データベース環境に対処し得る, 多モジュール構成のデータ処理向き並列計算機システムの一構成法を提案する. まず, 処理性能のボトルネックの解消, コストパフォーマンス等を考慮に入れて, データベースマシンの設計理念を提言する. 次に, 計算機資源の利用率の向上を図ることにより, 関係代数処理の並列度を増す処理アルゴリズムを提案する. 具体的には, 関係代数演算のうちで最も基本的な選択演算と結合演算の並列性の抽出を行い, それらの実装技法を述べる. また, モジュール間相互結合網の検討を行う. 並列システムでは, 複数モジュール間の通信オーバーヘッドがデータ転送量に比例して顕著となり, この問題を解消するため, 負荷分散型バンヤン網における新たなデータ転送制御法を提案することにより, 高性能な結合網を構成した. 最後に, 提案したシステムの性能をシミュレーションとトラヒック解析により評価し, 本技法により優れたデータベースマシンを構成できることを確認した.

8. 放送形トラヒックに対する高速パケット通信網のルート制御
淺野 正一郎(学術情報センター), 安藤 史郎(東京大学)

9. 日米の研究開発体制を考える
山田 尚勇(学術情報センター)
要旨:
本稿においては, 研究開発に関わる統計的分析を示すのではなく, 日米両国において, 大学および企業の研究所で長らく過したあいだの, 個人的経験を述べる.
日本では科学と技術がほとんど区別されず, 一体として理解されている. しかし, かりにその差を認めたときには, どうちらかというと, 技術者のほうが科学者よりも地位が高いとする伝統がある. しかるに米国においては, 科学は自然の法則を理解(分析)すること, 工学はそれを実利に向けて応用(合成)することという, よりはっきりとした区分がなされている. しかも, 基盤となる科学に関わる者のほうが, 工学に関わる者より, 常に高い評価を受けてきた.
こうした微妙な差異は, 科学と技術に関わる2国の政策に, かなりの違いを生んでいる. 米国が基礎研究と新しいアイデアの発見に力を入れてきたのに対し, 日本では既成のアイデアと技術を導入し, それらにキメ細かい改良を加えた上での製品化技術に集中し, 勤勉でレベルが高く, しかも質の揃った技術者, 労働者の効果的活用により, 高品質, 高信頼性の製品を大量生産し, 安値に世界市場に供給しつつ, 工業立国の面目を発揮してきた.
そうした国策は, 近年大幅な貿易黒字をまねくとともに, 主として製品の信頼性と価格の差とにより, 米国におけるいくつかの産業を極度に圧迫している. そうして起こった貿易摩擦, 経済摩擦の結果, 日本が基本的アイデアを生み出すこと少なく, もっぱら他国に頼りつつ, 甘い汁を吸っているという, 技術タダ乗り論が海外に台頭し, 高度先端技術の日本への移転を制限する運動さえ起こりだした.
こうした国際状勢の中にあって, 日本としては, 貿易黒字減らしと基盤的創造性の養成に, いやおうなしに取り組まなければならなくなった.
改めて世界を見わたしてみると, 日本製品の廉価供給を可能にした原因として, 1人あたりの国民総生産が世界一であるにもかかわらず, 日本における実質的生活水準の低さの目につくようになった. すなわち,世界において飛び抜けて多い年間労働時間数, 流通機構の過保護による世界一の物価高, 過少な社会資本投資の結果としての生活環境の貧困さなどである. そして, 国外における日本製品の価格の低廉さは, こうした犠牲の上に可能となっているという国際的指摘がなされだした.
さらに, もともと基礎研究というものは, 豊かな「科学資本」―つまり教育, 設備, 試験研究, 知識の集積など―の経費にかかるものである. 日本は外国のアイデアにタダ乗りして, こうした資本の投資をもおこたっているというのである.
こうした国際的緊急状態に対処するために, 日本は基礎研究に力を入れるとともに, 創造性の組織的開発に取り組み始めた.
独創性を発揮するのは平均的思考能力を持つ人たちではなく, 他人と変わった, 独自の思考をする少数の人たちの集団であることが多い.
しかるに日本の社会では, 単一化, 画一化を陰に陽に奨励する文化が長らく定着しており, 個性の強い者, 変わり者が自由に伸びていくにはさまざまな障害が多い.
教育も, 幼稚園から高校に至るまで, 例外はではないから, 大学にはいってから, にわかに個性を発揮しろと言われても, もともとそうした素質を持った人間は, それ以前の過程でかなり排除されてしまっている.
さらに日本の教育システムでは, 小中学校の教育にかける経費はかなり潤沢であっても, 大学教育, 特に大学院にかける経費は, 国際的にみてかなり少ない. かつ, 教官に対する制限が強すぎて, かれらには自由に過ごせるまとまった期間が少なく, 企業で働けず, またほとんどが所属大学の内部育ちであり, 人事の交流も少ない. これらの環境条件は, またもや研究者の画一的思考を助長することになる.
若手の研究者についても, 大学院生を教育, 研究過程に積極的に組み込むことが法的にできなくなっており, また, 若手の社会人に対する「生涯教育」も思うにまかせない. 積極的に創造性を評価するのに臆病であるから, 長老に対する功労賞は多くても, 若手に向けた大きな功績賞はない.
幼いときから, 自分の意見をはっきりと相手に主張し, 相手と議論してでも意見を伝えることを教えこまれているアメリカ人に比べて, われわれの行動の主原理は和の精神であり, 右顧左眄しつつものを言う会議は, とかく生産的でない. 委員会なども初めからとかく同種意見の持ち主で構成されるから, 画期的な結果が出にくく, 討論会などでも, 本来の「秩序ある対決」の精神が生かされない.
個性とアイデアとは切っても切れない関連があるから, 個人の確立のないところでは, アイデアそのものを尊重する観念も希薄になる. それはアイデアを出した個人の報われかたにおける日米の差によく表れている.
こうした独創性の低さ, そしてそれに付随した, 外国からの先端技術タダ乗り論の非難を解消するには, 国として早急に創造性養成の施策を進めなければならない. それについても多くの提案があるが, どうも対症処置に終わっていて, 原点に立ち戻って考えなおすことは極力避けているかに見える. それに, 対症処置そのものが, また画一的, 均質的で, 別の硬直化を起こしそうなものが多いようだ.
ほんとうに創造性を上げようと思うのなら, 国民全体の均質性, 高水準性は多少犠牲になるかもしれないが, 幼稚園教育から始めて, 個性の自由な発露と, それに伴う多様化を, 極力推し進めていくことが必要なのではなかろうか.
そうした教育制度の思いきった改革は, なかなかむずかしいと思うが, それなしには, ただでさえ多額な投資を必要とする基礎研究に研究費を注ぎ込んだとしても, 独創的な成果は, なかなか思うようには出て来ないのではなかろうか.
わが国の研究の理念は, あまりにも実用的, 工学的思考に傾きすぎている. たとえば気球との関わり方の歴史をみても, 軍事的効用が認識されるまでは, わが国での反応は実に冷淡であったようだ.
わが学術情報センターにおいても, 現実的, 短期的な研究開発と並んで, 将来, 通信やコンピュータのコストがほとんどタダになったときに, たとえば, 全世界から絶えず流されてくる科学技術情報から, 研究者が, 自分でキーワードで設定した, 関心のあるテーマのプロファイルに合わせて, それに合致する文献, データ, 画像などを常時拾い出しては, 個人用のジャーナルを編集し, 提供するようなシステムの開発を行なえば, 夢と実利があって, たのしいと思う.
科学における飛躍は, 好奇心に駆られた, 王侯貴族的お遊びの精神から始まることが多い. それに対しわれわれの実利主義は, 執事, 従僕, 召し使いの立場に立つ感があり, 他人のアイデアを磨き上げ, ものにしていくことに専念しすぎていよう.

10. テスト評価、均質的文化、独創性養成 : 教育・研究における選抜法について考える
山田 尚勇(学術情報センター)
要旨:
個性化, 多様化と創造性とが深く関わり合っている資質であることは, すでに多くの人びとの述べているところであるが, 本稿ではその定量的裏付けに向けて少し考えてみる.
その第一歩として, 現在のテスト管理社会において, 個人の能力を評価しているシステムを取りあげてみると, そうしたテストの連続で選抜されてきた集団では, 質の向上とともに, 時がたつにつれて, どうやら集団の均質化, 平均化が起こるらしいことが推論される.
すなわち, テストによる管理の度合いと, それを実施している社会の持つ文化の型とには, ある種の相関が存在し, 創造性の基となる, 個性の自由な伸展を望むのなら, できるだけ均一化を引き起こさないような, テスト結果の総合評価法を考えていかなくてはならないようである.
いま広く使われているのは, 各テストの得点の単純和をもって順位をつける評価法であるが, この方法には, 計算がらくであるという以外に, 大した根拠がない. むしろ各能力の得点を成分とし, その合成ベクトルを総合能力として評価するほうが自然で, かつ多様性の評価にも, より良く適合するようである.
多様化を考えるときに, よく心配されるのが, 全体のレベルの低下ということであるが, このレベルという考え方は, 実は一つの数値に頼った, 画一化の概念である. したがって, 多様化, 個性化を必要とするこれからの情報社会においては, 目標達成の基準として, 全体のレベルという考えに代わるものを見つけ出さなくてはならない.
伝統的に基礎研究に多大の重み付けをしていた米国が, 国際的環境の変化に押されて, 実利主義へと向かいつつあるいま, 日本がその逆向きの努力を余儀なくされていることには, なかなかに意味深長なものがある.


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